第322話 建国式①

 ノエインへの大公位授与式およびアールクヴィスト大公国の建国式が執り行われるのは、王歴二二〇年の八月二十日。その一週間ほど前から、式典への参列者が到着し始める。


 到着期間に余裕をとっているのは、長旅では数日の日程のずれは日常茶飯事であるためだ。


 今回やって来る客人は、ランセル王国側からはアンリエッタ女王とバルテレミー子爵。ロードベルク王国からは、国王オスカー、ベヒトルスハイム侯爵、アルノルド・ケーニッツ伯爵。そして式典の進行役として招かれたミレオン聖教伝導会トップのセネヴォア伯爵。また、隣のケーニッツ領からはフレデリックの一家も来る予定となっている。


 その他の繋がりが深い者――親戚や盟友・戦友の貴族家、マイルズ商会をはじめとした大きな取引先からは、独立に際して祝いの書状が届く。今やノエインもそれなりに人脈を広げているので、その数はかなり多い。式典が終わればクラーラと共に礼状の執筆に追われるだろう。


 八月の十四日。最初に領都ノエイナに到着したのは、ノエインの義兄でもあるフレデリックの家族だった。


「エレオース! ひさしぶり!」


「サミュエルー! げんきだった?」


 屋敷の前でケーニッツ家の馬車から降りてきたサミュエルと、出迎えに立っていたエレオスが互いに駆け寄る。幼馴染として度々会っている二人もすでに三歳だ。


「こらエレオス、まずはご挨拶が先よ」


「サミュエルもよ。アールクヴィスト閣下とクラーラさんに失礼でしょう」


 クラーラとレネットがそれぞれ息子を窘める様子に微苦笑しつつ、ノエインはフレデリックと顔を合わせた。


「フレデリックさん、ようこそ領都ノエイナへ」


「出迎え感謝する、ノエイン殿……この都市も随分と発展したな」


 ノエインと挨拶を交わしたフレデリックは、市街地の方を振り返る。


「前に来られたのは、まだアールクヴィスト領の人口が二千人くらいのときでしたね」


「ああ。駐留軍としてベゼル大森林道……今はベゼル街道か、を守っていた時に来て以来だな」


 移民と奴隷を迎えたアールクヴィスト領の現在の人口は、多少の誤差はあるだろうが三八〇〇人程度とされている。


 そのうちノエイナに住んでいるのは、現時点では二四〇〇人強。市域にはまだ余裕があるが、それでも数年前と比べてさらに活気が増した。金を持っている古参の自作農たちは自宅の改築・増築にも余念がなく、その街並みは単純な人口規模以上に栄えているように見える。


「これからもっと発展させて、ケーニッツ伯爵領とも共栄の道を歩ませてもらいますよ」


「ははは。今でもこちらは十分に繁栄の相伴に与っているのに、ありがたい話だな……では、私たちは別館の方に泊まればいいか?」


「いえ、他の客人が到着されるまではぜひ本館の客室にどうぞ。その方が生活の便利がいいでしょうから。それに、せっかくですから親類同士、皆で仲良く過ごしましょう」


 ノエインが笑うと、フレデリックも穏やかに笑い返した。


「そうか。では遠慮なくそうさせてもらおう」


 片道半日のレトヴィクからフレデリックたちが真っ先に到着したのは、客人の中で最も格が下であるのに後の方に到着できないという立場上の都合と、当日まではノエインとクラーラがどうしても王家の客人への歓待や式典の準備に追われる間、他の客の話し相手になるという役割のためだ。


 せめてその仕事が始まるまでは、気楽に過ごしてもらいたい。ノエインはそう考えていた。


・・・・・


 フレデリックたちが到着した翌日にはアルノルドが、そのまた翌日にはジークフリート・ベヒトルスハイム侯爵の一行が到着した。同日にバルテレミー子爵も到着し、さらにその翌日には、ロードベルク王国の王であるオスカー・ロードベルク三世の一行が領都ノエイナに入った。


