第81話 婚約と開拓②
鉱山開発は、これまでノエインが自領で手がけてきた領地経営のあれこれと比べても遥かに大きな事業だ。鉱山技師ヴィクターを領地に迎える確約を得た後も、やるべきことはまだまだある。
ヴィクターとの面会を終えたノエインが次に向かったのは、マイルズ商会だった。
「お久しゅうございます、アールクヴィスト閣下。ご息災で何よりにございます」
「ベネディクトさんもお元気そうで何よりです。日ごろからお世話になっているにもかかわらず、なかなか顔を見せることもできず申し訳ありません」
応接室で商会長のベネディクトと挨拶を交わすノエイン。
彼には普段のラピスラズリ原石の買い取りはもちろん、最近は王国北西部の各貴族領にクロスボウやジャガイモを送るためにその流通網を貸してもらっていた。ノエインとしては本心から礼を言いたい相手だ。
「恐縮でございます。北西部の未来を切り開く閣下のご活躍はしがない商人である私の耳にも入っておりますれば、そのご活躍の一端を微力ながらお支えできることを誇らしく思う次第です」
大商会として貴族との取引も多いマイルズ商会の長ともなれば、ノエインが北西部閥の中で頭角を現し始めているという情報も掴んでいるらしい。そんなノエインから頼られているというだけで、商人として多少の箔になるということか。
「そう言っていただけると私としても嬉しいです……それで、今回は少し相談がありまして。それなりに大きな取引の話になると思いますので、こうして領主の私が自ら参りました」
ノエインが本題を切り出すと、ベネディクトも笑みを保ちつつ、商人として纏う空気を変える。
「他ならぬアールクヴィスト閣下のご相談とあらば、よろこんでお伺いいたします」
「ありがとうございます……単刀直入に言うと、現在のラピスラズリ原石の卸売り契約を一度終了させて、新しい取引をしていただきたいのです」
ノエインの話を聞いてもベネディクトは下手に表情を動かさない。この提案の意味を熟考しているらしい。
「……となりますと、閣下もいよいよ鉱山開発に本格的に取り組まれる、という理解でよろしいでしょうか?」
「さすがですね。まさしくその通りです」
「お褒めに与りまして光栄に思います」
ノエインは鉱山開発に本腰を入れ、現在見つかっているラピスラズリ原石だけでなく、他の資源も探すつもりだ。さらに、それらの加工まで自領で手がけようとしている。
だから、マイルズ商会と結んでいるラピスラズリ原石の卸売り契約を終わらせ、新たにアールクヴィスト領で採掘・加工した鉱山資源を販売する契約を結びたい。
そこまでの事情を、ベネディクトはノエインの最初の提案だけで察したのだ。さすがは大商会のトップといったところだろう。
「アールクヴィスト領にも商人が移住して新たに商会が設立されました。『スキナー商会』と言って、アールクヴィスト士爵家の御用商会となります」
スキナー商会は、フィリップがアールクヴィスト領で新しく立ち上げた商会の名前だった。
「今後の鉱山開発で得られた資源のうち領外に輸出する分は、このスキナー商会へと卸すつもりでいます。なのでマイルズ商会には、ここと取引していただきたい。顔繫ぎは私が行わせていただきますし、規模的にもそれなりに割のいい商売になるかと思いますが、いかがでしょうか?」
鉱山資源の取引はあくまでスキナー商会とマイルズ商会で行うことになるが、ノエインがそこにお墨付きを与えて色々と便宜も図る。
こうすれば、自身の御用商会であるスキナー商会に大口の取引を与えて育てつつ、信用のおける大商会であるマイルズ商会の販売網を利用して資源を領外に輸出することができるだろう。
一方のマイルズ商会も、これからアールクヴィスト領で産出される資源の流通を一手に引き受けて儲けることができる。両者が得をする取引だ。
「こちらとしても大変嬉しいご提案にございます。是非そのお話をお受けさせていただきたく存じます」
「それはよかった。これからも末永く、お互いが利益を得られる関係でいきましょう」
ノエインが笑顔で握手を求めると、ベネディクトも人好きのする笑みを浮かべてそれに応えた。
・・・・・
鉱山開発のための手回しはまだ終わらない。レトヴィクで必要な話し合いを済ませたら、今度は領都ノエイナの中を駆けまわることになる。
「フィリップ、今ちょっといいかな? 話したいことがあるんだけど」
「これはノエイン様……もちろんです。よろしければ応接室の方にどうぞ」
スキナー商会の店舗を訪れたノエインは、従業員やフィリップ所有の奴隷たちが忙しく働く店内を抜けて商談用の応接室へと案内された。
椅子にかけ、テーブルを挟んでフィリップと向かい合ったノエインは、さっそく本題に入る。
「フィリップ、実は君に大きな取引を任せたいんだ。御用商人として」
「大きな取引……分かりました、ぜひお話を聞かせていただきます」
ノエインの言葉を聞いて、フィリップは少し緊張した面持ちで背筋を伸ばす。
