第270話 遊撃戦①

 ロードベルク王国南部のベトゥミア共和国軍支配域では、ベトゥミア兵たちによる略奪が日常的に行われている。都市から農村まで、至るところで兵士が民の財産を、ときには民そのものを奪っている。


「おら野蛮人ども! まだ全然足りねえぞ! とっとと俺たちへの貢ぎ物を積め!」


 王国南西部のとある農村。今まさに略奪が行われているこの村で、十人ほどの小さな部隊を率いるベトゥミア共和国軍の士官が怒鳴った。


 彼の前には二台の荷馬車が置かれ、痩せた村民たちが暗い表情で荷馬車に並んでいた。村民たちの手には麦の詰まった袋や、鶏などの家畜が抱えられている。なかには泣きじゃくる若い娘の手を引いている村民までいた。


 ベトゥミア兵たちはそんな村民を蔑んだ目で眺め、なかには村民を蹴り上げて転ばせるような行いを見せる者もいる。蹴られた村民は文句ひとつ言わない。


 そんな中で、士官に近づく一人の村民の男がいた。


「ん? おい、なんだてめえは! それ以上近づくなら斬り殺すぞ!」


 士官は剣を抜き、他にも数人の兵士が警戒するように士官の周りに集まる。それに対して男が口を開く。


「申し訳ありません。ただ、ひとつお願いがございまして……」


 それを聞いた士官は下卑た笑みを浮かべながら男に近づいた。


「へっ、お願いだあ? いい度胸じゃねえか。試しに言ってみろ」


「はい、あなた方の持っている武器が欲しいのです。それと、この馬や荷馬車も」


 言いながら、男は士官と周囲の数人の兵士を見つめる。その目は薄らと光っており、視線を向けられた士官たちは何故か目をそらすことができない。


「……ああ、いいだろう。全部くれてやる」


 士官がそう言って、周囲の兵士たちと一緒に剣や槍、弓を男に差し出す。


「ありがとうございます……おい皆、武器をいただけ」


 男が呼びかけると、屈強な肉体を持つ村民が何人か進み出て武器を拾った。


「はあっ!? 隊長、何やってるんですか!」


「うるさい! お前たちもとっととこいつらに武器を渡せ! 馬と荷馬車もだ!」


「そんなことしたら俺たちが殺されちまう!」


「あんたベトゥミアを裏切る気か!」


「黙れ! こうするべきなんだ! 俺に従え!」


 一見すると正気を保っているような、しかしよく見ると虚ろな目で士官が怒鳴る。他のベトゥミア兵たちは慌てた様子で剣を抜いて士官に駆け寄るが、


「皆さんもお願いします。どうか武器を譲っていただけませんか」


 そう語る男と目が合うと、立ち止まって武器を手放す。


「仕方ないな。大事に使えよ」


「ありがとうございます。それでは皆さん、次はこれを体に打っていただきたい」


 全員を武装解除させた男は、『天使の蜜』の原液が入った小瓶を開けると、そこに太い針の先端を挿す。


「な、なんだその液体は!?」


「薬ですよ。体の調子が良くなりますから、皆さん体に入れた方がいい。少しチクリとしますが」


「そ、そうか。じゃあお願いしよう」


 士官たちは自ら腕を差し出して『天使の蜜』の原液を体に入れられると、痺れを覚えてバタバタと倒れていった。


「……片付いたな。次はこいつらを村の外の街道まで運ぶぞ」


「「「はっ」」」


 先ほどまでの無害そうな表情を止め、村民の中に紛れていた男は――王国北西部のとある上級貴族家に仕える魔法使いである男は言った。その言葉に従い、男の部下としてこちらも村民の中に紛れていた兵士たちが動く。


 男たちはベトゥミア共和国軍の支配域を混乱させるために送り込まれた、小部隊のひとつだった。隊長である男は『心理魔法』という珍しい魔法の才を持っている。


 心理魔法の代表的な術に、自身の言葉を違和感なく相手に受け入れさせる『催眠』というものがある。


 上手く使えば非常に強力な術だが、魔力の高い相手には効きづらかったり、言動がおかしくなるので周囲から見れば術にかかったのが丸分かりだったり、術の発動時に目が光るので途中で気づかれることもあったりと、扱いが難しい点も多い。


「……き、きさま。らましやがったな」


 そして、『催眠』をきっかけにして相手の身体を害すれば、相手の生存本能が働いて暗示が解けてしまうという弱点もある。現にベトゥミアの士官も今は催眠が解けて、体を痺れさせながら男を睨みつけている。


「騙される方が悪いさ……では、行こうか」


 自身の部下と、潜伏先にしていた農村の民にも手伝わせて荷馬車にベトゥミア兵たちを積んだ男は、村を出てしばらく移動する。


 やがて適当な街道上で荷馬車を止めさせ、街道に面した小さな森の傍に麻痺したベトゥミア兵たちを降ろすと、その一人ひとりの目を見ながら語りかけた。


「いいか? お前たちはこの街道上で、傍の森に潜んでいたロードベルク王国の伏兵に襲われたんだ。そして毒を打たれ、体が麻痺した。気の毒にな。本当に可哀想な話だ」


 目だけしか動かせない体で気丈にも男を睨みつけていたベトゥミア兵たちだが、男の言葉を聞いてその視線もしだいに穏やかなものになる。「この街道上で伏兵に襲われた」と信じ込むことが原因で体に害を受けない限り、新たな催眠が解けることはない。


