第303話 意外な褒賞②

 ノエインにアールクヴィスト大公国を興させる意図について、オスカーの説明が始まる。


 まず鍵となるのが、ベトゥミア戦争でロードベルク王国が実行した作戦だ。


 封建制を敷くロードベルク王国では、領主貴族たちは王家の臣下であると同時に、独立した領地を治める一城の主でもある。


 上級貴族、とりわけ強い立場を持つ貴族ほど柔軟な思考ができる(どちらかというと、柔軟な思考を成せる者ほど強い立場を獲得してきたと言った方が正しい)が、中堅以下の貴族たちには保守的で伝統的な考えに固執する者もまだまだ多い。


 そうした者たちは、戦争においても昔ながらの考えを重視する。堂々と、誇り高く、立派に戦うことこそが理想的で貴族らしい行いだと信じる。信心深い者の場合は、ここへさらに「そういう戦いをしなければ、死した後、天国で神に歓迎されない」という思想も加わる。


 そんな者たちにとって、ノエインの発案した策はまさに悪魔の発想だ。


 保守的な貴族たちにとって、戦いとは戦場で行われることだ。戦略も戦場の範囲内でのみ行使されるものだ。大量の毒と卑劣な嘘で敵の社会を内側から腐らせるノエインの発想は、本来生まれるはずのないものだ。彼らにとってノエインの思考は、あまりにも異常で、あまりにもおぞましい。


 北部の上級貴族だけが集まる軍議の場でさえ、ノエインの発案に対して一部の貴族から激烈な反感が巻き起こった。あのとき彼らが剣を持っていたら流血沙汰になっていただろう。南部貴族や中央貴族にも、同じような反感を抱いた者は少なくない。下級貴族に至っては、反感を抱いたものの割合は上級貴族よりもさらに多いだろう。


 そして、ノエインの案を受け入れ、半ば強権をもって実行を命じたオスカーに対しても、反感を覚えた貴族はいる。たとえそれが発案者のノエインに対するものよりは小さいとしても、王家を良く思わない貴族が増える事態は、オスカーとしては何としても避けたい。特に国内がまだまだ不安定なこの状況では。


「……まあ、そうでしょうね。だから陛下はまず私のことを『救国の英雄』と褒め称えたのでしょう。わざわざ王国全域に布告するかたちをとってまで。そうすることで、ベトゥミア戦争での作戦の発案者があくまで私であることを末端の貴族や民にまで印象づけた。そして、その印象をさらに決定づけるために、私のことを悪魔だ何だと言いふらした。ノエイン・アールクヴィストは事実としては国を救ったが、その思考は悪魔のそれと同じであると言い広めた。ですね?」


「……ああ、その通りだ」


 少々愚痴っぽい言い方で口を挟んだノエインに、オスカーは誤魔化すことなくしっかりと頷いた。


「そこまでしないといけないほど、私や王家に反感を抱く貴族は多いのですか?」


「主流派とまではいかないが、無視できるほど少なくはない……と言ったところだな。まだ情報収集が完全に済んだわけではないが、概ねそのような状況だ。そして、今のところは反感の多くは、発案者であるお前に向いている」


 ノエインの問いかけに、オスカーは頷く。


「『天使の蜜』の件以外にも、お前が敵の捕虜にされた数千人の王国民を無慈悲にも皆殺しにしたとか、今さらだが、お前が獣人奴隷を傍に置いて溺愛する変態だとか、とにかくお前を貶めようとする声が色々と聞こえるな。そうした余計な噂は、これから広く王国全土に伝わってしまうだろう」


「あはは、そこまでになると感心してしまいますね。一応はどれも事実なので私も反論に困りますが」


 ノエインは冷たい目をしながら笑う。王国民の捕虜部隊を殲滅した件については、他の貴族とて状況が同じなら選択も同じだったはず。ノエインがマチルダを愛でている件については本当に今さらであるし、妻のクラーラや彼女の実家であるケーニッツ子爵家も理解を示している以上は、他の者が口出しすることではない。