そこへノエインが今回の提案……鉱山開発で得られる資源をスキナー商会経由でマイルズ商会へと売ることを説明した。
「そ、それはまた……とても大きな取引ですね」
スキナー商会は現在、アールクヴィスト領の領民たちへの生活必需品の小売を主な収入源としている。今後はそこに、ノエインが領民から税として集めた作物の現金化という仕事も加わる予定だ。
その上で鉱山資源まで扱うとなると、今の商会の規模では手に余る。
ベゼル大森林の一片を丸ごと与えられているアールクヴィスト士爵領は面積だけは広いので、鉱山開発も順調に進めば相当な規模になるだろう。商会としてその資源の販売を担うには相当な労力が必要になる。
しかしこれは、スキナー商会にとって多きなチャンスでもある。ノエインの話を受ければ、王国北西部に広く販売網を持つマイルズ商会と太い繋がりを作れるのだから。
「確かに魅力的なお話ですが……果たして私に務まるでしょうか」
「領主貴族の御用商会になるのなら、領外の大商会との繋がりは必須だからね。これは君にとっても大きな一歩になると思うよ。それにもうマイルズ商会の方には話しちゃったんだよね、実は」
「そ、そうなんですか!?」
てへっと笑うノエインに、思わず目を見開いて大声で聞いてしまうフィリップ。
「もちろん『スキナー商会の長が尻込みしてしまったのでこの話はやっぱりなしで』って言うこともできるけど……どうする? 鉱山開発が本格的に動き出すのはもう少し先のことだから時間の余裕はあるし、引き受けてくれるなら従業員の増員や商会の倉庫の増築なんかも手助けするよ」
そう提案するノエインの顔は、フィリップを試すようだった。
「……分かりました。ノエイン様の御用商人としてふさわしい働きをお見せできるよう尽力します。どうかお任せを」
「そう言ってもらえて嬉しいよ。期待してるからね。何か困ったことや相談があったらいつでも言ってね」
覚悟を決めたように言うフィリップにノエインも微笑みかける。
これでアールクヴィスト領の地元商会を一回り大きく育てつつ、鉱山開発で得られる資源の流通ルートも確保できるだろう。
・・・・・
「レスティオ山地の麓に村づくりですかい……そいつはまた随分とでかいご依頼で」
最後にノエインが訪れたのは、アールクヴィスト領で建設業商会を構える大工の親方ドミトリのもとだった。
鉱山技師や採掘の人夫、さらに資源を加工する職人までをアールクヴィスト領内のレスティオ山地に居住させるなら、そこはもう採掘キャンプなどという規模ではなくなる。
少なくとも数十人が働く作業場や寝泊まりする家が必要になるし、採掘した資源を保管する倉庫や、資源を輸送する人員の宿泊場所なども必要になる。ゆくゆくは酒場や娼館などの娯楽施設も求められるし、食糧自給のために農業も行われるようになるだろう。
これはもはや、ひとつの村を新しく造ると言っても過言ではない規模の事業だ。
「今の採掘キャンプまでは一応は道を整備してあるし、ベゼル大森林はレスティオ山地の麓まで続いてるから現地で木材に困ることもないと思うんだけど……やってもらえるかな?」
「もちろん技術的には可能ですが、今のままだと圧倒的に人手が足りねえでしょうね。それに時間も年単位でかかりやすよ」
ドミトリの建設業商会は、領都ノエイナでの家屋建設を一手に引き受けている。日々増えていく移住者のために家を建てながら、さらにレスティオ山地の麓に村を造るとなると、明らかに人員不足だ。
「その点は僕も手助けするよ。新しく従業員を集めたり奴隷を買い足したりできるよう各方面に口添えするし、必要なら前もって資金を融資することもできる。それを踏まえて、どうかな?」
「ノエイン様がそこまで言うんでしたら、喜んでやらせていただきますぜ。これでうちの商会もまたでかくなりますよ」
「よかった……ありがとう。君たちにはこれからもどんどん稼いでもらいたいと思ってるからよろしくね」
「はっはっは! そいつは嬉しいですね。この先も頼ってもらえるよう頑張りますんで、見ててくだせえ」
その後、具体的な発注内容や事業の開始時期、追加で必要な人材など詳細を話し合い、ドミトリの建設業商会の事務所を出る。
「これで一通りの準備は終わりかな……忙しい」
「お疲れ様です、ノエイン様。これで鉱山開発の事業も順調に進んでいくことでしょう」
さすがに大規模な鉱山開発をするとなれば、必要な準備の量が段違いだ。
しかし、関係者たちに根回しを行い、利益ややりがいを提示して各々のモチベーションも上げさせた。こうしておけば、大きな混乱もなく事業は進んでいくだろう。
諸々の結果が出始めるのは早くても数か月後。あとは声をかけた職人や商人たちの働きに期待し、必要があれば手助けし、じっくり待つのみだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます