第238話 裏事情

「ハミルトン閣下、王都攻略の第一波である三万の部隊が、予定通り王都リヒトハーゲンに到達したと『遠話』による報告が入りました。既に王都の全ての門を包囲し、いかなる者も逃走できないようにしております。第二波となる二万の部隊も間もなく出発予定です」


「……そうか、ご苦労」


 今やベトゥミア共和国軍の基地と化したキヴィレフト伯爵領ラーデンの、司令部と化した旧伯爵家屋敷。その中の一室、かつては領主執務室だったと思われる総司令官の執務室で、チャールズは副官から報告を受けていた。


「ここまでは予定通り、といったところでしょうか」


「そうだな。だがここからが正念場だ。現時点でも――」


「いやあ! 全くもって問題なし! 順調そのもの! 喜ばしいですねえ」


 二人の会話を遮って、室内の応接用の椅子に座った中年の男が無駄に明るい声で言う。


「……ディケンズ議員。申し訳ないが部下との軍務上の会話中は発言をお控え願いたい」


「おおっと、これは失礼! しかしですなあ、どうせ侵攻に問題はないのですから、そう硬いことを仰らずとも構わないのでは?」


 チャールズの注意を受けても、中年の男――政治参与の肩書で随行しているディケンズ議員は気にしたそぶりもなく答えた。


 この男は首相であるフィルドラック議員の側近の一人。政治参与とは名ばかりで、つまりは富国派から送り込まれたお目付け役だ。チャールズが富国派の思惑通りにちゃんと軍を動かしているかを監視し、本国へと報告するのが彼の役割である。


「……確かに今のところ、大きな問題は起きていません。ですがここは戦場です。常に緊張を保ち、不足の事態に備えなければならない。勝利を手にするその時まで油断はできないのです」


「そうは言ってもですねえ、相手は未発展の野蛮な封建制国家でしょう。おまけに今は飢饉でことさらに弱っているときた……たかが蛮族を恐れすぎではないですかね? かつては共和国軍で武勇をとどろかせたハミルトン将軍も、さすがに年を取られたということですかな? はははは!」


 呑気に笑うディケンズ議員を怒鳴りつけたい衝動を抑えながら、チャールズは無言を貫いた。


 目の前の無能な政治家は楽観的に考えているようだが、ことはそう単純ではない。


 そもそも、チャールズは上陸からわずか一か月で王都を攻めるなどという作戦には反対だった。上陸地点に腰を据えて着実に支配域を広げ、まずはロードベルク王国南部を完全に制圧。そこから王国中央部を囲んで衰弱させるかたちで、じっくりと数年かけて国を落とすのが最善だと考えていた。


 しかし、富国派がその案を却下した。「挙国一致で共和国軍に協力する」などと言いながら、フィルドラック議員たちは戦費の節約をもくろみ、チャールズに一年以内での完全勝利を命じたのだ。


 今回の侵攻には、共和国軍の最新兵器である魔導馬車――足回りを魔道具で補助することによって馬の負担を大きく軽減し、一日の行軍距離を大幅に伸ばすものを大量投入している。


 しかし、いくら最新兵器があるとはいえ、今の侵攻ペースは明らかに不安定だ。なんとか王都に届いたはいいものの、これから冬に入れば馬も兵士も動きは鈍る。第二波も併せると王都攻略部隊の総数は五万に膨れ上がるが、その維持をするだけでも補給にどれほど手間がかかるか。


「……確かに技術も戦力規模も我々ベトゥミア共和国が圧倒しておりますが、敵とて馬鹿でもなければ臆病でもありません。甘く見れば思わぬ反撃を食らいます」


 露骨な弱音を吐けば政府や議会からどんな締めつけを受けるか分からない。ただ慎重なだけだと思われる程度の言葉を選んで言い返す。


「ほおう。そういうものですかな。しかし我が軍は総勢二十万。すでにロードベルク王国がそれ以上の兵を動員することなど不可能でしょう? 二十万の大軍で一気に攻めれば、勝ちは決まっていると思うのですがねえ」


「……」


 名ばかりの参与とはいえ、なぜフィルドラックはこんな素人を寄越したのか。チャールズはため息をつきたい衝動に駆られる。


 二十万というのは侵攻軍の総数だ。その全てが攻撃部隊というわけではない。上陸地点の維持やパラス皇国、ランセル王国との国境の封鎖、支配域の占領作業、そして現時点では明らかに深入りし過ぎている王都攻略部隊への補給。それらに必要な人員を併せて二十万なのだ。


 実際に攻勢に出られるのはせいぜい半分の十万。そのさらに半分、五万をいきなり王都包囲に割いてしまっている。進軍を急ぐために編成は手練れの正規軍に偏り、そのせいで残る五万の実戦部隊は志願兵の比率が高めで練度が低い。冬明けにはそんな部隊で王国北東部、北西部と戦わなければならない。


 さらに、王都攻略を焦ったために支配域の占領は未だ不完全のままであり、領都や城に立て籠って耐えている王国貴族も少なくない。その包囲殲滅にも人手が要る。


 スケジュール的には今のところ決定的な問題はないが、今後はいつ想定外の事態が起こってもおかしくないのだ。それが理解できないディケンズ議員の好き勝手な物言いは非常に癪に障る。


