第316話 国境画定

 寒さが多少和らぎ、真冬と呼ばれる時期は越えた二月中旬。ノエインは屋敷の会議室で、ランセル王国からの客人を迎えていた。


「ご無沙汰しております、アールクヴィスト閣下。冬明け早々のご訪問となり誠に申し訳ございません」


「お久しぶりですね、バルテレミー男爵。貴国がこの件を急がれるのも理解していますから、どうかお気になさらず」


 かつて南西部国境の戦場でノエインと対峙し、今ではベゼル大森林道を通したアールクヴィスト領との対話役となっているクロヴィス・バルテレミーの挨拶に、ノエインは笑顔で応えた。


 ノエインの正面にバルテレミーが着席し、彼に随行する何人かの官僚もその左右に座る。


 ノエインの側も、書記を務めるマチルダの他に、側近の武官であるユーリや外務担当のバート、文官代表のアンナが並んでいる。室内にはペンスをはじめ警護役の親衛隊も数人いる。


「感謝申し上げます……まず、私の個人的な話も含みますが、ひとつお知らせさせていただきたい」


「個人的な話、ですか?」


「ええ。実は……内戦中から暫定的にアンリエッタ・ランセル女王陛下の直接支配域となっていたランセル王国北東端の一帯ですが、この度正式に王家の直轄地となりました。それに伴い、私は子爵へと陞爵され、この直轄地の代官を務めることに相成りました」


 その話を聞いたノエインは、小さく眉を上げて驚きを示した。


「それはおめでとうございます。先ほど私がバルテレミー『男爵』と呼んだのは間違いでしたね、失礼しました」


「ありがとうございます。三年前の停戦申し入れの時より、アンリエッタ陛下の使者として閣下との話し合いに努め、一定の信頼関係を築いたことが評価されたかたちです。本当に、閣下には感謝してもしきれません」


 そう言って上機嫌に笑うバルテレミー子爵。


 かつて「バルテレミー家の名を知らしめる」と語っていた彼だが、ノエインとの不思議な縁が重なって、王家直轄の要地の代官という大役を手にし、ランセル王国内での存在感を大いに高めたのだ。愛想が良くなるのも当然と言えば当然のことだった。


「私の立場は少々変わりましたが、先触れでお知らせした通り、今回の要件……ランセル王国とアールクヴィスト大公国の国境画定の話し合いについては変わりはございません。本日は何卒よろしくお願い申し上げます」


 バルテレミー子爵の来訪の目的は、アールクヴィスト大公国の独立の前に、ベゼル大森林道のどこまでが大公国の管理下で、どこからがランセル王国の管理下かをノエインと会談して決めること。ノエインにとっては、実質的に自国の西の国境線を画定する話し合いとなる。


 今までは曖昧なままで放置されていたが、現在は互いに国内情勢が安定し、余裕ができた。であれば、未開の森林部分はともかく、少なくとも人の往来のあるベゼル大森林道くらいは厳密な境界線を決めないわけにはいかない。


「ええ、どうぞよろしく。お手柔らかにお願いします」


「ははは、できればその台詞はこちらが使わせていただきたいところですな。私のような凡人が、閣下のような賢明なお方に話し合いで敵うとは思えません」


 そのような会話をしながらも、ノエインとバルテレミー子爵の表情は穏やかだ。


 この国境画定の会談についてノエインはある程度の落としどころを予想しており、相手もまともに考える頭を持っている以上、同じような予想を立てているだろうというある種の信用がある。話し合いが極端に難航するとはどちらも思っていない。


「ではひとまず、アールクヴィスト閣下のご意向を伺わせていただいてよろしいでしょうか?」


「はい。我がアールクヴィスト家としては、ベゼル大森林の東端……すなわちアールクヴィスト大公国とロードベルク王国の国境から、西に十五キロの地点に国境線を引かせていただきたいと考えています」


 もともとアールクヴィスト領の領域は、ロードベルク王国の北西部と接するベゼル大森林のうち、ケーニッツ領の縦深と同じ範囲、及びそこに接するレスティオ山地の中腹より下側と定められていた。


 東西の幅については正式に決まっていないが、「南北の長さと同じだけの領域が妥当である」と王家から非公式に意見を受け取っており、それが暫定的な目安となってきた。


 すなわち、アールクヴィスト領の今の面積は、おおよそ十五キロ四方となっている。尤も、そのうち領都ノエイナや鉱山村キルデ、アスピダ要塞、開拓村など人の開発の手が入っているのは、北東側の四分の一ほどに留まるが。


 ノエインが提示した大公国の国境線は、現アールクヴィスト領の領域をそのまま適用したものだ。


「ふむ、東西十五キロですか……我が国としては、西にもう三キロ、いえ五キロほどアールクヴィスト大公国の領土とされてはとも思うのですが。閣下のご手腕を以てすれば、大公国は今後も大きな発展を遂げていくことでしょう。開拓の余地はなるべく大きい方がよろしいのでは?」


「過分な評価をありがとうございます。ですが現実的に考えても、東西十五キロがアールクヴィスト大公国の領土として適切な範囲かと考えます。欲を張って持て余すほどの土地を抱えても、かえって隣国の皆様にご迷惑をおかけすることになってしまうかもしれませんから」


