第292話 結末と火種
ベトゥミア共和国三機関会議。
それが、帰国したチャールズ・ハミルトン将軍に待っていたものだった。
政府、議会、そして裁判所。ベトゥミア共和国の統治を成す三つの機関からそれぞれ数人ずつの代表者が集まり、国家の重要事項を協議し、結論を下す場だ。この場で決定したことは、各機関の権限を上回って共和国の意思となる。
そして今回、この会議の場で話し合われているのが、今回の侵攻作戦の責任の所在だった。本来は軍法会議などで話し合われるべきことが、首相であるフィルドラックの一声によって、三機関会議の議題として持ち込まれている。
「事前に政府と軍が協同で考案した侵攻計画は、何の問題もない完璧なものでした。これを忠実に遂行してさえいれば、わずかな犠牲でロードベルク王国全土の制圧が叶っていたはずです。それなのに実際は、多くの兵が、すなわち多くの国民が、著しい被害を被って撤退することになりました。この責任が誰にあるか! 侵攻が失敗したのは誰のせいか! これは明らかであります!」
会議の場で熱弁を振るうのは、この会議を開いた張本人であるブランシュ・フィルドラック首相だ。
「共和国軍の総指揮官であり、侵攻の司令官を務めたハミルトン将軍! 彼が事前の侵攻計画を守らなかったが故に、侵攻は失敗したのです! 彼が兵士を、民を殺し、傷つけたも同然です!」
高らかに叫ぶフィルドラック首相に賛同して、そうだ、その通りだと声が飛ぶ。政府、議会、裁判所、どの陣営からもだ。表向きは中立な三つの機関が、実質的に富国派議員に支配されていることの表れだった。
そもそもの侵攻計画が、富国派の都合を込めた無謀で楽観的なものであったことを指摘する者はいない。
「……ふっ」
「見ましたか! 今、ハミルトン将軍は笑いました! 大勢が死に、大勢が後遺症を抱えるきっかけを作っておきながら何たる態度だ!」
思わず鼻で笑ったチャールズの行いを、フィルドラック首相が非難する。
これが笑わずにいられるか。チャールズはそう思った。
チャールズが帰国した時点で、筋書きはすでに富国派の手によって決められていた。
国民の政府や議会への批判を全て避けることはできないと考えた富国派は、それを少しでも弱めるための生け贄にチャールズを選んだ。「政府や議会にも責任があるが、今回最も罰せられるべきは司令官のハミルトン将軍である」という話を世間に流したのだ。
この状況でチャールズにできることなどあるはずもない。国民の憂さ晴らしの生け贄として切り捨てられるしか、選択肢はない。
そしてチャールズは、甘んじて切り捨てられることを受け入れていた。これは保身だけを考えて生きてきたツケだと、そう考えていた。
多くの血が流れ、大勢の人間が傷つくのを、チャールズはただ傍観してきた。今回はそれも度が過ぎた。今までのツケを払うべきときが来た。それだけだ。
「……チャールズ・ハミルトン将軍、これまでの意見について、何か反論や弁明はありますか?」
「ありません」
名ばかりの進行役である裁判長の問いかけに、チャールズは毅然とした態度で即答する。
「では、ハミルトン将軍に侵攻失敗の責任があるというフィルドラック議員の主張が、三機関会議の総意として認められるものとします。意義のある方はいらっしゃいますか?」
裁判長の言葉に、誰も声を上げない。
議会の代表者には「富国派は独裁をしていない」という建前のために国民派のウッドメル議員もいるが、彼も異議を唱えない。唱えたところで、彼に状況を覆す力はない。彼がチャールズを救う義理もない。
「では異議なしということで、ハミルトン将軍に与えられる刑罰について、さらなる協議を――」
「一族郎党死罪、を要求いたします!」
裁判長の言葉を遮って、フィルドラック首相が言った。
その言葉に会議の場が静まり返る。裁判長も、他の裁判所代表者も、政府側の代表者も、議会側の代表者も、誰もが唖然とする。富国派の人間でさえも驚いた表情を見せる。
そしてチャールズ自身も、呆然としてフィルドラック首相を見ていた。
「多くの国民が伴侶を、子供を、親を、失いました! 傷つけられました! その全ての責任がハミルトン将軍にあるのです! 彼もまた同じ苦しみを味わわなければ国民は納得しないでしょう! 最も重い罪には、最も重い罰をもたらすべきです! 皆さん、どうかご同意を!」
