第286話 消化試合
ランセル王国軍との合流から十日後。ノエインたちロードベルク王国西部軍は、アハッツ伯爵領の領都まで追い詰めたベトゥミア共和国の西部侵略軍と対峙し、数日にわたって衝突していた。
とはいえ、もはや大規模な戦闘は起きない。
アハッツ伯爵領の領都に立てこもるベトゥミア共和国軍の総数は、負傷者を除きおよそ三五〇〇〇ほど。その他の兵は未だに南西部の各地に散らばり、包囲されてしまった本部に帰ることもできず彷徨う遊軍となっている。
それに対してノエインたちの側は、マルツェル伯爵の騎兵部隊や遊撃戦を行っていた小部隊、南西部貴族の残存兵力を取り込んだロードベルク王国西部軍が五五〇〇と、ランセル王国軍の第一陣と第二陣が合計二二〇〇〇。併せて二七五〇〇の兵力を有している。
ベトゥミア共和国軍は数でこそ勝っているが、強気に出られるほどの大差ではなかった。
今では半壊したアハッツ伯爵領領都の市壁を挟み、散発的に矢を撃ちあうだけの小競り合いがくり広げられている。それも、遠距離兵器としては最大級の射程を持つバリスタを擁するロードベルク王国・ランセル王国連合軍の方に分がある。
「装填用意、完了!」
「よし、ではアールクヴィスト領軍バリスタ隊、全弾発射!」
アールクヴィスト領軍兵士たちの操作する二十台のバリスタが、ダントの合図で一斉に矢を撃ち上げる。
装填されているのはもちろん大型散弾矢だ。先端に『天使の蜜』を塗られ、計一六〇〇本に散らばった極細の矢は、鉄の雨となってベトゥミア兵たちの籠る港湾都市にまばらに降り注ぐ。
この都市全体の広さを考えれば、散弾矢が降る面積などごく僅か。それが人に当たる可能性も低い。
しかし、昼夜を問わず空から針が降り注いで、それに当たると長きにわたって後遺症が残るとなれば、ベトゥミア兵たちの受けるストレスは相当なものになる。
おまけにノエインは、たまに散弾矢に混ぜて爆炎矢を撃ち込ませている。それに当たれば苦しみぬいて焼け死ぬことになり、木造の家屋に落ちれば火災が起こる。それもまたベトゥミア兵たちに心理的な負担をかけている。
「じゃあ、次の斉射はアールクヴィスト領軍以外のバリスタ隊ですね……それっ」
そう言いながら、ノエインは司令部天幕の机上でサイコロを投げる。出た目は四だった。
「はい、次は四時間後です。今度は五発くらい爆炎矢を混ぜましょう」
「分かった。士官たちに伝えよう……にしても、ベトゥミア共和国軍もまさかこちらがサイコロで攻撃の時間を決めているとは思わないだろうな」
ノエインの言葉に頷きながら、フレデリックが微苦笑した。
バリスタでの攻撃時間をサイコロで決めているのは、攻撃の間隔を敵に予測されないようにするためだ。散弾矢や爆炎矢も次の補給までにそう余裕があるわけではないので、こうすることで矢を節約しつつ敵に与える心理的負担を高めている。
「どうせ不規則に攻撃時間を決めるなら、こうして天命に任せるのが一番ですよ。これは神に愛されし聖戦なんですから」
ノエインもケラケラと笑っていると、天幕にペンスが入ってきた。
「失礼します。ランセル王国軍のクロエ・タジネット子爵閣下がお越しです。お通ししても?」
「大丈夫だよ。入ってもらって」
ノエインが許可を出すと、一度天幕を出たペンスがタジネット子爵を案内しながら戻ってくる。
「お疲れさまです、アールクヴィスト卿」
「こんにちは、タジネット卿。そちらの様子はどうですか?」
「ええ、我が軍は引き続き都市の包囲を続けています……とはいえ、ただ門を監視しながら待機しているだけですが」
相変わらず感情のない声で答えるタジネット子爵に、ノエインは微笑みかける。
「今はこうして敵の動きを封じることこそが重要ですから、それで十分です。ありがとうございます……とはいえ、せっかくはるばる来ていただいたのにあまり派手に戦う機会がなくて申し訳ありません」
「いえ、我々は侵略者を海の向こうへと追い返すのが使命。そのために最良の策を示されたのなら、それに従うのみです」
「ご理解感謝します……では、今夜もまた夜襲のふりをするのにお付き合い願います。それまでは引き続き敵を包囲しつつ待機で」
「了解しました。パラディール侯爵閣下にも伝えます」
今日の動きを確認したタジネット子爵は、再びペンスに案内されてロードベルク王国西部軍の本陣を去っていった。
「……ユーリ。バリスタ隊の周囲は変わりない?」
「ええ、ランセル王国軍もおとなしいものです」
ノエインが「バリスタや爆炎矢、『天使の蜜』について探ったり盗もうとしたりするランセル王国軍人はいないか」と遠回しに尋ねると、ユーリは異常がないことを告げる。
「そっか……まあ、あっちもアンリエッタ女王からよほど厳しく言われてるんだろうね。今は両国の関係にひびを入れるようなことするなって」
