第26話 人材は宝なり

「……エイ……ま、ノエイン様」


「はっ」


 屋敷の中、自身の執務室でうたた寝をしてしまっていたノエインは、マチルダに声をかけられて肩を優しく揺らされたことで目を覚ました。


「ごめんマチルダ、寝ちゃってたよ」


「ノエイン様、どこかお体の具合が悪いなどはありませんか?」


 心配そうな表情でそう尋ねる彼女に微笑みを返す。


「大丈夫だよ、ありがとう。仕事に根を詰め過ぎてちょっと疲れただけだよ」


「ではせめて少しご休憩をなされては? お茶をお淹れしますので」


「うん、お願いしようかな」


「すぐにお持ちします」


 そう言ってマチルダが執務室を出ていくと、ノエインは椅子から立ち上がって伸びをした。


 開拓は極めて順調で、当面の金の心配もなくなり、屋敷の居住性も快適そのもの。


 しかし、ノエインは今大きな問題に直面している。


 人手不足である。


 領地運営をするとなれば、事務や経理などの仕事は避けられない。これまでは魔物狩りの収入と買い出しによる経費だけを計算していればよかったが、現在はラピスラズリ原石の販売、建設ラッシュによる支払いなど金の動くことが増え、必然的にそれらの数字の管理業務も激増していた。


 さらに、領民の男たちが交代でレスティオ山地の鉱脈へと採掘作業に行き、居住地周辺でも木柵や道の整備、家屋建設の力仕事などの賦役をこなしているので、そのシフトを組む業務もある。作業日数などのバランスが悪くならないように調整するのはなかなか骨が折れる仕事だ。


 さまざまな賦役で男手が農地を離れる時間も多いので、手の空いている残りの領民で持ち主が不在の農地を手入れし合う必要もあった。そのためのシフトも組まなければならない。


 なのでノエインは、このような細かな事務・経理仕事をこなし、どうしても人手が足りない場合は自らゴーレムを用いて農作業を手伝い、合間を縫って平地を広げるための森の伐採を行い……と、かなりのオーバーワークを続けていた。


 何十人もの領民の仕事を管理し、小さいとはいえひとつの領地の財務を全て把握・記録するという慣れない仕事の連続。ストレスは溜まり、睡眠時間も不足しがちになり、正直言って参っている。


 かといって、ノエイン以外に頼れる人員はいない。


 マチルダは一通りの読み書きや計算ができるが、彼女はこの屋敷を管理し、料理や掃除や洗濯、風呂の準備などの家事を行わなければならない。さらに、領主所有の畑の手入れも今はマチルダ任せだ。今は手が空いているときにノエインの手伝いをする程度のことしかできない。


 マチルダの手を空けるためにも領民の女性たちの中からメイドを雇いたいところだが、そこまでの人手の余裕は今の居住地にはない。


 ユーリたち従士は傭兵時代に金勘定や物資の管理などを経験していたため、やろうと思えばノエインのサポートもこなせるだろう。しかし彼らには居住地内の治安維持や周辺の見回り、レトヴィクへの買い出しなど従士としての業務があり、また彼らにも自分の畑の管理がある。


 元傭兵団長として事務仕事の経験もあり、最も頼りになるであろうユーリに至っては、レスティオ山地で採掘作業を管理するために月の半分以上は居住地にいない。


 エドガーも村長の息子だったため読み書き計算ができるが、彼には農民たちをまとめて農作業を指導するという仕事がある。


 今のアールクヴィスト領には、頭脳労働ができて手の空いている人材が致命的に不足していた。せめて1人、事務や経理をこなせる人間がいれば……とノエインはあらためて強く思う。


 そう長々と思考を巡らせているうちに、マチルダが温かいお茶を持っていてくれた。それを受け取り、一口飲む。


「まだちょっと早い気もするけど、あの人に当たってみるか……」


 お茶の香りと味わいでリラックスしながら、ノエインはそう小さく呟いた。


・・・・・


 数日後、ノエインはゴーレムたちを操りながらレトヴィクへと買い出しに向かっていた。今日のお供はマチルダ、ペンス、マイだ。


 アールクヴィスト領に荷馬が来て買い出し業務から解放され、ここ数回の買い出しは従士に任せていたにも関わらず、今回ノエイン自らがレトヴィクへ向かっているのにはある理由がある。


 居住地を出て半日後にはレトヴィクにたどり着き、イライザの店に入る。


「こんにちは、イライザさん」


「あら、いらっしゃいませ士爵様。お久しぶりですねえ」


「最近は僕が直接顔を出せなくてすみません」


「いえいえ、いつもうちの店からたくさん食料を買ってもらえて感謝ですよ」


 アールクヴィスト領の人口が大幅に増えたことで、ノエインとの取引はイライザにとってかなり大きな儲けになっていた。イライザから見て、ノエインは特に歓迎したい上客の一人だ。


 これまでと同じように食料を買い付け、料金を支払ったところで、ノエインはイライザにある話を振った。


「ところでイライザさん、ちょっと相談があるんですが……」


「あら、何でしょう? 私でお力になれるんであれば喜んでお手伝いしますよ」


 にこやかに答えてくれるイライザにノエインは話を続けた。


「実はうちの領では今、事務や経理などの机仕事のできる人材が不足していて……商人のイライザさんならそのような人材への伝手があるのではないかと思ったんですが、誰か紹介してもらえるような人はいませんか? もしいれば僕が移住の面倒を見ようかと思うんですが」


「事務や経理ができて、士爵様の領地に移住してくれる人ですか……ちょっとすぐには思いつきませんねえ。申し訳ないんですが」


「そうですか。やはりそうですよね」


「読み書きと計算ができれば、レトヴィクの中でもいい仕事が見つかりますからねえ。他領に移住しようと思う人はなかなか……」


「あはは、僕の領地はまだまだ田舎ですしね。分かりました、無理を言ってしまってすみません」


 そんな会話を交わしながらも、それを傍で聞いているイライザの娘アンナが何か言いたげな顔をしていることにノエインは気づいていた。


 言いたいことがある。だけどなかなか言い出す決心がつかない。


 そんな様子のアンナだったが、ノエインが店を出ていざ帰ろうとしたところで、意を決したように声を出す。


「あ、あのっ! 士爵様、その移住のお話、わ、私に受けさせていただけないでしょうかっ」

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