第257話 緒戦②

「クロスボウ兵は丸太盾の陰に隠れろ! バリスタ隊はバリスタを盾にしろ!」


 前衛のバリスタ陣地や、その周辺に並ぶクロスボウ兵たちが浮き足立つ中で、アールクヴィスト領軍のバリスタ隊とクロスボウ隊を指揮するダントが自身は盾を構えながら声を張る。


 ダントが率いるのは総勢二五〇人のアールクヴィスト領軍のうち、二〇台のバリスタを運用する正規軍の四〇人と、その周囲に布陣する予備役からのクロスボウ兵一〇〇人。兵士たちは指示を受けて機敏に動き、ほとんどの者が敵の矢から身を隠すことに成功する。


 しかし、農民からの徴募兵であるためろくな訓練も受けていない他領のクロスボウ兵たちは、敵が予想以上の遠距離から矢を放ってきたことで狼狽え、部隊長の指示に従うのが遅れた。丸太盾に隠れるのが間に合わず、少なくない数の兵士が倒れる。


「盾だ! 盾を構えよ!」


「狼狽えるな! 落ち着いて盾で身を守るのだ!」


 中衛の左右でそれぞれ指揮をとるトビアス・オッゴレン男爵とノア・ヴィキャンデル男爵が命令し、歩兵たちは盾を構える。


 が、こちらが坂の上で敵の矢の威力が落ちているにも関わらず、一部の兵の盾が矢に貫かれた。


「ぐわっ!」


「ぎゃああっ!」


 各貴族領からの寄せ集めである西部軍は、所属する領地の経済力や技術力によって装備の質にかなりの違いがある。また、正規の領軍兵士と領民からの徴募兵でも装備の差は大きい。


 ただの木の板に毛が生えた程度の粗末な盾しか持たない一部の兵士の中には、降り注いだ矢に盾を割られて体を貫かれる者までいた。


「くそっ! なんて威力だ!」


「敵の弓はどうなってやがる!」


 いくら装備が貧相とはいえ、長距離から、それも坂の下側から放たれた矢に盾が割られる光景に兵士たちが驚愕する。


 その光景を後方の本陣から眺めながら、ノエインたちも衝撃を受けていた。


「……確か南部からの報告で、敵の弓はこちらのものより質がいいっていう情報がありましたけど。これは質がいいなんて生易しいものじゃないですね」


「馬車に細工をして行軍距離を伸ばせるんだ。弓に細工をして有効射程を伸ばしていたとしても不思議ではないな……」


 険しい顔で呟くノエインにフレデリックも頷く。


「ユーリ、この距離でクロスボウとバリスタは敵の弓兵に届く?」


「クロスボウは届いたとしても威力が減衰されすぎて成果が上がらないでしょう。ですが、バリスタであれば十分に届くはずです」


「よし。それじゃあバリスタ隊、全弾発射させよう。敵の接近まで待っていられない」


「はっ……バリスタ隊! いつでも撃て!」


 戦場の喧騒の中にユーリの声が響き、それが何人かの伝達役の士官を介して前衛全体に広がる。その一人であるダントも、自身の周囲にいるアールクヴィスト領軍のバリスタ隊に呼びかける。


「怯むな! バリスタ全機発射用意! ……撃てえっ!」


 ダントの声に合わせて、アールクヴィスト領軍のバリスタ二〇台が一斉に矢を放つ。さらに他の貴族領のバリスタも、それぞれの士官の指示によって次々に矢を撃ち出す。


 今回バリスタ用の新兵器として導入されているのが、クロスボウの『散弾矢』を応用した、その名も『大型散弾矢』だ。クロスボウのものよりもさらに長い極細の矢が、一発につき八〇本も束ねられたものが宙に撃ち出される。その先端は『天使の蜜』の原液にしっかりと浸され、琥珀色の毒を纏っている。


 絶妙な強度の紐で束ねられた大型散弾矢は、空中でその紐が切れて散らばり、重力の助けを受けてベトゥミア共和国軍の弓隊に向けて落下していく。四〇台のバリスタから、計三二〇〇本の極細の矢が降り注ぐ。


 一本一本は太めの針程度しかない散弾矢は、当たったところで致命傷になる可能性は低い。ベトゥミアの弓兵たちの頭に落ちたものは兜に弾かれ、胴体に飛んだものは胸当てに弾かれ、鎧に覆われていない手足や、兜に守られていない顔や首だけに刺さる。


「痛っ!」


「なんだこりゃあ!」


「ちっ、嫌がらせか!?」


 矢を浴びたベトゥミアの弓兵たちは驚きこそしたものの、大した傷になっていないと気づいて口々に毒づいた。


「こんな小細工でビビるな! 休まず矢を放て!」


 弓隊の百人隊長の一人が、周囲の兵士たちを鼓舞しながら自らも次の矢を弓に番える。右腕と左足に敵の細い矢を受けながらも、それを意に介さず矢を放ち、次の矢を取って弓に番えようとする。


