ちーちゃんに憧れて

こいこい

第1話僕はちーちゃんの夢を見る

「ちーちゃん二人目生まれるんだって」


 連休で実家に帰っていた俺にわずかながらダメージを与える一言だった。

 そう、母親がこの話をすることは別段珍しいことではない。うちの母親は大学卒業から市の職員になり、いまだ現役で働いている。その分、同期や職場の友人が多く、今となっては俺も母親の友人をほとんど知っているほどだ。

 

 母親が話す登場人物の名前は、あだ名やちゃん付けが多く、会ったことがない人でも名前を知っているので、馴れ馴れしくも母親と同じように呼んでいる。

 それがここ最近、話してくる内容となると、友人の話ではなく、その息子、娘の話になってくるのだ。母親の子供ということは必然、俺とも年齢が近い子や同級生だった子が多い。いつも誰誰の子はなどと聞かされてきた。

 だが、今回はそのさらに上、娘の更に娘の話だった。


「へぇ、そうなんだ」


 テレビを見ながら少しだけ興味を傾け、頷いた。同い年の結婚の話ではなく出産の話ともなれば心の奥底に響く小さな傷になるのも仕方ない。

 俺こと高辻幸成は独身で二十九年間も生きてきたのだから、結婚という現実が少しでも頭によぎらなかったといえば嘘になる。

 来年には三十歳という大台に乗ってしまい、両親や親戚、そして友人からも更なる重圧を受けることになるだろう。

 その話に出てきたちーちゃんとは母親の友人の娘のことだ。俺と同い年で同じ高校に通っていた女の子。役所勤めの母親同士仲が良く、幼いころから家族ぐるみで遊んでいたことがある。


 特に母親の友人の子は俺と同級生が多く、小学校中学校は別だったのだが、高校では三人ほど一緒になったのだ。

 だが、ちーちゃんや他の子と仲良く遊んでいたのは保育園から小学校低学年だったので、高校時代は全くと言っていいほど仲良くもなく、会話をした記憶さえない。

 なので、結婚しました。子供が生まれました。と言われても直接、祝福の言葉を告げることもなく、ただ「そうなんだ」というささやかでもない言葉を母親に言うくらいのものだ。


 当然、この話題になるということは少し棘があるような言い方にも感じる。同い年の子は結婚して子供もいるのに、あなたはまだなのかと言われているように感じ取ってしまう。

 洗い物を始めた母親を見て、俺はしれっと立ち上がり二階へと上がった。また同じことを言われそうで、それに対応するのも面倒になったからだ。

 二階にある自分の部屋のベッドへ飛び込むと、先ほどの言葉を思い返す。

 高校時代は話したこともないし、好きだったわけでもない。それなのになぜか今更になって後悔にも似た感情に包まれる。

 そう、あの時好きだったではなく、あの時好きになっていればよかったと思えるくらい。

 ちーちゃんは高校時代、すでに垢抜けた顔をしており男子からもかなり人気があった。


 派手すぎずおとなしい性格だが整った顔と明るい笑顔がみんなの心を打ったようだ。高校時代も付き合ったという話は聞いたことがある。そんな噂だけが耳に入ってきたのだが、話す機会がなかった。

 いや、自分がその機会を作らなかったのだ。

 母親同士仲が良い、幼少期一緒に遊んでいた。これだけでも仲良く話せる要素は十分に揃っていたというのに。


 脳裏に浮かぶのは過去の映像と後悔はしてないという否定の感情。天井を眺めて高校時代を思い出す。すでに高校を卒業して十年も経過しているので、忘れた記憶もある。それでも、はっきりと覚えている記憶も多い。

 高校に未練があるのだろうか。

 今何を考えてもできるのは「もしそうだったらよかったのに」という過去のたられば仮定論でしかない。この意味もない妄想に恥ずかしくなり、笑えてきてしまった。

 だが、一人口元が緩むのを堪えながら目に入ったものがあった。そう、本棚にしまってあった高校の卒業アルバムだった。実家に置きっぱなしにしていたので、卒業してからほとんど開くことのなかった卒業アルバム。ベッドから立ち上がって手を伸ばす。

