第51話 ノエイン熱を出す②
ユーリからの報告を聞き終え、退室する彼を見送ると、次に入室してきたのはアンナだ。
彼女は財務・事務担当として、普段からノエインの直接の指示を受けて働いている。なので、領主代理のユーリを介するよりも直接報告を受けた方が意思疎通がスムーズに行くだろうとノエインは考えた。
「ノエイン様、調子はいかがですか?」
「この通り、だいぶマシになったよ。僕がいい歳してエルド熱なんかにかかったせいで苦労をかけるね」
「いえ、私は大丈夫ですよ。あれからクリスティも頼もしい戦力になってくれましたし」
自嘲気味に愚痴るノエインに、アンナはそう言ってクスッと笑う。
ユーリと同じく彼女の報告でも、これといって大きな問題などは起きていないようだ。たった5日で領内にそれほど変化が起こるはずもないが、これほど何日も仕事から離れるのは初めてだったので、ノエインとしては一安心である。
「それじゃあノエイン様、せっかく静養できる機会なんですから、ゆっくり休んでこれまでの開拓の疲れを癒されてくださいね」
「ユーリと同じようなことを言うね」
「それはもう、ノエイン様がこれまで頑張ってこられたのは従士の私たちもよく分かってますから」
領主が何日も熱でダウンして、そのせいで従士たちに負担をかけているというのに、誰も文句を言わないどころか「これを機に思う存分休め」と労ってくれる。ノエインが部下から愛されていることの何よりの証拠だろう。
「ありがとう。お言葉に甘えてゆっくり休ませてもらうよ」
「はい、そうしてください」
優しく笑ってアンナは退室していった。
それからほどなくして、最後に報告のために入室してきたのはクリスティである。
「ノエイン様、お体のほどはいかがでしょうか?」
心の底から心配そうに聞いてくるクリスティに、ノエインは微笑みながら「もうほとんど大丈夫だよ。心配してくれてありがとう」と返事をする。
「よかったです……本当によかった」
それを聞いてようやく少し安心した表情になるクリスティ。彼女としては忠誠を誓って早々に主人がぶっ倒れたので、かなり不安だったのだろう。
つい数週間前までクリスティのヒステリックな怒りっぷりを見ていたノエインとしては、同じ顔からこれほど素直で優しい表情が出てくることが未だに少し驚きだ。
「それじゃあ、実験の報告を聞かせてもらえるかな?」
「はいっ! まずジャガイモの栽培から報告させていただきますね――」
素直になって仕事にも意欲的になったクリスティは、アンナの仕事を手伝うだけでなく、意外なところでも力を発揮していた。
ジャガイモや大豆の栽培実験の管理・記録である。
ジャガイモも大豆も、ロードベルク王国ではほとんど知られてこなかったので、その栽培では手探りの部分が大きい。
そこでクリスティは自ら志願して、肥料や水の量、手入れの仕方など栽培の条件を変えながら成長具合を記録する役目を買って出たのだった。
現在は農業担当のエドガーやノエイン所有の農奴たちのアドバイスも受けながら、より効率的な栽培ノウハウを確立するために尽力している。
高等学校で論理的かつ高度な思考力を鍛えてきたクリスティにとっては、これ以上ない適役だろう。圧倒的な実務能力を見せるアンナとはまた違ったかたちで才能を開花させつつあるクリスティを見て、ノエインも主人として喜びを感じていた。
「――以上がここ1週間ほどの報告になります。まだ長期的な結果を見るまでは結論づけられませんが、手入れの仕方と肥料の量で成長具合には確実に変化が出て来そうです」
「よく分かったよ、お疲れ様。クリスティはよく頑張ってくれてるね。それにとても優秀だ」
「お、お褒めいただけて嬉しいです!」
ノエインが褒めると、クリスティは満面の笑みでそう返す。もし彼女に尻尾があったならブンブンと振り回してそうな喜びっぷりだ。
「クリスティが楽しそうに過ごしてくれててよかったよ」
「はい。仕事がすごく楽しいんです。自分の努力がちゃんと成果になっていく手応えがあって……実家でただ贅沢に暮らしてたときよりもずっと楽しいです。高等学校の勉強でも、ここまで楽しいとは思えませんでした」
「それはよかった。だけど無理はしないでね? アンナの仕事の手伝いもあるだろうし」
「はいっ! 私の身はノエイン様の財産でもありますから、しっかり体調管理もしながら精いっぱい働きます!」
そう明るく言うと、クリスティは「ノエイン様、どうかお大事になさってください」と見舞いの言葉を残して退室していった。
それを見送ると、ノエインは小さくため息をつく。
「……クリスティには現状を受け入れてほしくて『再教育』したけど、ちょっと過激すぎたかな?」
彼女のあまりの変貌ぶりには、ノエイン自身も少し戸惑っていた。確かに現状を受け入れてほしいと思って強烈な「再教育」を施したが、人格ごと別人のように変わってしまうとは。あれではまるで飼い主に懐く犬だ。
「夜も寵愛が欲しい」などとは言わず、あくまで労働奴隷として主人に懐いているだけなのが救いか。
「クリスティもノエイン様の偉大さを理解し、生き方を改めたのですから、素晴らしいことだと私は思います」
ノエインが戸惑う一方で、マチルダは主人を崇拝する奴隷の仲間ができたことを喜んでいるようにも見える。
「マチルダはその後はクリスティと揉めたりはしてない?」
「何も問題はありません。むしろノエイン様にお仕えする同志として友好を深めています」
「そっか……それはよかった」
自分のいないところでマチルダとクリスティが自分のことを褒め称えているのを想像して、何とも言えない気分になりながらノエインはそう言った。
「それにしても、皆揃って僕にゆっくり休めって言うんだね」
「ノエイン様は開拓の初日から1年以上、休日もとられることなくお務めを果たされてきたのです。誰もがそれを分かっているからこそ、ノエイン様の御身を案じておられるのです。私も同じ思いです」
マチルダは開拓のまさに1日目から、最も近くでノエインの頑張りを見てきた。だからこそ、彼女もこれを機にノエインにはゆっくり休息をとってほしいと考えている。
「……じゃあ、エルド熱が治っても、1日か2日くらいのんびりしてもいいかな?」
「はい、とてもいいお考えだと思います」
「そしたら、マチルダとのんびり過ごしたいな。あと昼間っからイチャイチャしたい」
「喜んでお供させていただきます、ノエイン様」
微笑みながら応えるマチルダ。他の者の前ではほとんど無表情な彼女だが、ノエインの前ではこうして笑顔を見せてくれる。その特別感がノエインは好きだった。
「そのためにも早く熱を下げなきゃね。もうひと眠りするよ。起きたらお風呂に入りたいな」
「湯浴みの用意をしておきます。ゆっくりお休みくださいませ、ノエイン様」
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