第189話 陞爵と社交

「――汝の此度の働きを評して、子爵の称号を与えるものとする。これよりアールクヴィスト子爵を名乗り、王国貴族としてさらなる忠誠と活躍を示せ」


「身に余る光栄にございます。この先も国王陛下の忠実なる臣として、身命を賭して王国の発展に貢献していく所存であります」


 王歴216年の七月半ば。ロードベルク王国の王都リヒトハーゲンにある王宮の玉座の間で、ノエインはオスカー・ロードベルク3世を前に、二年前の陞爵のときと同じようなやり取りをくり広げていた。


 数年に一度、功績を挙げた王国貴族を王宮に招いてその功を称える式典の場。宮廷貴族たちが見守る中で、ノエインはオスカーの前で臣下の礼をとり、正式に子爵に任ぜられていた。


 今回式典で国王からの褒賞を賜るのは、南西部の混乱を収めて見せたガルドウィン侯爵や紛争の後始末に活躍した中小貴族、東のパラス皇国との紛争で長年戦線を支えて功労者となっている一部貴族などが主だ。


 重要ではあるが少々地味な功績への褒賞が続いた後で、やはり目立つのはベゼルの戦いの関係者。ランセル王国への逆侵攻を指揮したマルツェル伯爵などへの褒賞があり、その後でノエインは堂々の大トリを飾っていた。


 何せ下級貴族でありながら単独でカドネ国王の親征を退けた上に、一気に子爵への陞爵である。式典の場に並ぶ宮廷貴族はもちろん、今回王都へとやって来た各地の貴族の中でも最も話題に上る存在となっているのは間違いない。いい意味でも、悪い意味でも。


「……二年前、余は汝のことを王国の歴史に刻まれるような偉業を成すかもしれんと、汝のような者がいれば余の治世も安泰だと言ったが、どうやらそれは正しかったようだな。これほど素晴らしい働きを示してくれるとは思ってもみなかったぞ」


「これ以上なき評価を賜り、恐悦至極に存じます。国王陛下」


 初対面だった二年前とは異なり、今のノエインはオスカーからよく覚えられている貴族の一人だ。式典の場でかけられる言葉も、以前より距離の近いものになる。


「この後の晩餐会は汝が最大の主役だ。参列する貴族どもに揉みくちゃにされるだろうが……まあ、できるだけ楽しめ。汝の陞爵に伴う諸々の話は、後日会談の席を設けるからそのときにな」


「はっ。感謝申し上げます」


 苦笑を交えて話すオスカーに、ノエインは無難に答える。


 大戦果を挙げて飛び級の陞爵を決めた貴族ともなれば、社交の場では国王に負けず劣らず挨拶攻勢の的にされるのは間違いない。


 純粋に祝意を伝えようとする親しい貴族、これを機に少しでも繋がりを作っておきたい見知らぬ貴族、そして――派閥も気風も違う若造の成り上がりが気にくわない対立派閥の貴族。ごますりや嫌味を投げられては受け流す、非常に疲れる社交になることだろう。


・・・・・


「いやはや、とにかくめでたいことだ。卿のような英雄とこうして挨拶を交わせるだけでも、凡庸な貴族に過ぎない私にとっては光栄極まることです」


「身に余るお褒めの言葉をいただき感謝申し上げます、キューエル子爵閣下。閣下は王国南東部でも十指に入る大貴族として、私もお名前を存じ上げております。閣下とお知り合いになれて私こそ光栄です」


 式典の後の晩餐会で、ノエインはやはり挨拶攻勢を受けていた。隣には妻クラーラが寄り添ってにこやかな表情を浮かべている。二人の後ろには護衛としてマチルダとダントが並ぶ。


 今は、南東部閥でそこそこの大家として知られる貴族と社交辞令を投げ合っているところだった。相手は同じ子爵ではあるが、家の歴史も当主の年齢も相手が上なので、表面的な立場ではノエインの方が格下になる。


「それに、奥方はあのケーニッツ子爵家のご令嬢で、学問に習熟した才女でいらっしゃると聞き及んでいますぞ。その上とても見目麗しい方だ。卿と奥方のような若き貴族夫妻がおられれば、王国の未来もさらに明るくなりますなあ」