「ここにいればいずれ他のベトゥミア兵が通って、お前たちを救出してくれるだろう。それまでしばしの辛抱だ。私はもう行かねばならない。すまんな」


 そう言い残すと、男は立ち上がって部下たちと荷馬車に乗り、ベトゥミア兵たちを街道上に放置して走り去った。


・・・・・


 ロードベルク王国南東部のとある山道を進んでいた、ベトゥミア共和国軍の三十人ほどの部隊。


 その先頭に立って騎乗している隊長は、山道が上り坂から下り坂になる峠に到達して道の先を見下ろし、驚愕した。


「なっ!? た、大変だ!」


 隊長は馬を急がせて道を下る。彼の目に映ったのは、道のど真ん中に倒れている三十人以上の友軍兵士の姿だった。


 隊長の部下たちも山道上の異常事態に気づき、走って後を追う。


「おい! どうしたんだお前たち! 大丈夫か!?」


 友軍兵士たちはどうやら死んではいないようだ。しかし、まるで体に何かの後遺症でも負ったかのように、難儀そうに動いている。


「ああ、助けてくれ。ロードベルク王国の奴らに襲われたんだ。変な毒にやられた。足が、足が痺れて動かねえんだ」


 隊長の言葉に、この部隊の指揮官らしい男が下半身を引きずりながら答える。


「毒だと? ……噂のやつか」


 隊長は苦い顔で呟く。ここ数週間ほど、ロードベルク王国の兵士が妙な毒薬を使ってベトゥミア共和国軍を襲っているという噂が一部の部隊の間で流れ始めていた。


「もう大丈夫だ。俺たちは略奪を終えて本隊に合流するところだ。連れて帰ってやる……おい、荷馬車の荷台をもっと空けろ! 価値の低い略奪品は捨てていい! こいつらを助けるぞ!」


 隊長が指示すると部下たちはすぐさま動く。数人が荷馬車の荷台を整理し、あとの者は倒れている友軍兵士を助けるために駆け寄る。


「あ、ありがとう……あんた、いい奴だな」


「気にするな。同じ軍の、同じ国の仲間じゃないか」


「あんた本当にいい奴だ……なのに、残念だよ」


「えっ?」


 男は呟くと、麻痺していたはずの足で立ち上がり、ナイフを抜いて隊長の後ろに回り込んだ。そのまま後ろから首元にナイフを突きつけて隊長を拘束する。


「な、何をするんだ!」


 他の友軍兵士の様子もおかしかった。先ほどまでの苦しげな様子が嘘のように機敏に動いて、隊長の部下たちの腕や足を切りつけたり、何か針のようなもので刺したりしている。


「痛っ!」


「はっ? 何すんだよ!」


 部下たちは助けようとした相手から不意に負わされた軽傷に不満げな声を漏らし――それから数秒後には、体を硬直させてバタバタと倒れる。


「くははっ! ベトゥミアの鎧を着て道に倒れているからといって、必ずしもベトゥミア兵とは限らないよなあ? お前の優しさが仇になったなあ?」


 隊長を拘束したまま、男は――ロードベルク王国貴族のキューエル子爵は笑った。


 南東部に潜んで敵の撹乱を続けていたキューエル子爵は、冬明けと共に北東部からやって来た援軍の小部隊と出会い、新たな作戦の概要を伝えられ、『天使の蜜』の小瓶を受け取った。


 以降も敵への嫌がらせのような遊撃戦をくり広げ、今日もまた敵を罠にかけたところだ。


「くそっ! お前らロードベルク王国の兵だな! 負傷したふりをして待ち構えて……卑怯な!」


「そもそもそちらが不意打ちで我が国を侵略したのだから、卑怯なのはお互い様だろう……さてと、少し歩こうか」


 キューエル子爵は隊長の首にナイフを突きつけたまま彼の体を引っ張り、山道を上る。峠を越えると、二人の姿は他の兵士たちから見えなくなる。


 それを確認した上でキューエル子爵は――隊長の口を押さえ、首をナイフで切り裂いた。


「~~~!!」


「おっと、暴れるな暴れるな……お前は良い人間のようだったからな。殺すのは忍びないが、これも仕事だ」


 首から鮮血を吹き出しながらじたばたともがく隊長を後ろから押さえつけ、その耳元に囁くキューエル子爵。隊長が力尽きると、その死体を山道の脇の茂みに放り投げた。


「……さてさて、次は」


 自身に隊長の返り血がかかっていないことを確認し、キューエル子爵は兵士たちのもとへと戻る。その顔は先ほどまでの下卑た笑みから、悲しげなものへと変わっている。


「ベトゥミア共和国軍兵士の諸君! 誠に残念なことだが、諸君の隊長は一瞬の隙をついて私の手を振りほどき、部下を見捨てて逃げおったぞ!」


 体も表情も動かせない状態で、それでも目だけは驚愕したように見開くベトゥミア兵たちを見回しながら、キューエル子爵は話を続ける。


「部下を見捨てて逃げるのは重罪ではないかと問いかけたが、『私は知り合いにベトゥミア議会の政治家がいるから揉み消してくれる』と言ってそのまま走り去っていった。一人だけ健常な体のままで、政治家への伝手をあてにして逃げるとは、何とも卑劣な男だなあ。ベトゥミアの士官とはあのような人間ばかりなのか?」


 言いながらキューエル子爵が軽く手を挙げて合図すると、子爵の部下たちがベトゥミア兵たちの体を抱え上げ、山道の下り坂の方へと引きずっていく。


「卑劣な士官に見捨てられた憐れな君たちを、我らロードベルク王国の軍人が助けてやろう。山道を下って、見通しのいい街道上まで運んでやる。そこならば他のベトゥミア兵に発見され、救出してもらうことも容易いだろう」


 ベトゥミア兵たちを山の下の街道まで運ぶ道中、キューエル子爵は彼らの軍上層部への不満や政治家への不信感を煽るような陰謀論を、思いつくかぎり言葉巧みに吹き込み続けた。

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