第313話 建国準備②

 ドミトリとの話し合いの数日後。ノエインは鉱山村キルデからヴィクターを呼び、今度は彼との話し合いの席を設けていた。


「――では冬明けより、ラピスラズリと銅の採掘と加工は従来の五割増しに。鉄鉱石の採掘量も二割ほど増やすということでよろしいですかな?」


「うん。冬明けから独立までの半年強が、重要な稼ぎ時になるからね。人手の方は大丈夫かな?」


「ラピスラズリに関しては供給過多にならないようあえて採掘を抑えていたのもありますし、移民から新たな労働者を募れるのであれば問題ありません。お任せください」


 相変わらず紳士的で腰の低いヴィクターとの話し合いは、極めてスムーズに進んでいく。もともと難しい相談があるわけでもないので、ほどなくして仕事の話は締められた。


「……閣下、お顔が少しお疲れのご様子ですが、ご体調の方は大丈夫でしょうか?」


「あはは、やっぱりそう見える? 最近は話し合いだったり色んな計画の立案だったり、神経を使う仕事が多くてね。ずっと気を張ってて少し気疲れしてるよ。だけど、体調の方は何も問題ないから大丈夫」


 目の下の隈に触れながら、ノエインは苦い笑みを見せた。


「そうでしたか……私のような下々の人間には閣下のお仕事の大変さは想像もつきませんが、閣下を敬愛する民の一人として、御身を心配せずにはいられません。畏れながら、どうかご無理をなされませんよう」


「ありがとう。そうだね、僕の体は僕だけのものじゃないわけだし……君たち民のためにも、根を詰め過ぎないようにするよ。大事な時期だからこそね」


 心配そうな表情のヴィクターを安心させるように、ノエインは穏やかに笑って答えた。


 その後、疲れている領主にこれ以上時間をとらせてはいけないとヴィクターが足早に帰っていき、ノエインも領主執務室に戻る。


「どうぞ、ノエイン様」


「ありがとうマチルダ。これで話し合いの予定は全部片づけたね……今日のところは」


 マチルダの淹れてくれたお茶を飲んで一息つきながら、ノエインは呟いた。


 領主としてのもともとの執務に加えて、従士や商人、職人など、領内の重要人物たちとの面会は絶えない。アールクヴィスト大公国の独立に向けた計画を一度説明して終わりではない。細かい部分で話を重ねていかなければならない。各方面の責任者と、それぞれ個別にだ。


 それと並行して、医師のセルファースと本格的な医院の開設に向けた計画を話し合ったり、魔道具職人ダフネと今後の工房の規模拡大に向けて打ち合わせをしたり、司教へと昇格するらしいハセルと鉱山村キルデやアスピダ要塞へも教会を設置する相談をしたり、まだ手をつけられていない事柄への対応も控えている。


「……さすがに忙しいね。国を興すとなると」


 そうぼやきながら、ノエインはマチルダに向かって両手を伸ばした。マチルダはノエインが何を求めているかを理解し、求められるままに抱き締められる。自身も両手をノエインの背に回して抱き締める。


 ノエインは椅子に座っているので、軽くかがむ姿勢になったマチルダの豊かな胸に顔を埋めるような体勢になった。


 そのまましばらくマチルダの温もりを堪能して、彼女の胸から顔を上げ、執務机の方を向く。


「今日の話し合いの内容を見返して、考えをまとめておかないとね。そしたらとりあえず、今日の仕事はおしまいだ」


「私もお手伝いさせていただきます、ノエイン様」


 マチルダはノエインの頭を愛おしそうにひと撫でして、副官としての席に戻った。


 ・・・・・


 年末が迫る十二月の上旬。ミレオン聖教における祝日である日に、ノエインは領都ノエイナの広場で演説を行うことにした。


 アールクヴィスト領が大公国として独立する話は民の間にも広まり、大きな変化を前に漠然とした不安を抱える者も増えている、という報告がノエインのもとに届けられていた。


 それを踏まえ、ノエインは領主として民を安心させるために、直接言葉をかけることにしたのだった。


 今年最後の祝日ということもあって、出店が並び、鉱山村キルデや開拓村からも人々が領都ノエイナに集まっている中で、ノエインは礼装を身につけて壇上に立つ。


 その斜め後ろにはドレスに身を包んだクラーラが立ち、反対側には、儀礼服も兼ねた軍服を完璧に着こなすマチルダが控えていた。エレオスはまだこうした場で民の前に出すには幼すぎるので、屋敷で留守番だ。


 そしてノエインは、『拡声』の魔道具を前に、広場から延びる通りにまで溢れた領民たちへと呼びかける。


「……既に君たちも噂を聞いているだろうが、ここであらためて伝えよう。私はロードベルク王国の国王オスカー・ロードベルク三世陛下より大公位を賜り、アールクヴィスト領は、大公国として独立を果たすこととなった」


 その言葉に領民たちは一瞬ざわめくが、ユーリやペンス、広場の各所に配置された領軍兵士たちの命令ですぐに静まった。それを見てノエインはまた口を開く。


「これはかつてなく大きな変化だ。君たちの中には、不安を抱えている者も多いことだろう……だが、何も恐れることはない。我が領の独立は、私たち全員のさらなる幸福に向けた、新たな旅立ちの一歩だ」


 領民たちに安心感を与えるために、ノエインは努めて落ち着いた口調で語りかける。


「かつて、未開の森が広がるこの地に足を踏み入れた日、私はここに理想郷を築くと決意した。そのために日々を歩んできた。多くの努力を重ねてきた。全ては私と、そして私の愛する民の幸福のためだ」


 言いながら、ノエインは自身を見つめる領民たちに向けて手を広げる。


「それはこれからも変わらない。私はここで君たちとともに理想郷を築き、それを守るために働き続ける。何も心配はいらない。私はこれからも全て上手くやる。全身全霊を以て君たちを庇護し続ける。君たちの生活は変わらない。むしろ、これからさらに豊かになる」


 これは民を安心させるための演説だ。それを踏まえて、ノエインはやや誇大な表現も交えながら話す。


「この地がアールクヴィスト大公国として独立すれば、もう誰の干渉も受けることはない。ここは私たちだけの永遠の故郷になる。これからこの地は、本当の意味で理想郷として発展を遂げていく……君たちは皆、生まれた地を離れてここへたどり着いた。人生を変える大きな一歩を踏み出したからこそ、君たちは今ここにいる。君たちなら大丈夫だ。私と共に、アールクヴィスト大公国で幸福を享受し続けよう」


 そう言って演説を締めたノエインは、領民たちの反応を見る。


 今回は私服の領軍兵士を民の中に紛れさせて拍手を促すようなことはしない。そんなことをしなくても、今の領民たちなら自ら領主への敬愛を示すことができるはずだ。ノエインはそう考えていた。


 その予想通り、壇のちょうど正面で一際熱心に演説を聞いていた領民たち――ノエインも顔に見覚えのある古参の領民たちや、この地を故郷として育った十代の若者たちだ――が、ノエインの演説が終わってすぐに力強い拍手を始める。


 拍手はすぐに広場全体に、そして通りに溢れる聴衆にまで広がり、ほとんど轟音と言っていいほどの規模になった。


 それを見たノエインは満足げな表情を浮かべ、自身を讃える民をもう一度ゆっくりと見回し、壇上を去るために後ろを振り返る。マチルダとクラーラと目が合い、三人で微笑みを向け合う。


 愛する家族と信頼できる臣下たちに囲まれ、民もこれほど熱心に敬愛を表現してくれる。これからも自分たちはここで幸福を築いていける。ノエインはそんな確かな手応えを感じていた。

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