第106話 凶報

 レザッド砦は、要塞地帯の前線、北から数えて2番目の位置にある砦だ。


 北から数えて4番目の位置にあるバレル砦とはやや距離があるが、この風魔法使いはそこから休みなしで、各砦に報せを運ぶために走っているという。


「しかし、何故これほど早くレザッド砦は陥落したのだ? あの砦の規模はこのバレルよりも大きいし、兵の数も倍近くが配置されていたはずだ。そうそう落ちるものでもあるまい」


 フレデリックが尋ねると、風魔法使いはやや逡巡したあと、気まずそうに言う。


「それは……レザッド砦の指揮官を務められていたモーメルト準男爵が主力の隊を率いて勇猛果敢に戦い、敵将の喉元まで迫ったのですが、数で大きく勝る敵の攻撃に飲まれ、壮絶な戦死を遂げられました」


 その言葉を聞いたフレデリックや彼の副官、ユーリやペンスが呆れ顔でため息をつく。


 ノエインが首をかしげてユーリを見やると、彼はノエインの耳元で声を潜めて「つまり、武功を挙げようとわざわざ砦の外に打って出て、敵に囲まれて死んだってことだ」と説明してやる。それを聞いてノエインも皆と同じ呆れ顔を作った。


 砦に籠っていれば、多少の数の不利を補って戦えるはずだった。それなのにレザッド砦の指揮官は功を焦って野戦を仕掛け、数で押し負けて死んだのだ。誰が聞いてもため息が漏れる話だろう。


「モーメルト準男爵は確か北西部貴族だったな……砦に配属されたのが不満で無理に功績を挙げようとしたのか。愚かなことを」


 この風魔法使いがいくら抽象的な表現で自身の指揮官の失敗を誤魔化そうとしたところで、結果は変わらない。彼も無理があると分かっているのか、気まずそうな顔のまま報告を続ける。


「残る兵も奮戦しましたが、将と主力を失っては砦の防衛は難しく、砦はその後まもなく陥落しました。くり上がりで現場指揮官となっていた士官の命により、私はこの報を届けるために隙をついて砦を脱出し……今に至ります」


「そうか、ご苦労。水と食事をもらって、次の砦に向かうまで少し休むといい」


「はっ。感謝いたします……それともうひとつ」


「何だ?」


「レザッド砦の戦闘と、私が先に報告に行った他の砦の話から考えると、要塞地帯を攻める敵の数が予想より多いようです。総数だとおそらく5000かそれ以上いるのではないかと」


「そうか、分かった。覚えておこう」


 そう言って風魔法使いを下がらせると、フレデリックは司令室内を見回す。彼も、彼を囲むノエインや士官たちも表情は暗い。


「まずいな。これでは要塞地帯の防衛計画そのものが崩れる」


 各砦が健在のままであることで要塞地帯は機能していたのだ。そこにひとつ穴が開けば、その砦を攻めていた敵が他の砦への侵攻部隊と合流し、防衛するロードベルク王国側は数の点でまた一段不利になる。


「敵の数が多いというのも気になりますな。こちらは要塞地帯の敵を3000と見積もって砦の戦力を配分しているのでは?」


 ユーリが聞くと、フレデリックは悔しそうに顔をしかめた。敵の情報を集めていたのは王国軍と王家直属の諜報組織だというから、思うところがあるのだろう。


「ああ。そのつもりで配置しているから、各砦の今の戦力では厳しいだろうな……おまけに砦がひとつ落ちている。ここからの戦いはさらに厳しさを増す」


「しかし、土壇場になって敵の数が急増したということは、付近の農民を強制的に徴兵したか、金でかき集めたのでしょう。質のほどは知れているかと」


 厳しめに現状を見るフレデリックに、彼の副官はやや楽観的な考えを示した。


「確かにそうとも考えられるが……油断は禁物だ。こうなったら、どれだけ警戒してもし過ぎということはない」


「後方から増援を呼ぶことはできないんですか?」


「後方の砦も兵を抜くわけにはいかないだろう。増援を呼ぶなら本隊の予備軍からだ……しかし、ここから後方に伝令を送り、後方から本隊に連絡をとってもらい、そこから増援が来るとなると……次の敵の侵攻には間に合うまい」


