第190話 再び、親子の再会

 褒賞の式典に伴う王宮での晩餐会は、出席する貴族にとっては貴重な情報収集や人脈作りの場である。そのため、夕方から夜更けまでと、非常に長い時間続く。


 今回の社交のいわば目玉商品であるノエインは、途中で帰ることは許されない。友人であるヴィオウルフとひととき穏やかに語らった後は、また外面だけが和やかな貴族同士の歓談に臨む羽目になった。


 それが再びひと段落し、ノエインは思惑の渦巻く会場から離れてバルコニーへと出た。会場内での貴族の相手はしばし妻クラーラと義理の両親に任せ、妻の護衛をダントに任せる。なので今はマチルダと二人きりだ。


「……ああ疲れた」


「お疲れさまでした、ノエイン様」


 だだっ広いバルコニーにはいくつも椅子が置かれて休憩場とされているが、今は他に人の姿は見当たらない。


 ノエインは適当な位置にある椅子に座る。貴族の社交の場ということもあり、あくまで護衛であるマチルダはその後ろに立つ。


「ありがとうマチルダ……それにしても、貴族というものは揃いも揃ってよくもまあペラペラと口が回るものだね。お世辞や嫌味を言うためにあんなにたくさんの語彙を持ってるなんて尊敬しちゃうよ」


「まさしく仰る通りです、ノエイン様。どの貴族も下心や嫉妬が透けて見えます。浅ましい限りです」


 自分のことは棚に上げてノエインが愚痴をこぼすと、マチルダはそれを全肯定する。


 緊張を解き、ため息を吐きながら椅子の背にもたれかかるノエイン。酒で少し火照った顔を夜風に撫でられ、心地よく感じる。


 こうした休憩の場では個人的な友人同士で語らうような場合を除き、他貴族に話しかけるために近寄るのは基本的にマナー違反となるので、他人に寄って来られる心配はない。


 なのでゆっくり休憩できる……と思っていたノエインの期待は、それからさほど経たずに不意に外れることになった。


 おそらく偶然に、ノエインが座っていた位置のすぐ近くの扉が開けられ、誰かが会場からバルコニーへと出てくる。


 そちらを振り返り、相手からも視線を向けられ、


「……げえっ」


「……ちっ」


 相手と――マクシミリアン・キヴィレフト伯爵とばっちり目が合ってしまったノエインは、露骨に嫌そうな顔をした。マクシミリアンも苦虫を噛み潰したような表情で舌打ちをする。今回ノエインは自分からマクシミリアンに近づく気はなかったので、これは予定外の遭遇だった。


 二人が親子であることは貴族社会ではほとんど知られていないので、本来ならお互い「挨拶したことがあるので相手の名前と顔は知っている」程度の関係のふりをするべきだ。


 しかし、不意に鉢合ってしまったこともあり、さらに幸か不幸か他者の目と耳を気にしなくていいバルコニーにいたこともあって、お互いつい本心でリアクションをしてしまった。今さら白々しく他人のふりをするのも気持ち悪い。


 なのでノエインは、最早本性を隠すこともなくマクシミリアンに声をかけることにする。


「……これはこれは父上様。お久しぶりですね」


「黙れ。お前はもう私の息子ではない」


 おどけた言い方のノエインに吐き捨てるように返しながら、マクシミリアンはノエインから視線を逸らしてバルコニーの手すり側に近づき、目の前に広がる王宮の中庭を眺めるふりをする。


 一応は会話に応じてくれるつもりはあるらしい。ならば、決定的に怒らせない程度にからかってやろうとノエインは思う。とりあえず「父上」呼びは勘弁しておいてやるべきか。


「王国有数の大貴族であらせられるキヴィレフト閣下ならばとっくにご存知かと思いますが、私は子爵位を授かりました。これも閣下にいただいた素晴らしい領地のおかげです。伯爵家では私以外は読みもしない書物の山からたくさんの知識も得ましたし、今思えば私は素晴らしい父と実家を持ったのだなあと思うばかりで――」


「ええいうるさい! 止めんか!」


「ぶふっ」


「笑うな!」


 ペラペラと喋り出したノエインを、マクシミリアンは顔を真っ赤にしながら黙らせようとする。その必死な形相がおかしくてノエインは思わず吹き出し、マクシミリアンがまた怒鳴る。


「……領地規模の伴わない子爵位など私から見ればカスみたいなものだが、お前は一応は成功を手にした。私に手出しされない確約も得ている。それで満足だろうが。この上で何故まだ嫌味を投げてくるのだ」


「私はあくまで感謝を伝えただけのつもりだったのですが……気に障られたのであれば申し訳ありません」


 ヘラヘラと心にもない謝罪をするノエイン。


 9歳まではひたすらに冷遇され、15歳まではほぼ全ての自由を取り上げられて過ごしたのだ。アールクヴィスト領を与えられて成功できたのも結果論であり、本来はろくな資源も平地すらもない森の中で、奴隷一人連れた15歳のガキンチョなど何ひとつできず野垂れ死んでもおかしくなかった。


