第5話 隣町レトヴィク
「思ったんだけど、兎人が兎の魔物を解体してその肉を食べるというのは種族的に大丈夫なの?」
こんがりと焼かれたグラトニーラビットの肉にかぶりつきながら、自分の前で同じく肉に噛みついているマチルダに向かってノエインは尋ねた。
あの後、グラトニーラビットはマチルダによって血を抜かれ、内臓を抜かれ、毛皮を剥がされて枝肉へと解体されている。
彼女が知識だけでしか魔物の解体を学んでいなかったことを踏まえると、十分な手際の良さだった。
「畏れながらノエイン様、兎人とグラトニーラビットは同じような耳と足を持ってはいますが、それは単に見た目だけの話です。同じように立って歩いていても人間とゴブリンがまったく異なるように、私とこの魔物も繋がりはありません」
「……まあ、それもそうか。変な話をしてごめんね、マチルダ」
「いえ、滅相もございません。ノエイン様」
獣人がどのように生まれてどこから来たのかは分かっていない。その起源は神話の時代にまで遡ると言われている。
神が戯れに人と獣を混ぜ合わせたという話もあれば、獣人こそが人間の祖で、そこから種族が枝分かれして今の人間が生まれたという説もある。
どちらにせよ、獣人と魔物・獣は遥か遠い存在だ。見た目以上の共通点も繋がりもない。今のはノエインの好奇心に駆られただけの愚問だった。
グラトニーラビットの肉で昼食を済ませたら、また開拓作業の再開だ。
・・・・・
森を切り開き、畑を耕し、ノエインとマチルダの2人が食べていくには十分な程度の面積を確保する。
そこに切ったジャガイモを作付けし、それ以外にも玉ねぎや豆、葉野菜などを植えていく。
後はひたすら木を伐採し、居住地として使える面積を増やす。西や南に行くと最初に見つけた川にぶつかってしまうので、拠点から見て東側や北側を切り開いていく。
日中は木を切って木材へと変え、たまに魔物が近づいてきたら狩り、夜はマチルダを愛でて身と心を癒し、それをくり返して2週間が経った頃。
「そろそろケーニッツ子爵領の方へ買い出しにいかないとな」
買い溜めていた食料の残りが心もとなくなってきた。
畑の作物を収穫できるのは3か月は先の話。それまで魔物の肉だけで暮らすわけにもいかない。
森の中にいるとはいえ、食事だけでも人間らしさを保ちたい。そのためにはパンや大麦、野菜の酢漬け、塩や香辛料などの食料が必要不可欠である。
なので、一度森を出て人里へ行かなければならない。
「ノエイン様、畑はどうしましょうか? 私が残って見張りましょうか?」
「いや、万が一危険な魔物が寄って来たりしたらマチルダが危険になる。君だけをここに残すことはしないよ。一緒に街まで行こう」
ベゼル大森林の浅い部分に大型で危険な魔物が出てくることはほぼないが、それも絶対とは言えない。
それでなくても、例えばグラトニーラビットが複数匹も出てくれば、マチルダが怪我を負う可能性だってある。
なので、ノエインはマチルダも連れて、自分のゴーレムたちも連れて、完全に領地を留守にして買い出しに行くことにした。
ゴーレムを警備に残していければ最良だが、ノエインの目と魔力の届く範囲でしか操作できないのが数少ない欠点だ。
畑を無防備にするのはいささか抵抗もあるが、切った木材を壁代わりに並べて居住地を囲っているから、魔物に荒らされる可能性は低いだろう。
・・・・・
森に踏み入るときに作った獣道を辿り、アールクヴィスト領を出るまで1時間足らず。
そして、森を出てから東へ行くこと半日ほど。
ノエインたちは、東隣にあるケーニッツ子爵領の領都レトヴィクにたどり着いた。
人口およそ5000。大都会ではないが、かといって田舎というほどでもない街。それがこのレトヴィクだ。
ノエインたちを門番の兵士が止めて誰何するが、「ノエイン・アールクヴィスト士爵です」と名乗ると、兵士は「失礼いたしました」と敬礼して門を開ける。
ノエインたちが西のベゼル大森林で開拓を行っている件について、ケーニッツ子爵から一応は兵士たちにも話が通っているらしい。
