千紗、大きくなる

向日葵椎

第1話 エネルギー

 昼休み。高校一年の教室で、机を挟んで大木おおきと弁当を食べている。

 わたしは向かいで弁当箱を空にしている大木を見上げて言った。

「大木、エネルギー送信してくれ」

 なぜわたしが大木を見上げているのかというと、大木の背が高いからだ。これはわたしが小さいからではない。大木は身長が一九〇センチを超えている。ショートヘアで目つきが少し恐いのでたまに男と間違われるが、大木は女子で昔から仲が良い。ちなみにわたしは身長がそろそろ――いや、もう一四〇は超えているだろう。髪が金色なのは祖母や母と同じだ。

「うん、わかった」

 大木は表情を動かさずに頷くと、両手を机の上に置いた。

 わたしは自分の両手を重ねるように、大木の手のひらに合わせる。

「よしこい」目を閉じる。

「送信開始」


 これは大木と昔からやっている食後のエネルギー送信だ。たしか小学生の頃から欠かさずやっている。「エネルギー」というのは「身長が伸びる何か」のことで、身長差がついてきた小学生の頃にわたしが発案したのだ。気とかエネルギーというのは、アニメや漫画で大体が手から出るので、手を合わせることで効率の良いエネルギー送信が可能になる、とわたしは考えている。

 これはわたしが身長を伸ばしたいからという理由では断じてない。大木はよくいろんなところに頭をぶつけるから、それを心配しているのだ。そうそう。わたしに送信することで、大木の身長がこれ以上伸びなくなり、さらには縮む可能性もある。ちなみに今日、大木のおでこに絆創膏が付いているのは喧嘩したからだという噂があるようだが、違う。今朝起きて自分の部屋から出るときにぶつけて切ったらしいので、登校中にわたしが貼った。わたしが絆創膏をたくさん持っている理由だ。


「大木、ちゃんと送信してるか」

「うん、送信中」

 手のひらの感覚に集中する。

 あったかい。

「いいぞー大木。来てる……、エネルギー来てるぞー。その調子でじゃんじゃん送ってくれ」

「うん、もうちょっとだけ」

「?……別にちょっとじゃなくてもいいぞ。どんどん来い」

「もうちょっと」

「なんか手が熱いな。今日は特にエネルギーが送信されてるみたいだ。もしかしたら目を開けたらわたしの方がおっきくなってたりして。ふっふっふ」

 コツン。わたしは額に熱いものが当たるのを感じて目を開けた。

「……!?」

「こっちの方がいい」

 目の前に大木の瞳があった。わたしは大木と額を合わせている。


 わたしがちょっと思考停止していると、席が近いクラスメイトが言う。

「大木さん、千紗ちさちゃんと遊んであげてるのね。微笑ましくて鼻血が出そう」

「わたしは、本気」

「さすがは大木さん。本気と書いてガチと読むのよね」

 いつもこうである。一緒に何かをしていると、いつも大木が遊んであげている側に見られ、わたしは遊んでもらっている側になる。違う。わたしが大木からエネルギーをもらってあげているのだ。そうそう。これは遊びではないし、これをしないと大木のおでこの傷が増えてしまうから、大事なことなのだ。

 クラスメイトも慣れたもので、「大木は見た目が少し恐いけど、千紗ちゃんとよく遊んであげている優しい人」というギャップで好感度が高い。わたしはなんでかよくわからないけど飴玉をよくもらえるので好感度は高いと思う。

 わたしも同級生なんだけどな。


「で、大木、近いぞ。なんだ」

「千紗いい匂いがする」

「それはあれだよ。ふりかけご飯の海苔かたまごだよ。それよりちゃんとエネルギー送信してよ大木。せめてそのお弁当食べた分だけでもちゃんとね」

「こっちの方が送信できる」

「ダメだよ。だってせっかく手から入ってきたのがおでこから戻っちゃうじゃん。身長エネルギーの逃げ道作っちゃダメだってば」

 頭をそらせて顔を離す。

 大木がまた額をくっつけに来る。大木は背が高いので逃げきれない。

「おでこから送るから、大丈夫。ちょっと切れてるし、エネルギーも送りやすいと思うから」

「絆創膏ガードしてるからダメなものはダーメ。おでこに目があるんじゃないんだからエネルギーは送れません」

「じゃあはがす――」

 大木がおでこに手を伸ばす。

「ちょっとー、わたしがせっかく貼ったんだからやめてよね」

「……うん」

 やっぱり大木の方が子供っぽいと思うんだけどなあ。


 わたしは弁当の残りを食べながら、思い出したことを話す。

「そういえばさ、おばあちゃんが創作スイーツの新作完成させたみたいだから、よかったら今日食べに来ない? なんかすごいケーキとジュースができたって言ってた」

「うん、行く」

 いつも通りの即決。

 わたしの祖母は創作料理の研究に余念がない。家に囲炉裏と大鍋があるのは祖母が創作料理をするためだ――火にかけられる大鍋は魔女の道具っぽい。そして新しい料理が完成すると、わたしは大木を誘ってそれを食べる。

