第314話 冬の日々①

「あなた、昼食の麦粥をお持ちしました」


「生姜入りの蜂蜜湯も作ってまいりました、ノエイン様」


 十二月も下旬に入り、年末を待つだけとなったある日の正午。ベッドで休んでいたノエインのもとに、盆を持ったクラーラとカップを持ったマチルダがやって来る。


「ありがとう二人とも。ごめんね、せっかく休みに入ったのに僕がこんな調子で」


 そう答えるノエインの顔はやや赤く、目はとろんとしている。分かりやすく体調を崩した人間の様相だ。


 真冬を迎えるにあたって建国に向けた準備作業のペースも落ち着き、領主としての仕事に余裕ができたつい昨日、ノエインは熱を出した。医師セルファースに診てもらった結果は、特に何かの病気というわけではなく「単に疲労が重なっただけ」というものだった。


 凶作への対応、過酷な大戦争、そして建国準備に奔走する忙しい日々を走り抜けてきたのだ。体力がある方ではないノエインが体調を崩すのは、当たり前といえば当たり前のことだった。


「あなたが謝られることはありませんわ。あなたはアールクヴィスト領のために気を休める余裕もなく奮闘し続けたのですから。せっかくの年末年始です。お仕事のことは忘れて、ゆっくりお休みになってくださいな」


「こうしてノエイン様に尽くすのは私の務めであり、最大の喜びです。どうかお傍で貢献させてください」


 言いながら、ベッドの上で身を起こしたノエインの隣に座るクラーラとマチルダ。もともと三人が余裕を持って寝られるサイズの大きなベッドだ。こうして並んで座っても、十分に広々としている。


「……こんな優しくて献身的な女の子たちに愛されて幸せ者だね、僕は」


「まあ、一児の母になってそう呼ばれるのは照れますね」


「私はもう『女の子』と呼べる歳では……」


「そんなことないよ。マチルダもクラーラも、僕にとっては一生可愛い女の子だ」


 ノエインが微笑みかけるとクラーラはニマニマと笑い、マチルダは少し顔を赤くしてはにかんだ。


 クラーラはエレオスを生んだ後もほっそりとした体型で、容姿もノエインと同じく年齢のわりに童顔だ。マチルダもまだ二十歳前後に見えるほど若々しい。客観的に見ても、二人とも「女の子」という呼び方でも違和感はない。


「ではあなた、今日のお昼も私たちの献身を受け取ってください。はい、あーん」


「あーん」


 クラーラは麦粥をさじで掬い、何度か吹いて冷まし、当たり前のようにノエインの口に運ぶ。ノエインも当たり前のように口を開け、クラーラに昼食を食べさせてもらう。


「ノエイン様、こちらもどうぞ」


「うん、ありがとう……キヴィレフト家の離れで暮らしてた頃も、たまに熱を出してマチルダに蜂蜜湯を作ってもらってたね。懐かしい」


 そして今度はマチルダから口元にカップを寄せてもらい、生姜入りの蜂蜜湯を一口飲む。吹いて冷ます必要はなく、しかし体を芯からじんわりと温めてくれる。そんな丁度いい温度だった。


 昨日の午前に体調を崩してから、ノエインはこうして二人に毎食の面倒を見てもらっている。ノエインが照れて遠慮しても、二人は「あなたのために」と言って世話を焼いてくる。


 なのでノエインはこの昼食でも、二人に好きなようにさせ、至れり尽くせりの時間を過ごす。座っているだけで麦粥と蜂蜜湯が口に運ばれ、時おり頭を撫でられたり頬にキスをされたりする。


「……仕事の方は支障はないかな? 昨日の午後からまったく手をつけられていないけど」


「もう、今は仕事の話なんてしてはいけませんわ」


「執務については、もともと冬明けまで急ぎのものはないので予定にも余裕をとってあります。今日は家屋建設の現場視察が予定に入っていましたが、必須のことではないので別の日にずらして何ら問題ありません……なので、どうかご安心してお休みください」


 食事を終えたノエインが尋ねると、クラーラは空になったお椀を脇のテーブルに置きながら頬を膨らませる。マチルダは一時だけ副官としての表情になって答え、またすぐに穏やかな微笑みに戻る。


「それじゃあ安心してゆっくりしておくよ。ごめんね」


「そうです。あなたは疲れているんですから。私たちにお世話をされて、何もせずに体を休めないと駄目ですよ」


 クラーラは苦笑するノエインをやや強引にベッドに寝かせ、自身もその隣に寝そべる。反対側ではマチルダもノエインに寄り添う。そのままノエインは愛する女性たちにくっつかれて、二人の温かさや、柔らかさや、匂いを感じる。