 一国の王が移動するとなれば、従者の数も多くなる。国王オスカーと王妃イングリット、末娘マルグレーテ、使用人が十数人、そして王家の親衛隊の最精鋭や王宮魔導士から成る護衛が三十人強。総勢およそ五十人に及ぶ大所帯だ。荷物も山のようにある。


 これでもアールクヴィスト領の受け入れの都合を考慮した、王の一行としては最小限に近い編成だろう。


 一行はアールクヴィスト家の屋敷の門をくぐり、本館の前で王家の馬車が停車。護衛の親衛隊騎士たちが馬車の扉の前で列を成してから、オスカーたちが降り立った。


 それを、ノエインは家族と主な重臣、使用人の総出で臣下の礼をとって出迎える。


「国王陛下、並びに王妃殿下、王女殿下。アールクヴィスト領へようこそお越しくださいました。皆々様を我が領へお迎えできますこと、至上の喜びと存じます」


「ノエイン・アールクヴィスト子爵、そして夫人も。丁寧な出迎えに礼を言おう。面を挙げて楽にせよ。ここは汝らの領地なのだからな」


 オスカーの許可を得て、ノエインは顔を上げて立ちあがった。隣ではクラーラもそれに倣う。


「この地を実際に目にするのは初めてだが、正直に言うとここまで発展しているとは予想していなかった。都市と呼んでいい規模だ。未開の森をよくぞここまで開拓したな」


「お褒めに与り恐悦至極に存じます。これより一国の都となる地ですので、今後ますますの発展に向けて力を入れる所存です」


「ははは、それは殊勝な心がけだな……さてと、末娘の紹介もしなければ」


 そう言ってオスカーが王妃イングリットの方を振り向くと、王妃は頷いて、隣に連れた少女に前に出るよう促す。


 それに併せて、クラーラも隣にいたエレオスに前に出るように言った。


 六歳の少女と三歳の少年が――この年にして将来を誓い合うこととなっている二人が、初めて顔を合わせる。


「お初にお目にかかります、マルグレーテ・ロードベルクです。どうぞよろしくお願いいたします」


「……はじめまして、エレオス・アールクヴィストです。お会いできて、こうえいにございます」


 マルグレーテは小さくてもさすがは王女と言うべき所作で挨拶の口上を述べる。一方のエレオスは、少々ぎこちなく右手を左胸に当てて軽く頭を下げ、やや拙く返事をした。


 我が子がちゃんと挨拶をできたのを見て、ノエインは内心でほっとする。年が年なので失敗しても罰せられるようなことはないが、上手くできるに越したことはない。第一印象は大切だ。


「まだ三歳だったな。賢いではないか」


「マルグレーテ様も、この御年にして立派な淑女であらせられること、さすがでございます」


「これでも少し前までは、まだまだ人見知りの激しい恥ずかしがり屋だったがな。お前の息子の年では自分で挨拶はできなかっただろう」


 そう我が子について語り合うオスカーとノエインの顔と声は、いつの間にか王と臣下ではなく、父親のものになる。


 当の子供たちは、マルグレーテの方は穏やかに笑っているが、エレオスはきょとんとした表情で相手を見つめ返していた。彼女が将来の伴侶となることはノエインも事前に教えているが、エレオスがどの程度理解しているかは分からない。


 今後は定期的に顔を合わせながら、少しずつ友好と互いへの理解を深めていくことになるだろう。


「……さて、それでは私たちは少し休ませてもらおうか。それなりに疲れたのでな」


 オスカーがそう切り出したのには、式典の前で何かと忙しいであろうノエインと臣下たちを出迎えから解放してやる意味も込められている。


「別館の方にお部屋をご用意しておりますので、すぐに案内させます。今夜はささやかながら会食の席もご用意させていただきます」


 別館への案内を家令のキンバリー率いる使用人たちに任せ、ノエインは式典の準備に戻る。


・・・・・


 オスカーたちが到着した翌日には、こちらも最重要の賓客であるアンリエッタ・ランセル女王の一行がノエイナに入った。


 昨日と同じように臣下や使用人も総出で待機させ、ノエインたちは屋敷の前で、ロードベルク王国の芸術文化とは異なるルーツを持つ装飾の施された豪奢な馬車が敷地に入ってくるのを見守る。


