第70話 晩餐会③
「諸君。もう各々が挨拶を済ませたとは思うが、盟主であるこの私からあらためて紹介させてほしい。彼はノエイン・アールクヴィスト士爵。この北西部閥に新しく加わった同志だ」
ベヒトルスハイム侯爵にそう紹介され、ノエインは自身の右手を左胸に当て、晩餐会の出席者たちに向けて恭しく頭を下げる。貴族が目上の者に対して示す礼だ。
「既に聞いている者も多いだろうが、このアールクヴィスト士爵は先の盗賊騒ぎを終息させた英雄だ。人口わずか200人ほどの小領を治める身でありながら、200人規模の盗賊団を壊滅させるという武勇を示している」
侯爵の紹介を聞きながら、貴族たちは顔を寄せ合ってボソボソと言葉を交わす。その会話でノエインをどのように評しているのかは、当のノエインには分からない。
「この優秀な若者が、ケーニッツ子爵の紹介で我らの派閥の輪に加わってくれることとなった。新たな仲間との出会いを歓迎しようではないか」
侯爵がそう呼びかけると、貴族たちの間でパラパラと拍手が起こった。
心からの歓迎を示すように力強い拍手を贈る者――例えばオッゴレン男爵など――もいれば、冷めた表情で役目済ましの拍手をする者――例えばマルツェル伯爵など――もいる。
ひとまずはこんなものだろう、とノエインは思っていた。よく言えば結束の強い、悪く言えば身内で凝り固まった派閥の中で、出自もよく分からない新参者が満場一致で諸手を上げて歓迎されるはずもない。
「さて、わざわざ諸君の注目を集めたのは、ただアールクヴィスト士爵への歓迎を促すためだけではない。彼が持参したという手土産を紹介してもらうためだ」
侯爵がそう言うと、貴族たちが少しざわつく。
手土産のクロスボウの件を聞いていたのは、ノエインを紹介した張本人であるアルノルドと盟主のベヒトルスハイム侯爵、あとはマルツェル伯爵などの侯爵に近しい者だけだった。
「では頼むぞ、アールクヴィスト卿」
「はい……それではベヒトルスハイム侯爵閣下に代わり、私からご説明をさせていただきます。私が手土産として持参したのは、我が領で盗賊討伐を成す上で切り札となった新兵器です」
新兵器、と聞いて貴族たちのざわつきが大きくなった。彼らも興味を引かれたようだ。
ノエインが話している間に、予め別室に控えていたペンスが晩餐会場に入ってくる。その手にはクロスボウがあった。
「これが我がアールクヴィスト領で開発された新兵器です。これを作った優秀な職人ダミアンによって、クロスボウという名がつけられています。一目ご覧いただけばお分かりになるかと思いますが、これは弓の発展形となる武器です」
ノエインの説明とともにペンスが掲げたクロスボウをできるだけよく見ようと、貴族たちは前方に近づいてきた。彼らの目には好奇心と、クロスボウの有用性を見定めようと考察する意思が浮かんでいる。
「クロスボウの革新性は、筋力を使わずとも弦を引いた状態を容易に維持できる点と、これを構えて敵に向けるだけで修練なしに矢を真っすぐ放てる点にあります……口で説明するより、一度見ていただいた方が早いでしょう」
ノエインはそう言いながらペンスを見る。するとペンスは頷き、クロスボウの弦を引いた。こうして実射撃をして見せることは、あらかじめベヒトルスハイム侯爵にも伝えて許可を取ってある。
狙うのは、板金鎧を小麦袋に被せた的。人間の騎士に近い的として用意されたものだ。
「それではご覧に入れます。皆様ご注目を」
ノエインの言葉を合図に、ペンスはクロスボウを構えて板金鎧に狙いを定める。
ペンスが引き金を引くと、「パシュッ」と空気を切る音とともに矢が放たれた。
矢は狙いを外れることなく的に進み、板金鎧を貫通して小麦袋に深々と突き刺さった。これが人間であれば間違いなく致命傷になるのは誰の目にも明らかだ。
「おおっ」「板金鎧をいとも簡単に……」と、貴族たちの間でも驚きの声が上がる。
