第198話 部下たち①
大陸南部は冬と言えど、極寒と呼ばれるほど冷えることは少ない。ロードベルク王国でも北部は南部よりは寒くなり、真冬には雪が降る日も多いが、それでもレスティオ山地を越えた大陸北側よりは穏やかな気候だと言われている。
とはいえ、冬に動きたがる人間は少ない。特に街や村を行き来する者は滅多にいない。商魂たくましいごく一部の商人か、重要な物資や書簡を運ぶ者、暇なのをいいことに暖房付きの馬車に乗って社交に出かける貴族くらいだ。
都市の中でも、屋外の人通りは減る。しかし、職種によっては他の季節と変わらず動く者もいる。軍人はそんな職種のひとつだ。
「では、本日の訓練は以上で終了とする!」
「「はっ!」」
領軍本部の訓練場で、従士ダントは見習いの兵士たちを整列させて声を張った。兵士たちはそれに応えて敬礼を示した後、その場にへたり込む。冬だというのに誰もが汗だくだ。
訓練終了までは全員が立っていられるようになったか、と、彼らの様子を見ながらダントは思う。
夏から秋にかけて入隊したこの兵士たちは、当初は訓練中に胃の中のものを吐いたり、失神寸前で倒れこんだりする者が続出する有り様だった。それを考えれば、全員が一応訓練についてこられるようになったのは立派だと言える。
冬明けには「見習い」という言葉が取れて、戦力の一部として数えられるようになるだろう。立場もあるので口には出さないが、内心では訓練兵たちの成長を認める。
「……お前ら、必ず汗は拭いておけよ。体を冷やして体調を崩すような馬鹿はアールクヴィスト領を守れないからな!」
せめてもの労いとしてそう言うと、すでに気を抜いていた兵士たちが一瞬だけ緊張した様子でダントに目を向け、頷いた。その反応を見て苦笑する。また内心だけで。
職業軍人になり、士官になり、領主家に仕える従士に任命され、少しずつ軍人然とした気を纏えるようになってきたと思う。ベゼルの戦いを終えてからは特に、領軍の同僚たちからも「雰囲気が変わった」と言われる。
無理もないだろう。あの戦いでは自分は最前線の指揮を取って敵と真正面から斬り合い、部下を失った。自分も傷を負った。医師のセルファースからは「高い魔法薬を取り寄せて数か月以内に使えば、顔の傷は綺麗に消せる」と言われたが、自分へのけじめとしてこの傷は生涯抱えることにした。
王国南西部の開拓村で次期村長エドガーの側近のようなことをしていた頃とは、今の自分は何もかもが違う。少し前までただの農民だった見習い兵士たちに怖がられるのも仕方ない。
そんなことを思いながら、ダントは訓練場をあとにする。この後は士官執務室で彼らの練度を報告書にまとめ、その他にも細かな雑務をこなさなければならない。
「よおダント、よくやってんな」
本部建物に向かっていたダントは、声をかけられてそちらを振り返る。声を聞いた時点で分かったが、そこに立っていたのはラドレーだ。
「……ラドレーさん、戻ってたんですね」
「おう。ついさっきこっちに着いた。前線基地の領軍の指揮はリックに任せてあるからよ」
ベゼルの戦いの後は前線基地にいることが多かったラドレーだが、ランセル王国が再侵攻してくることは当面は考えにくく、特に冬に攻めてくる可能性はゼロに近いことから、最近はリックと指揮を交代して領都ノエイナに戻っていることも多い。
「あっちの様子はどうですか」
「反吐が出るくれえ退屈だよ。ノエイン様が噂を広めて釘を刺してっから派手に悪さするような駐留軍兵士もいねえし、今はランセル王国が攻めてくるわけもねえ。ここ最近で一番の騒動は、食糧の集積所に入り込んだホフゴブリン退治だな。そんな有り様だ」
「ははは、それは逆に大変そうですね」
本気でうんざりした様子のラドレーを見て、ダントは苦笑する。
「おうよ。あんまり暇だから、砦の建設作業やら森の見回りやらの仕事を多めに回してもらってる始末だ。『ここは俺たちの領だから俺たちに仕事させてくれ』っていやあ駐留軍の指揮官様方も断りづれえだろうからな」
他愛もない話をしながら、本部建物へと歩くダントとラドレー。
「ところでよ、おめえこの後は報告業務か? 時間かかるか?」
「報告書をまとめて、細かい雑務を済ませたら今日は上がりです。対して時間はかかりませんよ」
「そうか。俺あ今日は従士長への帰還報告だけだからすぐ終わるんだが……おめえ、今夜あたり嫁さんと子ども連れてうちに飯食いに来ねえか? ジーナが最近おめえが顔見せねえって愚痴っててよ。サーシャもいとこに会いたがってらあ」
ラドレーの妻のジーナはダントの実姉であり、ラドレーの娘のサーシャは、ダントの子どもとは従兄弟にあたる。そのため、家族ぐるみの付き合いがあった。