「……確か、アンリエッタ陛下は穏やかな性格の君主でいらっしゃるのでしたね」


「うん。彼女と直接会ったオスカー陛下の話だから、間違いはないはずだよ」


 クラーラの呟きにノエインが頷く。


 クラーラの言い方はかなり気を遣っている。実際にノエインがオスカーから事前に聞いているアンリエッタ女王の評価は「良くも悪くも、おとなしい普通の娘」というものだ。血筋を理由に周囲の貴族から担ぎ上げられた、分かりやすく御輿としての女王だという。


 そして、馬車から降り立ったアンリエッタ女王の印象は――事前に聞いていた評価の通りだった。


 立ち振る舞いは申し分なく優美だが、「よく練習できている」という感が否めない。表情は努めて穏やかだが、どことなく自信に欠ける。葵色の髪を飾るティアラにも、その身を包むドレスにも、どこか「着られている」感がある。つまり、全体的に少々頼りない。


「この地を治めるノエイン・アールクヴィスト子爵です。アンリエッタ・ランセル女王陛下、この度はようこそお越しくださいました」


 それらの感想をおくびにも出さず、ノエインは微笑みを作ってアンリエッタに深く頭を下げる。彼女は一国の王ではあるがノエインの君主ではないので、膝をつく臣下の礼まではとらない。


「……お出迎え感謝いたします。お初にお目にかかります、ランセル王国女王、アンリエッタ・ランセルにございます。この度はどうぞよろしく」


 なんとか堂々と言えた。彼女の挨拶はそんな印象だった。とりあえず、昨日の六歳のマルグレーテ王女よりは板についている。


「長旅でお疲れのことと存じます。客室の用意は整えておりますので、まずはどうかごゆっくりお休みください。なにぶん小領ですので大したおもてなしも叶いませんが、快適に過ごしていただけるよう、心尽くしの歓迎をさせていただきます」


「は、はい……では、お言葉に甘えさせていただきます。ご親切にどうもありがとうございます」


 アンリエッタは少し目を泳がせて、なんと答えるべきか迷う様子を見せてから頷く。彼女のその受け答えに、周囲を固める傍付きの臣下たちの間で一瞬の緊張の後に安堵する空気が流れたのが、ノエインのもとまでわずかだが伝わってきた。


 そして、例のごとくアールクヴィスト家の使用人たちに案内されて、アンリエッタの一行の移動が始まる。こちらもオスカーに負けず劣らずの大所帯だ。


 一行が本館の前から移動していったのを確認してから、ノエインは小さなため息をついた。隣のクラーラとため息のタイミングが被る。


「……陛下が言ってた意味が分かったよ」


「きっと、外交にまだ慣れていらっしゃらないのでしょうね」


 さすがに自身の臣下たちに対しては違うのだろうが、異国の元首(にこれから成る人物)との会話は緊張するのだろう。


 周囲に侍女や護衛のみならず、おそらく助言役らしき文官や武官が何人も控えていた理由がよく分かる。こうした場で君主があの調子では、臣下たちも気が休まらないはずだ。


 本来はどこかの田舎で隠れるように一生を終えるはずだった、数年前にいきなり担ぎ上げられた、まだ半分は少女と呼んでいい年齢の君主。まさにお飾りの女王だ。本人にとって幸運なのは、彼女を戴く臣下たちが、今のところ真面目に主を支えようとしていることか。


「この調子だと、今夜の会食も明後日からの式典も気を遣うかな」


 アンリエッタがあの様子では、まず緊張を解いてもらうために努力しなければならない。でなければノエインたちとしても、落ち着いて歓談もできない。


 幸い、年齢で言えばオスカーよりもノエインたちの方が近く、クラーラは同性だ。向こうも少しは話しやすいだろう。そんなことを思いながら、ノエインは出迎えの集まりを解散させた。

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