第61話 開戦前夜
アールクヴィスト領へと第一報を運び込んできたのは、意外な人物だった。
「ノエイン様! 失礼します!」
そう言って領主執務室の扉を激しく叩き、入室してきたのはペンスだ。
彼らしくない焦りの感じられる振る舞いと、血相を変えた顔を見て、ノエインも険しい顔で立ち上がる。
「まさかもう盗賊が襲来したの!?」
「いや、まだ接近の知らせだけです……けど、もうあんまり時間がありません。行商人のフィリップが情報を届けに来てくれました。すぐに迎え撃つ準備が必要でさあ」
まだ盗賊が来たわけではないと聞いてひとまず安心したノエインは、ペンスの報告に意外そうな顔を見せた。
「フィリップさんが知らせに来たの? わざわざうちの領まで?」
「はい、話を聞いてやってください」
ノエインはマチルダに従士の招集を頼むと、ペンスとともに屋敷を出て市街地の広場に向かう。
そこにはペンスの言った通り、フィリップが待っていた。馬車はなく、かなり疲れているらしい顔を見ると、どうやら盗賊接近の知らせを伝えるためだけに馬に乗って急いで駆けてきたらしい。
「フィリップさん」
「ノエイン様、盗賊団が今日ケーニッツ子爵領に入ったという情報がレトヴィクに届きました。それでお知らせしようと急いでここへ……盗賊団は真っすぐに西を、おそらくアールクヴィスト領を目指しているそうです。明日にはここに着きます!」
「ありがとうございます。おかげで僕たちも迅速に迎え撃つ準備ができます。なんとお礼を言えばいいか……」
「いえ、私のことはいいんです。それよりすぐに領民の皆さんに知らせてあげてください」
「感謝します。ひとまずうちの屋敷で休んでください。馬も休息が必要でしょう。その後は……今から単身レトヴィクに戻るのはかえって危険でしょうから、このまま領都ノエイナにいた方がいいのでは?」
「それでは、お言葉に甘えて留まらせていただきます」
フィリップを連れてノエインが屋敷に戻ると、既にマチルダも屋敷へと帰っていた。
「ノエイン様、招集が完了しました。従士執務室に全員入っています。従士以外にも領民の顔役たちを集めましたが、よろしかったでしょうか?」
「ありがとうマチルダ。その方がいいね、助かるよ」
会議室代わりの従士執務室に入ると、そこに集まった従士たちと、平民のリーダー格の面々が一斉に立ち上がってノエインに頭を下げる。
「座って。楽にして」
ノエインの指示に従って着席した一同。その表情は様々だ。
ユーリやペンス、ラドレー、バートといった傭兵上がりの従士たちは落ち着いた様子だが、エドガーやアンナ、そして平民たちは明らかに緊張していた。
視線を集めたノエインは、努めて冷静に話し始める。
「皆も聞いた通り、盗賊団がこのアールクヴィスト領に迫っている。その規模は200人弱だ」
ノエインの言葉に、戦闘職の従士以外が小さくどよめく。無理もないだろう。
「ただ、幸いにも盗賊が来るまでにはあと1日の猶予がある。これほど早く接近を知ることができたのは、皆もよく知る行商人フィリップさんのおかげだ。彼が馬を走らせて知らせてくれたから、僕たちは万全の態勢で盗賊を迎え撃つことができる」
まだ時間はあると聞いて、やや浮足立っていた者も冷静になったようだ。
「……この戦い、僕は勝てると思ってる。盗賊団を追い払うんじゃなく、全滅させられると思ってる。こっちにはクロスボウがある。僕のゴーレムもある。それを盗賊たちは知らない」
そう言いながら、ノエインは少し微笑んだ。領主の落ち着いた語り口に、執務室にいる者たちの表情も少し明るくなる。
「盗賊を迎え撃つ作戦は、あらかじめ話していた通りだ。武器も備えも、僕たちの方が有利だ。あとは気持ちだけ……敵を恐れさえしなければ僕たちは勝てる。だから勝とう。全員で勝って生き残るんだ」
