第80話 婚約と開拓①

「まあ、それでは大きな盗賊団をご自分の領だけで討伐してしまわれたというお話はやっぱり本当でしたのね?」


「ええ。とても厳しい戦いでしたが、私の傀儡魔法使いとしてのささやかな才と、変わり者ですが優秀な職人が作り出した新兵器、そして何より勇敢な領民たちのおかげで事なきを得ました」


 顔合わせでお互い嫌悪感を抱くようなこともなかったので、ノエインとクラーラはあれから間もなく正式に婚約を結んだ。


 とはいえ、可愛い娘が夫と打ち解けないうちに嫁に出すのはさすがに酷だというアルノルドの親心もあり、2人はアルノルドとエレオノールから定期的にお茶や食事の席を設けられて、交流を重ねている。


 この日はアルノルドもエレオノールも同席しない、ノエインとクラーラ2人きりでの初めての茶会だ。もちろんケーニッツ子爵家の使用人やノエインの従者であるマチルダなどはその場にいるが。


「……父からもご功績は聞いていましたが、ノエイン様は本当に凄い方なのですね。領主貴族としての才能がおありなのですね」


「私など、ほんの小さな魔法の才能と多少の運を持っているだけの未熟者です。広大なケーニッツ子爵領を長年にわたって見事に治められているケーニッツ子爵閣下を見習わせていただくばかりの身ですよ」


 婚約者とはいえ、そしてそれなりに気の知れたアルノルドの娘とはいえ、相手は大貴族の令嬢であることに変わりはない。ノエインはクラーラとなるべく打ち解けようとしつつも、できるだけ謙虚に、礼儀正しく務める。


 自分のことは控えめに語って、クラーラの父であるアルノルドを立てることも忘れない。幸いにも彼女は盗賊騒ぎに際してのアルノルドとノエインの確執を聞かされていなかったようなので、そのあたりはぼかしながら話す。


「ですが、もしも私がノエイン様と同じ立場だったら、きっとベゼル大森林を開拓することなんてとても叶いません……」


 顔を合わせるのも数度目となれば、クラーラもさほど緊張することなくノエインと言葉を交わしてくれるようになった。ノエインが会話の中にちょっとしたジョークを挟めば笑顔を見せてくれることもある。


 しかし、このようにどこかネガティブな雰囲気を纏っているところは変わらない。


「……私が普通と異なるところがあるとすれば、子ども時代の過ごし方でしょうか。それが今の自分の気質に繋がって、開拓を今のところ順調に進められている結果に繋がっているのだと思います」


「ノエイン様の子ども時代というと……その、き、キヴィレフト伯爵家にいらっしゃった頃のことでしょうか?」


 婚約するにあたって、クラーラもノエインの出自はアルノルドから聞かされている。しかし事情が事情なので、この話題に触れるのはおそるおそるといった様子だった。


「ええ、当時は伯爵家の敷地の端に離れを建てられて、そこに軟禁されるようにして暮らしていましたが……毎日暇だったので、本ばかり読んで暮らしていたんです。まさに本の虫でした」


 ノエインは少しおどけたように笑いながら続ける。


「私の生みの父は大貴族の見栄として屋敷に立派な書斎を備えていましたし、幸いその本を借りることは許されていました。世界各地の旅行記、さまざまな分野の学術書や技術書、さらには昔の歴史書や偉人の伝記まで読み放題でした。そうして得た知識が今も活きています」


「そうだったのですね……子どもの頃から努力を続けられていたからこそ、今のノエイン様があられるのですね」


「当時は他にやることもなかっただけですので、努力などとはとても……書物から得た知識や知恵が結果的に役立っているのも、幸運のひとつでしかありません」


 そう謙遜するノエインだが、クラーラはノエインへの尊敬と、自分への自信のなさを表情に浮かべて言う。


「私も屋敷の中で過ごすことが多いので、読書はそれなりにしてきたつもりですし、知識を覚えることも好きなつもりです。それでも、とてもノエイン様には敵わないでしょうね……きっと私ではノエイン様には釣り合いません」


 諦めたような顔で呟くクラーラに、ノエインは何と返すか迷った。ここで「そんなことはありません」などとあからさまな慰めを語っても、彼女は余計にみじめになるだけだろう。


 考えた結果、ノエインはやや強引に話題を変えることにした。


「クラーラ様はどのような分野の本を読むのがお好きなんですか?」


「そう、ですね……特に歴史が好きでしょうか。昔の人々がどのようなことを考えていたのか、この世界がどのように作られてきたのかが見えるようで、とても面白いと思います」


「なるほど、確かにそれは歴史を学ぶ醍醐味ですね」


 ようやく少し明るい顔を見せてくれたクラーラを見て、ノエインはここが突破口だと考える。彼女の好きなことについて話していけば、少なくともその間は彼女が暗くなることはないだろう。


「私は子どもの頃に読んだ本の内容を備忘録としてまとめていて、その書類の束を今も持っています。それにあまり大きな声では言えませんが……伯爵家を追い出されるときに、何冊かお気に入りの本を拝借してきているんです。その中には珍しい歴史書もあります」


