第265話 軍属たちの戦い

 ゴーレムを模した木偶人形を並べることでベトゥミア共和国軍の攻勢を一時的に止めることに成功したノエインたちロードベルク王国西部軍は、部隊の再編成や防御陣地の再整備など、今後の戦いへの準備を進めていた。


 働くのは兵士たちばかりではない。特別な技能や知識を活かすために従軍しているさまざまな職業の軍属たちが、西部軍をサポートするために動いている。


「この人の腕はもう駄目です。傷口から腐り始めてるから切断しないと……麻酔用の『天使の蜜』の用意と、切断面を焼いて止血する準備をしておいてください」


「は、はい!」


「あ、そこの兵士さん、手は空いていますか?」


「大丈夫だ。どうした?」


「熱を出した重傷者に飲ませるための魔法薬が切れかけてます。集積所にはもっと備蓄があったはずです。手が空いてる誰かに取りにいかせてください。管理役の士官さんに解熱薬を出してくれと言えば通じるはずです」


「分かった、任せてくれ!」


 西部軍の陣の最後方、負傷者の手当を行う医療テントが立ち並ぶ中で、アールクヴィスト領から従軍している医師のリリスは忙しく立ち働いていた。


 まだ十代のリリスだが、これまで数年に渡って熟練の医師であるセルファースから学び、日常的に診療所での勤務をこなし、アールクヴィスト領軍がカドネの親征を迎撃した際にも医師として戦場まで随行した。近年は新たにセルファースの弟子となった見習い医師たちに姉弟子として指導もしている。


 多くの経験を重ね、今やベテランと言っていい彼女は、自分よりも年上の看護師や修道女、手伝いの兵士たちに指示を出しながら負傷者の治療を行っていた。


 未知の戦場に赴くということで両親からはひどく心配されたが、アールクヴィスト領の人々が、そして自分に医師としての道を開いてくれた領主ノエイン・アールクヴィスト子爵が戦いに臨むのに、自分だけ領地に籠っている気にはなれなかった。


「リリス先生、あなたは休まなくて大丈夫? 昨日から寝ていないんでしょう?」


 負傷者の身の回りの世話や医師の手助けを行っている年配の修道女が、顔に疲労の色を浮かべたリリスに尋ねる。


「きっとこれからまだまだ忙しいわ。今はなるべく疲れを溜めないようにしなきゃ。あなたほどのお医者さんが倒れたりしたら大変よ」


「……分かりました。それじゃあ、この人の腕の切断までは私が務めます。その処置が終わったら少し休ませてもらいますね」


 リリスは疲れた笑顔で修道女に答えた。


・・・・・


「では皆さん、膝をつき、胸の前に両の手を組んで目を閉じてください。これから本日の神への祈りを始めます」


 西部軍の陣の前衛。クロスボウ兵たちの隊列の只中で司祭のハセルが呼びかけると、一部の信心深い兵士たちが彼の言葉に倣って膝をつき、目を閉じる。


 それ以外の兵士たちもこの数日で多くの死を目の当たりにしたからか、気持ち神妙そうに目を閉じたり軽く手を組んだりする。


「……大空の父、そして大地の母たる唯一絶対の神よ。我らはあなたの庇護と慈愛の下、巡る世界の中にて生を賜りし子なり。あなたは我らを導く光。正しき道はあなたの照らす先にのみあらん。その御手の中に――」


 祈りの言葉を唱えるハセルを兵士たちが囲み、口の中で小さく祈りを復唱する者もいる。


 陣の他の場所でも司祭が兵士たちに囲まれながら祈りを唱える光景がいくつもくり広げられ、兵士たちは交代で祈りの時間を取りつつ、それ以外の部隊は待機や警戒を続けていた。


 ロードベルク王国民の多くは、程度の差はあれどミレオン聖教における「唯一絶対の神」への信仰心を持っている。その神の加護が自分たちにあるのだと司祭が兵士たちに説いて回り、毎日の祈りの言葉を唱えることは、士気を保つうえで一定の効果がある。


 また、今回の戦いにおいては「神が伝道会に賜った『天使の蜜』を用いて侵略者に立ち向かうこの戦いは、勝利を約束された聖戦である」と司祭が語ることも有効であると大将のノエインから見込まれていた。それもあって、従軍司祭の役割もより一層重要になる。


「――以上で、本日の祈りを終わります。皆様に神のご加護がありますよう」


 ハセルが言うと周囲の兵士たちは祈りの姿勢を解き、また待機に入る。その中を通って、ハセルはまた次の隊の兵士たちに祈りを捧げにいく。


 この祈りの時間を終えても、ハセルの仕事はまだまだ続く。後方の負傷者たちにも祈りを捧げ、助かる見込みのない重傷者がいれば寄り添い、その者の魂が神の御許へとたどり着けるよう聖句を唱えなければならない。


 他の貴族領からも司祭たちが従軍しているが、その人数は合計で三〇人に満たず、人手不足の中で誰もがひっきりなしに祈りを唱えている。この戦場はハセルたちにとっても過酷な場所だった。


 おまけにベトゥミア共和国から見ればミレオン聖教は異教なので、西部軍が敗北すれば聖職者の命もない。


 それでもハセルは、ミレオン聖教を領地に受け入れて土地や教会まで用意してくれたノエイン・アールクヴィスト子爵の勝利を信じ、自らの信仰に従ってこの戦場に留まり続けている。


