第285話 合流

 マルツェル伯爵との合流から二日後、ノエインたちロードベルク王国西部軍はランセル王国軍の第一陣と合流した。


 合流地点は丘陵地帯のど真ん中。ノエインたちがたどり着いたときは、ちょうどランセル王国軍による敵の一部隊の掃討が終わり、戦場の片づけが行われているところだった。


「……すごいね、これ」


「よほど手練れの水魔法使いがいたのでしょうな」


 大地に残った戦闘の爪痕を見て呟いたノエインに、傍らのユーリが答える。


 この戦場には、何十本もの『氷弾』が突き刺さっていた。それも一本一本がまるで家屋の柱のように太い。相当な魔力量を誇る、ロードベルク王国で言うところの首席王宮魔導士クラスの魔法使いでなければ作り出せない光景だ。


「こちらです閣下、彼がロードベルク王国西部軍の大将殿です」


 そこへ、バルテレミー男爵がランセル王国軍の一人の女性将官を連れてやって来る。彼女にノエインが大将であることを説明し、合流の際の仲介役として役目を果たしてくれているようだった。


「……」


 ノエインと目が合ったその女性将官は、濃紺のローブを纏ったその装いから魔法使いなのだと分かった。


 まだ若い女性で、その顔は感情が読めないというよりは、そもそも何の感情もないのではないかと思わせるほどに無表情だ。およそ大軍の将らしからぬノエインを見ても特に驚いた様子もない。


 どこか冷淡な雰囲気を感じさせるその女性将官に、ノエインは友軍の将として穏やかな表情で答える。


「初めまして。オスカー・ロードベルク三世陛下よりロードベルク王国西部軍大将の役を賜っています、ノエイン・アールクヴィスト子爵です」


 そこで、将官の表情が初めて動いた。ほんのわずかだが眉が上がり、彼女が驚いたのだということが分かる。


「どうかされましたか?」


「……いえ、失礼しました。私はランセル王国軍第一陣の前線指揮を務めています、クロエ・タジネット子爵です」


 将官がそう名乗ったときには、彼女の顔はまた冷たい無表情に戻っていた。


 ノエインは彼女の名前に聞き覚えがあった。かつてカドネの親征を退けた際に、当時ロードベルク王国側へと寝返ったばかりだったジェレミーから聞いた。


 クロエ・タジネット子爵。あのときの親征部隊の後方で指揮をとっていた将官だ。彼女がノエインの名を聞いて少し驚いた理由が分かった。


「よろしくお願いします、タジネット卿。まずはこうして共にベトゥミア共和国軍と戦ってくださっていること、ロードベルク王国の将の一人として感謝申し上げます」


「いえ、これもアンリエッタ女王陛下がお決めになったことです。私はランセル王国軍に所属する武家貴族として、陛下のご意向に従い戦うのみですので」


 その表情から想像される通りの、感情を感じさせない声で答えるタジネット子爵。


 不思議な人物だとノエインは思った。彼女からは研ぎ澄まされた氷の刃のような気が放たれている。とても鋭いのに、彼女自身が攻撃的であるとは感じられない。まるで人間ではなく剣と話しているかのようだ。


「見たところ……凄まじい戦闘がくり広げられたようですが、この水魔法はあなたが?」


「はい」


 ノエインが尋ねると、タジネット子爵はただそれだけ答えた。


「そうですか。素晴らしいお力をお持ちなのですね。同じ魔法使いとして敬意を表します」


「ありがとうございます。卿のような偉大な傀儡魔法使いからそう評していただけること、光栄に存じます」


「……どうも。私こそ、過分な評価をいただき恐縮です」


 ノエインは小さく笑って答えたが、タジネット子爵は笑わない。


 自身が傀儡魔法使いであることをノエインはまだ明かしていない。今のタジネット子爵の言葉は「あなたのことを知らないふりをしているわけではない」という、彼女なりの、将から将への敬意の表れだとノエインは受け取った。


「私の他に、協同で指揮をとっているエドムント・マルツェル伯爵閣下がいます。後ほど彼についてもご紹介をさせていただきます……その際には、そちらの総指揮官殿ともご挨拶を」


