第269話 偵察隊②

 ジェレミーとセシリアが戻ると、兵士たちはベトゥミア共和国軍の偵察隊と思われる小部隊と接敵していた。敵の数は七人。


 こちらの四人の兵士はまだ死者こそ出ていないものの、夜間の見張り役などを務めていた猫人の女性兵士が腕に矢傷を負っている。実質的に七対三という圧倒的に不利な状況で、敵に包囲されようとしていた。


「危ないっ!」


 セシリアが声を上げながらゴーレムを動かす。それまで片膝をついて待機していたゴーレムは、セシリアの魔力が通った瞬間に立ち上がり、一番近くにいたベトゥミア兵の後頭部をわしづかみにする。


 ゴーレムが急に動いたことに驚いたのもつかの間、その兵士はそのまま後頭部を握りつぶされ、圧力で両の眼球が飛び出すというグロテスクな死に様を見せた。いきなりの出来事に、ベトゥミア兵たちの動きが一瞬止まる。


「はあああっ!」


 ジェレミーはその隙をついて突進し、ちょうど自分に背を向けていたベトゥミア兵に迫る。小部隊の隊長と思われるその兵士はそれなりの手練れらしく、振り向きざまに凄まじい鋭さでジェレミーに向けて剣を突き込んだ。


 ジェレミーはそれを最小限の動きで躱しつつ、兵士の剣を握っていた右手を手首から斬り飛ばす。その直後に斬撃をくり出そうとすると、兵士は即座に反応して後方に身を引く。


 しかし、それはジェレミーの仕掛けたフェイントだった。斬撃を中断して突きをくり出すと、無理に身を引いてバランスを崩し、おまけに武器と片手を失って防御もままならない敵は喉を貫かれる。


 指揮官を失った小部隊が浮き足立つ中で、今度はまたセシリアのゴーレムが動き、ベトゥミア兵の一人を殴りつける。兵士は殴られた衝撃で吹き飛び、木の幹に叩きつけられて血を吐きながら崩れ落ちた。


 一気に形勢が逆転し、ベトゥミア兵たちは逃げ出そうとする。ジェレミーたちはそれを許さず、後ろから襲いかかった。


 最終的にジェレミーたちの側は負傷者一人のみ。対する敵の小部隊は死者五人、降伏が二人という結果で戦闘が終わる。


「……ジェレミーさんって強いんですね」


 先ほど敵指揮官を屠った際のジェレミーの動きを見ていたセシリアが、感心した様子で言った。ジェレミーはそれに苦笑しながら答える。


「これでもラドレー様にかなり鍛えてもらってるからな。今はアールクヴィスト領軍の中でも相当な手練れ……のつもりだよ。それよりパウロを迎えに行ってやってくれ」


「あっ、そうですね。分かりました」


 パウロを隠れさせていた方へとセシリアが走っていくのを見届け、ジェレミーは降伏したベトゥミア兵に向き直る。


「まったく、手間をかけさせてくれたな……お前たちは偵察隊か? 何故ここにいた?」


「……ああ、偵察隊だ。ロードベルク王国の軍勢がこのあたりにいないか確認するための定期偵察の途中で、森の中にいるあんたたちを見つけた。四人しかいないと思ったから、勝てると思って襲った」


 生き残りの片方が言った。その口調や表情を見るに、嘘を言っているようには見えない。


「隊長、どうします?」


「……そうだな」


 偵察隊の部下である兵士に尋ねられて、ジェレミーはため息をつきながら二人のベトゥミア兵を見下ろす。


 森の中で敵に捕らえられた偵察兵。まるでランセル王国軍人だった頃の自分を見ているようだ。違うとすれば、その処遇か。


「この森の奥に秘密の山道があることを、万が一にも敵に勘付かれたくないからな。生きて帰すわけにはいかない。殺そう」


 その言葉を聞いたベトゥミア兵たちが目を見開く。


「ま、待ってくれ! あんたらをここで見たことは誰にも報告しねえ!」


「そうだ! 本隊には何も見なかったと伝える! だから逃がしてくれ!」


「悪いがそういうわけにもいかないさ。先に侵略してきたのはそちらだからな、諦めてくれ」


 そう言って、ジェレミーはまず一人目に向かって剣を振り下ろした。


・・・・・


「なるほど、そんなことが」


「敵が嘘をついている様子はなかったので、本当にただの定期偵察で偶然私たちを発見しただけだと思います。ロムロス小山脈の山道が気づかれたわけではないと思いますが……」