・・・・・
アールクヴィスト領の領都ノエイナを囲む城壁代わりの木柵。その内側では、盗賊団を迎え撃つための準備が夜を徹して行われていた。
門の両端には丸太でバリケードが築かれ、門に迫られても大勢で一気に攻められないように道が狭められている。
また、木柵の内側には足場が組まれ、柵の上からクロスボウの矢を放てるようになっていた。
この日までに製造が間に合ったクロスボウは47挺。矢は1500本以上。農業や開拓作業への影響を度外視でクロスボウ作りに労働力を集中したとはいえ、「冬までに10挺」という当初の量産予定から考えると驚くべき数だ。
領民たちのクロスボウ射撃訓練もこの数週間で集中して行っていたので、全員が問題なく扱える。
地の利を活かした作戦も立てている。
「やれる備えは全てやったね。あとは待つだけだ……女性と子どもたちの避難準備はできた?」
「ああ。これから川辺に向かわせるところだ。領主として言葉をかけてやってくれ」
ユーリにそう促されて、ノエインは広場に集まった女と子どもたちのもとへ向かう。そこでは各々が、これから戦いに臨む夫や父親と言葉を交わしていた。
彼女たちは戦闘では足手まといになるし、もしもアールクヴィスト領が戦いに負けたら、ただ殺されるよりも酷い目に遭うのは明らかだ。
そのため、南西の川辺に避難しておき、いざというとき――男たちが敗北したときは川に沿ってケーニッツ子爵領まで逃げるようにノエインが命令していた。
「ノエイン様、やはり私も戦いに……」
「悪いけど、その頼みは聞けないよ、エドガー」
女と子どもを避難させるとはいえ、それを守る男手がゼロというわけにはいかない。その役目を、ノエインはエドガーと他数人の男に課していた。
「ですが……私はもう、仲間を捨てて逃げたくはありません」
エドガーは生まれた村を捨て、村人の生き残りを連れてアールクヴィスト領まで流れ着いた過去がある。自分に与えられた役割から、そのときのことを思い出してしまうのだろう。
「エドガー。君は村長家の生まれで、大勢の人間を統率することに長けてる。だからこそ君にこの役割を任せるんだ。君は仲間を捨てるんじゃない。最悪の事態に備えて仲間を生かすんだよ。僕は女性と子どもの命を君に預けたい」
「……分かりました。必ず女子どもを守ると約束します」
「ありがとう。あともうひとつ、もし僕が死んだら、クリスティを奴隷から解放してやってほしい。君が証人だ」
ノエインがそう言うとエドガーは「確かに、承りました」と頷くが、近くでそれを聞いていたクリスティは血相を変えてノエインに縋った。
「ノエイン様っ! そ、そんな悲しいことを仰らないでください! ノエイン様が亡くなって解放されるなんて嫌です! そんなことになるくらいなら、ずっと奴隷でいさせてください!」
ノエインは泣きじゃくるクリスティの頭をそっと撫でて、慈愛に満ちた表情で彼女を見る。
「クリスティ。君は賢い。もしものときは、奴隷から解放されたらケーニッツ子爵を頼るんだ。ジャガイモと大豆は持っただろう? いざというときはその有用性を伝え広めるのが君の役目だよ。ここで僕が領主として成したことを君が遺すんだ」
「い、嫌あ……ノエイン様、生きて帰って来てください……」
「もちろんそのつもりだよ。だけど万が一に備えるのも僕の務めだ。悔いを残さないように、僕が領主として生きた証を君に託してるんだよ。クリスティだからこそ任せたいんだ」
「う、ううう……分かりました。何があっても絶対に私がこれを伝えます。でも、帰って来てください。私をもっとあなたのもとで働かせてください」
涙と鼻水でグジュグジュになりながら言うクリスティを軽く抱きしめると、ノエインはエドガーに彼女を連れていくよう頼んで預けた。
次に近づいてきたのはアンナだ。