あまりにもおぞましい主張だが、それでもフィルドラック首相の言葉はこの場で最も大きな力を持つ。
そして、本来は危機的な緊急時に法の制限を超えて国家の意思決定を下す場である三機関会議の決定は、超法規的な力を持つ。
政府の代表者たちがやや強張った顔で、議会の代表者たちが仕方ないと言うような表情で、裁判所の代表者たちがためらいがちに、挙手をして同意を示す。
それを見ながら初めて、チャールズは自身の生き方を後悔した。
保身に走り、惰性で動き、大きな力に飲まれて生きてきた。兵士の犠牲を減らすことができたかもしれない立場にいながら、そのために全力を尽くさなかった。自分自身がその責を負うのは、自業自得だと受け入れられる。
だが、まさか家族まで巻き込むとは。兄弟を、妻を、愛する子供たちを巻き込むことになるとは。
こんなかたちでツケが回ってくるとは。
チャールズは膝から崩れ落ちそうになる。
「異議あり」
そのとき、声が響いた。チャールズが顔を上げると、発言したウッドメル議員が立ち上がっていた。
「ウッドメル議員? あなたはまさか、ハミルトン将軍の責を――」
「フィルドラック首相閣下、やりすぎです」
ウッドメル議員は首相を遮り、言葉を続ける。
「あなたには確かに絶対的な権力がある。しかし権力だけがあっても、その手足になる者がいなければ意味がない。自身が負える以上の責を負わされると知れば、この先誰があなたの手足になろうとするでしょうか。得られる利益以上の、取り返しのつかない損害を被る危険を冒して、誰があなたの下につくでしょうか。家族を失う恐れがあると知りながら、誰があなたの下で軍を率いようとするでしょうか。どうかご再考を」
ウッドメル議員とフィルドラック首相が睨み合う。どちらも目をそらさない。
先に口を開いたのは首相だった。
「……ふん、いいでしょう。一族郎党ではなく、ハミルトン将軍のみを死罪とすることを要求いたします」
フィルドラック首相は吐き捨てるように、しかし確かに主張を変えた。他の代表者たちも、安堵した様子でそれに同意する。
チャールズは自身の家族を救ってくれたウッドメル議員に、小さく黙礼した。
それから一週間後、チャールズは国民たちに石を投げられながら、首都の広場で斬首に処された。
・・・・・
「首相閣下。アイリーン・フォスター将軍、参上いたしました」
「おおご苦労。忙しいときにすまんな。どうか座って楽にしてくれ」
撤退から数か月が経ったある日。ベトゥミア共和国の政府庁舎、ブランシュ・フィルドラック首相の執務室に招かれたアイリーンは、まるで好々爺のような表情で出迎えた首相に従って面会用の席に座る。
「どうだね、将軍と呼ばれることには慣れたかな? ベトゥミア共和国軍の最高指揮官の地位は快適かね?」
テーブルを挟んだ向かい側に座ったフィルドラック首相に、アイリーンは頷く。
「はい。いただいた立場にふさわしい軍人となれるよう、そして閣下のお役に立てるよう、努力を重ねる日々であります」
「ははは! 君は相変わらず真面目で熱意があるな。いいことだ」
帰国したアイリーンに待っていたのは、異例の出世だった。
格下と見られていたロードベルク王国から手痛い反撃を受けて撤退に追い込まれ、面子が丸つぶれとなったベトゥミア共和国軍において、ただ一人、明確な大戦果を挙げたのがアイリーンだ。
蛮族の親玉どもの一画、王国南西部を支配するガルドウィン侯爵領を壊滅に追い込み、王国の五分の一の支配を一時的にとはいえ確立した。まだ三十代の将官が、ロードベルク王国に大打撃を与えた。
そんな若き英雄が、ベトゥミア共和国軍の新たな最高指揮官となって軍を立て直す。
それは失墜した共和国軍の権威を回復し、再び国民の支持を得ていくために、これ以上ない絶好のプロパガンダだった。
西部軍の指揮官だったパターソン将軍は撤退の責任を被せられたため今の立場に据え置かれ、王都の攻略に失敗した上に国王と勝手な停戦を持ちかけたバーレル将軍は大軍団長に降格。東部侵攻部隊を指揮した大軍団長に至ってはラーデンへの退却中に戦死している。
そうした軍内の状況もあって、アイリーンは一気に共和国軍のトップへと担ぎ上げられた。フィルドラック首相の強い後押しを受けて。
