第217話 ささやかな願い
十一月の下旬。従士バートと御用商人フィリップが、ロードベルク王国東部からアールクヴィスト領に帰還した。
その翌日にはノエインはさっそく彼らを屋敷に呼び、応接室で報告を受ける。
「――というわけで、バリスタとクロスボウ、それぞれの矢については予定通りシュタウフェンベルク侯爵家とビッテンフェルト侯爵家に納入しました。代金もあらかじめ決まっていた額を受け取っています。両家のご当主共に、感謝すると伝えてほしいとのことでした」
「そうか、それなら良かった……代金については、あとでアンナ渡して確認してもらっておくよ」
目の前に置かれた、数百枚の金貨の詰まった袋を見下ろしながらノエインは言った。
クロスボウは細かな改良が加えられたアールクヴィスト領製の最新版で、領外に売る際は一挺あたり2000レブロ以上の料金を取っている。バリスタに至っては一台で小さな家が一軒建つような値段だ。
それを大量の矢とともに、輸送費込みで売ったのだから受け取る金も莫大になる。輸送費やバートたちの移動費、宿泊費、情報収集の経費などを差し引いても、利益は100万レブロを優に超えるだろう。この武器輸出だけで、今年のアールクヴィスト子爵家の収入が数パーセント増えるほどの儲けだ。
「それで、もう一つの仕事についてはどうだった?」
バートもフィリップも、王国東部におけるアールクヴィスト領の知名度や、名が知られているならどのような評判が話されているかを調べてくることを任務のひとつとしていた。実際に現地に足を運ばなければ得られないこうした情報は貴重だ。
「それではまず私の方から……王国東部では十以上の商会に挨拶をしてきましたが、どこもアールクヴィスト子爵家の家名は知っていました。そのうち規模の大きないくつかの商会が、アールクヴィスト領のラピスラズリや砂糖を扱ったこともあるとのことでした。質のいい高級品を送り出している領地として好印象を持っていたようです」
ノエインの問いかけに、まずフィリップが答える。
「何よりだね。それじゃあ、そんなアールクヴィスト家の御用商人として、君の挨拶も上手くいったのかな?」
「ええ、それはもう。御用商会を介してとはいえ、アールクヴィスト家との近い繋がりを得られるのはあちらも嬉しかったようで……挨拶に出向いたのはこちらなのに、相手の方が前のめりでこれからもよろしくと握手をしてくれましたよ。手土産まで渡されました」
「あははは、役得だったね……これで、今後何かあったら役に立つ伝手が、王国東部にもできたね」
「そうですね。東部と商取引をする必要が生まれたら、今回繋がりのできた商会と迅速に話ができると思います」
例えば、王国西部だけが災害や戦乱に巻き込まれてダメージを負うような事態になったとき、「食糧や物資が欲しくて金もあるのに、買いたい物自体が西部にない」ということもあり得る。そんなとき、御用商人を通じて迅速にコンタクトをとれる商会を東部に持つか持たないかは大きな違いになるだろう。
「では次は私から……私と部下は主に、現地住民や東部に集まっている傭兵から情報を集めました」
具体例を交えながら、バートが王国東部の市井でのアールクヴィスト領の知名度、評価について考察を語る。
それによると、まず、一般庶民の間ではさすがにアールクヴィスト領の名はほとんど知られていないが、行商人には名前を聞いたことがあるという人間も北東部を中心にそれなりに(体感だと四割ほど)いた。ここ数年で急に話題に出てきた新興領地なので、足までは運ばずにまだ様子見をしようという者が多数。
傭兵には南西部の大戦をきっかけに、クロスボウの存在とセットでアールクヴィスト領を知る者も多かった。貴族が容易に戦力拡充を図れるクロスボウについては「傭兵の仕事を奪われるのではないか」という懸念を語る者も少なくなかった。
以上のような話が、バートから語られた。
「つまり、うちが輸出する高級商品を扱ってるほどの大商会でもなければ、アールクヴィスト家は無名、あるいは小さな悪名が知られてるってことか。それはそうだろうねえ」
東部の市井での自分の評価がよろしくないことについて笑うノエイン。
「そうなるでしょうか……すみません、あまりいい話を持ち帰れなくて」
「バートが謝ることじゃないさ。東部でのうちの率直な評判が分かって助かったよ」
行商人にも傭兵にも微妙な目で見られていて、庶民からはそもそも知られていない。そんな地域とあえて深く関わることも、そのために労力を割く意味もあるまい。
もともとノエインは他派閥に接近するつもりはほとんどない。北西部閥に強固な後ろ盾になってもらっているし、いざとなれば王家さえ頼れる。他地域には、御用商人フィリップに使わせる商売上の伝手や流通ルート、いざというときの必須物資の輸入先さえあればいい。
今回のバートの情報から、やはりこの路線で正しいようだとあらためて思えた。兵器輸出のついでとしては十分すぎる成果だ。