「私としては、冬までにロードベルク王国全土を支配できるのではないかと思っていたのですがねえ。どうやらそれは叶わないようで。ちゃんと冬明けには勝利を掴めるのですかねえ? ベトゥミア共和国軍はいつの間にか弱くなっていたのではないですか? やる気はあるのですか?」


「……っ!」


 あまりにも無知で無礼な言い草に副官が拳を握りしめる。チャールズはディケンズ議員に気づかれない程度の小さな仕草でそれを制し、表情を殺して答えた。


「ご心配には及びません。王国全土まで侵攻を広げなかったのは、冬に備えるためです。アドレオン大陸南部の冬はベトゥミアの冬より厳しい。いかに精強な共和国軍でも無理に大きく動かせば死者が出ます。兵士が多く死ねば、共和国民からの現政府への支持も揺らぐ可能性があります。それは富国派の皆様の最も避けたいところでしょう?」


「……まあ、そうですな」


 チャールズの言葉に、ディケンズ議員はしばし考えて同意する。


「冬の間に現在の支配域の占領を確固たるものとし、冬明けには再び一気に攻勢をかけてロードベルク王国を共和国のものとして見せます……一年という期限はお守りしますので、どうかご安心を」


「ふむ……それならばよいのです。総司令官であらせられるハミルトン将軍のお言葉とあらば、ただの政治参与でしかない私が口を挟む余地はありませんでしょう。いや、失礼しました。それでは私はそろそろお暇します」


 ニヤニヤと笑いながらそう言い残し、ディケンズ議員は退室していった。


「……馬鹿で分かりやすい男だな」


「まったくです。不愉快極まりない」


 ディケンズ議員が遠ざかっていったのを確認してから、チャールズは副官と言葉を交わす。


 チャールズが「一年以内での完全勝利」を成し遂げられなかったら、あのディケンズ議員も監督不行き届きとしてフィルドラック議員からの評価が下がり、側近の座から落ちる。それが怖いからこそあれこれと嫌味を言って、チャールズを煽りたててくるのだ。


 適当なことを言って安心させておけば、とりあえず戦場での指揮にあれこれ口を出されることはないだろう。馬鹿はおだてた上で重要な場から追い出し、適当に遊ばせておくのが一番だ。


・・・・・


 王歴218年の11月中旬。ノエインは王国北端に位置するハルスベルク公爵領を目指すため、出発の準備を進めていた。


 王国の東西南北には王家の縁戚である公爵家が領地を構えており、それらは地方貴族の監視拠点であると同時に、いざというときの王族の避難先でもある。


 今回は現状最も安全な北のハルスベルク公爵領が避難先に選ばれ、そこに王国北部の貴族たちを集めて軍議が開かれることとなったのだ。


 いかに強大なベトゥミア共和国軍とて、冬になればその動きは鈍り、現在の支配域を越えて侵攻してくることは難しくなるはず。その予想通り……というよりは願い通り、ベトゥミア共和国軍はさらなる侵攻を止め、王都への侵攻部隊も包囲からの持久戦に移っているという。


 この隙に策を練り、冬明けから反撃に転じるしかない。


 そのためにノエインは、アールクヴィスト領と民を守るためにも自分も策を考え、その上でハルスベルク公爵領での軍議に参加するための出発準備を進めていたのだ。


「――じゃあ、予定通り明日には出発できるんだね」


「ああ。途中でケーニッツ子爵とベヒトルスハイム侯爵と合流して向かう計画も整えた。多少急ぎ目の移動にはなるが、問題はないだろう」


 領主執務室で、ノエインは明日からの旅について従士長ユーリから最終報告を受ける。


 公爵領への移動は護衛兼世話係にマチルダ、補佐役にユーリ、連絡要員にコンラート、護衛騎士にペンス以下の領軍親衛隊を連れ、馬車と騎馬で移動する。道中でアルノルドとベヒトルスハイム侯爵とも合流し、情報や意見を交換しつつ進む計画だ。


「分かった。ただでさえ忙しいときの急な移動なのに、ありがとね」


「これが仕事だからな。礼なんて――」


「……失礼します。あなた、お仕事中にすみません。ちょっとよろしいですか?」


 そのとき、控えめなノックと共に、遠慮がちにノエインを呼ぶクラーラの声が聞こえてきた。


「クラーラ? いいよ、入って」


 ノエインが入室を促すと、クラーラはもう一度「失礼します」と言いつつ部屋に入り、少し戸惑ったような表情でノエインを見る。


「どうしたの? 何かあった?」


「それが……領都ノエイナの門の詰所から先ほど報告がきたのですが、あの、あなたに来客……かもしれないそうです」


「来客? 一体誰が……」


 ノエインは首をかしげる。今は来客の予定などない。もし隣のケーニッツ家の者であればまず『遠話』で連絡してくるだろうし、他の貴族が訪ねてくるにしても事前に先触れが入るはずだ。それに来客「かもしれない」という妙な報告なのも気になる。


「その……ジュリアン・キヴィレフトを名乗る男性の一行が参られているそうです。身なりは貴族とは思えないほどボロボロらしいのですが、一応は貴族家の家紋らしきものが記された旗などを持っているようで、あなたのご判断を仰ぎたいと」


「………………は?」


 しばらく固まった後、ノエインは間抜けな声を出した。

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