すべてがあなたに
藤田小春
断片
~全てがあなたに~
これは彼女と彼の物語
これは彼女の人生の軌跡の一部
これは彼の生きた証
これは彼女、沙耶が悩んで迷って辿り着いた場所
とても哀しい、けれどとても幸せな物語
彼女の親友である私は
心はいつでも彼女の近くにいたし
どうにか彼女の力になりたいと思い続けていた
けれど私は東京に居て
彼女は岡山に居たから
素直で真面目すぎる彼女が彼の事を考え抜いて
もがき苦しんだ挙句にどんどん壊れていくのを
遠くから傍観することしかできなかった
だけど何もできなかった私に彼女は言った
「居てくれてありがとう
待っていてくれてありがとう」と
私は何も出来なかった
それでも私の存在が彼女の支えになったというのならそれほど嬉しいことはないと思った
彼女は自分の痛みや苦しみをよっぽどじゃないと人には見せなかったから彼女が今に至るまでの心境は彼女が電話で零してくれた苦しさや立ち直った後に語ってくれた言葉から想像することしか出来ない
だけど私は沙耶の強さに、そして沙耶のもろさにとても心を動かされたから、色々な人に2人の事を知ってもらいたいと思った
これはあたしの個人的なことだから誰かに語る価値なんてないよって笑ってた
でも私が「どうしても伝えたいから」と力説したら
恥ずかしいけどいいよと照れながら許可してくれた
これは彼女の物語
絶望から安らぎへの変化の記録
私は彼女とずっと一緒に居た訳ではないから
彼女の事が全て分かる訳ではない
ただ、彼女が私に語ってくれた言葉を物語として紡ごうと思う
彼女のモットーは
「生きている人には期待しすぎない、頼り過ぎない」こと。もう二度と誰かの負担にはなりたくないからと。
もちろん理解しようと相手の気持ちを想像する努力は必要だけど、完璧に分かり合えるはずなんてないんだったらゼロから出発した方が、ちょっとでも分かり合えた時にラッキーって思えて幸せじゃない?とさらっと言う
…そこまで割り切れるほど彼女は強くないのに
そんな彼女にとっての唯一の例外が彼であり、彼が彼女の支え。きっと彼が居るから割り切れてしまうんだと思う。
「1人で勝手に走り抜けていったったんだから、あたしのことを全面的に受け止めてくれるくらいの我儘は聞いてくれてもいいじゃない」
彼は自分と一緒に彼女の心の一部も持って行ってしまったみたい。彼女を見てると何だかもどかしくて、ちょっと切ない。
彼女をよく見ていたら、誰かと話している時に耳にした何気ない言葉に、ふと目に入った何気ない風景にピクリと反応している。多分いつでも彼を連想しては彼を感じているんだろう。
私達が連絡を取る時には大抵彼女から電話がかかってくるんだけど、一回だけ、いつものような決まり文句で始まらないハイテンションな電話がかかってきた。
うとうとしててまどろみから目覚めた時に背後に確かに彼の気配の感じたんだよ。
絶対彼だって直感で思ったんだ。
でも彼にあたしが彼の来訪を気付いていると悟られたらいたずらっ子だった彼の事だからきっと帰ってしまう。少しでも長く一緒に居たいと思って息を潜めてたんだ。って
本当に嬉しそうな声だった。
彼は彼女の心の中に彼女の命が尽きるまで生き続ける。そしてその間彼が死ぬことはないだろう。
だけどそう思えるようになるまで彼女は本当に苦しんでいた。
彼を思う度に彼女の心は真っ黒になっていって…
でもまず彼女が思った事は、彼の分まで頑張って生きなきゃってことだった。
だけどそれはとてもしんどいことだと思う。
母の死を私も経験しているから少しだけ想像できるのだけれど。
すぐに心を切り替えられるはずがないのに、慰めと言うベールを覆って周囲の人が投げかけてくる言葉は結構残酷で容赦がない。
「彼とはもう会えないけれど、あんなに分かり合える人と出会えただけで沙耶は幸せだったと思うよ?一生そんな出会いが出来ない人だっているし、岡山が好きだった彼の分まで精一杯生きなきゃね」
そんな事を色んな人から幾度となく言われていたみたいで、生真面目な彼女は何度もそう思おうとしていたし自分を鼓舞しようとして何度も口にしていたみたい。
書くことが好きな彼女は自分の気持ちを何とかしようと、ひたすら書き殴っていた。
作らずにはいられないからと、イメージに合う写真を撮って自作の本も作ってたね。その本からは彼女が頑張らなきゃと無理やり自分の悲しみを抑え込んで生きている様子が垣間見えた。
その上、彼との思い出が、彼女のその時の気持ちが綺麗な言葉で綴られていたから読んでいてとても切なく、悲しくなった。