「よし。じゃあ決まりね。大木はよく食べるからおばあちゃんも喜ぶよきっと」


 *


 放課後、わたしは大木と一緒に帰った。

「ただいまー」

「おじゃまします」

「おばあちゃんいるー?」

 返事がなかったので和室の中を覗いてみる。

「あ。おばあちゃんいた。ただいま」

「ああ、千紗かい。おかえり。おや、大木もいるじゃないか、いらっしゃい。いい日にやって来たね大木。今日は今までで一番最高の作品が出来上がるよ」

 おばちゃんは部屋着として黒のローブを着てフードをかぶっている。フードの中の金色の髪とパッチリした目。わたしにはわからないけど、ずっとこの恰好なのでこだわりがあるらしい。

 今は囲炉裏の上の大鍋で黒っぽい何かをかき交ぜていた。ハーブのような、鼻に残る甘い香りが漂う。

「おばあちゃん何作ってるの?」

「今までで一番最高の作品が出来上がるよ。これから仕上げだからね、ちょっとリビングで待っているといいよ。出来立てを持っていくからね」

「だってさ大木。行こ」


 わたしは大木とリビングに向かった。

 ゴン。リビングの入り口に大木は頭をぶつけた。

「わっ、大丈夫大木!? 絆創膏か? 絆創膏でいいか?」

 手のひらで招いて大木をかがませる。かがませないと近くで見えない。大木は表情を変えずにしゃがんでわたしに額を見せた。

 ちょっとだけ赤い。けれど切れてはいない。

 安心してため息をつく。

「切れてないみたい。よかったぁ……。もう、気を付けないとダメでしょ。ていうかそろそろ慣れてもいいと思うんだけど。大木はもう十年近くわたしの家に通ってるでしょ」

「うん。……絆創膏は?」

「切れてないからいらないよ」

「切れるかもしれない。なんだかこれから切れるような気がする」

「えっ、うそ!? そうなの? じゃあ貼る。貼るからちょっとだけ待ってて」

 急いでカバンから絆創膏を取り出す。

 取り出してすぐに大木の前に戻る。

「じゃあ貼るよ?」

「うん、お願い」

 シールをはがしながらそっと貼る。

 大木のおでこの絆創膏が二つになった。

「これで大丈夫」

「ありがとう。これで安心する」

「ホントに次から気を付けてね」

「うん、気を付ける」

「そういえば、これから切れるような気がするって、わかるものなの?」

「そんな気がしたのは本当」

「ふーん、そかそか。もしかして体が大きくなると風船みたいに割れやすいのかな。風船って膨らます前は針でちょっとつついても割れないけど、膨らませた後は同じようにするとすぐ割れるもんね」

「身長エネルギーがたくさん詰まってるからね」

「――ハッ。なるほど。やっぱりわたしの身長エネルギー理論は間違っていなかったんだ。意外なところで裏付けがとれちゃったよ。ありがとう」

「だからいっぱい割ってほしいな」

「どゆこと!?」


 *


 和室の方から時折聞こえるドリル音と破裂音を気にしないで、リビングのコタツで創作スイーツの完成を待つことにした。祖母が創作スイーツを作る時の謎の音にはもう慣れている。

 そしてわたしは今、大木の脚の間に座っている。

「なんかいつもよりすごい音だねー」

「うん」

 大木に包まれて座るのは、とても心地がいい。背中のほうもあったかいし、大木は身長の割に痩せているから服と体の間に隙間があって、そこに体を預けるとフカッて空気が抜けるのが好き。

 ここで牛乳をグイっと飲む。

「くぅー。溶けそう」

「お腹いっぱいにしないようにね」

「モー、わかってるよー」

「モー」

「モー、モー」

 しばらく二人でモーモー言って揺れていた。


 その時、リビングのドアが開く。

「完成じゃっ!!」

「――キュッ」

 驚いた大木にぎゅっと抱きしめられ潰れかけるところだった。

「あっ、千紗ごめん」

「もうっ! 牛乳出ちゃうよ!」

 祖母はコタツの傍まで来ると、手に持っていたお盆を上に置いた。

「アリサの最高傑作! 世にも珍しい大きくなるケーキと、これまた珍しい小さくなるジュースじゃ!」

 祖母の名前はアリサという。

 お盆に載っていたのは、白くて丸い一口サイズのものが一個置かれた皿と、小さいグラスに入った透明な液体。

「ケーキが大きくなってジュースが小さくなるの?」

「おや、アリサの孫にしては感が鈍いようだねえ。違うよ。これは食べると体が大きくなるケーキと、飲むと体が小さくなるジュースだよ」

「なるほど……って何それ」

「何って、そのままの意味さ。昔、アリサのおばあさん――アリスばあさんが若い頃に夢のような冒険をしたとよく話してくれてね、その話に不思議なケーキと瓶に入った飲み物が出てきていたのさ」