 その恨みはそう簡単には消えない。すんなり許してやる義理もない。嫌味のひとつやふたつ黙って投げられていろと内心で毒づく。


「……一昨年の晩餐会で息子ともどもお前に恥をかかされ、その仕返しのひとつもできぬよう根回しをされてから、妻からの私の評価はガタ落ちだ。まともに妻と口を聞けるようになるまでどれほどの時間と金がかかったと思っている」


「それはお気の毒に。今は私にも愛する妻がいますから、口を聞いてもらえなくなると想像しただけでもぞっとします……ふひっ」


「……くっ!」


 また笑い声を漏らしたノエインを、マクシミリアンは睨みつける。


 被害者ぶって語ってはいるが、マクシミリアンの受けた影響などその程度。気分を害したとか妻の機嫌を取るのに苦労したとか、個人的な損だけだ。ノエインとしてはその程度で済ませてやっていることを感謝してほしいくらいだ。


「ですが、お元気そうで何よりですキヴィレフト閣下。あなたがご健勝であらせられるのは私の関心ごとのひとつですから……どうかこれからも、できるだけ長生きをされて、私のことを記憶の端に留めていてください。私の成功と、私の領地の発展について噂をお耳に入れてください」


「……なるほど、それがお前の目的か」


 ノエインの意図を察したマクシミリアンの表情が不愉快そうに歪んだ。


 そう、ノエインの真の目的は、自身が成功を重ねて幸福に生きていく様を憎き父に見せ続けることだ。


 直接的な復讐には限界がある。いくら急発展を遂げたとはいえ、今のアールクヴィスト領とキヴィレフト伯爵領では天と地ほどの力の差がある。そもそも現在は王家の仲介でマクシミリアンからの不干渉の誓約を獲得した代わりに、ノエインからマクシミリアンに対しても容易に手を出せない。


 だからノエインは、現実的に最も長く続けられて、地味だからこそよく効くかたちで復讐を成すことにしているのだ。それはマクシミリアンに自分を「見ていてもらう」ことだ。


 かつて冷遇した妾の子が、目障りで憎たらしい元息子が、王国の反対側で年々領地を発展させ、成功を収め、評価を高め、幸せに暮らしている。しかし、自分はその妨害ひとつもできず、ただ眺めていることしかできない。


 それがどんなに不愉快か、マクシミリアンの心情を想像しただけでノエインは高笑いを漏らしそうになる。


 なおかつ、互いの領地が離れているのでマクシミリアンがノエインのことを耳にする機会はそれほど多くない、少なくとも日常的にノエインの噂を聞くことはないであろうから、マクシミリアンとしてはまだ許容できる範囲内の不愉快さだ。


 ノエインはただ楽しく幸せに領地運営に励んでいるだけで復讐ができて、マクシミリアンも甘んじて受け入れられる程度の嫌な思いをし続ける。お互い現実的な落としどころだろう。現状の中で持続可能な復讐としては上出来だ。


「ええ、これが私の望みです。あんな仕打ちを受けて育ったのに、心の底からあなたのご健勝を願っているんです、素晴らしい孝行息子でしょう……というのは冗談として。これくらいのお遊びは許してくださいますよね?」


「……ふんっ。どうせ私には選択肢などない」


 鼻を鳴らし、半ば諦めたような声色でマクシミリアンは答えた。このようなかたちで復讐をされることさえ嫌だというなら、マクシミリアンはもう自殺か早死にでもするしかない。だが、ノエインのために自分の命を絶つのも寿命を縮めるのも御免被る。


「受け入れてくださって何よりです……ご休憩のために出て来られたのにあまりお声をかけても失礼ですから、私はバルコニーの反対側の端にでも寄っていますね。ではキヴィレフト閣下、また社交の場でお会いする日までごきげんよう」


「……ああ。とっとと失せろ」


 模範的な王国貴族らしく恭しい礼をしたノエインに対して、マクシミリアンはまるでハエでも追い払うかのようにしっしっと手を振る。どうせ手出しもできないのだから、一分一秒でも早くノエインを遠ざけるのがマクシミリアンにとっては最善の行動だ。


 素直にその場を立ち去りながら、久しぶりに再会した実父との会話を楽しんだノエインは満足げに笑う。


「……ぷははっ、あはははっ、楽しかったねえマチルダ」


「はい、ノエイン様。抵抗することを完全に放棄したキヴィレフト伯爵の顔は傑作でした」


 ここ最近で一番の笑い声を上げる主人に、マチルダも微笑みながら答えた。マクシミリアンに恨みがあるのはマチルダとて同じだし、何よりノエインの敵はマチルダにとっても敵だ。


 また夜風が吹き、ノエインの髪を揺らし、頬を撫でる。夏の夜の涼しい風が、今のノエインにはことさらに心地よく感じられた。

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