「ひとまず聞くことはこれくらいかな……従士バート、そして御用商人フィリップ。およそ二か月半をかけてはるばる王国東部まで向かう任務、ご苦労だった。しばらくは急ぎ務めてもらう仕事もないだろうから、少しゆっくり休むといい」
「はっ、感謝いたします」
「ありがたき御言葉にございます、閣下」
ノエインの労いにバートは敬礼を示し、フィリップは恭しく頭を下げた。
・・・・・
「引き留めてすまないな、アールクヴィスト卿。早いところ領地に帰りたかったであろう?」
「いえ、年末は特にやることもありませんし、まったく問題ございません」
年末、北西部閥の恒例の晩餐会を終えた翌日。ノエインはベヒトルスハイム侯爵から、個人的に屋敷へと呼ばれていた。
この冬はいつもより冷え込むのが早く、既に雪がちらつく日も多い。これだと馬車の御者や護衛騎士、馬を休ませつつ領地に帰らなければならないので、どうせ例年より帰還に時間を取られる。今さら帰路に就くのが何時間か遅れたところでどうということはないとノエインは考えていた。
「それで閣下、お話というのは?」
「ああ、主な話は二つ。まず一つ目は、パラス皇国との戦争についてだ……我がロードベルク王国の勝利に終わったというのは聞いたな?」
「はい、文句なしの大勝利だったと」
昨日の晩餐会での主な話題のひとつがそれだった。
ロードベルク王国側の攻勢は冬が明けてすぐだと敵に思わせるために偽の侵攻計画の情報を漏らし、晩秋に一万の兵力が集まった時点で国境地帯を急襲したという。
不意をつかれたパラス皇国も兵をかき集めて一万六千で迎え撃ったそうだが、行軍も遅い寄せ集めの軍勢と、正規軍人の騎兵を中核にした奇襲部隊では勝負にもならない。敵方の準備不足と将兵の練度の差が合わさり、皇国軍を半壊させる大打撃を与えたという。
そのまま冬に入る前にロードベルク王国軍は撤退し、前線が崩壊したパラス皇国は季節の悪さもあって大規模な反撃を断念。こちらが一方的に殴り勝ちするかたちになった。
昨夜は「やはり我々王国貴族は強いのだ」と自分の成果のように誇る者もいれば、「東部貴族ばかり美味しい武功を挙げやがって」と悔しがっている者もおり、言いたい放題な有り様にノエインも苦笑したものだ。
「その大勝利について、北西部から輸出したバリスタとクロスボウの成果もある程度の報告を受け取っている。北東と南東の侯爵方がわざわざ書簡で知らせてくれたぞ。最終的にアールクヴィスト領を含む北西部からバリスタ38台、クロスボウ458挺を輸出したわけだが……その数に応じた成果が上がったそうだ」
万の軍勢がぶつかり合う戦場なので、バリスタとクロスボウが勝敗を分けるほどの影響力はなかった。しかし、投入数に応じた戦果はしっかりと見せており、有用性が認識されたという。
「それは何よりです。開発元の領主としても、王国の勝利に貢献できたことを嬉しく思います」
「輸出に関しては最大の貢献をしたのが卿だからな、まずは知らせておこうと思ったわけだ……そして、もう一つの話だ」
ベヒトルスハイム侯爵の表情が変わる。それを見てノエインも少しばかり気を引き締める。
「これはまだ、陛下とごく一部の貴族しか知らん話だ。卿はかの国と国境を接する位置に領地を持つ貴族なので、私の判断で教えることにした」
「というと、ランセル王国のことですか」
「そうだ……単刀直入に言うと、内乱が終わった。親王女派貴族連合の勝利だ」
侯爵の言葉に、ノエインは少し眉を上げる程度の反応を示した。今さら大して驚くような話ではない。王女派連合の勝利については予想通りだ。
昨月にカドネ派残党がロードベルク王国側に逃げ延びようと破れかぶれの突撃をかますという珍事件があり、その後に不手際の謝罪を受けたり捕虜の返還をしたりでバルテレミー男爵と会ったが、そのときにも勝利は間もなくだと聞いていた。
「それは、ロードベルク王国としては何よりの結果ですね。最近のことですか?」
「ああ。冬に入る直前だそうだ。アンリエッタ王女からの非公式の遣いが、南西部国境を通ってロードベルク王家に来たらしい」
ノエインの質問に侯爵は頷く。
「カドネ派の組織立った抵抗は全て鎮圧し、ランセル王国全土を掌握。まだ戦後処理をしたり国の運営体制を整えたりと戴冠までには時間を要するものの、勝利だけは確定したという取り急ぎの報告だったらしい。カドネ前国王についても後ろ盾や財産、兵力を全て削りきり……北方に追放したそうだ」
「追放? 処刑や幽閉ではなく?」
怪訝な顔のノエインに、ベヒトルスハイム侯爵が苦笑する。
「……王女派連合に追い詰められたカドネ・ランセルは、50人にも満たない従者を連れてレスティオ山地の交易山道より大陸北部に逃走。カドネが持ち去った財産はごく僅か。カドネの後ろ盾となり得る貴族はことごとく処刑か、家を取り潰して財産接収。もはやカドネには一切の力なしと判断し、アンリエッタ王女の名のもとにカドネの追放と生涯の入国禁止を宣言したそうだ」