「それがこれなの?」

「そうさ。今までずっと謎だったレシピをアリサはついに自らの手で見つけ出したのさ。半世紀以上かかっちまったが、アリサはついにやり遂げてしまったんだね」

「一つ聞きたいんだけど、今まで作ってくれた創作スイーツってそのレシピが失敗したものだったりしない?」

「大丈夫さ、ちゃんと無害化してから出してるよ」

「そ、そっか……」

「さあ、お食べなさい」

 わたしは祖母を疑っていないし、それにケーキを食べて大きくなれるのが本当だったら試してみたい。


 上を見上げて大木と目を合わせる。

「わたしケーキの方食べていい?」

「それ、わたしがジュース飲む流れ……」

「おでこぶつけなくなるよ!」

「……アリサさん。これを食べて、もし体の大きさが変わったら、元に戻れるものなのでしょうか」

「大丈夫さ問題ない。ケーキを食べて大きくなったらジュースを飲めばいいし、ジュースを飲んで小さくなったらその反対さ」

「そう……ですか」


 わたしはもう待ちきれず、ケーキの方に手を伸ばす。

 すると祖母が、

「お待ちっ!」

「な、なに!?」

「今のその制服姿で大きくなる気かい?」

「……あっ」

 確かに、このまま大きくなったら制服が破れてしまう。

「そうさ。さすがにわかったようだね。制服が破れるのはまあいいとして、今時はこういうシーンにも配慮しないといけないからね。カメラは部屋の外に出しておくから先に服を脱いでおくんだね」

「カメラ……?」

「気にしなくてもいいさ。――はい、ではしばらくの間はドアの外から音声のみでお楽しみください」

「??」


 ――じゃあとりあえず脱ぐね。

 ――じゃあ……わたしも。

 ――うわあ、あらためて見ると大木ってスタイルいいなあ。

 ――そんなことない。大きいだけ。

 ――確かに……大きいよね。

 ――千紗、どこ見てるの。

 ――フンっ、アリサの若い頃の方がずっとすごかったよ。

 ――おばあちゃんは黙ってて。

 ――なんだい? アリサの需要は無いって言いたいのかい? 馬鹿言うんじゃないよ。ちょっと待ってな、今カメラの前で驚きプロポーションを見せてやるからね。


 ドアが開きかける。閉じる。


 ――大木ありがと。ちょっとそのまま押さえておいて。何だかよくわからないけど自由にしておくのはとてもよくないことのような気がする。

 ――うん。早く食べよう。

 ――アリサは着太りするタイプなんだよ!

 ――はいはいわかったから。じゃあいただきまーす。

 ――わたしも、いただきます。

 ――うわッ! 何コレ! 体が、どんどん!

 ――小さく。

 ――大きくなってる! わーい!

 ――どうだい! すごいだろう! アリサはついにやったのさ。

 ――うんすごいすごーい。じゃあ大木服着ようか。

 ――アリサを雑にあしらうんじゃないよ!

 ――わかったってばー。あ、サイズ合う服持ってきてない!

 ――ついにアリサの出番かい!?

 ――千紗、制服交換しよう。

 ――あ、そうだね! その手があったか!

 ――まったくこれだから若いのは。……はいカメラ入れるよ。


「すごい……。ホントにおっきくなっちゃった」

 わたしはケーキを食べた直後から目線が上がって行き、コタツも祖母も前より小さく見える。そして足元を見ても、踏み台に載っているんじゃない。

 大きくなっている!

 そして大木は――

「どうかな。千紗」

「すっごく可愛い……」

 ショートヘアとちょっと怒ったような目つきはそのままだけど、前よりずっと背が低くなってて、昔の大木っぽくて可愛い。

「千紗、高い高いして」

 大木がバンザイしてわたしを見上げている。

 可愛い。

「いいよー大木ちゃん。はい、高い高ーい」

 両脇を持って持ち上げる。

 軽い。

 大木は天井にタッチしてわたしを見た。

 そして微笑んだ。

 可愛い。

 祖母は満足そうな顔をして、

「じゃ、アリサはレシピまとめてくるよ」

 と部屋から出て行った。

「大木、明日から土日だし泊まってく? なんか新鮮で楽しい」

「うん。じゃあ親にはアリサさんから連絡してもらっていい? そういえば千紗のご両親は」

「オッケー。明後日イギリスから帰って来るって。それまでに戻っておけば驚かれずに済むよ」


 こうしてわたしと大木は、少しだけ小さいのと大きいのを楽しむことにした。

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