「熱は……もうだいぶ下がったみたいですね。あなた、このまま少しお傍にいてもいいですか?」


 そう尋ねるクラーラは、寂しがる子供のような表情を浮かべていた。


「昨夜は一緒に眠ることができなかったので……寂しく感じていました」


 マチルダもそう言いながら、ノエインの手を握る。


「……もちろんいいよ。むしろ、一緒にいてほしい。熱があったから仕方なかったけど、僕も一人で寝るのは寂しかった」


 そう答える自分の声が思いのほか子供っぽく聞こえ、ノエインは少し驚く。クラーラとマチルダにもそう聞こえたのか、二人はまるでいじらしい幼子を見るような、感極まった表情でノエインを両側から抱き締めた。


 そのままノエインは、絶対に他人には見せられないほど甘やかされ尽くした。


・・・・・


「父上、母上、ただいま帰りました」


 領主家の屋敷からほど近いところに立つ従士長ユーリの家。その家の長男であるヤコフは、戸をくぐると両親に帰宅を告げた。


「お帰りなさい。今日の学校はどうだった?」


「今日もあたらしいことをたくさん勉強しました。おもしろかったです」


「そう、それは何よりね」


 ヤコフの母親であるマイは息子の脱いだ外套を受け取り、彼の頭をくしくしと撫でる。


 農閑期である冬は領主直営の学校の授業が多く、ヤコフはほぼ毎日そこへ通っている。まだ七歳でありながら一人で通学を行えるのは、領都ノエイナの治安がいいからこそだ。


「……ヤコフ、今日も他の者の模範となる態度で勉学に臨めたか?」


「はい、父上。みらいの準男爵にふさわしいように、がんばりました。校長先生……おくがた様にも褒めてもらいました」


「それなら良い。ご苦労だった」


「ありがとうございます、父上」


 居間で書物を読みながらくつろいでいたユーリは、息子とそう言葉を交わす。


 真冬ともなれば、領軍においても従士長のユーリが直々に監督しなければならない業務は少ない。他の季節は常に忙しいユーリは、この時期に多く休日をとることになる。同じ理屈で、婦人会長のマイも冬は多めに休みをとっている。


 そのおかげで、こうして両親揃って我が子の帰宅を出迎えることができる。


「おにいちゃ~ん」


「ただいまヨハナ、いい子にしてたか?」


 今度は妹であるヨハナの出迎えを受けて、ヤコフは優しい笑顔で彼女を抱き留め、頭を撫でてやる。


「ほらヤコフ、手を洗ってきなさい。お昼ご飯を用意するから」


「わかりました、母上」


 マイに促されたヤコフは浴室を兼ねた洗面所へ向かい、その後ろを兄に懐いているヨハナがとてとてと追う。


 手を洗い終えて居間に戻り、テーブルについたヤコフの前にマイがパンとハムとチーズ、そして野菜がふんだんに入ったスープを並べた。


 少し遅めの昼食をとるヤコフの隣では、兄から離れたくないらしいヨハナがちょこんと座り、マイから果実水をもらっておとなしくしている。


「……母上、午後はぼくが何かおてつだいすることはありますか?」


「特にないわ。どうして?」


「サーシャとアマンダとテオドールに、ぼくがひまなときは読み書きを教える約束をしてるんです。ばしょは婦人会のじむしょの空き部屋を借りようとおもってます。行ってきていいですか?」


 サーシャはラドレーの娘、アマンダはバートの娘、テオドールはエドガーとアンナの息子だ。それぞれ読み書きの基礎の基礎程度なら学べる年頃だった。


「それはとてもいいことね。お父様のお許しがあったら行っていいわよ」


「父上、行ってきていいですか?」


「他の者の指導を務めるのはとても立派なことだ。行ってくるといい。だが、くれぐれも婦人会の仕事の邪魔にならないようにな」


「分かりました、ありがとうございます!」


 ユーリの許しを得たヤコフは急いで昼食を終え、食器を台所に下げ、また外套を着ると両親に「行ってまいります」と頭を下げて出かけていく。


 それを玄関まで見送ったユーリとマイは――小さなため息をついた。


「つくづく思うが、あいつは本当に俺たちの子供か?」


「ほんとね、まさに鳶が鷹を生んだって感じよ」


 まだほんの幼児のときから才覚の片鱗を見せていたヤコフは、学校に通い出した今、日に日にその聡明さを増している。周囲からは神童と呼ばれており、これから準男爵位を得るユーリの継嗣として、申し分のない逸材に育っていくと見られていた。


 容姿や髪の色などを見るにユーリとマイの子であることは間違いないが、それでも二人としては、我が子の予想以上の成長に驚かざるを得ない。年相応のヨハナの方を見てたまにほっとするほどだ。


「俺たちも立場相応に有能だと思うが、将来的にはあいつに敵わないかもしれんな」


「大公国が大きくなる次代の方が側近の役割もますます重くなるでしょうし、あの子くらい常識外れに賢い方が丁度いいんじゃない?」


「まあ、そういう考え方もできるか」


 今後アールクヴィスト家の家臣団から従士長という役職はなくなり、側近としての立場はユーリたちの準男爵家の人間が引き継ぐ。継嗣の教育も準男爵家にとって最重要の仕事となっていくが、少なくとも次の代については心配ない。


 我が子のこれからの成長に思いを馳せながら、ユーリとマイは居間に戻った。

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