第249話 王都防衛
王都リヒトハーゲンは、直径およそ五キロに及ぶ巨大な都市だ。
北東から南東にかけてはレナウ川と呼ばれる大きな川が天然の堀となって城壁を守り、そこから西周りに作られた人工的な支流も、王都の周囲を囲む堀となって外敵の襲撃を困難にしている。
出入り口は南に作られた大きな門と、西に作られた比較的小さな門、そして東の水門のみ。そのうち東の水門は今は塞がれ、西の門に通じる橋は落とされ、敵が王都を落とすなら防御の堅い南の正門を突破するか、堀と城壁を越えて侵入するしかない状況だった。
こうして都市が丸ごと城塞と化すことで、リヒトハーゲンは十二月の下旬になっても十分にベトゥミア共和国軍の攻勢を退けていた。本来はランセル王国やパラス皇国の侵攻に備えて立てられた防御計画は、ベトゥミア相手にもそれなりに有効に機能している。
そして、王都を包囲する五万のベトゥミア共和国軍はこの日、南西側からの侵入を試みてきた。
「堀を越えるつもりか……この真冬によくやるのう」
「まったくですな。ベトゥミア人は寒がりだと聞いていますが」
王都を囲む城壁は、三階建ての建造物に匹敵する高さがあり、一定の間隔で塔も建てられている。その塔の一つから王都の南西を見下ろし、王弟アレキサンダーは呟いた。それに彼の副官が応える。
アドレオン大陸から海を越えた南にあるベトゥミア共和国の冬はあまり寒くならないらしく、ロードベルク王国人からすれば平均的なこの冬も、ベトゥミアの兵士たちにとっては過酷に感じられるようだった。その証拠に、十二月に入ってから敵の士気は目に見えて下がっている。
それなのに、凍ってこそいないものの刺すように冷たい水が張った堀を越えようとは。一体何のつもりか。
「……あれは歩兵部隊ではないな。魔法使いか?」
「それにしては数が多いように思えますが……」
隊列を組んで前進してきた敵部隊の中から、何十人もの大盾兵に守られた集団が堀のすぐ前まで進み出てくる。
城壁上の王国軍兵士たちが矢を放つが、全て大盾に防がれる。一部は風魔法によって弾き飛ばされる。そうして稼がれた時間で魔力を練って精神集中を済ませたのか――魔法使いの集団から一気に魔法が放たれた。
「なっ!?」
「……ほう。やるな」
驚愕する副官の横で、アレキサンダーは動揺することはなく、半ば感心した様子で呟いた。
敵の魔法使いは水魔法によって大量の氷柱を作り出し、堀の底に突き立てた。その数が尋常ではない。家屋の柱ほどもある氷柱が百以上だ。
それだけではない。さらにその上に、巨大な氷の板が置かれる。王都西側の人工的な堀の幅は広いところでも十メートル程度。それを渡る橋としては十分な幅と長さだ。
さらにその上に、土魔法によって作り出された土がばら撒かれる。氷の橋を完全に覆ったそれは、火魔法や油などで氷が溶かされるのを防ぎ、さらに兵士が橋の上で滑らないようにするためのものだろう。
ここまでおよそ十秒足らず。凄腕の水魔法使いと土魔法使い、さらに防御役の風魔法使いを危険な最前線に惜しみなく大量投入する大胆な作戦だ。
「敵が攻めてくるぞ! 戦闘用意!」
「「はっ!!」」
アレキサンダーの声が戦場に響く。それに兵士たちが鋭く応える。
ベトゥミア共和国軍の方も、今度こそ歩兵部隊が密集して突入してくる。その隊列の中から長い梯子が持ち上げられて城壁にかかり、ベトゥミアの兵士たちが登る。王国軍兵士たちはそこに矢を射かけ、真上から石や泥、さらには煮えたぎった油などを落として防衛戦をくり広げる。
と、今まではベトゥミア兵たちが数の力に任せて乗り越えようとしていた城壁の、地面と接するあたりで変化が起こった。