「……」
つまり逃げられてんじゃねえか、とぼやくのをノエインはこらえた。
「気持ちは分かるが、そんな顔をするな。カドネがもはやただの手負いの男でしかないのは確かだし、そもそも冬の山道を生きて越える確率すらたかが知れている。奴については忘れていいだろう」
「……まあ、確かにそうですが」
指先に棘が刺さったような微妙な不快感を覚えながら、ノエインは頷いた。
・・・・・
王歴217年の最後の日となる十二月三十日。いつもより冷え込む冬の空気に包まれたアールクヴィスト領で、しかし領主家屋敷の居間は暖房の魔道具によって適度に暖かかった。
「だう~、あぶぅ~」
「あははは、そうだねえ~、雪が降ってるねえ~」
王国ではまだまだ珍しい、高価な板ガラスがはめられた居間の窓。その前に立ったノエインに抱かれ、エレオスは窓の外の雪が降り注ぐ光景をもの珍しそうに見ていた。空から降る白いものを掴めないかと手を伸ばそうとしている。
「この子にとっては初めての年越しですね」
「そうだねえ。エレオスが生まれてもう半年か……早いなあ」
ノエインの後ろから、ソファに座っているクラーラが声をかける。それにノエインものんびりした口調で答える。
「あっという間でしたね……元気に育ってくれて、本当によかったです」
この世界では、生後半年までが一番死亡率が高い。魔法や薬を使おうと最終的には赤ん坊本人の生命力に左右されるので、貴族の子と言えど、この頃までは安心できない。
しかしエレオスはとにかく元気だ。体調を崩すこともなく、毎日好奇心のままに、あらゆるものに興味を示しながらすくすく育っている。ノエインもクラーラも、そしてマチルダもそのことに安堵していた。
「マチルダの耳も襲わなくなったよね。最初の頃は大変だったよねえマチルダ?」
「……はい。エレオス様のことは私も自分の子のように大切に思っていますが、耳ばかりはさすがに」
ノエインに尋ねられて、クラーラの隣に座っているマチルダが遠慮がちに答える。最初こそマチルダの兎耳に強い好奇心を示していたエレオスだが、何度か触ったらさほど面白いものではないと思ったのか、今では興味を失った様子だった。
「あははは、だよねえ……マチルダの耳を噛んだことは、大人になるまでに忘れないと駄目だよエレオス? いくら僕の世継ぎでも、マチルダはあげないからね?」
窓から離れて、マチルダとクラーラの間に座りながらノエインが腕の中の我が子に語る。
獣人の敏感な耳を口に含んで甘噛みするなど、男女のそういう行為の中でしか行われない。あれはまだ赤ん坊のエレオスだからこそ許されたことだ。
「ぶうぅ」
ノエインの言葉の意味が分かったわけではないだろうが、エレオスが何を思ったのか頬を膨らませて言った。
「こっちだって、ぶうぅ」
それに張り合うノエインの子どもっぽい行動を見て、マチルダもクラーラも笑う。ノエインも自分で自分の行動に小さく吹き出す。
「……今年は平和だったね」
ふと、ノエインは呟いた。
西では隣国が派手な内乱をくり広げ、東では大戦が巻き起こったものの、アールクヴィスト領自体は久々に平和な一年を過ごした。アスピダ要塞にカドネ派の残党が突っ込んでくるという一幕はあったものの、こちらには死者どころか怪我人の一人も出なかった。
およそ三年ぶりに、ノエインは何の戦いも経験せずに一年を過ごすことができた。
「そうですね。ランセル王国も友好的な一派が権力を掌握したそうですし、これからは長く平和が続くのでしょう」
「そうだねえ……もう戦いも混乱も十分だよ。アールクヴィスト領に籠って、のんびり領地発展に努めるだけで一生過ごしたいな」
アールクヴィスト領は人口も増え、それを守る十分な軍事力や経済力も備えつつあり、ノエインには世継ぎとなる子どもも生まれた。あとはこれらを守り育てるだけの平和な日々を過ごしたい。できることなら一生そんな日々を送りたい。
近くに戦乱の火種もないのだし、この調子なら、そんな人生も本当に夢ではないとノエインは考える。
「三人で子どもを育てながら、ずっと一緒に幸福に暮らそう……二人とも、ずっと僕の傍にいてね?」
「もちろんです。妻として、生涯お傍でお支えします」
「私もです、ノエイン様。あなたの忠実な奴隷として、一生をお供させていただきます」
ノエインの腕に寄り添いながら、二人が答えた。ノエインとマチルダとクラーラとエレオス、皆で寄り添い合う。
これからも、こんな平和な日々が続く。
このときはまだ、ノエインはそう信じていた。
★★★★★★★
以上までが第九章になります。ここまでお読みいただきありがとうございます。
引き続き本作をよろしくお願いします。
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