第27話 母娘の決断
「あ、あのっ! 士爵様、その移住のお話、わ、私に受けさせていただけないでしょうかっ」
いきなりそう言ったアンナを、ギョッとした顔で見る母イライザ。横にいたアンナの兄マルコも驚いた表情を浮かべている。
ノエインもイライザたちと同じように驚いて見せるが、彼にとってこの状況はむしろ狙い通りのことだった。場の空気に合わせて顔だけ驚いたふりをしただけだ。
以前ノエインがイライザに冗談で移住を打診したとき、アンナがその話に興味を持った様子だったことにノエインは気づいていた。
その後、この店で食料の積み込みを待つ間に何度もアンナと世間話をしていたが、そのときに彼女が「開拓で新天地を切り開いていく」といった物語が好きで、そうした生き方に興味を持っているらしいことも聞いていた。
おまけに彼女は帳簿づけや商品管理といった仕事もできるという。事務・経理のできる人員が欲しいノエインにとっては、これ以上ないほどの適材だ。
「ちょ、ちょっとアンナ! 何を言い出すんだい!」
「お母さん、私は本気で言ってるの! 本当に士爵様の領地に行きたいと思ってるの!」
「黙りな! ちょっと来なさい! 士爵様、すみませんが少し親子で話をさせていただいても?」
「ええ、構いません」
「ありがとうございます。目の前で騒いでしまってすいません……マルコ、士爵様を店内にご案内してお茶をお出しして」
「ああ、分かったよ母さん」
ひとまず店内に戻った一同。イライザはアンナを引っ張って店の奥へと入っていき、ノエインは店内にある商談用の椅子に座って待った。
イライザの指示通りマルコがお茶を出してくれるが、その表情はやや硬い。
「マルコさん、よかったら少し話をしませんか?」
「は、はい……」
「ありがとう。座ってください」
硬い顔のまま、ノエインの正面に座るマルコ。
「……アンナがどうしても移住したいと言ったら、士爵様はあいつを連れていきますか?」
「そうですね。彼女は読み書きも計算もできて、この店で実務も学んできたと聞いています。僕としては彼女が来てくれたらとても助かりますね」
「そ、そうですか……」
渋い顔を浮かべて、ノエインと目を合わせようとしないマルコ。
「アンナさんがいないと、この店の営業は立ち行かなくなりますか? もしそうであれば彼女を引き抜くのは心苦しいのですが」
「いえ、そんなことは……この店はもともと俺が継ぐ予定ですし、他にも従業員はいます。アンナが抜けた穴を埋めるのに多少はバタつくと思いますが、それはどうにでもなります。ただ……」
実務面では問題がなくとも、マルコはこの話に反対しているらしい。無理もない。
妹がまだまだ開拓の途上にある森の中の小領に移住したいと言い出し、その領主貴族であるノエインまでもが彼女を欲しいと言うのだ。兄としては複雑な心境だろう。簡単に「どうぞ連れて行ってください」と言えるわけもない。
その後もノエインが話しかけても、マルコの表情は硬いままだった。
・・・・・
マルコにアールクヴィスト士爵の相手を任せ、イライザは店の倉庫までアンナを引っ張ってきた。
「どういうつもりだい、アンナ」
「私、本気なの」
「……それは分かってるよ。あんたはあの場でふざけてあんなことを言うような馬鹿じゃないだろうからね」
頑なな表情のままの娘に、ため息をつきながらそう答える。
アンナが「新天地を開拓する」という生き方に興味を持っていることは知っていた。
アンナが幼い頃はそういったお伽噺を聞かせるように何度もねだられたし、ある程度大きくなってからも、そういう冒険的な生き方をするにはどうすればいいか、と聞かれたこともある。「そんなのは夢物語だよ」と言って聞かせたが。
「いいかい? これはあんたの小さい頃に聞かせたお伽噺みたいに簡単な話じゃないんだよ? レトヴィクを離れて一生のほとんどを士爵様の領地で過ごすことになるんだよ? 開拓地は危険なことや辛いことがたくさんあるかもしれないんだよ?」
「分かってるわ。でも、私にとってはこれは一生に一度あるかないかの機会なの。士爵様のような優しい貴族の領地に移住できて、自分の能力を活かして働く場まで用意してもらえるなんて、きっともう二度とないチャンスなの」
確かに、イライザから見てもアールクヴィスト士爵はいい領主に見える。従者たちにも慕われているようだし、貴族だからといって横柄に振る舞うようなこともない。むしろその辺の平民と比べても礼儀正しいほどだ。
アールクヴィスト士爵のもとへなら、アンナを送り出しても悪い扱いをされることはないだろう。
「お願いお母さん。一度しかない人生だから、自分の望む生き方をしてみたいの」
「……」
アンナの決意を確認するように、その目をしっかりと見据える。アンナも目を逸らすことなく、イライザの方を真っすぐに見つめ返してくる。
母のイライザが言うのもなんだが、アンナは優秀な子だ。
どこかへ嫁にやるまで店の手伝いを務められればと軽く読み書き計算を教えたら、どんどん知識を吸収し、やがて帳簿の管理まで覚えてしまった。今や跡継ぎのマルコに匹敵するほどの実務能力だ。
やや引っ込み思案なところはあるが、真面目で頭の回転も速い。貴族の下で文官としても十分働けるだろうとは思う。
アールクヴィスト士爵なら娘を任せても大丈夫だろうという安心感。アンナが移住先でいい働きをすれば隣領の貴族と強い結びつきを持てるという商売人としての打算。そして大事な娘をまだまだ開拓途上の田舎領地に送り出すことへの、親としての漠然とした不安。
そうした様々な考えを巡らせたイライザは、
「……分かったよ。士爵様に詳しい条件を聞いて、それが納得できるものだったらあんたを送り出してやるわ」
「本当に!? ありがとう、お母さん!」
「待ちなさい。士爵様に聞いてからだって。まだ喜ぶのは早いよ」
さっきまでの頑なな表情から一変して花が咲いたような笑顔になるアンナに、イライザは思わず苦笑した。
・・・・・
「お待たせしてすみません、アールクヴィスト閣下」
「いえ。色々と相談することもあると思いますから」
アンナを連れて戻ってきたイライザに、ノエインは微笑んでそう答える。
「アールクヴィスト閣下」という正式な敬称でノエインを呼んでくるあたり、彼女も普段とは違う、真面目な話し合いに臨むつもりのようだ。
マルコと入れ替わってノエインの前に座ったイライザは、神妙な面持ちで話を切り出した。
「……まず、アンナの意思はしっかりと確認しました。この子は本気で閣下の領地に移住したいと考えているようです。親の私がこういう言い方をするのもあれかもしれませんが、この子には閣下のもとでお役に立てるだけの能力もあると思います」
「はい。僕もこれまで何度も話をして、アンナさんが聡明で勤勉な人だということは理解しているつもりです。だからこそ彼女の決断を嬉しく思いますし、喜んでうちの領に迎えさせてほしいと考えています」
「ありがとうございます……ですが、私もこの子の親です。この子の生活が今後どのようなものになるか案じています。もちろん閣下がとてもお優しい方だとは理解しているつもりですが……どのような条件でこの子を迎えていただけるのか、詳細をお聞かせいただいてもよろしいでしょうか?」
「もちろんです。僕にはまだ子どもはいませんが、我が子を想うイライザさんの心中はお察しします」
そう言ってノエインは、アンナを迎える条件を語った。
まず、彼女にはアールクヴィスト領の財務管理や人員管理を行ってもらうこと。
最初の数週間は試用期間とし、アンナがやはり移住を辞めたいと思った場合、またはアンナの能力が思っていたものと違うとノエインが感じた場合は、アンナをレトヴィクに帰すこと。
試用期間を終えて問題がなければアンナをアールクヴィスト士爵家に仕える従士として迎えること。
居住地ではノエインの屋敷に個室を用意して住まわせ、アンナが結婚相手を見つければ屋敷を出て一軒家を持てる(家はノエインが与える)こと。
ノエインが条件を言い終えると、イライザとマルコ、そして当のアンナまでもがポカンとした表情を浮かべる。
「……あの、私の働きぶりに問題がなければ、私は従士として迎えていただけるんですか? てっきりただの雇われの働き手になるのかと」
「もちろんだよ。領の重要な仕事を任せるんだ。それくらい当り前さ」
アンナの質問にノエインが答えると、彼女はパアッと表情を明るくした。
無理もない。ただの平民から貴族の正式な従士になるというのは、普通なら滅多にないことだ。アールクヴィスト領に人材が不足しているからこその誘いだが、アンナにとってはまたとない大出世のチャンスだ。
従士は自身が仕える貴族の領内において、他の平民よりも一段上の立ち位置になる。貴族の家臣として尊敬を集める上に、子どもが従士の職務を果たせないほどの無能でもない限りは、その地位は子世代にも引き継がれるのだ。
思ってもみなかった待遇を聞いて、アンナのみならず家族であるイライザやマルコも大きな喜びを見せる。家族から従士家を興す者が出るのだから当然だ。
ユーリや領民たちに農地を与えたときもそうだが、予想外の好待遇を不意打ちで示して相手の心を一気に惹きつける、というのはノエインの常套手段になりつつある。
「じゃあ、この条件でうちの領に来てもらえるということで大丈夫かな?」
「はい! 私、一生懸命頑張ります!」
「それはよかった。イライザさんやマルコさんは?」
「もちろん大丈夫です。願ってもみなかった待遇を娘に与えていただいて感謝します、アールクヴィスト閣下」
「妹をどうかよろしくお願いします、閣下」
こうして、アンナがアールクヴィスト領へとやって来ることが決まった。
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