「おい! 城壁が崩れるぞ!」
「下がれ! 危ない!」
城壁の一部、ちょうどベトゥミア共和国軍の魔法使いによってかけられた橋の前の部分が、まるで地面に沈むように崩れかけた。王国軍兵士だけでなくベトゥミア兵たちまで驚いて一旦退いたのを見るに、下っ端の兵士たちには知らせていない作戦らしい。
「くそっ! 土魔法で地面の土を崩したのか……ですが、王都の城壁は国内で最も強固です。一部の地盤が崩れた程度で完全に崩壊はしないでしょう」
そんな副官の意見を、アレキサンダーは険しい顔で否定する。
「いや、これで終わりではあるまい……崩れかけた城壁の守りは捨てろ! 敵が侵入してくる前提で防衛線を張れ! 城壁の内側で半円の陣を組み、正面と左右から敵を迎え討――」
アレキサンダーが言い終える前に、ベトゥミア共和国軍の隊列後方、やはり大盾兵に守られたあたりから、火魔法『火炎弾』がいくつも飛ぶ。どれも腕の立つ火魔法使いが、魔力を全力で込めて生み出したであろう極大の火の玉だ。
それらがほぼ同時に着弾し、崩れかけていた城壁は完全に崩壊した。
石材が崩れ、王国軍、ベトゥミア共和国軍ともに近くにいた兵士が巻き込まれる。死体を飲み込んだ石材の山を乗り越え、ベトゥミア兵たちがついに城壁を越えて侵入する。
それを、アレキサンダーの命令を受けて陣を組んでいた王国軍兵士たちが迎え撃つ。少数ずつしか侵入できないベトゥミア共和国軍を、王国軍が正面と側面から同時に攻撃して抑える。
しかし、ベトゥミア共和国軍には数の利がある。急ごしらえの防衛線では突破されるのも時間の問題だった。
「陣を強固にしろ! 後方の予備部隊も回せ!」
「侵入してくる敵ではなく、敵の本隊を叩かなければジリ貧だ……」
副官が指示を飛ばす横で、アレキサンダーは苦々しい表情で言った。
「私が行きます!」
「っ! 待て、クライセン名誉士爵!」
若い王宮魔導士が城壁上から飛ぶ。風魔法の使い手である彼は風を纏って堀を越え、敵の隊列ど真ん中に突風を叩き落としながら降り立った。その周囲にいたベトゥミア兵たちが次々に吹き飛ばされ、隊列の後方が混乱し始めたことで城壁を越えての攻勢も弱まる。
「クライセン名誉士爵の生んだ機を逃すな! 敵の後方を直接攻撃しろ!」
アレキサンダーに命じられた城壁上の兵士たちが矢を放ち、王宮魔導士たちから魔法も放たれる。
「敵が退いていきます!」
後方が崩れては攻勢を続けられないと考えたのか、ベトゥミア共和国軍は間もなく後退し始めた。
・・・・・
「……クライセン名誉士爵も戦死か」
「これで、王宮魔導士の戦死者は六人目ですね」
ベトゥミアが退いていった後の戦場の片づけを塔から見下ろしながら、アレキサンダーと副官は呟く。
通信網を築く対話魔法使いや輜重隊の傀儡魔法使いなども合わせると、王家は二百人以上の魔法使いを王宮魔導士として抱えている。そのうち戦闘に長けた二十人ほどが、常に王都防衛のために配置されている。誰もが戦術的に大きな力を持った凄腕だ。
そんな凄腕たちもこれまでの過酷な防衛戦で次々に命を落とし、今日また一人死んだ。
「……国王陛下が北部の援軍を引き連れて反撃に出るまで、早くてあと一か月といったところでしょうか」
「ああ。それまで何としても王都を持たせなければ」
開戦直後こそベトゥミア共和国軍の圧倒的な規模と進軍速度を前に国土の蹂躙を許したロードベルク王国側だが、砦や都市での籠城戦に移ってからは、長く持ちこたえる例もそれなりに見られた。ベトゥミアの兵数と進軍速度の利も、攻城戦ではそれほどの効力を発揮しないためだ。