ランセル王国は内乱が明けたばかりで国としてまだまだ不安定な部分も多く、ロードベルク王国もこれから復興への長い道のりを歩まなければならない。互いに不和を起こさず、ときには協力して国力を回復しなければならない状況だ。でなければアドレオン大陸南部で有数の大国としての地位が揺らぐ。
「バリスタ隊の陣地の見張りは怠れないけど、ランセル王国の工作についてはあんまり心配せずにいこう。今の彼らは完全な味方だ」
「了解しました」
ノエインの言葉にユーリが頷き、その話は終わった。
・・・・・
「この二日間の成果は四十六人です。全員殺さずに麻痺させました。やっぱり敵の残党どもも本隊と合流しようと必死みたいで、街道の傍で張ってたら簡単に狩れますね」
「補給も切れてるから弱ってる奴ばかりです。下手に農民にでも見つかったら惨殺されかねないから、こっちを見るなり『降伏させてくれ』なんて言い出す奴までいる。これじゃゴブリン狩りの方がまだ難しいんじゃないですかね?」
本陣の裏手でユーリに報告するのは、遊撃隊として南西部に散らばるベトゥミア共和国軍兵士を掃討しているラドレーとリックだ。
「そうか、ご苦労だった。敵ももう烏合の衆だな」
「他の遊撃隊の成果はどんな感じで?」
「ここに陣を敷いて以降、連合軍全体で二〇〇〇人を優に超えるベトゥミア兵を殺すか麻痺させたことになる。お前たちの成果を足せば、そろそろ二五〇〇人に届くだろうな……仕留めた数ではお前たちの隊が一番多いはずだ」
「ははっ、そりゃいいや。このままぶっちぎりで狩っていきますよ」
威勢よく言ったリックをユーリは苦笑しながら諫める。
「おい、別に競争じゃないぞ。ここまでくれば敵が音を上げるのも時間の問題だ。わざわざ無茶することない……今日は野営地でゆっくり休め。明日の再出撃までに体力を回復しておけ」
「へい」
「了解です」
二人を下がらせたユーリは、司令部の天幕に戻ってノエインに報告を届ける。
「閣下、先ほどラドレーたちの隊が帰還しました。成果は四十六人です」
「それはまた……ずいぶんと狩ったね。全員が生け捕り?」
「はい、『天使の蜜』で後遺症を抱えさせたそうです。負傷者は今日の便に加えます」
ベトゥミア共和国の西部侵略軍本隊を包囲して間もなく二週間。この間ロードベルク王国・ランセル王国連合軍はバリスタや夜襲での嫌がらせを続け、一方で少人数の遊撃隊が南西部各地から本隊に合流しようとするベトゥミア兵たちを狩る、という日々を送っていた。
狩られたベトゥミア兵のうち生け捕りにされた者は、『天使の蜜』で後遺症を負わされた上で毎日夕刻に敵の本隊のもとへと送り届けられている。その数は一日あたり二百人以上に及ぶ。
また、遊撃隊が狩る分以外にも、他の隊と連絡も取れず彷徨っているベトゥミア兵たちが王国民に見つかり、これまで暴虐の限りを尽くしたことへの復讐として殺されているという話も聞こえている。
ベトゥミアの西部侵略軍は未だに港を確保しているが、負傷者の本国送還と部隊維持のための補給で手一杯らしく、戦力が補充されている様子はない。組織的な反撃を受けることもなく、ノエインたちとしては最早戦っているという感覚さえなくなってきていた。
「……敵側の死者は推定で一万人、負傷者も五万人を超えてましたね」
「ああ、それも少し前の数字だがな」
ノエインの問いかけにフレデリックが頷く。
東の方でもロードベルク王国の中央主力軍と東部軍がベトゥミア共和国軍を追い詰め、さらにランセル王国ほどの規模ではないが、パラス皇国も今回ばかりは友軍として部隊を派遣してきたという。
その結果、南東部におけるベトゥミア共和国軍の支配域は、キヴィレフト伯爵領の領都ラーデンと周辺のいくつかの都市を残すのみになっていると報告が届いていた。
数週間前までのベトゥミア共和国軍の勢いは、今や見る影もない。
「後遺症を抱えた兵は続々とベトゥミアの本国に帰ってるでしょうし……あとは敵が損切りを決めるのを待つだけって感じですね。いや、もう損切りは決まっているのかも」
「そうだな。ベトゥミア共和国の指導者たちの決定が侵略軍に届くまでは時間がかかる。完全撤退しろという命令が、本国からまだ届いていない。それだけだろう」
「……あんなに激戦をくり広げたのに、最後はこんな温い戦いになるなんて。ちょっと拍子抜けですね。僕としてはこの方が楽でいいですけど」
「ははは、戦争の終盤なんてこんなものさ」
ノエインとフレデリックがそんな話をした数日後。
ベトゥミア共和国側から、正式な停戦の申し入れが成された。
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