第318話 文化都市への道

 冬明けとともに王都リヒトハーゲンからの移民の移送が始まり、さらにアールクヴィスト家が懇意にしている奴隷商会から新たな奴隷の購入も進み、領内の人口は独立に向けて増加し始めていた。


 そして、こうした領主主導の人口増加政策とは別で、主に王国北西部の各地からアールクヴィスト領への移住を希望する者も、少数だがやって来るようになった。


 その多くは、自分の工房を持つことを夢見る若い職人。あるいは自分の店を開くことを夢見る若い商売人。「これから新しく作られる国なら、夢を実現する機会も他の場所より多いのではないか」という期待を抱え、彼らは人生をかけた挑戦のために、ほとんど身ひとつでの移住を望む。


 そうした者たちは、まず領都ノエイナの門で領軍兵士のチェックを受けた後、従士長ユーリか副長ペンスと面談し、高圧的な態度をぶつけられ、いくつもの質問を受ける。


 出身はどこか。どのような家の生まれか。経歴は。領外の商会や工房との繋がりは。貴族との繋がりは。


 つまりは「王家やどこかの貴族領から送り込まれた間者ではないのか」という疑いをかけられ、強面の大男によるド迫力の、あるいは冷徹そうな男による鋭い詰問を浴びせられるのだ。


 この過程を経て「問題なし」と判断された者は、ついにアールクヴィスト領への移住が叶う。アールクヴィスト家としても、他家の手のついていない技術者や商人は歓迎すべき存在だ。


 その後も彼らは領軍や婦人会、商人ギルド、その他の古参領民たちのネットワークを駆使した監視をしばらく受けることになるが、当人たちはそこまでは知らない。


 こうして多方面から移民が増えていく中で、三月に入ったある日、ノエインはある報告を受け取った。


「変わった移民希望者?」


 領主執務室まで報告に来たペンスの話を聞き、ノエインは首をかしげる。


「はい。何でも、アールクヴィスト大公国で劇団として活動したいとか言う連中が来てますよ。いかにも芸人って感じの見た目の奴らが十五人ばかり。一通り取り調べた限りでは怪しいところはありませんが、一度ノエイン様のご判断を仰ぐべきかと思いまして」


「劇団か……ってことは移住だけじゃなくて、僕に後ろ盾になってほしいのかな」


 大都市には演劇を行う劇団が拠点を置いていることも多く、そうした劇団の公演は、民にとって貴重な娯楽になっている。


 このような劇団は大抵は後ろ盾にその地の貴族がついており、公演場所の提供や資金面の援助を行う。貴族にとって芸人や芸術家のパトロンになるのは「裕福で知的で、文化芸術に理解のある良き為政者」であることを周囲に示すことにも繋がる。


 新たに大公になって国を興すノエインから庇護を受け、劇団を立ち上げようとする挑戦的な芸人が現れるのも、あり得る話だ。


「当人たちは、ぜひ一度アールクヴィスト閣下にお目通りを願いたいと言ってますが……どうします、会われますか?」


 ペンスに尋ねられたノエインは、少し考えた末に頷いた。


「そうだね。面白そうな話だし、せっかくはるばる来てくれたんだ。代表者たちを屋敷の応接室に招こう」


「了解でさあ。それじゃあ、すぐに何人か連れてきます」


・・・・・


 それから間もなく、劇団の団長と、役者のリーダー格だという者が二人、計三人が代表として屋敷の応接室に通された。


 マチルダと、彼らを連れてきたペンスを護衛として後ろに立たせて、ノエインは団長たちと顔を合わせる。


「ようこそアールクヴィスト領へ。僕がこの地の領主ノエイン・アールクヴィストだ」


「当劇団の団長を務めております、カルロスと申します。この度は私どものような流れ者の芸人にアールクヴィスト閣下へのお目通りの機会をいただき、恐悦至極に存じます」


 どこか優美な仕草でそう名乗る団長は、職業柄もあってか、どこか浮世離れした雰囲気を纏う男だった。年齢は三十代後半から四十歳前半といったところだろうか。


 彼の左右に座る男女はいわゆる看板俳優なのか、どちらもかなりの美男美女だ。女性の方は濃い化粧がよく映えており、男性の方もごく薄く化粧をしているのが分かる。


「それで、移住希望と聞いているけど……劇団を引き連れてこの地へ来たということは、ただ移住を希望するだけではないよね? わざわざ僕に面会を求めてきたくらいだ」


「仰る通りにございます。我々は元々ベヒトルスハイム侯爵領のベヒトリア劇団に所属していたのですが、この度私が一部の劇団員を連れて独立いたしました。つきましては、閣下のお膝元であるアールクヴィスト大公国の公都ノエイナに拠点を置き、アールクヴィスト家からの後ろ盾をいただきたく」