だが、籠城して耐えることはできても、野戦で敵を討ち倒し、決着をつける力はない。「今はまだ落ちていない防衛拠点も多くある」だけであり、今後どうなるかは国王オスカーと北部からの援軍にかかっている。
「……それ以前に、このままでは王都内の食糧が持つか怪しいところですが」
副官がため息をつく。
平時で十五万の人口を抱える王都だ。国王オスカーの脱出後には敵の襲来をあえて民に告げ、北への避難を促したが、それでも避難先のあてがあって出て行ったのはせいぜい三万人。大して食い扶持は減らせていない。
ある程度の食糧備蓄があり、戦争が始まってからはさらにできるだけの食糧を運び込んだ王都とはいえ、いくらなんでも厳しい状況だ。
「とりあえず、まずは破壊された城壁を塞ぎます。敵が堀にかけた橋も――」
「いや、城壁と橋はそのままにしろ」
アレキサンダーの言葉に、副官は一瞬黙り込んで怪訝な顔をした。
「……よろしいのですか?」
「城壁が崩れたこの地点は明らかな弱点だ。直されなければ、敵はまたここを狙って攻撃してくる……すなわち、敵の攻勢の地点を絞れる。崩壊地点の内側に、今度はより強固な防御陣地を設置して敵を迎え撃つのだ。それと併せて、もうひとつ策がある」
そう言って、アレキサンダーは目に冷淡さを含ませた。
「王都の住民から志願兵を五千人集めろ。次に敵がこの崩落部へと攻勢をかけてきた際に、城門を開けてその五千を敵の本陣に突撃させ、王都包囲部隊の大将の首を狙わせる。退却は許さない。しかし、突撃を成功させて見事敵将の首を取り、生還したものには全員に相応の金と士爵の地位を与える」
「なっ!? ……軍団長。そんなかたちで兵の募集をしても、集まるのは困窮した貧民ばかりでしょう。民が五千集まろうとまともな戦果を挙げられるとは思えません。それに勝手な叙爵の約束など、いくら軍団長が王弟であらせられるとはいえ……」
副官は目を見開いて驚愕し、反対意見を述べた。
「分かっている。これは……口減らしだ。王都に籠る人数を減らせば食糧の減りも遅くなる。その五千人は全滅して構わん。敵に多少の打撃を与え、驚かせることができれば十分だ」
口減らしのついでに敵への奇襲で時間を稼ぐ。ただの民とはいえ五千人も突っ込ませれば少しは敵の数も減らせるだろう。万が一本当に敵将の首を取って帰ってくるようなら、そのときは自分が後で兄に頭を下げて生還者たちに爵位を与えてもらえればいい。
「……確かに一定の効果が見込めるでしょう。ですが、よろしいのですか?」
副官が少し心配そうな表情でアレキサンダーに尋ねる。
今の戦況を見れば有効ではあるが、これは王家の人間が民の命を無駄に使い潰すような非道な策だ。
「王都が落ちることに比べれば、この程度は何と言うこともない。それに、陛下が――兄上が実行する策の方が、よほど残酷ではないか?」
そう言ってアレキサンダーは笑った。
オスカーと王都は今でも『遠話』通信網で繋がっている。それを経由して、これからオスカーと王国北部貴族たちが『天使の蜜』を軸にした策を取ることはアレキサンダーたちにも伝わっている。誰が考えたのかは知らないが、間違いなく歴史に残るであろう非道な戦略だ。
だが、王である兄がそうすると決めたのなら、王国軍人で王弟である自分も従うのみだ。まずはそのために王都陥落を防ぐ。手段は問わない。アレキサンダーはそう考えていた。
★★★★★★★
昨日の書籍化決定のご報告ではたくさんのお祝いの言葉をいただきました。皆様ありがとうございます。
これからも本作をどうぞよろしくお願いいたします。
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