 そう言いつつも、ノエインは謙虚な気持ちからバルテレミー子爵の提案を断っているわけではない。


 領土はただ広ければいいというものではない。広いが故のデメリットもある。アールクヴィスト大公国の場合は、領土が西に広ければ広いほど、自国の責任で管理すべきベゼル大森林道が長くなってしまう。


 今でこそ道が通っているが、本来ベゼル大森林の奥地は強力な魔物が棲み、人間が到達することすら困難な魔境だ。


 そんな場所にある交易路を維持するには、道の周辺を頻繁に見回り、魔物を狩って安全を確保し続けなければならない。領土内の道に魔物が出たからといってアールクヴィスト家が何か責任をとらされるわけではないが、交易路が危険だと噂されれば商人の行き来が減ってしまう。


 どちらにせよ、今後も半永久的に見回りや魔物狩りをしなければならないのだ。であれば、大公国でそうした管理を行うべきベゼル大森林道は短い方がいい。


 また、領土内の開拓の余地という点を考えても、森の奥である西側に領土を広くとる意味はない。


 現在のアールクヴィスト領の居住可能地帯だけでも、その気になれば今の人口の数倍を養うことができる。独立すれば今までのような百人単位の移民を国外から受け入れることもなくなるので、領土が手狭になるほど人口が増えるのは何世代も後の話だ。


 そのときも、わざわざ危険な森の奥方向に開拓を広げる必要性は薄い。もっと開拓しやすい南側の一帯を、ロードベルク王家から譲ってもらうなり金で買うなりすればいい。


 よって、アールクヴィスト大公国が西側に領土を広くとるべき理由はほぼない。せいぜい「ランセル王国の軍が国内の人里まで簡単に近づけないよう安全マージンをとる」程度の利点しか存在しない。それとて、森の入り口から西に十五キロの地点に国境線を引けば十分だ。


 それがノエインの考えだった。


「なるほど。そう仰られては、ご不要な土地を我が国があまり無理に押し付けるのも筋が違いますな。ではアンリエッタ女王陛下にはそのようにお伝えしましょう」


「ご理解いただけて幸いです。よろしくお願いいたします」


 あっさりと引き下がったバルテレミー子爵も、おそらくノエインの考えを最初から察している。その上で、あえて国境線をもっと西に定めることを一度提案している。


 ランセル王国とて、できることならベゼル大森林道を管理維持する手間を数キロ分でも減らしたいはずだ。アールクヴィスト大公国より遥かに国家規模が大きいとはいえ、王国側の三十キロ以上にも及ぶ道の周辺を見回り、魔法使いや精鋭の兵士を動員して魔物を排除するのは軽い負担ではないだろう。


 バルテレミー子爵にもランセル王家の代官として立場がある。会談の場には代表である彼以外にも、議事録をまとめる書記官や、王国中央からの出向らしき官僚がおり、彼らの報告はアンリエッタ女王に届くのだ。


 最終的にはノエインの提案を妥当なものとして受け入れるとしても、仕える主家の有利になるような提言もしておかないわけにはいかない。そんな彼の事情を、ノエインもまた察している。


 つまり今のやりとりは、「双方が自身の意見を主張した上で、無難な着地点に落ち着いた」という会談の形式を整えるための茶番が多分に含まれている。国家間の、難しくはないが重要な交渉を行う上では、こうした形式的な部分も軽視できない。


「我が国の国境線以西については、ひとまずベゼル大森林道の周辺のみランセル王国が領有権を持つ、というかたちに決まったとオスカー陛下よりうかがっていますが……」


「ええ、そのような取り決めとなっております。つまりは現状維持となった次第です」


 ノエインの確認にバルテレミー子爵が頷く。


 国境線というのは、必ずしも明確に定まっているものばかりではない。ロードベルク王国とランセル王国の国境であるベゼル大森林についても、森の最奥に厳密な国境線を引いているわけではない。


 現状ではロードベルク王国もランセル王国も、ベゼル大森林の自国側の浅い部分に入り、狩りや採集、伐採を行ったり、ときには村を作ったりと好きに振る舞っている。ベゼル大森林の広大さを考えれば、当面はそれで何も問題はない。


 今後も「大森林の浅い部分に関しては両国が自由に扱う」という暗黙のルールが維持され、森の奥に関しては、人の手を入れざるを得ない大森林道の周辺のみ、ランセル王国側が見回りで立ち入る……という内容で合意が成立していた。


 ランセル王国がこの合意を破り、森の奥を勝手に開発し出すような事態はほとんど心配されていない。ベゼル大森林は、カドネが道一本を通すだけで国を傾けたほどの魔境なのだ。国内に開発の余地がいくらでもあるのに、ランセル王家がわざわざ魔境を切り開くなどとはノエインも、国王オスカーも考えていなかった。


「では……最大の要点である我が国の国境線については意見の一致が叶ったものとして。細かな点についてお話を進めましょうか」


「ええ。ではまず、国境線の具体的な画定作業について――」


 国境線の厳密な計測、画定式の実施、目印となる石碑や出入国を管理する関所の設置など、実務的な部分でも合意をまとめるべき点は多い。


 さらに、重要な交易路となるベゼル大森林道そのものも整備を進め、名称を新たに「ベゼル街道」とすることなど、新たな提言も出る。アールクヴィスト大公国独立の式典へのアンリエッタ女王出席の打ち合わせも、ついでにこの場で行われる。


 ノエインとバルテレミー子爵の話し合いは、互いの部下も交えながら、その後もしばらく続いた。

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