第208話 気になる噂

「……はい。今日も問題ありません。クラーラ様もお腹のお子様も健康そのものです」


 五月の終わり。アールクヴィスト子爵家の屋敷を訪れた女性医師のリリスは、鑑定の魔道具を用いてクラーラの定期診察を行ってから言った。


「ありがとう、リリス」


「よかった。いつもご苦労様」


 それにクラーラと、横に寄り添うノエインが答える。出産まであと二か月を切ったクラーラはさすがに仕事を控えて家にいることが多くなり、彼女の定期診察にはノエインもこうして昼の仕事を中断して付き添っている。


「最近はご気分はどうですか? 変わったことはありませんか?」


「私は大丈夫……だと思います。この子も、中からよくお腹を蹴ってきて元気すぎるくらいです」


「僕たちが声をかけると反応してくれるよね」


「ええ。ノエイン様ったら、休憩だって言いながら一日に何度も執務室を抜けてこの子に声をかけに来てますからね」


「それをリリスの前で言われるのは恥ずかしいなあ……」


 クラーラとノエインのそんなやり取りを聞いて、リリスがクスッと笑う。


「お腹の中にいた頃に聞いた声は、生まれてからも覚えてると言いますからね。たくさん話しかけるのはとてもいいことですよ……それでは、私はまた来週に伺います。途中で何か気になることがあったら、いつでもお呼びください」


 そう言い残し、リリスは室内に控えていたキンバリーに案内されて帰って行った。それを見送ったノエインは、それまでは従者として後ろに立っていたマチルダを自分の隣に座らせる。ノエインの両横にマチルダとクラーラが座るという、いつものくつろぎ方になる。


「出産予定まであと二か月もないのか。早いものだね」


「ええ、あっという間でした。もっと私のお腹の中にいてくれてもいいのに……なんて思ってしまいます」


「それじゃあクラーラはよくても、僕とマチルダはいつまでもこの子に声をかけることしかできないじゃない。ずるいよねえ、マチルダ?」


「そう……ですね。私も早くお二人のお子様にお会いしたいです」


「ふふふ、確かに、私がお腹でずっと一人占めしたら駄目ですね」


 穏やかな昼下がりに三人で笑い合う。なんと心安らぐひとときだろう。そう思っていると、


「失礼します、旦那様」


 居間に戻ってきたキンバリーがノエインに声をかけた。


「どうしたの?」


「リリス様と入れ違いで、領外よりお帰りになられた従士バート様がお越しになっています。旦那様へのご報告事項があるそうです」


「……そうか。それじゃあすぐに行かなきゃね」


 今のノエインは仕事を抜け出している状態だ。そろそろ夫から領主に戻るべきだろう。


「ごめんクラーラ、そろそろ仕事に戻るね」


「はい。付き添いありがとうございました。ご無理のないようにお仕事頑張ってください」


「うん、ありがとう。それじゃあまた夜ね」


 クラーラと軽くキスを交わしたノエインは、マチルダと共に居間を出て二階に上がり、領主執務室の前で待っていたバートに声をかける。


「待たせたねバート。渉外任務ご苦労様、お帰り」


「ただいま戻りました。ご休憩中にすみません」


「いいさ。仕事優先だよ。とりあえず入って」


 言いながら、ノエインは領主執務室に入り、バートも入室させる。


「それで、報告があるそうだけど……」


「ええ、実は……ケーニッツ子爵領のマイルズ商会と、他にも周辺のいくつかの商会から、少し気になる噂を耳にしました」


 外務全般を担当するバートは、ノエインの遣いとして領外の商会に赴くことも多い。今回の任務のように、これといって大きな用がなくとも、挨拶回りと情報収集のために定期的に近隣の商会を回ってくることもある。


 そして、今回はそれが功を奏して何か情報を掴んできたらしい。


「複数の商会から、同じ噂を?」


「はい。特にマイルズ商会のベネディクトさんは、まだ状況証拠だけですが確信があるような口ぶりでした」


「じゃあ確実性が高いね。聞こうか」


 ケーニッツ子爵領でも指折りの大商会であるマイルズ商会とは、アールクヴィスト領の開拓初期からノエインも繋がりを持ってきた。ノエインはいわばマイルズ商会のお得意様の一人であり、その遣いであるバートに商会長ベネディクトが言ったことなら信用できる。


「……ロードベルク王国と東のパラス皇国との、大規模な戦争が近いそうです。麦や鉄の流れ方を見た予想だとか」


「……そっか。そう言えばそろそろそんな時期だね」


 バートの言葉を聞いて、ノエインは数秒ほど考えた後、軽い口調で答えた。


 ロードベルク王国とその東に位置するパラス皇国は、伝統的に仲が悪い。歴史書によるとおよそ千年も遡った昔にはひとつの大きな国だったというが、いつしかその国は分裂し、西は小国乱立の果てにロードベルク王国が誕生。東は何度か国名と王朝を変えながら、今はパラス皇国を名乗っている。


 パラス皇国は同じミレオン聖教を国教とするが、ロードベルク王国の聖教組織が伝道会を名乗っているのに対して、あちらは正統会を名乗っており、宗派が違う。おまけに皇国では正統会が国政にも深く関わっており、強い権力を持つ。