 人の良さそうな笑顔で言葉を並べながら――その笑顔のままでキューエル子爵はノエインの後ろに一瞬だけ視線を向け、さらに続ける。


「しかし、”英雄色を好む”ともいいますからなあ。特にアールクヴィスト卿は少々変わった趣味をお持ちだと聞きます。奥方も苦労されますなあ」


 露骨な嫌味にノエインは笑顔のまま一瞬固まった。これはノエインとマチルダの関係を暗に指して、ノエインのみならずクラーラまで侮辱する物言いだ。キューエル子爵の横では、子爵夫人も一層の笑顔を見せている。夫婦揃ってノエインが気にくわないらしい。


 キューエル子爵はそこそこ大きな声で話していたので、会話が聞こえたらしい周囲の貴族が振り返ってノエインたちを見てくる。


 南東部貴族から見れば繋がりの薄い北西部貴族は政敵にあたるので、彼がノエインのことを気に食わないのは仕方ない。こうして安易に嫌味をぶつけてくる時点で相手の程度もたかが知れている……が、むかつくものはむかつく。


 そんな状況で、この嫌味に対して答えたのは、ノエインではなくクラーラだった。


「ご心配ありがとうございます。ですが、私は夫からこれ以上ないほど愛情を受けております。今は夫婦として支え合いながら領を治めることができています……将来もこのような関係を保てるように、夫婦揃って努力していく所存です。かたちだけの貴族夫婦になってしまうのは悲しいですから」


「……っ!」


 クラーラもよく通る声で言ったので、周囲の貴族の視線が今度はキューエル子爵夫婦に向けられる。キューエル子爵の笑みが引き攣り、横の夫人は分かりやすく羞恥と怒りで顔を赤くした。


「……ああ、英雄であるアールクヴィスト卿とお話する機会をあまり私が独占しても申し訳ないですな。それでは私はこれで、またお会いしましょう」


 早口でまくし立てたキューエル子爵は、夫人を連れてそそくさと離れていった。


「……キューエル子爵夫妻は社交の場でこそ仲の良い理想的な夫婦を演じていますが、実際はそれぞれ愛人を作っていて、そちらに夢中で夫婦仲が冷めきっているんです。上級貴族の間でも一部の者しか知らない話です。私はお父様から聞いていました」


「なるほど、それであの慌てようか……気分がスカッとしたよ。ありがとうクラーラ」


「いえ、私にできるかたちであなたをお助けするのは当然の務めです」


 クラーラは柔らかな笑みをノエインに向けた。


「……これからはあのように、あなたに嫉妬や逆恨みを向ける貴族も増えると思います。私はケーニッツ子爵家の娘として、王国内の主な貴族について実家である程度詳しく学びました。父が新たに仕入れた貴族社会の情報も、実の娘である私なら得られます。それを武器にして、社交では私があなたをお守りします」


 静かに、しかし確かな決意を感じさせる声でクラーラが語りかける。


 王国北西部の歴史ある大家であるケーニッツ子爵家には、長年かけて築いた人脈や情報網がある。クラーラは父親を介してそれにアクセスできる。新興の貴族であるノエインにはない力だ。


「……頼りにしてる。愛してるよ、クラーラ」


「私も愛しています、あなた」


・・・・・


 ノエインはその後も地方閥や王国中央部の有力貴族、さらには宮廷貴族まで、膨大な数の貴族から立て続けに声をかけられ、クラーラの手助けも受けつつ挨拶を乗り切った。


 たっぷり二時間ほどは続いた挨拶攻勢からようやく解放され、妻クラーラと、義理の両親であるケーニッツ子爵夫妻と共に、会場の端でひと息つく。


「……はあ」


「ははは、さすがに疲れた顔だな」


「まあ、そうですね……過去最高に大変な社交だったのは間違いありません」


 アルノルドに苦笑いで答えるノエイン。その言葉に嘘はなかった。ただ表面的に挨拶を交わすだけではなく、相手が本気でノエインに興味を持っている状態で挨拶を受け続けるのは非常に面倒だった。初めて北西部閥の晩餐会に参加したときや、クラーラとの結婚披露宴、一昨年の王宮晩餐会とも比較にならない厄介さだ。