「お?」


 と、百人隊長は間の抜けた声を上げた。手の力が緩んだ気がして、その直後に矢を取り落としたのだ。


 手練れの弓兵である自分らしくもない。そう思いながら百人隊長は次の矢を取ろうとして――


「な、何だ?」


 先ほど矢を受けた左足を崩し、地に膝をついた。右腕もうまく動かず、背中の矢筒に手を回すことができない。


「た、隊長! 体が変です!」


「腕が、腕が動かねえ……」


「俺は足だ、両足ともおかしい。立てねえ!」


「おい! お前ら大丈夫か!?」


「く、くひが、くひあうおかない……あごあしいれへ……」


「くそっ! 皆どうしちまったんだ!」


 周囲を見回すと、部下たちも次々に体に不調を起こしていた。弓を取り落とす者、倒れ込む者、開きっぱなしの口から涎を垂れ流してろれつが回らなくなる者。症状は様々だ。


 そんな中で未だ無事な者を見ると、どうやら体のどこにも先ほどの矢を食らっていないらしかった。


「くそ、これは……何かの毒だ」


 そう呟いたのを最後に、百人隊長は全身に痺れを感じて倒れ伏した。


・・・・・


「どうなっている! なぜ敵の一斉射を一度受けただけでこちらの弓兵の勢いがここまで弱まるのだ!」


 アイリーンは苛立ちを隠さずに怒鳴った。傍らの初老の副官は、前方の弓隊を見据えてしばし思案すると、口を開く。


「敵の矢を受けて少し間を置いてから、一部の弓兵が急に倒れ始めました。ただ負傷したわけではなく、矢に何かが塗られていてそれにやられたようです」


 そのとき、敵陣からまた先ほどと同じ矢が放たれる。数十本の太い矢が空中で散らばり、細い矢となって弓隊に降り注いだ。さらに多くの弓兵が倒れ、反撃するこちらの弓隊の矢の密度がまた薄くなる。


「……撤退だ」


「よろしいのですか?」


「ああ。得体の知れん攻撃を前に安易に撃ち合いを続けるのは愚策だろう。一度退いて、次は攻め方を変える……毒か。私は好かんが、この状況では確かに有効な手だ。敵の将はそれなりに知恵が回るようだな」


 アイリーンは先ほどまでの苛立ちが嘘のような、落ち着き払った声でそう命じた。


・・・・・


「……ここで兵を下げるか。敵ながら見事な退き際だな」


 ベトゥミア共和国軍の撤退を見ながら、フレデリックが敵将の思い切りの良さをそう評した。


「ですね。こっちが二射目を撃った直後には『天使の蜜』の異常な効果に気づいたみたいですけど、そこで無理に攻めようとしないのはいい判断でした……ただ、負傷者を戦場に放置してるのはいただけませんねぇ」


 最後の方は少しおどけたようなノエインの言葉に、フレデリックが小さく笑う。


 さらなる被害拡大を恐れたのか、ベトゥミア共和国軍の弓隊は麻痺して倒れた者を放置して撤退していた。戦場には一〇〇〇人近い兵士が転がっている。


「初見だと、かすっただけで死ぬような猛毒だと誤解してもおかしくないからな。被害が広がる前に退いたのだろうが、こちらの戦略を考えるといただけないな」


「倒れてる弓兵たちもみんな生きてるんだから、ちゃんと連れ帰ってもらわないと困りますよねぇ……ユーリ」


「はっ」


 傍らを振り返りながらノエインが声をかけると、ユーリはすぐに応える。


「麻痺したまま取り残されたベトゥミア兵を何人か連れて、敵方に出向こう。戦場に寝転がってる人たちが命に別状はないことを伝えて、お引き取り願わないとね」


「……かしこまりました」


「待て、ノエイン殿が自ら行くつもりか? それはさすがに危険すぎる」


 ユーリがノエインの指示に頷く一方で、フレデリックは難色を示す。


「大丈夫です。敵の指揮官は頭がいいみたいなので、もし僕を害したら、こちらの陣の前に転がっている一〇〇〇人近い兵士たちの命もないと理解できるでしょう。大将の僕が自ら敵の負傷兵を運んでやることで、あちらが負傷兵を回収する間はこちらも手を出さないと信用させます……僕には護衛を務めてくれる優秀で忠実な部下たちもいますから」


 一切のためらいも恐れも見せずにノエインが言い切ると、フレデリックはしばし考えた上で頷いた。


「……分かった。だが絶対に死ぬなよ。こんなかたちで君を死なせたらクラーラはきっと二度と私と口を聞いてくれないからな」


「ええ、義兄上を困らせるようなことはしません」


 最後は冗談めかして言ったフレデリックに、ノエインも笑って答えた。

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