第248話 南部貴族たちの意地③
ヴァーガ・デラウェルド男爵は、王国南西部に領地を持つ中堅どころの領主貴族だ。
王国建国当初から貴族であった伝統ある男爵家の当主で、その出自や受けてきた教育もあり、性格は非常に尊大。民を支配することは当然の権利であると考え、南部貴族らしく獣人への強い差別感情を持つ。
かつて南西部国境の大戦時に食糧集積所の監視を務めていた際は、当時まだ士爵だったアールクヴィスト家当主の小僧が獣人たちに甘い態度をとっているのが気に食わず、絡んだりもした。そのときは逆にこけにされた上に、後にアールクヴィストは子爵にまで出世してしまったが。
そんなデラウェルド男爵であるので、ベトゥミア共和国軍が王国南部を我が物顔で蹂躙し始めたことは非常に気に食わなかった。「王国貴族の土地を異国の侵略者どもが土足で踏み荒らしやがって」と、はらわたが煮えくり返るような怒りを覚えた。
男爵は自身の領軍や寄り子の下級貴族、さらには周辺の貴族と合流して、ベトゥミア共和国軍の部隊に堂々の野戦を挑んだ。騎兵を中心に集めたため勝機もあるかに見えたが、敵の進軍速度が異常に早かったために他の部隊と合流されてしまい、多勢に無勢で包囲されてしまった。
その際にデラウェルド男爵は手勢の騎兵とともに一か八かの突撃を仕掛けて敵の包囲網を突破し、なんとか生き永らえたのだ。その数はわずか三〇騎程度。
それ以来、男爵は南西部の森や山野に潜伏してゲリラ戦を展開してきたが、それももはや限界。度重なる戦闘や物資不足による飢え、冬の寒さのせいで兵や馬は次々に死に、今や自分も含めて一二騎しか残っていない有り様だった。
「……そろそろいいだろう。やるぞ」
「はっ」
デラウェルド男爵が命じると、部下の兵士があらかじめ捕らえておいたベトゥミア共和国軍の捕虜を引っ張り、跪かせる。
ここは王国南西部の中央あたり、ベトゥミアの上陸地点のひとつであるアハッツ伯爵領とガルドウィン侯爵領を結ぶ街道から少し逸れた位置の森の中だ。この森はベゼル大森林ほどではないがそれなりの広大さを持ち、魔物も多い。
そして、森の中から視認できる距離の街道を、今は総勢一〇〇〇人を超えるベトゥミア共和国軍の輜重隊が進んでいた。おそらくはガルドウィン侯爵領を占領している部隊への物資を届けに行っているのだろう。
それを横目に見ながら、デラウェルド男爵は目の前で跪かされたベトゥミア兵を見下ろす。部下がその兵士の前に小ぶりな樽を置く。
「~~! ~~っ!」
後ろ手に縄で縛られて猿轡をされた兵士は、声にならない声を発しながら必死に頭を下げて命乞いらしき行動をとる。
デラウェルド男爵はそんなベトゥミア兵の行動をまったく意に介さず――その髪を掴んで頭を上げさせると、手にしていた短剣で喉を切り裂いた。
「っ! っ……」
ベトゥミア兵は一瞬驚いた様子で目を見開き、その目からすぐに光が失われる。動脈を切られたベトゥミア兵の首からは、大量の血があふれ出てその前の樽の中に溜まっていく。
十分な量の血が溜まると、デラウェルド男爵はベトゥミア兵の死体をゴミのように蹴り倒して転がし、樽を持ち上げる。そして、樽の中の血を自らの体にかけた。
まだ生温かい血液が鎧の隙間から流れ込んでくる不快感を微塵も表情に出さず、男爵は部下に樽を渡す。部下たちも順に自分の体に血をかけながら樽を回し合う。
一二人全員が体に血を浴び終えると、デラウェルド男爵は一人の部下に指示を出した。