「まあっ」


 いたずらっぽい笑みを浮かべてノエインが言うと、クラーラもクスッと笑った。


「生みの父は見栄だけで本を集めて自分では読まない方だったので、拝借したのが発覚することは永遠にないでしょう。その本も、私がまとめた備忘録も、クラーラ様にとっては興味深いものじゃないでしょうか」


「ええ、とても面白そうですわ」


「アールクヴィスト領に来れば、それらを好きなだけ読んでいただけますから。楽しみにしていてください」


・・・・・


 クラーラが歴史好きという一面が発覚し、そこを突いてそれなりに会話が弾んだところで、ノエインは暇を告げてケーニッツ子爵家の屋敷を出た。


「お待たせヘンリク。次は予定通り、例の場所に頼むよ」


「分かりましただ、ノエイン様」


 いつものようにアールクヴィスト士爵家の専用馬車に乗り込み、御者のヘンリクに指示を出す。


 馬車の中に入って人目がなくなったことで、ようやくノエインは肩の力を抜いた。


「あー、疲れるねまったく」


「お気持ちはお察しします、ノエイン様」


 マチルダから労いの言葉をもらいながら、座席にだらしなくもたれかかるノエイン。


「ようやく本心から楽しそうなクラーラの表情を引き出せたけど……普段のあの後ろ向きな感じはどうにかしてあげたいね」


 出会った当初と比べれば、クラーラも自然な笑顔を見せてくれるようになった。しかし、それもノエインが気遣い続けてようやく……というレベルだ。少し油断すればまた暗い顔になってしまう。


 政略結婚の色が強いとはいえ、せっかく妻となる相手には自分のもとで楽しく暮らしてほしい。当たり前だが、暗い顔でふさぎ込むように毎日を過ごしてほしくはない。


 クラーラにこの結婚を心から受け入れてもらうには、彼女のコンプレックスとなっている要素を聞き出して根本から解決しなければならないだろう。それにどれくらいの時間がかかるかはまだ未知数だ。


「……さて、次が今日の本題だ」


 ノエインはクラーラとのことをひとまず思考の片隅に収め、頭を切り替える。


 これから向かうのは、かつてラピスラズリ鉱脈の採掘指導のためにアールクヴィスト領に招いた鉱山技師――ドワーフのヴィクターのもとだ。


「もともと相手方も移住を希望されていましたし、きっと色よい返答をいただけるでしょう」


「そうだね、少なくともさっきのお茶会よりはよほど気楽に臨めるよ」


 これまではアールクヴィスト領の規模が小さすぎたために鉱山開発を先延ばしにしていたノエインだったが、領が十分に発展したと判断し、ついに着手することを決意した。そのために、以前世話になったヴィクターに声をかけることにしたのだ。


 ケーニッツ子爵と強い友好を結んだことで、鉱山開発の件で余計な妨害を受ける心配がなくなったのも理由としてある。


 馬車はレトヴィクの大通りを進み、やがてヴィクターが所属しているという商会の事務所へとたどり着く。ケーニッツ子爵領や周辺の小領の鉱山開発を一手に引き受けるここは、ノエインの懇意にしているマイルズ商会などとも並ぶ大商会だそうだ。


 あらかじめ書状を送って話は通してあったので、商会職員にすぐに対応してもらい、応接室を借りてヴィクターと会うことができた。


「ヴィクターさん、お久しぶりです。今日は時間を作ってくださってありがとうございます」


「こちらこそ、しがない鉱山技師である私に直々にお声がけいただき光栄です。アールクヴィスト閣下」


 およそ1年半ぶりにノエインと再会したヴィクターは、相変わらずドワーフらしい風貌とは裏腹の丁寧な物腰でそう言った。


「先にお送りした書状にも書きましたが……今回は、あなたにアールクヴィスト領へ移住していただきたいと思って来ました。独立してうちの領で新たな商会を興してもらい、レスティオ山地の開発に励んでいただきたい」


「最初に移住したいと申し上げたのは私の方ですので、きっと閣下にご納得いただけるお返事ができると思います」


「ありがとうございます。長らくお待たせしてしまって申し訳ない」


「いえ、むしろ領主貴族であらせられる閣下が、私のような者の言葉を覚えていてくださったことに感謝申し上げます。こうして直々にお誘いをいただいたからには、これからはぜひアールクヴィスト領の一領民として閣下のもとで奮闘したく思います」


「ありがとうござ……ありがとう、ヴィクター。僕も領主として、君の働きに見合った利益がもたらされるよう、そして君に不自由のない幸福な暮らしを送ってもらえるよう努めるよ」


「私などにはもったいないお言葉です」


 ヴィクターは今まで所属していた商会を離れ、子飼いの弟子や鉱山奴隷、さらには鉱山資源の加工職人たちを連れてアールクヴィスト領に移住し、自身の鉱山開発商会を設立することになる。


 そこでアールクヴィスト領内の山地の開発を行い、採掘された資源の加工・販売の利益から一定割合を報酬として受け取るのだ。


 移住の合意を確認したら、あとは報酬の割合を決めたり、鉱山開発に必要な施設・設備を確認したりと細かな条件を詰めるだけ。さほど時間をとることもなく、話し合いは和やかな空気のまま終わった。

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