第69話 晩餐会②
北西部閥の年末の晩餐会は、あまり格式ばった集まりではない。出席者たちは盟主であるベヒトルスハイム侯爵に挨拶をすれば、あとは仲のいい者で集まって情報交換がてら会話を楽しむだけだ。
しかし、新参者であるノエインはそうもいかない。一通りの出席者と自己紹介を交わして顔と名前を覚えてもらう必要がある。
そのためノエインは、アルノルドに連れられるままに貴族たちのもとを渡り歩いては、いつ終わるとも知れない挨拶攻勢をくり広げていた。
北西部閥の貴族たちのノエインに対する反応はさまざまだ。
多くは見知らぬ新入りであるノエインの価値や能力を値踏みするような様子見の姿勢で、当たり障りのない言葉をかけてくる。
一部の者は、獣人奴隷を従者として連れているノエインに小さく眉を顰め、淡泊な対応に終始する。
盗賊団の被害を受けていた貴族の中には、その討伐を成し遂げたノエインに感謝を伝えたりと友好的な反応を見せる者もいた。
「マルツェル伯爵閣下。こちらが我が領の西に新しく領地を開拓しているアールクヴィスト士爵です」
「ご紹介を感謝する、ケーニッツ子爵……ほう、これが噂の盗賊殺しか」
「お初にお目にかかります。ノエイン・アールクヴィストと申します」
ノエインが次に挨拶を交わしたのは、エドムント・マルツェル伯爵。北西部閥ではベヒトルスハイム侯爵に続くナンバー2の大家だとアルノルドから事前に聞いていた。
「最下級の士爵でありながらケーニッツ卿に推薦されるということは、それなりに有能であることに間違いはないのだろうが……ふん、貴族としての礼儀は知らんようだな」
マルツェル伯爵が鼻を鳴らしながら目を向けたのは、ノエインの後ろに控えるマチルダだ。どうやら伯爵はノエインの獣人好きの気質に眉を顰める部類の人間らしい。
「自分の振る舞いが奇特であることは理解しているつもりです。ご不快な思いをさせてしまっているようでしたら申し訳ありません」
穏やかな顔でノエインが言ってのけると、マルツェル伯爵は顔をやや険しくした。傍で2人の会話を聞いているアルノルドもやや表情を固める。
獣人に寛容な王国北部とはいえ、ノエインの言動は相当に生意気だと評されても仕方のないことだった。こうした態度が許されるのは世間知らずを多めに見てもらえる若造か、生意気を許容される程度に重要な立場にいる者だけ。ノエインは前者だ。
ノエインはこの若造特権を使い、ギリギリの線を見極めながら自分の個性を主張しているわけで、傍で見ているアルノルドとしては少しヒヤッとするやり取りである。
「ちっ。まあ貴様がその生意気さで貴族社会での立場を危うくしようと知ったことではないが。この北西部閥や、貴様を紹介したケーニッツ卿の評価に泥を塗らないよう気をつけることだな」
吐き捨てるように言葉を残し、マルツェル伯爵は早々に離れていった。
「……少し肝を冷やしたぞ、アールクヴィスト卿」
「すみません。ですが自分の意思でこのマチルダを連れている以上、どうせ表面的な言い訳をしても今さらかと思いまして」
ノエインはこの北西部閥で「生意気を許容される程度に重要な立場」を得るつもりでいる。だからこそ新参者の身でありながら、こうした奇特な行動をとっているのだ。
単に「愛するマチルダを他の者に見せつけて回りたい」という子どもじみた意地もあるが。
「ですが、少々やりすぎたかもしれません。大家であるマルツェル伯爵家から目をつけられてしまったでしょうか?」
「ああ、それは大丈夫だろう。マルツェル伯爵はやや頑ななきらいはあるが、かといって個人的な好き嫌いで伯爵家当主としての権力を振るうようなことはないはずだ」
マルツェル伯爵は王国北東部との境界あたりに領を持ち、何かと衝突しがちな北東部閥との対立の矢面に立つ役割を務めているという。言わば筋金入りの武闘派の家柄だ。
それ故にお堅い保守的な家風を持ってはいるが、自身の気質とそぐわないから、立場が下の相手だからといって問答無用に虐めるような人間ではないらしい。
「さて、次は……貴殿のお待ちかねのオッゴレン男爵が暇そうにしているな。彼に挨拶に行くか」
「いよいよですか。楽しみです」
アルノルドとノエインが目を向けたのは、やや太り気味で人の良さそうな顔をした中年の男。優しげではあるが、貴族家の当主としてはやや迫力が足りないようにも見える。
このオッゴレン男爵への挨拶をノエインが楽しみにしていた理由は、彼について事前に聞いていた情報にある。
オッゴレン男爵は貴族としてはかなり珍しく、獣人の奴隷を溺愛する趣味があることで有名なのだ。自身も兎人のマチルダを愛する身として、ノエインはオッゴレン男爵と仲良くなれそうだと考えていた。
「失礼、オッゴレン卿」
「おお、ケーニッツ子爵閣下。一年ぶりですなあ」
アルノルドに声をかけられ、軽く挨拶を交わしたオッゴレン男爵は、ノエインを見て、その後ろに立っているマチルダを見て、目を輝かせる。
一方のノエインも、オッゴレン男爵を見て、彼の後ろに立っている猫人の奴隷を見た。
オッゴレン男爵が連れている猫人の女性奴隷は、明らかに実用性よりも見た目の可愛さを重視したフリフリのメイド服で着飾っていた。さらに宝石を使った装飾品まで身に着けている。普通の奴隷ならあり得ない身なりだ。