「よし、やってくれ」
「はっ。それでは」
命じられた兵士は魔法使いと呼べるほどではないが、風魔法が使える。本気を出せば一度だけそれなりの突風を巻き起こせる程度の魔力量だ。
その兵士が、血を浴びて並ぶデラウェルド男爵たちの方に手をかざす。その手元から空気が塊となって生み出され、男爵たちの後方――森の奥の方に風を運んだ。血の臭いとともに。
「……あとは待つだけだな」
デラウェルド男爵はそう呟き、森の奥を見つめる。他の兵士たちもそれに倣う。何人かは木の上に上って見張りに着く。
それから五分ほど待ち、樹上の兵士が声を発した。
「左手前方から何かが接近。あれは……コボルトです。数は五匹程度」
「ちっ。物足りんな。殺して済ませろ」
男爵が命じると、彼の左手側にいた兵士たちが剣を抜いてコボルトを迎え撃ち、瞬く間に殲滅する。
「今度は右手前方から……あれは猪ですね」
「魔物ですらないのか。話にならん。殺せ」
「はっ」
男爵の右手側にいた兵士たちが矢を放ち、猪が接近してくる前に弱らせ、さらに槍でとどめを刺す。
そして、また樹上の見張りが言った。
「正面から接近。あれは……ホフゴブリンの群れです! それも二〇匹以上!」
「おお! 申し分ないな! 全員騎乗しろ!」
上機嫌になった男爵は自身も馬に乗りながら命令し、樹上にいた見張りも含め他の兵士も全員が騎乗する。
「今度は右手前方からグレートボアも来ます!」
「左手前方からはコボルトの群れです! 三〇匹規模です!」
「はっはっは! 最後に運が向いてきた!」
デラウェルド男爵たちの狙いは、自分たちを釣り餌にして魔物を森から誘い出し、それを引き連れて敵部隊に突撃を敢行して玉砕することだ。どうせ釣るならできるだけ強い魔物を、できるだけ多く引き連れて敵にぶつけたい。そんな男爵の願いは叶った。
「引きつけろ……まだだぞ……まだだ……よし今だ! 突撃ぃ!」
デラウェルド男爵の指示で全員が馬を走らせる。森を抜け、敵部隊が進軍する街道へと突き進む。
その後ろには、血の臭いにつられた数十匹もの魔物が続く。魔物たちを引き離さず、しかし追いつかせもしない絶妙な距離を保ちながら男爵たちは駆ける。
「進めぇ! 我らの最期を飾る突撃だぁ!」
高らかに叫びながらデラウェルド男爵は剣を抜き、掲げる。部下たちもそれに倣う。
男爵たちの、そして魔物の群れの接近に気づいた敵部隊があわてて迎撃準備を始めた。
大規模な魔物の群れを引き寄せるのに少しばかり時間を要したのが結果的に功を奏し、敵部隊の最後尾に斜め後ろから食らいつくような位置取りでの突撃となった。不意を突かれた敵は動きがもたつき、隊列を組むのもままならない。散発的に矢が放たれるが、どれも見当はずれの方向に飛んでいった。
あと十秒とかからず、デラウェルド男爵たちは敵のもとにたどり着く。
「貴様らと戦えたことを誇りに思うぞ! 先に逝った奴らと共に、神の御許で酒を酌み交わそう!」
「「おおうっ!」」
男爵の言葉に、続く部下たちも力強く応えた。
ベトゥミア共和国軍はもう目前だ。敵兵の顔が怯えと混乱に包まれているのを確認しながら、デラウェルド男爵はそのど真ん中に馬で突っ込んだ。
「ぎゃあああっ!」
「たっ、助け」
「敵だっ! 魔物までっ!」
まず騎兵突撃で弾き飛ばされ、踏み潰され、それに続く魔物の群れに食らいつかれ、ベトゥミア共和国軍の隊列後方にいた兵士たちは叫びながら死んでいく。