「ええ、もちろんです。こちらの総指揮官はオーギュスト・パラディール侯爵閣下です」


 後で正式に挨拶の場を持つことを決め、ノエインは戦場を離れると自軍の方へ戻った。


 戦闘が終わった戦場は、勝者にとっては戦利品を回収する場だ。他の軍隊がいてはいらぬ不和を生みかねない。


・・・・・


「ロードベルク王国西部軍大将、ノエイン・アールクヴィスト子爵です」


「同じく、エドムント・マルツェル伯爵です」


 ランセル王国軍と合流を果たした日の夕刻。ノエインはマルツェル伯爵とともに、相手方の総指揮官と面会していた。


 爵位こそマルツェル伯爵の方が上だが、ここまで西部軍大将として戦い抜いたのはノエインだから先に名乗れと彼が勧めたため、この自己紹介の順序になっている。


 また、ノエインたちの後ろには参謀のフレデリックや、将官であるトビアス・オッゴレン男爵、ノア・ヴィキャンデル男爵、ヴィオウルフ・ロズブローク男爵、バラッセン子爵なども並んでいる。ノエインの傍らにはユーリとマチルダも控えている。


「ランセル王国軍の総指揮官を務めるオーギュスト・パラディール侯爵だ。よろしく頼む」


「副指揮官で、前線指揮を執るクロエ・タジネット子爵です」


 表情は親しみやすそうだが、鍛え上げられた肉体から歴戦の軍人であることを感じさせるパラディール侯爵、そしてあらためて名乗るタジネット子爵と、それぞれ握手を交わすノエインたち。


 ランセル王国側も、指揮官である二人の後ろには軍団長クラスと思われる将官たちが無言で立ち並んでいた。


「失礼ながら、パラディール閣下は以前は伯爵位をお持ちであったと記憶していますが」


 マルツェル伯爵が尋ねると、パラディール侯爵は人好きのする笑みを浮かべた。


「ああ、卿の記憶通りだ。私はアンリエッタ女王陛下のもと、逆賊カドネを追放するために奮闘したのでな。その働きが認められ、新たに侯爵位を賜った。なので以降は侯爵として覚えてもらえると幸いだ」


「そうでしたか。それはおめでとうございます」


「ああ、ありがとう……南東部大戦でランセル王国軍を苦しめた猛将マルツェル伯爵と、カドネの親征を退けた智将アールクヴィスト子爵か。ロードベルク王国の英雄たちとこうして共に戦えるのは光栄だ」


「「……」」


 ノエインとマルツェル伯爵は思わず黙り込んだ。二人はランセル王国から見れば仇敵とも言える。パラディール侯爵の言葉を額面通り受け取るか迷うところだ。


「おっと、もちろん嫌味などではないぞ? はっはっは!」


「……ははは、それはよかったです」


「……こちらこそ共に戦えて光栄です」


 少し調子を崩されながらも、ノエインたちは無難な返事を返す。


「では、今後の進軍について話し合わなければな。軍の規模や指揮官の爵位こそこちらが上だが、ここは卿らの国だ。どう動くかは卿らが決めてくれ」


「ありがとうございます。それでは、ご説明します」


 ノエインはそう言って、面会の場となっている天幕の机に地図を広げる。


 王国南西部の山や川、橋、街道、都市の位置を簡略にまとめたこの地図は、進軍に関係ない地域の情報はあえて不正確に、嘘も織り交ぜて書かれている。ランセル王国軍と今後の進軍計画を共有しつつもロードベルク王国の正確な地勢を知られないよう、マルツェル伯爵とフレデリックが作成したものだ。


「まず、現在の我々の位置が……地図上だとここになります。ここからアハッツ伯爵領に入るまではおよそ三日、領都まではさらに一日といったところでしょう。ベトゥミア共和国軍はこのまま伯爵領の領都に逃げ込んで立てこもるでしょうが、ロードベルク王国の南西部一帯には相当数のベトゥミア兵が少数ずつ散らばって取り残されているはずです。我々は伯爵領の領都を包囲し、敵の本隊と小部隊を分断しつつ――」


 かつては敵として争った二国の将たちの軍議は、きわめて穏やかに進行していった。

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