「ノエイン様……私が言いたいことも他の皆と同じです。生きて、勝ってください」
「ありがとう。君をうちに移住させた責任が僕にはあるからね。ちゃんと生き残って、これからも君に開拓生活を満喫させてあげるつもりさ」
「あら、私は自分の意思で移住してきたんですから自己責任ですよ?」
「それが実はね、君がうちの領に興味があると知ってから、移住を決断してくれるように少しずつ心理的に誘導してたんだよ。事務方の優秀な従士が欲しかったからね」
「そうだったんですか? うふふ、さすがノエイン様はひねくれてますね。私は今の生活に満足してるからいいんですけど」
いたずらっぽく笑ったノエインに、アンナもクスッと笑ってそう返した。
「……持つべきものは持ったね? いざというときは頼むよ」
「はい。そのときはこのお金で生き残った全員の行き場を作りますね」
ノエインは領主としての全財産をアンナに預けている。もし女性と子どもだけが生き残るようなことになれば、この金を生き残りに配ってその後の生活の糧にさせるつもりだ。
「あと、そのときはケーニッツ子爵にも伝言をお願い」
「はい、何て伝えましょう?」
「『化けて出てケーニッツ子爵家を滅ぼしてやる』って言っといて」
「ふふ、本当にそんなこと言っていいんですか?」
「うん、死んだら怖いものなしだよ」
ヘラヘラ笑いながらそう言いきるノエイン。
「……私も、夫のエドガーも、これからずっとノエイン様の従士として働きたいと思ってます。だから勝ってくださいね」
「分かってるよ」
最後に真剣な表情でアンナと言葉を交わした。
他方では、男たちがそれぞれ伴侶や家族との別れを済ませている。
「ユーリ……」
「大丈夫、俺は勝って生き残る……だが、もしものときは子どもを頼むぞ」
そう言って妻のマイを抱き締めるユーリ。
「バートさん、私たち、まだ出会ったばかりなのに」
「泣かないでくれミシェル。俺が死ぬわけないだろう? こんな戦いはすぐに終わる。そしたらまた幸せな日々を送るんだ」
バートも新妻のミシェルと抱擁し、しっかりとキスをした。
「ラドレーさん、どうか無事でね」
「へへっ、俺あオークなみに頑丈なんだ、盗賊なんかに殺られるわけねえ。とっとと勝って、明日の昼にはまたお前の手料理を食うぞ」
「ははは、そうだよね。絶対に大丈夫……うええん、生きててね」
「ばあか、泣くんじゃねえ」
泣き縋るジーナに、ラドレーは照れながらそう声をかけていた。
「……ペンス」
「ふんっ、どうせ俺は独り身でさあ」
所在なさげに立っていたペンスにノエインが声をかけると、ペンスは少し不貞腐れたように呟いた。
「女と子どもたちはそろそろ行った方がいい。また後で会おう」
ユーリがそう呼びかけて、名残惜しさを感じつつも男たちは家族と別れた。必ず再会すると心に誓いながら。
川辺へと歩いていく女性と子どもたちを見送りながら、ノエインは隣に控えるマチルダに問いかける。
「……マチルダ、最後に聞くけど、君も他の女性たちと避難してはくれないね?」
「申し訳ございません。そのご指示だけは聞けません。どうかお傍でお守りさせてください」
「敵は盗賊だよ。もし捕まったら僕は殺されるだけで済むけど、君は」
「着火の魔道具を持っています。そのときは舌を噛み切って自分に火を放ちます。私は毛の一本、皮膚の一片、血の一滴までノエイン様の所有物ですから。それに、もしノエイン様が亡くなられたら私に生きている意味はありません」
「……分かった。君の覚悟と忠節に感謝するよ、マチルダ」
「光栄です、ノエイン様」
マチルダとしっかり目を合わせて微笑み合ったノエインは、男たちに「戦闘準備をしよう」と告げた。
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