その10
「あ、あの、暴力は」
とりあえず私も立ち上がりました。こういうとき、どうすればいいのか。――前世の、男の私だったら、おもしろがってふたりをけしかけたかもしれません。ですが、それは絶対にやってはならないことです! 淑女として生まれ育った以上、私はふたりのいさかいを止める立場でなければ。考えながら声をかけた私に、エイブラハム様が笑顔をむけてきました。あらためて、私にしおりを渡してきます。
「どうか、お受けとりを。それから安心してください。私はメアリー様を悲しませるような真似は致しません」
「俺は人間です。休戦協定を守るくらいの常識は持ち合わせていますので」
「ほう?」
つづけて言うアーサー様に、笑顔のまま、エイブラハム様がむきを変えました。
笑顔の種類も、少し変わったように見えました。
「休戦協定を守る、ではなく、破れない、の間違いではないかな? さきほどの貴公の行動を見る限り、あまり、その手の心得はないように思えたが?」
「ほほう?」
と、今度はアーサー様がエイブラハム様にむき直りました。こちらの表情も、どこか挑発的な感じに見えます。
「それはどういった点を見てそう思ったのか、できたらご教示願いたいものだが?」
「知れたこと。貴公は私の持っていたしおりを問答無用でとり上げた。光の反射で武器だと思ったそうだが。普通、切れる武器を素手でとり上げるか? そんなことを人間がすればどうなるかくらいは誰でも想像がつく。もしあれが本当の武器で、横から助けに入る場合は、まず武器を持っている私の胴を不意打ちで蹴り飛ばして距離をとるのが常道だ。それをしなかった以上、貴公はその手の訓練を受けていないと判断して当然かと思うが?」
「――ああ、なるほど」
エイブラハム様の説明に、アーサー様が口のはしを釣り上げました。
「我が一族の名誉に誓って言うが、俺は武に関しては相当なものだと自負している。君の言う常道は知っていたが、俺がそれを本気でやると、普通の人間は死んでしまうのでな。だからやらなかった。ついでに言うと、自分を傷つけずに相手の持っているナイフをとり上げる技も、俺の家には伝わっている」
「――これはおもしろいことを言う」
アーサー様の説明に、今度はエイブラハム様が口のはしを釣り上げました。
「すると貴公は、この私が、普通の人間と同じように、少し蹴られただけで絶命するような弱者だと判断したわけか」
「少し違うな。さすがに魔族だから、普通の人間よりは頑丈だろうと思っていた。まあ、それでも一発で死ぬだろうとは思っていたが」
エイブラハム様の口元から笑みが消えました。
「その言葉は侮辱と受けとってもよろしいか?」
「そう急くものではないぞ。俺は『思っていた』と過去形で言ったのだ。魔将軍の家柄なのだから、一発では死なないだろうと、いまは思っている。そうだな」
アーサー様が自分のあごに手をあて、エイブラハム様を少し眺めました。
「まあ、三発は必要だろうな。いや、五発いるかもしれん」
アーサー様の言葉に、少ししてエイブラハム様が口を開きました。視線に怒気が宿っています。
「貴公の家には魔界大戦の記録が伝わっていないのかな。私の祖父がどれほどの力を振るってきたのか知らぬと見える。これは自慢できる話でもないのだがな。ただ、私がその力を受け継いでいるとは言っておこう」
「それは俺も同じだ。俺の先祖は、君の祖父よりさらに上である魔王を倒したのだぞ。俺も、その技を受け継いでいるとは言っておこう」
「六人がかりだったのであろう? それに、お供の従者も大勢いたと聞いている。数に物を言わせるのは戦の常だが、個としては弱いということの証明にもなるな」
「ほう」
今度はアーサー様の口元から笑みが消えました。
「俺からも聞こう。その言葉は侮辱と受けとってもよろしいか?」
「ではこちらも言おう。そう急くものではないぞ。人間の身体が魔族より脆弱だということは子供でも知っている話だ。事実を言われて逆上するとは、かつて魔王様を倒した六大勇者の子孫も程度が知れるな」
エイブラハム様の言葉は、明らかにアーサー様を愚弄するものでした。アーサー様が鋭い目つきで、ちらっと私たちのほうを見ます。
すぐにエイブラハム様にむき直りました。
「ここは淑女が見ている。少し場所を変えて話をしないか?」
「この期に及んで話し合いで済ませる気か? やはり程度が知れる」
「言葉のあやも理解できぬものが魔将軍の跡とりか。祖父殿も地獄の底で泣いていることだろう」
「あ、あの、本当に」
怖いのを押し殺して、私はエイブラハム様たちに声をかけました。――魔力と言っていいのでしょうか。全身から紫色の光を放出しはじめたエイブラハム様が、私のほうを見ます。
「安心してください、メアリー様。休戦協定は守ります。私の誇りにかけて、人間世界に宣戦布告はいたしません」
言ってから、エイブラハム様が、アーサー様に目をむけました。
「ただ、私は個人として、こちらにいるアーサー殿と力比べをするだけです」
「ただの力比べで済むといいのだがな」
「禁じ手等のルールが必要なら、いまの時点で書面に書いてくれても構わんが?」
「あの、エイブラハム様? ですから、そういうことは」
「あら、何をなさっているのですか?」
ここで、いままでに聞いたことのない声がしました。状況がわかっていないのか、ひどく楽しそうな感じです。私とエイブラハム様、アーサー様、エリザベスが同時に声のしたほうを見ました。
そこで私は驚きました。視界の隅で、エイブラハム様も驚いた顔をしています。たぶん、お知り合いだったのでしょう。
「できれば、どういった話をしていたのか、教えていただけると嬉しいのですが」
さきほどとは、また違う種類の声が聞こえました。私たちに声をかけたのはふたり連れだったのです。
そのうちのひとりは、エイブラハム様と同じく、頭から二本の角を生やした、紫色の肌の魔族でした。漆黒のドレスが、滲みでるオーラと相まって、独特の雰囲気を醸しだしています。
「いつも講堂で昼食を摂っているのに、どうしてこっちへきたのだ?」
エイブラハム様が不思議そうに質問されました。やはり、お知り合いだったようです。
ですが、私が驚いたのはそのせいではありませんでした。その魔族の女性と一緒に立っている、純白のドレスを着た女性を見たためです。
「少し、乱暴な感じで話をされていたようですが。まさかとは思いますが、決闘でも?」
その女性がひかえめな調子で聞いてきました。
その女性は、昨日、私の部屋にいきなり現れた女神、シルヴィア様だったのです。
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