それでも整理がつかなくて 彼女はとうとう崩れ落ちた。
そこまでボロボロになっても、彼を忘れる方が怖いからと彼とこれまで撮った写真を全部出して床一面に広げてみたらしいけど、それらの写真が彼女の眼に触れることはなかった。
彼の告別式の時に彼の後輩からもらったという写真のページも開かれかけた。
彼は写真嫌いだったらしいから、彼女が持っていた彼の写真は本当に少なかった。
だけどそれらは全て封印された。一回ぱらっとめくられただけで袋に入れられ、部屋の奥へ押しやられ
無造作に置かれていた雑誌の間に押し込まれた。
まさか見られる日が来るなんて思ってもみなかったよ。そう言った彼女は本当に意外そうだった
私の家に遊びに来た時に、友達に昔の写真を見せる約束をしたからとおもむろに写真を整理し始めた彼女の動きが突然ぴたりと止まったから、どうしたのと尋ねると封印し忘れていた彼の写真が目に入ったのと顔の表情は空白のままで答えだけが返ってきた。
何でこんなに自然にしかも泣きたくなるくらいの幸福感とともに彼を見れるんだろう。
誰に言うでもなく呟いた後、彼女は本当に愛しそうに彼の写真に見入っていた。
彼女が思うのは彼のこと。
自分の思考や言葉や行動にこそ一番彼を感じるよ
彼の哲学がいつの間にかあたしの哲学になってたの
例えばリップクリーム
彼女はどうでもいいことには本当に無頓着で、唇がカサカサだからと思って指摘してもまぁいいじゃんと笑い飛ばすのが常だった。
そんな彼女を見かねた彼がいつも自分のリップを取り出しては彼女に塗ってあげていると聞いた時には
その光景をまざまざと想像出来て微笑ましかった。
そんな彼女が初めて使い切ったリップは2人が幸せな時を刻んでいた頃から使っていたものだったから
すぐには捨てられずに、しばらくの間手放せなかったって。
例えば人との距離の置き方
実は私も彼と同じ高校だったけれど、直接会話したのは2回ほどだった。けれど彼女から彼の話をたくさん聞いていたから、考え方や行動を案外把握していて、勝手に親しみも感じていた。
彼は人当たりがすごくいいけれど、実はすごくクールな面も持っていて、自分が不要だと感じた人はバッサリと切り捨てていた。
自分のテリトリー内の人はすごく大切にする代わりにそれ以外の人は相手には気づかれない程度に適当に流していた。
彼女は基本的にはすぐに感情が顔に出るタイプだから、彼のような付き合い方は出来ないだろうなと思っていたのだけれど、いつしか自然にそんな付き合い方も出来るようになったみたい。
そして相手がいくら自分にとって大切な人であっても自分のキャパシティを超えて関わる事は出来ないと実感したって。我儘かもしれないけどやっぱり自分が一番大切だしキャパシティを超えて付き合い続けたらお互いに苦しさが増幅していくから。
彼と彼女は不幸なタイミングの違いで別れた。
人生に「もしも」はないけれど、もしも彼がもうちょっと時間的に余裕のある仕事についていたら、もしも彼女があの頃精神的に壊れていなかったら今とは違う結果が待っていただろう。
きっと2人は結婚していただろう
そう周りがみんな信じていた程、一緒に居るのが自然な2人だった。
別れる時に彼は
「ごめん、この先沙耶を支えてあげられないから」と言ったらしいんだけど、あの時に彼が抱えていた想いは、今あたしが思っていることと同じなのかなとふと思ったのと彼女は漏らしていた。
例えば公園
彼は写真を撮られるのが嫌いだったらしいけど、卒業前に後輩に、公園や家や学校や色んな思い出の場所で写真を撮ってもらったらしいね。
あたしの前ではあんな表情やこんな笑顔は見せてくれなかったのに…しかも写真を見せてくれた時もなんか誇らしげだったんだよ。ってちょっと嫉妬交じりの声で、写真を見せてもらった夜に早速私に電話をかけてきたね。
今日久々に童心に帰って彼女と公園で遊んでいる時、彼女が夢中で滑り台を逆から上っている姿を見てふと思い出したの。
そう言えば、あの時の電話で彼女は滑り台を上っている彼の写真を見たと言っていたなと。彼女はきっととっくに忘れているだろうけれどね。
ブランコに揺られながら、今にも空に飛んでいきそうなくらいに青空に夢中になっていた彼女の気分はきっと滑り台で遊んでいた時の彼と一緒だったのだろう。
…似ていないようで
同じ空気を持った2人だったから…
そして可愛いものを可愛いと思えてキレイなものをキレイと素直に思える気持ちもきっと一緒だと思うから