 つまりこれらは、ただノエインを中傷し、ノエインの人格的評価を下げるためだけの難癖だ。


「それで、そのまま全ての悪印象を私に押しつけつつ、独立させるかたちをとって切り離してしまおうというわけですか」


「言葉を選ばずに言うと、そういういうことになってしまうな」


 抑えきれず恨みがましい口の利き方になるノエインに、オスカーも気にした様子もなく苦笑いする。


 保守的な貴族たちに「自分たちがこんな恥ずべき戦いをさせられたのはノエイン・アールクヴィストのせいだ」と考えさせるため、王の名による布告と工作員を通じた悪評の流布を行う。王家のそんな立ち回りが褒められたものではないと、オスカー自身も考えているようだった。


「文句を言いたい気持ちは分かるが、説明を続けるぞ」


 そう言って、オスカーはまた話し始める。


 ノエインが極めて異質な発想によって王国を救ったのは間違いない。であれば、王家はノエインに対して、相応に大きな褒賞を、他の誰よりも大きな褒賞を与えないわけにはいかない。そうしなければ王家の器が疑われる。ノエインを嫌う貴族以上に、ノエインの功績を支持する貴族も多いのだから。


 しかし、王国の社会の中でノエインに高い立場を与え、その立場に見合う権勢を持たせれば、今度はノエインを嫌う貴族の反感が貴族社会に燻り続けることになる。下手をすれば、ノエインを好く貴族とノエインを嫌う貴族の間で抗争が起こりかねない。


 今の王国内にあっては、ノエインはどのように扱っても厄介者にしかならない。


「ひとつの国として独立を許すということであれば、褒美としては申し分ない。王家が与えられるもので、これ以上の栄誉などないからな。そしてお前がロードベルク王国内の貴族ではなく、他国の国家元首という立場になれば、貴族社会にお前を置くことによる不都合もなくなる」


 受け入れがたい思考回路を持った人間が国内貴族社会の上層で権勢を振るっていれば、ノエインを嫌う貴族たちの気が静まることもない。反感が再び王家に飛び火していくこともあり得る。


 しかし、ノエインが「異国の人間」という扱いになれば話は別だ。


 独立のきっかけを与えたのがロードベルク王家であろうと、独立さえしてしまえば、アールクヴィスト大公国は明確に外国として扱われる。実際に、大昔は王国の周囲に従属的な公国や侯国がいくつかあった。歴史の波に飲まれて併合されるまでは、それらは小さな属国とはいえひとつの独立国だった。


 王国の貴族社会の平穏が脅かされないのであれば、ノエインを嫌う貴族たちが激烈な行動に走る心配も少ない。王国の一般的な価値観とはかけ離れた思考も、「異国人なら仕方ない」とある程度は納得するだろう。


 そもそも、ノエインが独立すれば物理的に喧嘩を売れる貴族などいなくなる。国内で貴族同士が争うのと、一貴族が他国の元首と勝手に争うのではわけが違う。


「要するに私は、金の卵を産む……毒蛇といったところですか」


 どれほど素晴らしい働きを示してくれたとしても、まだまだ利用価値があるとしても、毒持ちの蛇と同じ部屋で暮らしたい人間はいない。家の隣にその蛇専用の小屋でも作り、壁を隔てて共存していくのが最善だ。


 ノエインを同居人としては受け入れられない者たちも、適度な距離のある隣人としてなら許容する余地がある。だからこれからは、ノエインはそのように扱われる。


「ははは、言い得て妙だな……と、あまり笑うべき場面ではないか。お前にとっては愉快でない部分も多い話だろう。ただ褒賞を与えるだけでなく、これほど複雑な事情に巻き込んだことはすまないと思っている。この通りだ」


「いえ、そんな……ご容赦ください。陛下が頭を下げられることではないでしょう」


 軽く頭を下げたオスカーに、ノエインはさすがに恐縮する。王家のやり方はずる賢いが、そもそもの原因である保守派貴族たちの反感はオスカーのせいではない。


「……社会という大きな括りの中では、人間は理性的でなくなることが多いものです。都合のいい理屈のみを妄信して、自身の羞恥や不愉快を誰かのせいにしてしまいます……民はもちろん、貴族も所詮は人です。今回は人間の悪い部分が出て、それが私に向いた。それだけのことでしょう」