「ははは、ここを公都と呼ぶのはまだ気が早いよ……そうか、君たちはあのベヒトリア劇団にいたのか」


 カルロスの語る独立背景を聞いて、ノエインはそう返した。


 王国北西部の最大都市であるベヒトリアにも、ベヒトルスハイム侯爵の後ろ盾を得たその名もベヒトリア劇団があった。団員数が百人近い大所帯で、ノエインも仕事や社交でベヒトリアを訪れた際は何度かその公演を観ていた。


「あの劇団の公演は僕も何度か観たよ。最後に観たのは確か、南西部大戦を舞台化した演劇だったかな。あれは面白かった」


「これはこれは、お褒めの言葉を賜り光栄の極みにございます。あの演劇の脚本と演出を手がけたのは私でございます。あれが好評を得たことで自信を得て、この度の独立に至りました。それと併せて閣下の独立のお噂を耳に入れ、こうして参った次第です」


「へえ、そうだったのか」


 ノエインは少し眉を上げる。王歴二一四年のランセル王国との大戦を描いたその演劇は、お世辞抜きによくできていた。その制作をしたというのは素直に感心すべきことだ。


「私の右に座っておりますこの役者は、あの演劇でマルツェル伯爵閣下の役を演じておりました」


「……あぁ、憶えてる。言われてみれば確かにこの顔だ。だけど凄いね、あのときの雰囲気とは全然違う。さすが役者だ」


 その演劇で花形の一人だったマルツェル伯爵役の俳優は、ノエインも今でも思い出せる程度には印象的だった。あらためて見れば確かに目の前の優男と同じ顔だったが、貫禄たっぷりに伯爵を演じていた時とはかなり印象が違う。ノエインは半ば本気で驚く。


 その反応が嬉しかったのか、美形の俳優は満更でもない表情で頭を下げた。


「そうか、君たちがあの時の……実績のある劇作家と役者が、この地に拠点を置きたいと考えてくれたのは喜ばしいよ」


「閣下のような偉大なお方にそう仰っていただけますこと、表現の道に生きる者として至極の喜びにございます」


 団長のカルロスはそう言って洗練された一礼を見せ、顔を上げてノエインを見据える。


「我々のささやかな才能と技術を以て、どうか今後、この地で閣下とアールクヴィスト家の御為に活動することをお許しいただきたく存じます。アールクヴィスト大公国の文化的発展、民への娯楽の提供にはじまり、幅広い貢献が叶うかと考えます」


 例えば、ノエインやアールクヴィスト家の民からの印象をさらに良くしたり、ノエインの意向を民に理解させたりすることを目的とした、プロパガンダや広報のような公演。


 例えば、大公国内の式典などの場で、荘厳な雰囲気を演出するための助力。


 貴族家として劇団を抱えればそのような便利な点もあると、カルロスはあまり嫌らしさを感じさせない口ぶりでノエインに説明した。


「いかがでしょう。どうか何卒」


 そう尋ねるカルロスの目を、ノエインは見返す。


 そこに表現者としての確かな情熱と――ノエインが自身の幸福や民への愛を語るのと同じような、少しの狂気を感じた。人生をかけて実現したいことを、命をかけて守りたいものを持つ者に特有の狂気を見出した。


「……気に入った。とりあえずこのノエイナへの滞在を許すよ。民に公演を行いつつ、何かひとつ、アールクヴィスト領に関する劇を新しく作ってもらおう。それを見て、正式にアールクヴィスト家で後ろ盾になるか決める。それでいいかな?」


「おぉ! 寛大なお言葉に感謝申し上げます」


 カルロスは大仰に喜びの表情を浮かべ、両横の役者二人も感極まった顔になった。これには演技も含まれているのか、それとも演劇に携わる者はこのようにリアクションが大きいものなのか、そこまではノエインには分からない。


「ははは、それじゃあ……ペンス」


「はっ」


 ノエインが後ろを振り向きながら声をかけると、ペンスは直立不動のまま応える。


「彼らが寝泊まりするための家と、彼らが公演をするための適当な空き地、その他必要な手配を頼むね」


 親衛隊長であり、ノエインの側近と呼べる立ち位置にいるペンスは、こうしてノエインの指示や意向を領内の各部門に伝え、働きかける役割も持つ。


「了解しました……じゃあ、あんた達は俺と来てくれ」


 ペンスに引き連れられて、カルロスと役者たちは退室していく。


 カルロスの率いる劇団は、ひとまず二か月ほど領都ノエイナに滞在し、公演を行いつつアールクヴィスト領に関連した劇を制作することとなった。

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