その只中で、デラウェルド男爵は血塗れの鎧の上からさらに敵の血を浴び、顔や頭にも返り血を被り、悪鬼のような表情を浮かべながら剣を振るう。騎乗していた馬は既に死に、男爵は自らの足で歩き回って獲物を探す。
「俺はデラウェルド男爵! ヴァーガ・デラウェルド男爵だ! 俺の名前を憶えろ! 俺を憶えろ! デラウェルド男爵だあぁ!!」
どう頑張っても敵を全滅させるまでには至らない。それが分かっているからこそ、少しでも自分の散り様を敵の記憶に刻みつけようと叫びながら、デラウェルド男爵は暴れ狂う。
逃げようとする敵の首元を掴んで引きずり倒し、兜の隙間から剣を突き立てる。
果敢にも立ち向かって来た敵の槍の刺突を剣で弾き、そのまま間合いの内側に踏み込んで頭突きを見舞う。脳が揺れてふらつく敵の腹を切り裂くと、臓物をまき散らしながら敵が倒れる。
「ぐぅっ!」
そのとき、横腹がかっと熱くなるのを感じる。見下ろすとそこには槍が突き立っていた。そのまま横を向くと、たった今自分に槍を指した敵兵と目が合い――デラウェルド男爵はニヤリと笑った。
「ひっ!」
「やるではないか! さあこっちへ来い!」
血塗れの顔で笑みを浮かべたデラウェルド男爵に敵兵が怯えを見せる中、男爵はその敵の肩を掴み、槍がさらに深く刺さるのも構わず引き寄せる。と同時に、敵の腹に剣を深々と突き刺した。敵は怯えた顔のまま死んだ。
「俺はまだ生きているぞ! ヴァーガ・デラウェルド男爵だ! 俺を殺すのは誰だ!?」
腹に槍が刺さったままデラウェルド男爵が振り返ると――その体をさらに多くの槍が貫いた。複数人の敵兵によって、右からも左からも正面からもデラウェルド男爵の胴体に槍が突き立つ。
「ここまでか! まあ十分だ! 貴様と貴様、一緒に死ぬか!」
デラウェルド男爵は笑いながら、自分を囲んで貫いた敵兵のうち適当な二人の首元を掴む。
「な、何だこいつ!」
「ぐふっ、離せ! 離せよ!」
掴まれたベトゥミア兵たちは抵抗しようとするが、男爵は爪が肉に食い込むほど手に力を込めているため、逃れることができない。
「おい! 魔物が来るぞ!」
「後退! 後退しろ!」
周囲ではまだ生きているデラウェルド男爵の部下や魔物たちが暴れており、男爵を囲む兵士たちも危険な状況と見て下がろうとする。
「おい待て! 待ってくれ!」
「こいつが離れねえんだ! どうにかしてくれ!」
しかし、デラウェルド男爵に首元を掴まれた二人の兵士は当然ながら逃げられない。仲間たちが後退していく中で男爵とともに取り残され、そこにホフゴブリンの群れが迫ってきた。
「離せよ! 死にたくねえよ!」
「あんたの勝ちだよ! もういいから逃がしてくれ!」
「ならん! 貴様らも道連れだ! 侵略の報いを受けろ!」
半泣きになってデラウェルド男爵の手から逃れようとする二人の兵士を、しかし男爵は逃がさない。
接近したホフゴブリンの群れは、凄まじい表情で笑うデラウェルド男爵とその手に捕まれた二人の兵士を囲み、嬲り殺しにした。
結果的に、この戦闘でベトゥミア共和国軍の輜重隊からは200人近い死傷者が出た。
執拗に自身の名前を叫びながら鬼神のごとく暴れたヴァーガ・デラウェルド男爵の名前は、この戦闘を生き残ったベトゥミア共和国軍の兵士たちの脳裏にトラウマとともに刻み込まれることとなった。
★★★★★★★
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