「それはまた、ずいぶんと厭世的な考え方だな」


 オスカーの言葉に、ノエインは皮肉な笑みを浮かべる。


「私は元来このような考え方をする人間です。そもそもの生まれや育ちが幸運とは言えない境遇でしたし、子供の頃に読んだ数々の書物からも、人間社会のままならない一面を学びました。領地を得てからは、そんな一面を実際に目にしてきました。世の中に期待するには、人間の愚かさを少し知り過ぎた気がしています」


 この世に生を受けたばかりの、まだ何もしていないときからノエインは忌み嫌われてきた。今さら人間の理性や良心に、人間社会の冷静さに期待などしていない。


 悪口を言われている事実は、確かに気分のいいものではない。しかし、他所でどれだけ悪く言われようが怪我をするわけでも死ぬわけでもない。自身や家族、家臣、領民たちに実害が及ぼされないのであればどうでもいい。


「だからこそ、保守派の貴族たちの気持ちや考えも理解はできます……それがたとえ、どれほど幼稚で勝手なものであっても」


 要するにノエインは、一部の貴族たちの「あいつは気持ち悪いから一緒にいたくない」という気持ちのために王国から切り離されるのだ。その貴族たちは、自身の好き嫌いと「貴族と王家の誇り」「王国の名誉」などといった大層なお題目を結びつけて騒ごうとしている。


 そして、それがどれほど愚かなことに思えても、その声から実害が生まれる以上は王家は対処しなければならない。王家の一連の行動や決定は、結果としてノエインを守ることにも繋がる。


「……ですが、陛下への支持の安定と国内貴族社会の安寧のためとはいえ、王家としてはよろしいのですか? 先ほども申し上げましたが、ベゼル大森林道を擁し、ランセル王国と繋がるアールクヴィスト領を、独立というかたちで手放すことは得策でないように思えますが」


「ははは、それは私を侮り過ぎだぞ」


 問いかけるノエインに、オスカーは笑いながら返した。


「すぐ隣の小国ひとつとの繋がりを保てないほど私は無能な王ではない。お前が独立しても、お前と友好的な関係を維持して見せるつもりだ。それにお前の方も、安易にロードベルク王国との友好的な関係を崩すことはしないと私は信じている。軍事的にも、経済的にも、血縁の面でもそんなことをする意味はないからな」


 アールクヴィスト領は人口規模のわりには極めて大きな軍事力を備えているが、それもあくまで「人口規模のわりには」という前提の話だ。ロードベルク王国と面と向かって戦争などはできない。


 そして、アールクヴィスト領の収入源であるジャガイモや油、砂糖、ラピスラズリなどの鉱山資源、バリスタなどの兵器を金に換えて豊かさを保つには、ロードベルク王国との繋がりが必要不可欠だ。


 また、ケーニッツ家をはじめ、ロードベルク王国内にはノエインやクラーラの親戚が多い。感情的にも、身内と積極的に争いたいとは思わない。


 どちらにせよ、独立したとてノエインはロードベルク王国と敵対することはできない。オスカーは安易にアールクヴィスト領を手放すわけではない。


 一方でオスカーも、アールクヴィスト大公国との友好を保つ努力をしなければならない。無理やり言うことを聞かせようと安易に武力を行使すれば「王家は都合が悪くなると力づくで褒賞を取り上げようとする」と国内の貴族たちからも見られてしまう。


「それにお前の言う通り、アールクヴィスト大公国はこれからランセル王国との交流の要所となる。だからこそ、私は王国の利益のためにお前との関係を重要視する。互いに悪いことにはならないと、お前に信用してもらうだけの根拠はあるだろう?」


「……ええ、まあ、そうですね。失礼しました」


 ノエインは穏やかな笑みを作り、オスカーの言葉に頷いた。

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