その7

「私、一応は女神の眷属なんですよ。だから、担当した人間の個人情報を守るくらいのことは心得ています。これはこちらの守秘義務で」


「難しい話はいいですから! とにかく約束してください!」


「わかりました」


 私の懇願に、仕方がないような感じでシルヴィア様がうなずきました。大仰に右手を上げます。


「父の名に誓います。このことは誰にも言いません」


「ありがとうございます」


 シルヴィア様の返事に、私はほっとしました。


「それで私、今度こそ、本当に帰っていいですか?」


 考える私にシルヴィア様が聞いてきました。


「私、あなたのアフターケア以外にも、いろいろ仕事があるもので。あんまりひきとめられるのは、ちょっと困るんです」


「あ、はい。わかりました。では――」


 と言いかけて、私はシルヴィア様を見つめ直しました。


「ではなくて、シルヴィア様との連絡方法を教えていただきたいのですが」


「あー、大丈夫大丈夫。そんなの必要ありませんから」


 シルヴィア様の笑顔は変わりませんでした。


「私、これから、しばらくの間はこの時代にいますので。ちょくちょくきますから。何か困ったときは、そのときに相談してくれれば無問題です。これっきりってことはないから安心してください」


「あの、でも」


「この件も父の名に誓って真実です」


 言ってシルヴィア様が会釈しました。


「それでは、あらためて失礼します。――あ、そうそう。サービスで言っておきます。私があなたに説明した、アルバート、アインシュタインとか、染色体とか、カール・グスタフ・ユングとか、量子理論とか、人間原理っていうのは――」


 シルヴィア様が、私のベッドの隅を指さしました。


「そこにある、スマートフォンで調べれば、すぐにわかりますから。興味がありましたらどうぞ」


「わかりました」


 どうせ、今日はとても眠れそうにありません。うなずく私を見て、シルヴィア様が、またもや笑いかけてきました。


 いままでとは違い、何かいたずらを考えたような笑顔に見えました。


「ついでにもうひとつ。『中世 トイレ事情』で検索することもお勧めします。いまのあなたが、どれだけ恵まれた環境にいるのか、よくわかると思いますよ?」


「はあ」


 シルヴィア様の言っていることがよくわからず、勢いで返事をする私を見て、シルヴィア様が背をむけました。


「それではごきげんよう」


 言うと同時に、シルヴィア様の姿がすうっと消えました。瞬間移動? この屋敷内で? それはできないはずです。賊が侵入してこないように、魔導師たちが結界を張っているはずなのですから。


 それをシルヴィア様は、いとも簡単にすり抜けました。くるときも帰るときも。要するに、人間業ではありません。


「やはり、女神様の眷属だという言葉は信用しなければならないのですね」


 私はスマホを手にとりました。その女神様の眷属であるシルヴィア様が言っていたのです。まずは「中世 トイレ事情」で検索するのが基本でしょう。


 ――十分後、私は吐きそうになりながらスマホを机に置きました。中世ヨーロッパでは、そもそもトイレがなく、庭で用を足していた!? お風呂にも入らず、一ヶ月も同じ服を着つづけて、カビが生えていたなんて!! そんなの、ペストが大流行するはずです!!


「古き良き時代などというものは、現実には存在しないのかもしれませんね。そう考えると、私は確実に幸せです」


 とりあえず、私は気が遠くなりそうな思いでベッドにつきました。見えている光景が暗くなっていきます。とても眠れないと思っていたのですが、その想像は外れていたようでした。

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