実は、あなたの前世のことなんですけどね

渡邊裕多郎

序章

その1



        メアリー・クレメンス




「メアリー様」


 ツイン学園から帰る途中、私の背後から、そんな声が聞こえてきました。振り返ると、額から二本の角が生えた、男物の学生服を着ている、紫色の肌の男性が少し離れた場所に立っています。その男性が、青く輝く目で私を見つめていました。


 エイブラハム様です。私より上の学年で、魔将軍という、とても素晴らしい家柄のお方でした。


「ごきげんよう、エイブラハム様」


 私が声をかけると、エイブラハム様が私に笑いかけました。口から牙をのぞかせながら、私の前まで近づいてきます。


「どうでしょう。もしよろしければ、帰りのエスコートを、この私めに」


「ええ、校門まででしたら」


 校門の前では、私の家のホムンクルスが私を待っています。エスコートはそこまでで十分でしょう。エイブラハム様の申し出を受け入れたら、エイブラハム様が嬉しそうに私の横に立ちました。


「エスコートできて光栄です、メアリー様」


「いえ、こちらこそ、光栄に思います」


「それでは行きましょう」


 歩きだす私の横で、エイブラハム様も一緒に歩きだしました。夕日が綺麗です。


「実は、メアリー様に聞きたいことがあったのですが」


 校門まで五十メートルというところで、エイブラハム様が私に話しかけてきました。


「なんでしょうか?」


「明日のメアリー様の誕生日、本当に、なんのプレゼントも必要ないのですか?」


「――ああ、そのことですか」


 私はエイブラハム様に笑いかけるしかありませんでした。本当に、心の優しいお方です。


「私からは、何も望んだりはいたしません。いまの時点で、とても幸せですし」


「そうですか」


 私の返事に、エイブラハム様も笑顔をむけてきました。少し困っているようにも見えましたが。


「相変わらず、メアリー様は、野心や欲望とは無縁なのですな」


「食事には困っておりませんので」


 言ってから、私は前々から気になっていたことをエイブラハム様に質問してみることにしました。


「どうしてエイブラハム様は、そこまで私に親切にしてくださるのですか? 私など、魔族でもないし、勇者の血筋でもない。ただの人間なのですよ?」


「最初に、屈託なく話しかけてきてくれたのはメアリー様ではありませんか。友愛の情に応えることに、なんの不思議があるというのです?」


 前をむいたまま、エイブラハム様が、少し誇らしげに答えました。


「それに、私はこれでも紳士です。淑女に対する礼儀は踏まえているつもりですが?」


「――ああ、そうでしたわね」


 私は笑顔でうなずくしかありませんでした。確かにエイブラハム様は紳士です。このツイン学園で、何かおかしなことをしたという話は聞いたことがありません。


「あの、エイブラハム様? 校門につきましたので」


 私は立ち止まってエイブラハム様に声をかけました。エイブラハム様も、気がついたような表情で立ち止まります。


「では、メアリー様、また明日」


「ええ、また明日」


「明日も、今日と変わらない、その美しい笑顔を私に見せていただければ、これ以上の喜びはありません」


 会釈しながらエイブラハム様が言いました。 少ししてエイブラハム様が顔を上げます。


「では、ごきげんよう、麗しの姫君」


 冗談のように言い、エイブラハム様が私から少し後ずさりました。同時にその姿が光り輝きます。


 光はすぐに消えました。いつの間にか、エイブラハム様の背中に、ドラゴンのような翼が生えています。


「それでは」


 言って、エイブラハム様が空へ飛び立ちました。エイブラハム様のような魔族は、人間の魔導師のように、飛翔の呪文を詠唱する必要がない。彼らにとっての空とは、人間にとっての地面と同じだ。――以前から聞いていたことですが、相変わらず、見るたびに感心してしまいます。


「お待ちしておりました、メアリー様」


 エイブラハム様が空の彼方へ飛び去ったのを見届けた私は校門をでました。同時に、ドロシー――私の家のホムンクルスの名前です――が声をかけてきます。


 ですが、そのドロシーが、少し表情を変えました。


「メアリー様、どうかなさったのですか? お顔の色がすぐれないようですが」


「なんでもありません」


 と、私は返事をしました。したのですが――


 私の声は、本当に震えていなかったでしょうか。今日の私の、エイブラハム様への態度は、普段と同じだったでしょうか。不安で仕方がありません。それに気づいたのか、ドロシーが私に近づいてきました。


「まさかメアリー様、学園で、何か不快なことでも」


「そうではありません」


 私は、なるべく気丈な調子でドロシーに言いました。ドロシーも、それで普段の表情に戻りました。要するに無表情です。


「わかりました。メアリー様が、そうおっしゃるのであれば」


「では、帰りましょう」


 私が言うと、ドロシーが慇懃な調子で私に会釈をしました。


「では、こちらへ」


 私はいつもと同じように、いつもの駐車場へ行きました。いつもと同じ、送迎用のロボット馬車が待っています。いつもと変わらない日常に見えました。


 ああ、でも、そうではないのです。私は、昨日までの私とは違うのです。


「メアリー様」


 言いながらドロシーが馬車のドアをあけました。私が乗り込んだのを確認してからドアをしめ、御者台へ行きます。


「では、だしますので」


 ドロシーが言い、同時にムチのしなる音がして、馬車が走りだしました。


 エイブラハム様は、もうご自分のお屋敷に帰られたのでしょうか。少しだけ揺れる馬車のなかで、私はそんなことを考えていました。


 魔将軍という、非の打ち所のない家柄。そして、少しだけユーモアのある私への対応。更には普段からの紳士的な態度。


「ああ」


 少しだけ、悲しげな声が口から漏れてしまいました。でも、それは仕方のないことだと、自分でもわかっています。


 なぜなら、私は、エイブラハム様の、そんな言葉を聞く資格がなかったからです。


 なぜなら、私が、元は男だったからなのです。

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