第239話 兄弟

 行方不明になっていたジュリアン・キヴィレフトとその家族が、アールクヴィスト領の領都ノエイナにやってきた。


 それは信じがたい報せではあったが、持ち物などを見ると少なくとも高貴な身分の人間であることは間違いないらしい。


 ノエインとしては立場的にも会いもせずに追い返すわけにはいかず、ひとまず屋敷の応接室で面会してみることにする。マチルダを護衛に連れ、さらに妻クラーラにも同席してもらう。キヴィレフト家と因縁のあるユーリやペンスは念のため同席させない。


 その「来客」とやらを先に応接室に通しておいてもらい、意を決してノエインも応接室に入ると――そこにいたのは、確かに憎き異母弟であった。おそらく平民に紛れて逃げるためか服装は地味で、よほど過酷な逃避行だったのかかなり汚れている。


 隣には同じような身なりの見知らぬ女性が不安げな顔で座っており、その手には赤ん坊が抱かれている。ジュリアンの妻と、息子か娘なのだろう。二年ほど前に結婚したらしいとは聞いていたが、もう子どもまでいるようだ。


「……ジュリ「あ、ああっ! 兄上ぇ~!」


 苦い表情でノエインが声をかけようとすると、ジュリアンはいきなり半泣きで立ち上がり、ノエインに駆け寄ろうとした。


 突然の行動にノエインとクラーラは唖然とし、領主夫妻を守るためにマチルダが前に出る。


「坊ちゃま!」


「いけません、ジュリアン様」


 しかし、ジュリアンはノエインたちのもとに届く前に、お付きの使用人と護衛らしき男に肩を掴まれて再び席につかされた。


 使用人の方をよく見ると――いつものエプロンドレスではないのですぐには分からなかったが、こちらも見知った顔だった。


「うわ、ロッテンマイエル……」


「……お久しゅうございます。ノエイ……失礼、アールクヴィスト閣下」


 それは、かつて生家でノエインに対して散々に嫌な目を向けてきたメイド長のロッテンマイエルだった。彼女からひどく虐められたマチルダも、そのことに気づいて表情が少し苦いものになる。


 もういい歳のはずだが、まだ現役で働いていたのかとノエインは内心で驚く。


 その隣の男は、おそらくキヴィレフト家に仕える軍人なのだろうが、ノエインは知らない。見た目こそ汚れた傭兵のようだが、洗練された動きを見るにおそらくは騎士なのだろう。


 ジュリアンを座らせた二人が後ろに下がる。ノエインは一度ため息をつき、マチルダに「大丈夫」と言って手で制すると、ジュリアンたちの向かい側にクラーラと座った。


「何から聞いたものか……」


 頭をかきながら再びノエインはため息をつく。


「……キヴィレフト伯爵領がベトゥミア共和国軍の最初の上陸地点になったことは僕も聞いている。伯爵家の一族は行方不明と聞いた。君たちは脱出できたみたいだけど……なぜここに来た? なぜ君たちだけなんだ? マクシミリアン・キヴィレフト伯爵とディートリンデ伯爵夫人は?」


「ああっ、あのっ、それはっ、ラーデンがめちゃくちゃになって、父上も母上もっ、それで僕は逃げて、それで」


 ジュリアンは落ち着きのない様子で支離滅裂な言葉を発する。ノエインはその隣、ジュリアンの妻の方に目を向けてみるが、


「ひっ、ごめ、ごめんなさい……」


 彼女はそう言って涙目になり、なぜか謝りながら固まってしまった。会話にならない。ノエインはまたため息をつく。


 二人の肩に後ろから手をかけたロッテンマイエルが「坊ちゃま、ブリジット様、どうか落ち着かれてください」と声をかける一方で、護衛の男が片膝をつきながらノエインに言った。


「私はキヴィレフト伯爵家にお仕えする武家貴族、エルンスト・アレッサンドリ士爵です。よろしければジュリアン様に代わりご説明させていただきます。発言をお許しください」


「……発言を許します」


 アレッサンドリ、という家名に小さく眉を上げながらノエインは答えた。


「感謝いたします。まず、ベトゥミア共和国軍の侵攻が始まった九月二九日、マクシミリアン・キヴィレフト伯爵閣下はご嫡男ジュリアン様とその妻であらせられるブリジット様に、お孫様を連れてラーデンを脱出し、避難されるよう命じられました。私は護衛に任ぜられ、ジュリアン様方を連れてラーデンを出ました」


「……伯爵は?」


 尋ねるノエインの声が小さく震える。


「閣下はディートリンデ様と共に、キヴィレフト伯爵家の当主夫妻として、お役目を果たされるべくラーデンに残り、領軍を率いて共和国軍に立ち向かっていかれました。状況的に、ほぼ間違いなく戦死されたものと思われます」