腕の力で射る弓の場合は、必ずしも板金鎧を貫通できるとは限らない。
しかし、人力で弦を支え続ける必要のないクロスボウは、一般的な弓よりも大幅に威力を高めることができる。十分以上の威力を備えたこの武器は、領軍を抱え領地を守る貴族たちの目にはとても魅力的なものに映ったことだろう。
「さらに、このクロスボウには弓よりも遥かに少ない修練で扱えるようになるという利点もあります。数日もあれば、ただの農民が優秀な弓兵に変わることでしょう」
ノエインの説明で、貴族たちがさらに沸き立つ。それほどこのクロスボウという武器のメリットは画期的なのだ。
「諸君。アールクヴィスト卿はこれほど強力な武器を自領で開発したにも関わらず、それを秘匿せず、私たち北西部閥の貴族に開示して売ってくれるという。彼の派閥への貢献に感謝しようではないか」
ベヒトルスハイム侯爵がそう呼びかけると、貴族たちは今度は大きな拍手でノエインを包んだ。
そのままノエインの周囲に集まり、「これは幾らで売ってくれるのかね?」「最短でいつ受け取れる?」「今日買うことはできないか?」と質問攻めにする。最初はノエインを冷たい目で見ていた者たちも、今となっては綺麗に手のひらを返していた。
「ふんっ、得体の知れん新兵器とやらに、揃いも揃ってよく飛びつくものだ」
そう吐き捨てながら貴族たちを見ているのはマルツェル伯爵だ。
「そう言いながら、あの武器の凄まじさは理解しているのだろう?」
「確かに、あれが画期的な発明だということは認めます。しかし修練も積まずに扱える武器など……あれでは戦士の矜持などあったものではない」
ベヒトルスハイム侯爵に言われてもなお、不愉快そうな顔を止めないマルツェル伯爵。騎士としての強い誇りを持つ彼にとって、誰でも指一本で簡単に人の命を奪えるクロスボウは面白くない道具らしい。
「まあまあ、マルツェル卿のお気持ちも分かりますが……私としては、こうして新しいものを持ち込む有能な若者が現れたことを喜ばしく思いますよ」
会話に加わってきたのは、北西部閥でマルツェル伯爵に並ぶ発言力を持つアントン・シュヴァロフ伯爵。
王国中央部との境界あたりに領地を持つシュヴァロフ伯爵は、中央部と北西部の交通・流通を守り支えることで強い立場を得ている人物だ。中央部とのパイプ役という立場上、穏健派として知られている。
北西部閥の重鎮3人が並んで会話を交わしていると、そこへ派閥の四番手であるアルノルド・ケーニッツ子爵も加わった。
「おお、ケーニッツ卿。あの新入りは素晴らしい手土産を持ち込んでくれたな。彼を北西部閥へ惹きこんだ貴殿も大手柄と言えるだろう」
「ありがとうございます、ベヒトルスハイム閣下。ですが私など大した役割は果たしておりません」
アルノルドはノエインに乞われて北西部閥へと顔を繋いだだけだ。それを手柄などと評されても、かえって居心地の悪さすら感じてしまう。
「北西部閥に新しい貴族家が加わるのは久しぶりのことですが……あれほどまでに一瞬で貴族たちの心を掴んだのは、彼が初めてではないでしょうか?」
未だに貴族たちに囲まれているノエインを見ながら、シュヴァロフ伯爵がそう言った。
「ええ、おそらくそうでしょう……そして今後も、彼は大きな成果を上げていくと思います。隣人として接しているだけでも、彼の非凡さを痛感させられる場面がこれまで何度もありました」
そう語るアルノルドの声は、どこか諦念のような感情も含んでいる。
「ノエイン・アールクヴィスト士爵か……勇ましい質ではないが、言動を見ても頭がいいことには違いない。底知れない部分もあるが、面白い男だな」
ベヒトルスハイム侯爵は不敵な笑みを浮かべて言った。
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