・・・・・


「ほらそこ、座って喋ってる暇はねえで! 午後に馬たちにやる飼い葉の準備がまだ済んでねえから、そっちを手伝ってこい!」


「す、すいません!」


「すぐにやります!」


 西部軍陣地の後方に置かれた仮設の厩で、アールクヴィスト子爵家の従士であるヘンリクは地べたに座り込んでいた部下たちを叱り飛ばした。


 ヘンリク自身もそれなりに疲れは溜まっているが、従士という責任ある立場にいる手前、それを微塵も感じさせず機敏に動いている。


 今回の戦いで、西部軍には数百頭の馬が投入されている。アールクヴィスト領からは軍馬と荷馬を併せて二〇頭ほどが連れて来られている。


 馬も生き物であるので、餌や飲み水を与えて世話をしてやらなければならない。各個体の体調の管理もしなければならないし、騎乗戦闘で怪我を負った個体がいれば、場合によっては魔法薬を使ってでも治療しなけらばならない(コストだけを考えれば、軍馬一頭の命は農民兵一人の命よりも重い)。


 しかし、二〇頭の馬に対して、アールクヴィスト領から従軍している世話係はヘンリクを筆頭に数人のみ。必要最低限の人員しかいないので、必然的に一人あたりの仕事量は増える。


「ヘンリクさん、馬たちの飲み水が不足し始めてるみてえだ……馬のための補給が全体的に遅れてるみたいで、水は明後日の夜までは持たなさそうだ」


 馬たちの様子を見て回っていたところに他領の厩番の男から声をかけられて、ヘンリクは苦笑いを浮かべた。


 西部軍の大将に仕える従士ということもあって、ヘンリクはいつの間にか西部軍軍属の厩番の代表のような立場にされ、他領の厩番から相談事を投げられることが増えてきている。


「そうか、そいつはまずいでな……うちの従士長に伝えて、水の補給作業に兵隊を回してもらうようにしとくよ」


「すまねえな、頼んだぜ」


 気にするなと手を振って、ヘンリクは従士長ユーリのいる本陣の天幕へと歩く。補給に関することはさすがに自分だけではどうしようもない。大将ノエインの側近として実務を回しているユーリに伝えれば、こうした現場の問題もすぐに解決してもらえるはずだ。


 仮設の厩が並び、他領の厩番たちがそれぞれの馬を世話している中を通り抜けて本陣へとたどり着いたヘンリクは――簡易の柵で囲われた本陣の入り口を見張る二人の兵士に槍を掲げられて進路を阻まれ、誰何されてしまった。


「止まれ、ここは大将ノエイン・アールクヴィスト閣下のおわす本陣だ。そこらの厩番が勝手に出入りすることは許されん」


「おらはそのアールクヴィスト閣下の従士なんですが、入れてもらえないですか? アールクヴィスト家の従士長ユーリ様に御用があるんですだ」


 ヘンリクが尋ねると、若い兵士二人は顔を見合わせて少し困ったような表情になり、先ほど誰何した方の兵士がまた口を開く。


「……その身分を証明できるものはお持ちか?」


「いえ、厩から真っすぐ来たので何も」


 アールクヴィスト家の従士たちは、その身分の証として主家の家紋が記された銅板を与えられている。が、ヘンリクはそれを仕事中に紛失したり破損したりするのを防ぐために、他の貴重品と一緒に荷物入れの二重底の下に隠していた。


「では、通すことはできない」


 頑なな表情で言い切る兵士を前に、仕方ないことか、とヘンリクは思った。今の自分は土と泥に汚れた服を着て、体には獣臭が染みついている。どう見てもただの若い厩番でしかない。


 銅板を取りに戻ってもいいが、中に知り合いでもいれば手っ取り早い……と思って本陣の中を覗くと、ちょうど従士副長で親衛隊長のペンスが数人の部下と一緒に立っているのが見えた。


「ペンスさーん」


 それほど大きな声を出したわけではないが、ペンスはヘンリクに気づいてくれた。特に忙しかったわけではないようで、そのまま本陣の入り口の方に歩いてくる。


「おい、そいつはアールクヴィスト閣下の従士だから問題ない。入れてやってくれ」


「……失礼しました。どうぞ」


 本陣の警備の責任者であるペンスに言われて、若い兵士は口調をあらためながらヘンリクに詫び、警戒を解いた。


 無事に本陣に入ることができたヘンリクは、人好きのする笑顔でペンスに声をかける。


「ペンスさん、助かりましただ。お仕事中に急に呼びかけて申し訳ないですだ」


「いいさ。戦況が落ち着いてるときの本陣警備ってのは、正直言って暇が多いからな……ところでどうした? お前がわざわざこんなところまで来るなんて」


「実は、従士長にお会いしたいんですだ。馬たちの飲み水の補給が滞ってるみたいで、西部軍全体の馬の水が不足しそうなんですだ。今のうちに対応してもらわねえと」


 人間が水分補給をするための井戸水やビール(煮沸していない生水をそのまま飲む行為は体調を崩す危険もあり、ごく薄いビールが水代わりにされることは多い)は周辺の都市や村から輸送されてくるが、馬用の飲み水は後方に数時間ほど行った川から汲まれてくることになっている。


 明後日にも水が尽きるなら、できれば今日中に補給隊の用意をしてもらいたいとヘンリクは考えていた。


「そうか、分かった。従士長はノエイン様と一緒に司令部の天幕にいるはずだ。俺が呼んできてやる」


「助かりますだ……おらもさすがに司令部にまで入っていくのは怖いですから」


「ははは、そうだろうな」


 ヘンリクが苦笑いを浮かべると、ペンスも微苦笑しながら本陣で最も大きな天幕の方へと歩いて行った。

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