「……死んだ?」


 それを聞いたノエインは呆然とした表情になる。そのまま数秒黙り込む。


 その左手にクラーラからそっと手が添えられる。それを受けてノエインは少し気を持ち直す。今は個人的な感傷に浸るべき時ではない。


「……それで、ジュリアンたちは何故ここへ?」


「私はジュリアン様とお孫様の命を守ることが任務でしたので、まずはひたすらに北を目指してベトゥミア共和国軍の侵攻地域から離れた上で、王国北部から回り込むようにして王都へと向かおうと考えました」


 エルンストは淡々と説明していく。


「しかし、いよいよ王都へ進路をとろうとした段になって、王領までもがベトゥミアの侵攻を受けたと耳にしました。もはや王都も安全ではないと判断し、新たな避難先を決めるべく、ジュリアン様に保護を願えるような北部貴族家はないかお尋ねしたところ……」


「ジュリアンがアールクヴィスト家の名前を候補に出したわけですか」


「はい。というより、ジュリアン様はキヴィレフト家の人脈についてあまりご存知でなく、異母兄であらせられるアールクヴィスト閣下のもと以外に寄る辺を思いつかないご様子でした。そのため、ジュリアン様とお孫様の安全確保を第一に考え、ご迷惑かとは思いつつもこちらへ参った次第であります」


「……」


 何と答えたものかノエインは悩む。それに対してエルンストも、少し困ったような表情で言葉を続ける。


「……その、『兄上であればきっと助けてくれる』とジュリアン様が確信のある口調で仰いましたので」


「……ジュリアンがそう言ったのか。はぁ」


 何度目か分からないため息をつくノエイン。


 このエルンストも、ノエインがマクシミリアンの庶子であることは知っていたのだろう。だが、マクシミリアンの庶子と嫡男にどれほどの確執があるか、ノエインがジュリアンをどれくらい嫌っているかなどは知らなくても不思議はない。彼はあくまで、キヴィレフト家の軍事面の補佐役だ。


 ジュリアンが「異母兄だから大丈夫、保護してくれる」と言ったので、エルンストもそういうものかと信じた。彼を責めることはできまい。


「あ、兄上! あなたは僕の兄ですよね!」


 ジュリアンが言いながら、縋るような目でノエインを見る。ノエインは無表情でジュリアンの顔を見返す。


「母は違うけど、僕たちは兄弟ですよね! だから、どうか助けてください、兄う――」


「僕を兄と呼ぶな!」


「ひいぃっ!」


 ノエインはテーブルに拳を叩き落として怒鳴った。


 ジュリアンは情けない悲鳴を上げ、エルンストはいつでも身を挺してジュリアンを庇えるよう身構える。


 ノエインが怒鳴るところなど初めて見たクラーラは、目を見開いて驚きつつもノエインの手に再び自分の手を添える。「あなた……」と心配そうに声をかける。


「ぶ、ぶええっ! びえええんっ!」


 怒鳴り声に驚いたのか、ジュリアンの妻ブリジットの抱く赤ん坊が泣き出す。


 赤ん坊の声だけが響く室内で、ノエインは一度深呼吸をすると、口を開いた。


「もう大丈夫だよクラーラ、ありがとう……夫人、お子様を連れて一度ご退室を願います。驚かせて申し訳ない」


「は、はいぃ……」


 ノエインに言われたブリジットは自身も半泣きで立ち上がり、ロッテンマイエルに連れられて応接室を出ていった。


 それを確認したノエインは、再び無表情でジュリアンを見る。視線を受けただけでジュリアンがビクッと身を竦ませる。


 両親の教育の影響が大きいとはいえ、ジュリアンも常にノエインを軽んじて、馬鹿にして、侮蔑してきた。ジュリアンはこれまで一度もノエインを兄として尊重することも、敬意を払うこともなかった。


 何より、ジュリアンはただ正妻の子というだけで、「正しい」息子としてすべてを与えられて育った。「正しくない」息子として自由を奪われたノエインとは違って。


 そんな男から、今になって都合よく「兄上」などと呼ばれるのは耐えられなかった。


「……ジュリアン、君と僕が今までどんな関係だったか、どんな言葉を交わしてきたか分かってるはずだ。僕が君を好いているわけがないことは、いくら頭の悪い君でも理解できるだろう。それなのにどうして僕に助けてもらえると思った?」


「そ、それ、それは……わ、分かりません」


「はあ?」


 まさかの返答をしたジュリアンに、ノエインも思わず気の抜けた声を漏らす。


「ど、どうすればいいか、何も分からなくて、でもぼ、僕は、妻と息子を守らないといけないんです。兄う……ノエイン殿以外に思いつく知り合いもなく、ここに来てしまいました。も、申し訳……」


「……」


 あまりにも情けない、弱々しいジュリアンを見て、ノエインは怒る気にもなれなくなる。


「そうだ。に、2000万レブロあります。逃げてくる途中で少し使いましたが……まだほとんど残ってます。さ、差し上げます。だから、僕たちを……僕が駄目なら、妻と息子だけでも、助けてもらえないでしょうか。お願いします……どうかお慈悲を」


 そう言うと、ジュリアンはノエインに深々と頭を下げた。

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