突然の大出世に、アイリーンが一見すると嬉しそうな反応を見せ、表向きには富国派への忠誠を示したことも、首相の後押しを受ける要因のひとつとなった。
「軍の権威を取り戻すためにも部隊再編を進めておりますが、死者や負傷者に加えて退役する者も増加しているため、規模の縮小は必至です。新たに入隊者を募集する件ですが……」
「ああ、それだがな。政府や議会からも支援したいところだが、今はとても言い出せんよ」
フィルドラック首相は一本で平民の年収が飛ぶような高級葉巻を大してうまそうでもなく吸いながら、アイリーンの言葉に首を振る。
「無能なハミルトンめ、生け贄としても大して役には立たなかった。国民どもは今回の侵攻について、やれ政府の陰謀だの権力者の暴走だの、言いたい放題だ……当面は軍の規模を大きくすることは叶わん。民が知恵をつけるというのは面倒なものだなぁ」
「全く仰る通りです。指導者には指導者の、民には民の役目というものがあります。政府に疑念を抱くなどもってのほかです」
「おお、君も分かってきたじゃないか!」
アイリーンが答えると、フィルドラック首相は機嫌をよくする。
「必要であれば、軍を動員して国民の抗議活動を弾圧することもいたしますが……」
「まあ待て、そう焦ってはいかん。どうせ国民など獣も同然だ。今は頭が良くなったつもりで騒いでいるが、数年も経てば怒りなどコロッと忘れるさ……下手に締めつけると、熱が冷めるまでの時間が長くなるだけだ」
「なるほど、さすがは国家を支えてこられた首相閣下のお考えです。武骨な軍人である私が、いかに浅慮か思い知る次第です」
「ははは、それだけ世辞が言えるなら君にも政治の才能があるのだろう。君はまだ若いのだ。ゆっくり学んでいくといい」
その後も国家の最高権力者と、その私兵と化した国軍の最高指揮官の、とても国民には聞かせられない会合がくり広げられる。今後の政府や議会の動向、それに対してアイリーンがどう動くべきか、そうした確認が成される。
最後には足労への労いという名目でたっぷりの「土産」を持たされ、笑顔のフィルドラック首相に見送られ、アイリーンは部屋を出た。
「……待たせたな」
「いえ。お疲れ様でした、フォスター将軍閣下」
廊下に出たアイリーンを出迎えたのは、引き続き彼女の副官を務めている叔父だ。
二人ともその会話以外は無言のままで政府庁舎内を進み、外に出て最高指揮官の専用馬車へと乗り込む。
馬車が庁舎の敷地を出たところで、アイリーンは口を開いた。
「それで、例の件はどうなった?」
「三日後の夜、首都のとある酒場で、当家の使用人を経由して国民派の関係者に書簡を渡す手筈を整えました。書簡は直接ウッドメル議員に届くようになっております」
「そうか、ようやく国民派の党首と連絡がとれるわけか……」
アイリーンは少しくたびれた表情でため息を吐いた。
富国派の政治家たちと直接言葉を交わす立場になって思い知ったが、共和国は思っていた以上に腐っていた。共和制の理念も、国民国家の誇りもあったものではない。
だからこそアイリーンは、少しずつ動き始めていた。
「閣下の方は、いかがでしたか? 本日の会合は」
「戦場よりは楽だが、それでも気疲れはしたな。野心が旺盛で権力に弱い若手将軍を演じるのは今もまだ慣れないさ……だが、私をそそのかしたあの貴族の青年だったら、この程度の演技は難なくこなしてしまうのだろうからな。負けてはいられない」
自嘲気味に笑うアイリーンに、副官も珍しく笑顔を見せた。苦労の絶えないであろう道を進むことを自ら選んだ、物好きな姪に見せる叔父としての笑顔だった。
「それではひとまず、三日後までにこちらの決意が伝わるような書簡の文言を考えなければな。国民派の信頼を得ないことには話にならん」
「私も何時間でもお手伝いしましょう、お嬢様」
二人の会話は、二人を乗せた馬車の音にかき消されて、二人以外の誰にも届かない。
ベトゥミア共和国の権力の構図を壊す火種がここに生まれたことは、まだごくわずかな者しか知らない。その火種が大火となるかは、まだ誰一人として知らない。
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