 パラス皇国から見れば、ロードベルク王国は「異端者の国」である。そのためかの国は事あるごとに嫌がらせをしてきて、こちらも弱腰と見られないために対抗し、国境では常に睨み合いが続いてきた。


 さらに、お互い小競り合いで溜まったストレスを発散するように、十年に一度ほどの頻度で大規模な戦争も生じている。前回の戦争が、ノエインがキヴィレフト伯爵家の離れに軟禁されていた頃。次の戦争勃発の頃合いとしては妥当だった。


「ってことは、僕たちにとっては……稼ぎ時かな」


「……確かにそうかもしれませんが、身も蓋もなく言いますね」


「まあ、この場では君とマチルダしか聞いてないからね」


 ニヤリと笑うノエインに、バートも苦笑いで返した。


 基本的に、各国境の戦争での軍役はそこに地理的に近い貴族が真っ先に担う。パラス皇国との戦争となれば、北東部と南東部の貴族閥、あとは王国軍が出張ることになる。


 西部から参戦する貴族家もあるだろうが、北西の端の端に領地を持ち、しかもそこで新たな国境を守る役目を負っているアールクヴィスト家が出征させられるわけがない。ノエインが直接戦わされることはまずあり得ない。


 そして、戦争は外野から関わる分には稼ぐ余地がいくらでもある。例えば、鉄鉱石の鉱脈を所有するアールクヴィスト家は、戦争に伴う鉄の値上がりによって儲けることができるだろう。


 ノエインからすれば、自分の領民は傷つけることなく、遠くの戦争で儲けられる絶好のチャンスだ。


「鉱山資源もだけど、そろそろ武器とジャガイモの他派閥への輸出も解禁されるんじゃないかと思うんだよねー」


「ああ、なるほど……それならかなり儲かりそうですね」


「まったくだよ。今から金貨の山が見えるよ」


 ノエインが北西部閥にクロスボウやバリスタ、ジャガイモの存在を開示して広めて四年以上が経つ。一派閥で新兵器と作物を独占し続けるのも限界だろう。あちらこちらから情報や現物が漏れているようだし、王家からもそろそろ国全体の利益を考えろと言われる頃だ。


 戦争に際してこれらが北東部や南東部に解禁されるとなれば、真っ先に稼げるのはノエインだ。バリスタやクロスボウに関しては、オリジナルを開発したアールクヴィスト領こそが最も質の高い製品を製造でき、高度な量産体制も整えている。材料の鉄資源も、領主所有の鉱山から自前で得られる。ぼろ儲けは間違いない。


 頭の中で皮算用を始めてうっひっひと笑い出した主君に、バートは再び苦笑した。


・・・・・


 バートから報告を受けたおよそ一週間後、ノエインは屋敷に御用商人フィリップを呼び、領民から税として徴収する麦の現金化や、直近の鉱山資源の販売について商談を行った。


 麦の現金化については毎年のこと、鉱山資源の販売に至っては毎月のことなので、特に難航することもなくあっさり話がまとまる。


 商談を終えてお茶を飲みながら雑談に入っていたところで、フィリップが「お耳に入れたいお話があるのですが」と切り出した。


「これは我々スキナー商会の情報網を使って、つい数日前に手に入れた情報なのですが……」


「……聞かせてもらおうか」


 なんとなく内容を察しながら、ノエインはフィリップに続きを促す。


「実は、東方のパラス皇国との戦争が近いようなのです。おそらくアールクヴィスト領にはほとんど無関係のことでしょうが、鉱山資源や、貴族閥の状況によっては兵器の輸出などで閣下も我が商会も利益を上げられるのではないかと……」


 フィリップが語る内容は、ノエインが先日バートから聞いたものとまったく同じだった。


「……フィリップ」


「はい、閣下」


「残念、その話は少し前にうちのバートから聞いたよ。情報源はマイルズ商会をはじめ複数の商会。そっちはもっと前に情報を掴んでるみたいだった」


「……そうでしたか、私は遅れていましたか」


「数日の差だけどね」


 有用な情報を持ってきて褒められると思ったらしいフィリップは、苦笑しながら肩を落とす。情報収集の早さで領外の商会に負け、御用商人として悔しいところがあるようだ。


「でも、商会設立から五年と経ってないのに何日かの違いで僕に情報を届けられたんだから大健闘じゃない? それに、バリスタやクロスボウの他派閥への解禁も予想したのはよかったよ。バートはそこまで思い至らなかったからね。その点はさすが本職の商人だ」


「そ、そうですか……いやあ、お褒め頂けて光栄の極みです」


 フィリップはまんざらでもなさそうに言った。実際、本人も商会もまだまだ若いのに、彼はよくやっている。


「多方面から同じ情報が入るってことは、ほぼ確定だね……君の言う通り、もし兵器輸出が解禁されたら王国東部まで品を送ることになるだろうし、そのときは君にも関わってもらうよ」


「お任せください。閣下の御用商人として、全力でお力添えさせていただきます」


 フィリップはノエインを真っすぐに見返しながら力強い声で言った。

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