 下心が透けて見える笑顔、友好的なふりをしてひっそり罠や毒を仕込んだ社交辞令、さらにはあからさまな嫌味。それらを躱していくのは本気で疲れたし、ノエインをサポートし続けたクラーラも同じくらい疲労の色を浮かべている。


「他貴族や他派閥が成功していくのは面白くないと、足を引っ張って蹴落としてやりたいと本気で思う貴族も多い。成功しているのが得体の知れない新興貴族ともなれば尚更だ……今回は損な役回りになったな」


「まったくです……おっと、あれは」


 ノエインが視線を向けた方向から近づいてきたのは、この貴族社会でも数少ない、ある程度気を許して接することができる友人――ヴィオウルフ・ロズブローク男爵だった。彼は今回特に褒賞を得たわけではないようだが、晩餐会には招かれていたらしい。今回は隣に妻らしき女性も連れている。


「お久しぶりです、ロズブローク卿」


「元気そうで何よりだ、アールクヴィスト卿。いや、アールクヴィスト子爵閣下と呼ぶべきかな?」


「そんな、どうぞ今までのように呼んでください。僕たちは友人でしょう?」


「ははは、そうだな。感謝する……あ」


 笑顔でノエインと挨拶を交わしたヴィオウルフは、その横に視線を向けると少し気まずそうな顔に変わる。アルノルドとエレオノールと目が合ったらしい。というより、ケーニッツ子爵夫妻がいることに近づくまで気づかなかったらしい。少し間の抜けた行動を見るに、やはり社交は苦手なようだ。


 ヴィオウルフからすれば、アルノルドたちは派閥抗争で自分が襲った貴族家の夫人の親。恨まれていないか心配するところだろう。当のアルノルドたちはノエインからロズブローク家の事情を聞いているので、複雑な気持ちではあるものの強烈に恨んだりはしていないはずだが。


「……ではノエイン、また後でな」


 ノエインたちに気を遣ってか、アルノルドがエレオノールを伴って離れていった。


「……ところでロズブローク卿、そちらは奥方ですか?」


「ん? ああすまない。紹介しよう」


 ヴィオウルフがそう言って紹介した夫人は、長身の彼とは違って小柄な女性だった。物静かなところはヴィオウルフと似ているだろうか。


 ノエインとクラーラも彼女と挨拶を交わし、同じ貴族家夫人同士、クラーラが彼女と会話に花を咲かせる。その横でノエインはヴィオウルフと歓談する。


「まずはアールクヴィスト卿、この度の陞爵おめでとう。卿の武功を聞いたときは私も驚いたよ。大変な戦いだっただろう」


「ええ、本当に……ほんっっとうに大変でしたまったく」


 ノエインはそう言って息を吐く。


 今日の挨拶攻勢ではどの貴族も「素晴らしい功績ですね」「あなたは英雄ですね」と言うばかりで、誰も「お疲れさま、大変だったね」と労ってくれなかったのだ。ヴィオウルフの気遣いが骨身に染みる。


「勝てたのは運によるところも大きいです。それでもこっちも少なくない被害を負いました……兵士や領民も死にました」


「……そうか。お悔みを言わせてもらう。私もこれまでの戦いで何度か部下の死を目の当たりにしたが、あれほど辛いこともなかなかない」


 少し声を暗くして言ったノエインに、ヴィオウルフも心底気の毒そうな表情で返す。


「自分の領地で領民たちと平和に暮らしていたいだけなのに……何故こう殺し合いばかり起こるのだろうな。それが人間の性とは分かっているが、守ってやるべき部下や領民が死んだときは、不毛だと分かっていてもつい嘆きたくなるよ」


「分かります。よく分かりますその気持ち」


 ノエインはヴィオウルフにますます親近感を抱きながら何度も頷く。やはり彼とは仲良くやっていけそうだと思う。


 その後もしばらくの間、ノエインは友人との会話を楽しんだ。この晩餐会で初めて楽しいと思える時間だった。

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