彼女がオッゴレン男爵から、文字通り猫可愛がりされているのは明らかだった。
「紹介させてもらおう、オッゴレン卿。こちらはノエイン・アールクヴィスト士爵。この北西部閥に新しく加わった同志です」
アルノルドにそう紹介されたノエインは、オッゴレン男爵としっかり目を合わせる。
「……初めまして、オッゴレン男爵閣下」
「どうも、アールクヴィスト士爵」
ノエインとオッゴレン男爵は握手を交わす。社交辞令としての軽い握手ではなく、まるで古くからの親友であるかのようにお互いの両手をがっちりと握る。
「君の連れている兎人の彼女、とても凛々しくて素敵だよ。表情も、佇まいも、装いも、しなやかな強さと美しさを兼ね備えているのがよく分かる。彼女は君にとても大切に扱われているんだなあ」
「ありがとうございます。このマチルダは僕の自慢の奴隷です……オッゴレン閣下のお連れしている猫人の彼女も、とても可愛らしいですね。装飾を施したメイド服がよく似合っています」
お互いの連れる奴隷を褒め合う2人。その傍らではマチルダが無表情を保ち、一方の猫人女性は褒められたことに照れた様子でオッゴレン男爵に寄り添う。
「おお、分かってくれるか。私もこのミーシャが世界一可愛い猫人だと思っているんだ。こうして褒めてくれた貴族は君が初めてだよ」
「私も、こうしてマチルダについて語ることができたのはあなたが初めてです」
「獣人を愛でていると貴族の間でも変人扱いで肩身が狭いからなあ。致し方ないことだが、お互いに苦労するなあ」
「ええ、本当に」
2人にしか分からない感情を語り合うノエインとオッゴレン男爵。その横ではアルノルドが表情を無にして、空中の何もない一点をただ見つめながらこの会話が終わるのを待っている。
「アールクヴィスト卿、君は確かケーニッツ閣下の西隣に領地があると聞いているが……」
「はい、ベゼル大森林の一片を領地として賜り、開拓に励んでいます。オッゴレン閣下は確か、北西部の中でも南寄りの位置に領地をお持ちだとか」
「よく知っているなあ、その通りだよ」
ノエインが事前にアルノルドから聞いていた情報によると、オッゴレン男爵領はケーニッツ子爵領から南東に一週間ほど進んだところにあるという。
これといって特筆すべき土地ではないが、平地が多く、それなりの規模の穀倉地帯を構えているらしい。
「お互いの領地は少し距離があるが、せっかく獣人奴隷を愛する仲間同士だ。これからも仲良くしてほしい。困ったことがあればいつでも相談して、そうでなくてもいつでも遊びに来てくれ」
「ありがとうございます。オッゴレン閣下もいつでも私の領にお越しください。歓迎させていただきます」
ノエインとオッゴレン男爵は、再びがっちりと握手を交わす。
貴族にとって、利害関係に囚われない純粋な友情を育むのはとても難しいことだ。その点において、ノエインがオッゴレン男爵と知り合えたことは非常に幸運であったと言えるだろう。
「……そろそろよろしいかな?」
「ああ、これは失礼しました、ケーニッツ閣下。アールクヴィスト卿をご紹介いただけたこと、恩に着ますぞ」
「喜んでいただけて何よりです。私も紹介する前から、オッゴレン卿はきっとアールクヴィスト卿との出会いを喜んでくださると思っていましたよ」
やや呆れながらも、アルノルドは微笑を浮かべてオッゴレン男爵に返した。
男爵の傍を離れてから、アルノルドはノエインにも声をかける。
「貴殿らは仲良くなれるだろうとは思っていたが、予想以上だったな」
「他の貴族方にはなかなかご理解いただけませんが、私にとってこのマチルダはかけがえのない存在で、できることなら彼女の美しさと強さを自慢して回りたいくらいなんです。こういう話を共有できる友人と巡り合えるなんて、私にとっては生涯で何度あるかという貴重な機会ですよ」
「……そうか。残念ながら私にはよく分からんが、貴殿がそこまではしゃいで喜んでいるのなら良かったよ」
「は、はしゃいでしまっていましたか? すみません、お恥ずかしい……」
社交の場で貴族らしくもなくはしゃいだことに少し照れながら、ノエインはそう返した。
これで一通りの挨拶が済んだだろうか、と思いながらアルノルドが周囲を見回すと……盟主であるベヒトルスハイム侯爵が近づいて来るのが見えた。
「ケーニッツ卿。そろそろアールクヴィスト卿の挨拶回りは終わったかね?」
「ベヒトルスハイム閣下。一応は全ての出席者と顔合わせを済ませました。これでアールクヴィスト卿のことを北西部閥の貴族方も把握したでしょう」
「そうか、ではそろそろ彼の手土産を紹介してもらいたいのだが……アールクヴィスト卿、準備はいいかね?」
「はい。若輩者の私がこのような場でお話する機会をいただけて嬉しく思います」
「よい。盗賊殺しの新兵器は私も強く興味を引かれるからな。この晩餐会は毎年変わり映えのしないものになりがちであるから、珍しいものを見られるのは楽しみだ」
そう言いながら、ベヒトルスハイム侯爵はノエインを連れてパーティーホールの前方に進み出る。
それを見た出席者たちは、侯爵が呼びかけるまでもなく静まり、そちらを向いた。
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