 ノエインが聞くと、フレデリックは厳しい表情のままで返した。そこへユーリが発言する。


「それでも、何もせんよりはましでしょう」


「ああ、私の部下を一人、すぐにでも後方への伝令に出そう……ここからの戦いはもっと厳しくなるだろう。皆、より一層気を引き締めていこう」


 フレデリックがそう締めると、全員が頷いた。


・・・・・


「今日も敵陣では伝令がせわしなく行き来しているな」


「レザッド砦を落としたから、次にどう攻めるか話し合ってるんでしょうね」


 風魔法使いが報告に来た翌日。城壁の上で敵を眺めながらフレデリックが言い、その隣でペンスがそう答えた。


 ノエインもその場に並んで敵を見ているが、子どもの頃に本ばかり読んでいたノエインはあまり目が良くないので、敵の伝令が動いているということまでは分からない。


「味方の増援が来るのは早くても2日後ですよね。それまでに敵は攻めてくるでしょうか……?」


「おそらくな。これ以上はこちらを休ませてくれないだろう……こちらが増援を呼ぼうとするのは敵も予想しているはずだし、その前に攻めたいだろうな」


 伝令として後方の砦へと向かい、帰ってきたフレデリックの部下によると、味方の本隊も救援要請に応えてくれるだろうとのことだった。しかし、次の戦いまでにはとても間に合うまい。


 と、そこへまた見張りの声が響く。


「南より味方と思われる騎兵が一騎、走ってきます! 伝令と思われます!」


 それを聞いたフレデリックは顔を険しくする。ノエインとペンスも直感的に不安を覚え、表情を暗くした。


「また伝令か……嫌な予感がするな」


 そう言いつつもフレデリックは見張りに指示を出し、また東門から伝令を砦に入らせて出迎えた。


 騎兵は転がるように馬から降りてフレデリックたちの前にたどり着くと、片膝をついて緊迫した表情で言う。


「報告します! 南端のハルゼア砦が陥落したとのことです!」


「くっ……落ちた理由は?」


「わ、私は南から2番目のトゥーゼ砦の兵であるため詳細は分かりませんが、敵に野戦を仕掛けるも力及ばず、主力が敗走して残りの防衛部隊も総崩れになったと聞き及んでおります!」


 それを聞いたフレデリックは一瞬苛立った表情を浮かべるが、この伝令に八つ当たりをしてもどうしようもないので努めて冷静さを保つ。


「敵はハルゼア砦の防衛線を突破し、要塞地帯の中に入り込んだそうです。後方への退路は既に断たれたと考えた方がよいとのことでした!」


 続く伝令の言葉に、フレデリックもノエインたちも顔をこわばらせた。要塞地帯の前線に穴が空いてしまった以上、当然のことではあるが、これはさすがに凶報が過ぎる。


 フレデリックは伝令に「報告ご苦労。少し休んでから戻るといい」と伝えて下がらせると、周囲に集まっている幹部陣を見回した。


「さて……また功を焦った味方のせいでこちらが一段不利になったわけだが」


「退路を断たれたということは、味方の増援もこちらへたどり着くのは難しいと考えた方がよろしいでしょうな」


「おまけに砦が減った分、ひとつの砦が受け持つ敵がまた増えましたね」


 フレデリックに頷きながら、ユーリとペンスが発言する。二人の言う通り、味方は増えないのに敵はさらに増える見通しとなった。


「考え得る限り、最悪に近い状況だな」


 フレデリックも彼の副官も、ユーリもペンスも、全員が経験豊富な戦士だからこそ現状の厳しさがよく分かる。そのため気も沈む。


「……まあでも、こっちにはまだまだ打つ手がありますから」


 暗い空気を払拭しようと、ノエインが切り出した。


「敵はこっちが爆炎矢を何十発も持っていることを知りません。僕のゴーレムの強さも知りません。こっちには取れる策がいくつもあります」


「……ノエイン殿の言う通りだな。我々はまだまだやれる。私たち士官が後ろ向きになっては勝てる戦も勝てなくなる」


 ノエインに賛同するようにフレデリックも言い、場の空気が少し持ち直す。


「何より、僕はここで死にたくないですよ。結婚して一年足らずで妻を未亡人にするつもりはありません」


「それもそうだ、ノエイン殿を生きて帰さなければ私が妹に恨まれてしまう」


「僕も部下たちを生かして帰さないと大変です。このユーリはまだ小さい子どもがいるし、ペンスに至っては帰ったらうちのメイドと結婚する予定なんですから」


「ちょっと! 何で今そんな話するんでさあ!」


 ノエインの暴露にペンスが狼狽え、その場が笑いに包まれた。


「そうか、確かにそれでは死んだら大変だ……皆、帰りを待っている者がいるのだ。諦めるわけにはいかんな」


「ええ。生きて帰りましょう」

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