 ノエインは本陣の司令部で、無事に西部軍の陣地に帰還したジェレミーとセシリアから報告を受けていた。


「まあ、でも敵の偵察範囲が思ってたより広いって分かったのはよかったよ。きっちり全滅させたこともお手柄だったね……今後は山道を行き来する部隊に、より慎重を期すように伝えようか」


「ロムロス小山脈の麓の森に入るのは、原則として夜だけにする方がいいでしょうな」


 ノエインの言葉に、隣に立つ従士長ユーリも頷く。


「そうだね、それがいい……あとは、この男の子か」


 ノエインはジェレミーの後ろに隠れているパウロを見下ろす。パウロもおそるおそるといった様子でノエインを見返してきた。


「傭兵の父親と北西部を目指して移動中に、父親が行方不明ねえ……よく半年も一人で生きてたものだよ」


 可哀想ではあるが、難民化して家族が死ぬというのは、今の王国では珍しくもない話だ。ジェレミーたちが拾ってきた子どもの扱いをどうするかノエインは考える。


「とりあえず、軍属として後方で働いてもらう? 戦後はうちの領で受け入れてもいいし」


「それがいいでしょう」


 ノエインがユーリと話をまとめようとしたところへ、今後の戦いに向けた軍議のために本陣を訪れていたヴィオウルフが近づいてくる。


「アールクヴィスト卿。少し話が聞こえてしまったのだが、その少年はこの付近で傭兵の父親を亡くしたそうだな? 昨年の夏に」


「はい、そうらしいですが……どうかしましたか、ロズブローク卿?」


 ノエインはヴィオウルフの方を振り向き、少し驚きながら答える。


「彼に少し聞きたいことがある」


 そう言って、ヴィオウルフはパウロの前にしゃがみ込んだ。大男であるヴィオウルフに近づかれて、パウロが怯えの色を見せる。


「……お前の父親は、風魔法使いだったのではないか? 仲間には火魔法使いもいたのでは?」


「っ! 父ちゃんを知ってるの!?」


「……ああ、知っている」


「父ちゃんは今どこにいるの?」


 パウロが目を輝かせると、対照的にヴィオウルフは少し悲しげな顔になった。彼の言葉には答えず、立ち上がってノエインの方を見る。


「アールクヴィスト卿。もしよければ、この少年は私が引き取ってもいいだろうか? ロズブローク家の従僕にしたい」


 何か事情があるが、今この場で口にすることはできない。ヴィオウルフの表情からそう感じ取ったノエインは、微笑して頷く。


「もちろん構いません。貴族家の正式な従僕になれるのなら、彼にとってもその方がいいでしょう」


「感謝する……ほら、私と来るんだ」


 ノエインに軽く頭を下げると、ヴィオウルフはパウロを呼び寄せて、その場を離れて行った。パウロもここまでの会話から自身の処遇を理解したらしく、ジェレミーとセシリアにぺこりと頭を下げると、ヴィオウルフの後ろをついていく。