街に入ったノエインたちは、嫌でも注目を集めた。
首に奴隷紋を刻まれた獣人を連れ、まるで本物の生き物のように動作するゴーレムを3体も操りながら歩く、やたらと身なりの整った青年。目立たないはずがない。
王国南部からこの北西部に渡ってきて、森へと入る前にこの街に滞在していたときも散々注目を集めたはずだが、街の人々にとってはまだ彼らは物珍しい存在らしい。
「あれ見ろよ……」「知ってるぜ、”森の士爵様”だろ?」「よくあんな森の開拓なんてやろうと思ったもんだよ」「領民もいないくせに貴族ぶって何になるってんだ」
大半は好奇心、一部は侮りの込められた視線と言葉を浴びながら、ノエインはそれを気にする風でもなく街の中を進んだ。
そんな主人の堂々とした振る舞いを誇るように、マチルダも澄まし顔で後ろに続いた。
・・・・・
「いらっしゃ……あら、森の士爵様じゃないかね」
「どうも、イライザさん」
ノエインが入ったのは、街の西門にほど近いところにある店。
2週間前、森に入る前にここで食料を買い込み、イライザという女主人の朗らかな接客が心地よかったので再びこの店を訪れたのだった。
「今日はまた食料を買いに来ました。僕とマチルダで3週間分の量を用意してほしいんです。大麦と塩と香草、野菜の酢漬け、それとキャベツや玉ねぎを買いたいんですけど、お願いできますか?」
「ええ、もちろんですとも、そちらに座ってお待ちくださいね……マルコ! 士爵様の荷馬車に品物を積むのを手伝いなさい! それからアンナ! 士爵様にお茶をお出しして!」
そう明るく答えた彼女は、この店の従業員でもある自身の息子と娘に指示を飛ばす。
病で夫に先立たれて以来、子どもたちの手伝いを受けて女手一つで店を切り盛りしてきたというイライザ。
その店は個人商店としてはなかなか大規模で、彼女の子どもたち以外にも数人の従業員がおり、さらに店内には仕入れ先の農家と打合せをするための椅子とテーブルまで備えられていた。
そこに座らせてもらうと、先ほどイライザから指示を飛ばされた娘――アンナが木のカップの乗ったお盆を運んでくる。
「どうぞ、士爵様」
グリーンの髪を後ろでひとつに縛ったアンナは、素朴な、しかし聡明そうな顔をノエインに向けながらお茶の入ったカップを置く。
さらに、奴隷であるマチルダの前にも同じようにお茶を置いた。先日訪れた際もこのような対応をしてくれたのも、ノエインがこの店のリピーターになった一因だ。
「ありがとうアンナさん。君は今いくつ?」
「は、はい。17歳になりました、士爵様」
「そうか。それじゃあ僕よりも年上なんだね。店を手伝っているということは、読み書きや計算ができるの?」
「はい。仕入れの確認や帳簿づけを務められる程度ですが……」
お茶を飲みながらアンナに世間話の相手をしてもらっている間に、店の前に停めていた荷馬車への食料の積み込みが終わったらしい。
イライザの息子でありアンナの兄でもある、気真面目そうな青年マルコがノエインを呼びに来た。
外に出て荷を確認し、イライザから食料の内容と価格を告げられる。
「――締めて200レブロになりますが、よろしいですか?」
「200レブロですね。それじゃあこれで」
と言って、ノエインはイライザの手に100レブロ銀貨を2枚置く。
「……はい、確かにいただきました」
「前回に引き続きありがとうございます。また来ます」
「ええ、また是非いらしてくださいね」
「それと、うちの領に引っ越したくなったら歓迎するのでいつでも言ってくださいね?」
「あははは! それは嬉しいお誘いですね。考えさせてもらいますよ」
冗談めかしてそう言うノエインに、快活に笑って答えるイライザ。
その後ろで母と兄と共にノエインを見送るアンナが少し目を輝かせたのを、ノエインは見逃さなかった。
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