アップテンポの曲でも悲しくなったり、面白い話を聞いている時でも不意に涙が出そうになるくらい涙腺が壊れている私は人から見ればもしかしたらおかしいのかもしれない。
でもねそれは嬉し涙なのと彼女は嬉しそうに語る
彼女は無意識化でさえ、いつでも彼の足跡を辿っているから。
確かに彼はここに居て
一緒に過ごして
お互いに笑いあったり
喧嘩をしたりして
影響を受けあって
生きてきた事を実感したんだって
彼のお母さんは、彼が鬼籍の人になった時に彼の親友よりも先に彼女に電話をしてくれたらしい。
付き合っているなら当然の事だけれど、2人は1年前に分かれていたのにね。その後も一緒に遊んでいるっていう話を私は聞いていたけれど、2人はお互いの親に遠慮して内緒にしていたのにね。
それでも連絡をくれた時、彼のお母さんがこう言ってくれたんだって
「智也が一番思い出を共有してきたのは沙耶ちゃんだから絶対に伝えなきゃいけないと思ったの」
隠していてもみんな分かっていたのだと思うよ
2人が親友を超えた、恋愛とは違うけれどとても深い仲だったという事を。自分も辛い時なのにあたしのことまで考えてくれた彼のお母さんの気持ちが嬉しかったって。
それでも
彼女は苦しみ抜いた
だけど普通の顔を装って仕事をして家事をして、彼の事を語りそうになる自分を必死で抑え込んで。
彼を失った悲しみを吐露しようとしない彼女を心配する人は何人もいた。
だけど、彼女が弱音を吐くことが出来なかったのは彼女の事を心配していると言いながらも彼女を前向きに歩いて行かせようとしていた人達のせいだと思うから。
もしも私がそばに居たら、少しでも彼女の負担を軽く出来ただろうか?
今更な話だけれどね。
寂しくて苦しくて辛いはずなのにそれを隠しているうちに彼女は感情も表情も失ってしまった。
本当は辛くなかったんじゃないのかなと彼女自身がそう思ってしまうくらいに。
久々に帰省して彼女に会ったら、ずいぶんと表情が和らいでいた。無表情になっていた彼女からこぼれんばかりに笑顔があふれていた。今までの彼女に戻ったようで だけどどこか変わったなと思ったからさりげなく聞いてみた。
「沙耶、どうしたの?」
すると彼女はさらりと語ってくれた。
素直に悲しいと思えて初めて彼を感じられたの。
素直に慣れて初めて思っていた以上に彼の影響を受けていた自分を認識して、とっても嬉しくなったの。その時思い出したんだ。彼も同じこと言ってたなぁって。
「沙耶が居たから今の俺があるんだよ」と
彼女は元々パッと花火が開くように鮮やかに笑うのだけれど、彼の言葉を復唱した後に「あたし、幸せ者だね」と笑った顔は今までに見たどの笑顔よりも輝いていた。
これは彼女が「誰にも内緒だよ」と言いながら私にだけこっそりと教えてくれたことだけれど今回彼女から言ってもいいよと言われたから皆さんにも披露しようと思う。
それはとっても可愛い秘密
あたしがちょっと俯いて
照れくさそうに口を緩めている時は
必ず彼の事を思っている時なの
一日に何度も何度も緩んじゃうからそれはあたしの癖なんだって思ってもらえるといいんだけどね
一息でそういった後
「やっぱり恥ずかしいね」と言いながら彼女は俯いた。
だけどさすがに分かるよ。
ただ恥ずかしさからだけで俯いたのではないってことくらい。だてに16年付き合ってきた訳ではないから。大切な人であればあるほど会えないのは辛い。いくら心の中でいつも一緒だと感じられるようになって幸せで、救われた気持ちで日々を送れるようになったとしても、話しかけても返答がもう二度と帰っては来ない虚しさとか言葉に出来ないような割り切れない思いは胸に抱えて生きていかなくてはいけない。
それでも矛盾しているけれど、もう二度と生身の彼に会えないからこそ彼女にとって余計に彼は大切で、特別で、彼を思うと幸せになれるのではないだろうか。
…これはあくまで私の予測に過ぎないけれど
これが彼女と彼の話
これが今の彼女の全て
彼女は弱くなって、そしてすごく強くなった
それは彼女が悩みながらも
すごく自然体で生きているから
私は親友だからこれから先もずっと
彼女の傍で変わりゆく彼女と
共に過ごすことが出来るけれど
私が皆さんに語れる話はここまで
あとは皆さんが彼女の物語を心の中で紡いで下さい。願わくば、そのストーリーがハッピーエンドでありますように。
すべてがあなたに 藤田小春 @tsumugi1220
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