「……さて」


 パウロの処遇の問題が解決し、ノエインは再びジェレミーとセシリアの方を向く。


「偵察結果の話に戻るけど、敵軍に目立って異常な動きはなかったんだよね?」


「はい。特に前線への増援などの気配は、私たちが見張っていたときにはありませんでした」


 ジェレミーが頷き、続いてセシリアが口を開く。


「でも、ベトゥミア兵の街道の行き来自体はすごく増えてるみたいです。主に後遺症を抱えた負傷兵の移送のために」


「あははは、そっか。今の時点でも、うちの戦線だけで三〇〇〇人の敵を麻痺させたからね。それだけ大量の負傷者を世話しながら運ぶのは大変だろうなあ」


 自力で食事をしたり用を足したりするのも困難な負傷者の世話をしつつ、支配域とはいえ敵国のど真ん中を移送する。想像しただけで面倒そうだとノエインは思った。


「もともとの補給に加えて負傷者の移送で敵の輸送網は相当に圧迫されているでしょうから、しばらく大規模な増援などはできないかと思われます」


「それはよかった……この調子でいけば勝利は揺るがないね。二人ともお疲れさま。次の偵察任務までゆっくり休んで」


「はっ」


「ありがとうございます」


 ジェレミーとセシリアを下がらせて、ノエインは微笑みを保ったまま小さなため息をつく。そして隣のユーリと、後ろに控えるマチルダにだけ聞こえる声で言った。


「勝利は揺るがない、か。言ったからには頑張らないとね」


 ジェレミーたちの前では余裕がある風を装ったものの、実際はそれほど楽観視できる状況ではない。


 ノエインは事前に予想していた以上のペースで策を消費している。それほどベトゥミア共和国軍の大戦力による攻勢は苛烈だった。用意している奇策が尽きたら、以降は敵の侵攻部隊とまともにぶつかり合いながら防衛線を守らなければならない。


 ひたすらに粘り続けて、踏みとどまって、こちらが力尽きる前に敵に音を上げさせる。そんな泥臭い戦いがこれから始まろうとしていた。


・・・・・


「……これから私のことは、旦那様と呼べ。お前にはひとまずこの戦場で私の身の回りの雑用をさせる。戦争が終わって領地に帰ったら、我がロズブローク家の下働きをさせる」


 そして真面目に働き続けるようならいずれは領軍や王国軍に入れて戦いを学ばせ、腕と頭がいいようなら従士に登用する。ヴィオウルフはそう考えているが、そこまでは今は口に出さない。


「分かったな?」


「は、はい。旦那様」


「よろしい……では、お前の父親の話をしなければな」


 言葉は選ばなければならないが、嘘を言うつもりはない。この少年には自身の父親の最期を正しく知る権利と義務がある。


 ヴィオウルフは自身が寝起きするテントまで歩く道すがら、パウロに語り始めた。


・・・・・


「あの少年、いい引き取り先が見つかってよかったな」


 本陣を出て歩きながらジェレミーが呟いた。


「ジェレミーさん、あの子に優しかったですよね。西部軍陣地に戻るときも小まめに気にかけてあげてましたし」


「……これでもランセル王国人だった頃は一応は父親で、夫だったんだ。不幸な子どもを見ると、できるだけ何とかしてやりたいと思えてね」


「それは……ごめんなさい」


 父親で夫「だった」という言い方からジェレミーの過去を察して、セシリアは表情を暗くする。


「いや、気にしなくて大丈夫さ。もう……五年も前の話だ」


 そう言って笑うジェレミーの横顔は、セシリアにはとても寂しそうに見えた。


「俺ももう三十近いし、アールクヴィスト領に迎えられたとき、ノエイン様からはいずれ新しい出会いを得て家族を作れと言っていただいた。そろそろ前に進まないとな」


「……」


 セシリアは何と言葉を返すべきか迷った。


 セシリアには家族が、一緒に暮らす母がいる。以前は病弱だった母も、セシリアが高給取りになって良い薬を買えるようになったことで、今は健康な人間と変わらない生活を送れるようになった。


 しかしジェレミーは、おそらくは妻と子どもを失って、今は生まれた国を捨てて生きている。新たな故郷と仲間を得て孤独ではないとしても、彼の経験してきた喪失感がどれほどのものかは想像もつかない。


 ジェレミーには傍にいてくれる誰かが必要なのだろう。セシリアはそう思った。

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