「いいですねえ。それじゃあ家族でお邪魔させてもらいますよ。うちからも何か料理を持っていきます」
「それじゃあ決まりだ。俺の方が早く上がれるだろうからおめえの嫁さんには伝えといてやる」
「頼みます。俺もなるべく早く帰れるようにしないとなあ」
そろそろ夕方と言える時間帯。平和な会話を交わしながら、ダントとラドレーは本部の士官執務室に入った。
・・・・・
「ドミトリさん、お疲れさまです」
アールクヴィスト領で建設業の商会を運営し、自らも親方として実力を発揮している犬人のドミトリのもとを訪れたのは、従士で鼠人のケノーゼだ。その後ろには獣人農民の顔役である獅子人のボレアスもいる。
商会本部の一階にある、木材の加工などを手がける作業場で弟子たちを監督していたドミトリは、声をかけてきたケノーゼたちを見て明るく返した。
「おお、坊ちゃんにボレアスさんか。あんたらがわざわざうちの商会本部まで来るってこたあ、冬の人夫の件か?」
冬の農閑期には、副業として家屋建設などの肉体労働で日銭を稼ぎたがる農民は多い。そうした農民と、人手が欲しい建設業商会を繋ぐのも農民を統括する従士の役目となっている。
「ええ、そうです。普人の農民からの希望者についてはエドガーさんの代わりに俺がまとめて、獣人たちの方はボレアスさんがまとめました。ドミトリさんが言ってた必要人数に対して農民の希望者がかなり多いんですが……」
「足りないよりは多い方がいいし、交代制にでもすればいいさ。詳しくは話し合おうや」
「ありがとうございます。あと、最初さらっと坊ちゃん呼びしましたよね? 勘弁してくださいよ……」
従士ではあるがまだ若く、鼠人であることから小柄なケノーゼは、アールクヴィスト領の獣人たちの間では親しみとからかいを込めて「坊ちゃん」と呼ばれることがある。ケノーゼとしては少々気恥ずかしい。
「ははは、悪いな。だけど俺たちから見たら自分の子どもくらいの年だからな」
「俺なんて、ほんとにケノーゼがガキの頃から知ってるからなあ。つい呼んじまうよ」
ドミトリに合わせて、ボレアスまでそう言って笑う。亡き父ジノッゼの村長仲間だったボレアスは、ケノーゼにとっては親戚のおじさんのようなものだ。今では従士という身分上ケノーゼの方が立場が上になってしまったが、いい相談役であることに変わりはない。
和やかな雰囲気が生まれていたところへ、さらに別の来客がある。
「失礼。商会長のドミトリ殿はどちらに……」
「ザドレクさんじゃないか。おい、こっちだこっち」
やって来たのは領主ノエインの元奴隷で、現在は解放されて平民に、さらに領主所有農地の管理責任者として従士に任命された虎人のザドレクだ。ドミトリが彼に声をかけ、手招きして呼び寄せる。
「今日はまたどうしたんだ? 少し前に領主家の穀物倉庫の増築依頼が来てたが、もしかしてそのことか?」
「ええ。その件でいくつか相談したいことがありまして。実際に倉庫を使う現場からの要望ということで……ノエイン様からお許しはいただいてます」
能力と忠誠心を買われて今や従士にまでなったザドレクは、領主所有農地に関することではかなりの権限を与えられている。
「そうか、それじゃあケノーゼたちとの話し合いが終わったらそのことについて話そうか」
自身の商会で建設を請け合う建物に関して、ドミトリは客から要望があればできるだけ聞くようにしていた。
ドミトリの商会が手がける建造物は、ロードベルク王国の平均と比べても質がいい。それは実力がずば抜けて高くなければ獣人の身で親方にまでなれなかったというドミトリの事情もあるし、せっかく新天地で新しい人生を手に入れた領民たちの生活や仕事の場は、できるだけ快適なものであってほしいという職人としての矜持もある。
「……にしても、人夫の募集やら領主家の穀物倉庫の増築やら、でかい仕事の話をするのがこんだけ獣人ばかりってのも珍しいな」
「……確かに、全員獣人ですね」
「おまけに半分は従士だなんてな」
「他の貴族領では……特に王国南部では考えられないことでしょうな」
ドミトリの呟きに、ケノーゼ、ボレアス、ザドレクが答える。
農民を統括する従士の一人、農民の顔役の一人、領主の農地を預かる従士、そして領内有数の大商会の長。その全員が獣人であるのは、アールクヴィスト領ならではの光景だろう。
こんなことからも、この領地に移り住めた自分たちはつくづく幸運だと思う4人だった。
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