 ゆっくりと本棚の隙間を作って取り出した卒業アルバムは待ち構えたように姿を現した。


 ケースから取り出しベッドの上に寝転んで卒業アルバムを開く。一ページ一ページめくっていき、教師の写真から三年一組の写真へと進んでいく。

 知っている人から、新たに発見する人までおり、久しぶりに開いた卒業アルバムが楽しみにしていた新刊のように楽しんでいた。

 自分が参加している本がこんなにも楽しいものなのかと、数年ぶりに開いた卒業アルバムに高揚感が溢れてくる。生徒全員の顔を見るようにして、卒業アルバムをめくっていく。


 二組、三組とページが進んでいくうちにたどり着いたのは五組のクラス写真だった。そこで手が止まる。

 先ほどの話題のこともあり、ほんの少しの背徳感を持ってちーちゃんを目で追ってしまう。五組は文系で発展クラスという、一般のクラスより少し偏差値が高いクラスだったのを覚えている。二類のクラス、発展クラス、一般クラスと三分されていた。

 それにこのクラスは女子の割合が少し多く、可愛い子が多かったのも記憶の一つだ。そのクラスには、話したことのない可愛い子が何人か目に入る。そこで、自然と笑みがこぼれてしまう。

 高校を卒業してから十年という歳月を重ねたからか、若々しい姿に懐かしさを感じる。

 哀しいわけではない、切ない気持ちもない。もっと話しておけばよかったと思う小さな後悔の気持ちだった。


「そっか……」


 自己完結をして一人笑みを浮かべるしかなかった。懐かしいという感情が全身を駆け巡る。そのまま手が止まった五組のページを見ていると、寝転んでアルバムを見ていたせいか、瞼が重くなってきた。何度も抵抗するも落ちてくる瞼は上へと上がらない。


 今朝は早かったわけでもないし、疲労感もない。それなのに睡魔には勝てず、目の前は真っ暗になっていく。


「……かつじ。おい、高辻!」


 大きな声で自分の名前を呼ばれて起き上がる。


「え、あ、はい!」


 寝ぼけているせいか、状況がうまくつかめない。目の前に広がるのはどこか見覚えのある教室と制服で、ひとつの学級として成立した人数だった。

 どうやら俺は教室の机に伏せて寝ていたらしい。学生がよく寝る作法だ。

 声の主をたどると教壇の前に立った、見たことのある教師らしき男がいる。


「えっと、高辻だな。入学して初めての登校でいきなり寝るなんていい根性してるな」


 先生は一度教壇にある名簿表を見て言った。


「え、橋本じゃん、なんで」


 ようやくその場がなんなのかという判断ができるようになったのだが、先生をいきなり呼び捨てにしてしまった。


「だれが橋本だ。橋本先生だろ」


 橋本先生は突っ返してきた。

 ん? っていうかなんだ。俺、さっき自分の部屋で寝てなかったっけ。ベッドで卒業アルバムを見ていたところまでは覚えているんだが、その先が思い出せない。


「なんだ、夢か」


 あっさりと辿りついた答えはそれだった。

 それもそうだ。高校を卒業したのはもう十年も前のことだ。忘れようがない。それに高校時代の記憶だってある。これが現実じゃないことの区別くらいつくってもんだ。

 でも、こんな夢って初めてだな。ここまで、夢の中で現実ではないと認識できるなんて。

 思考を重ねながらも、自分がどんな状況にいるのか把握できてきた。十年も前のことなので一秒一秒を覚えているわけではないのだが、こういう出来事があったなど覚えていることもある。

 入学式後の教室で最初に話しかけてくれた男子のことを今でも覚えている。現在も良く呑みに行ったりしている関係だ。


「なぁ、どこの中学校? 俺、木村。よろしく」


 そう、こんなふうに。


「俺、高辻。桂山中学校。よろしく」


 自分の家からの範囲ではない、少し遠い高校に通うことになったので、同じ中学校だった知り合いはほとんどいなかった。なので、この一言はとてつもなく嬉しかったのを覚えている。

 高校でできた初めての友達。懐かしさと嬉しさが込み上げてくる。

 橋本先生の話が一通り終わると、すぐにホームルームは終わった。入学初日でいきなり授業を始めるわけにはいかないし、今後の日程を大まかに話しただけだった。

 あとは家に帰るだけのはずなんだが、ここまでリアルだといつ目覚めてしまってもわからないな。夢の中で眠って、次の日を迎える事ってあるのかな。


 くだらないことを考えながら教室内を見渡した。

 高校一年の初日ということで部活に行く者もおらず、次々に席を立っていく。仮入部も来週からなので、新一年生は帰るほかないのだ。

 どうせ、夢なんだから昔と違うことをやってみたいな。できなかったこととかなかったっけ。


 席に座ったまま腕を組んで考えるも、できなかったことなど十年以上前のことなので、細かいことまで思い出すことなどできるわけもなかった。

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