遺灰

泡伏繭己

1

 彼女、佐々木真白(ささきましろ)は雪だるまの〈素〉を転がしながら、諸々の感情を巻き込んでいく。もっとも、彼女はまだ八才になってばかりの少女であったが。


 〇


 雪国にて。

 ヒュウヒュウと吸い込むように風が鳴っている。風の曲線と曲線が摩擦し、針のような鋭さを帯びている。わたし、佐々木真白は小さい頃からこの音が苦手で、この季節は耳当てをするようになった。まだ昼だというのに、グレイと白インクを適当に混ぜたような空。暗黒、とまではいかないけど、なにかが世界を覆っているみたいで、怖い。あれがもし、灰色の毛の猫だとしたら……なんていじわるなんだ。猫が地面に白い粉を投げつける。いつまでそうしているつもりなのだろう。目に見えない速さ─白いはずの粒が黒いものに見えてしまうほど─で目の前を通り過ぎる。それはコンクリートの庭を目いっぱい真っ白に覆って、もう黒い地面は見えなくなった。

 雪の礫をなんとも思ってないような彼─真白のおじいちゃん─は慣れた手つきで防風柵を作っていた。巨大な鉛筆のような、先を尖らせた丸太が既に地面に刺さっている。縦、の次は横。段々と格子のように組みあがるそれを、わたしは雪だるまを作りながら、茫然と見ていた。

 「おじいちゃん」

 「ん」

 藍色の耳当てをした少女は、口に咥えていた舐めかけのチュッパチャップスを雪だるまの顔面に挿して、鼻とした。

 「焼き芋食べたい」



 頭のてっぺんが禿げているのを気にしているわけじゃないだろうけど、おじいちゃんはいつも帽子をかぶっていた。わたしのお父さんはおじいちゃんの息子だが、同じく禿げていて、同じく帽子をかぶっている。昔は違和感があったけど、最近はゴルフを始めたせいか、 違和感は軽減されたようだった。わたしはそれを見て思わず「でもなんかおじさん感増したね」と言ってしまった。おばあちゃんがそれを聞いて、かかか、と笑っていた。

 薪ストーブのある小屋は、一階はガレージの役割を果たしており、二階は物置というようになっていた。一階の隅っこで、わたしたちは薪ストーブを囲む。壁に立てかけられた木材に火の影が映る。

「どれがいい」

炎にそのままダイブした、アルミに包まれている焼き芋を指で指した。

「これ。ちっちゃいやつ」

「なに遠慮してっど。もっと食べれ」

「えー」

 もともとおなかはそんなに空いてなかったため、私は嫌そうな顔をする。このあとご飯だし。それに、わたしには別の目的があったのだ。

ストーブの窓からゆらゆらと炎が揺れる。パチパチと火の粉が弾ける中、小さな男がその窓の向こうから顔をのぞかせる。肉体の輪郭が曖昧だが、表情ははっきり見える。なかなかに筋肉質な小人だ。おじいちゃんは彼を『薪おやじ』と呼んでいる。

「やっほ、来たよ」

『やあ真白。久しぶりだね』

 と、薪オヤジ。

「真白、まぁだ薪オヤジと話してんだか」

「ちょっとだけ。お願い」

 ふん、と鼻を鳴らすと、おじいちゃんは婆さんに焼き芋を持っていくからといって小屋から出ていった。薪オヤジがいると分かると、彼は決まってその場を離れた。彼のことが好ま しくないのもあるのだろうが、でも今までわたしを一人で薪ストーブのそばに置くような ことはしなかった。だから、信頼、みたいなやつかなとわたしは勝手に解釈している。

 『畜生、いま顔を出すんじゃなかった。しかし、この焔は美味い』

 「すぐわかったよ。絶対顔だって思ったもん」

 『シミュラクラ現象ってやつだな』

 「ねえ、薪おやじは焼き芋食べないの?」

 『食べないよ、私は焔しか食べない』

 「え、じゃあさ、火があればまた会える?」

 『勿論』

 そうしてわたしは、まずマッチを覚えることにした。

 スッ。シュボッ。できた。うねうねと小さな炎が揺れる。

 「どう?」

 『どれどれ』

 と、薪オヤジは轟々と燃える薪ストーブの中から顔を乗り出し、マッチの火に飛び移ろうとした。

 『これじゃ小さくて、多分私の声は聞こえないなあ』

 「えー、なんで小さいとダメなの?」

 『エネルギーが足りないんだ。ご飯ちゃんと食べないと動けないだろう』

 「……ひひーん」

 やっぱり薪ストーブの焚き方を覚えるしかないか。

 おじいちゃんの薪ストーブの焚き方を観察して、練習した。ただ、下手くそだからマッチをたくさん使ってしまった。でも、足りなくなればお父さんが買ってきてくれた。一週間もすると自 分で火をつけられるようになった。それこそおじいちゃんに頼まなくても大きな火を起こせるようになった。家族はそれを危なっかしいと思っていたが、それがきっかけでわたしは家族の手伝いをするようになっていた。家の中にも薪ストーブがあったから、小屋から家まで薪を運んでは、くべて。ストーブの中に新聞紙を丸めて投げて置いて、その上に数本の細い木を置いて、さらにそのまわりを薪で組む。準備ができたらマッチで新聞紙に火をつけて、あとは窓を閉じる。うん、ばっちり。

 『上手になったなあ』

 「でしょ。じゃあ、今度は小屋のやつ焚いてくる」

 『なあ真白。俺の餌を用意してくれるのは嬉しいが、くれぐれも用心するんだ』

 「わかってるよ。火の用心、ね」

 『それに、おかげで太ってしまった』

 「……水飲めば痩せる?」

 んなバカな、と言うと、姿を消してしまった。もう夜の十時になっていた。寝なさいってことかなあ。ストーブの窓の下には引き出しのような小さな扉があって、そこには灰が溜まるようになっていた。開けてみると、大量の灰があった。線香のような細々しい煙が重力に負けずに漂う。こんなに溜まったのは初めてだ。あ、はっくしょん。

 この灰は雪が積もっているところに捨てる決まりだ。私は夜中家を出て、その灰を溜めた鉄器を持ち出した。えいやっ、と放る。白黒入り混じった灰が庭に飛び散る。雪面が汚くなっちゃうけど、また雪が降って新たな雪面を生み出すのだから、気にしない気にしない。

 はくしゅん。

 おお、寒い。これが夜の冷たさってやつなんだろうか。暖房による熱の鎧の隙間から、一瞬でその寒気が何かを吸い取るように体の中に入り込んでくる。

もう寝なくちゃ、と私は家の中へ戻った。ずっと暖房の近くにいたせいで布団が暖まっておらず、また一つくしゃみをした。


 〇


 「かまくら?」

 早朝、いつもよりみんなが早く起きるもので、わたしも目を覚ましてしまった。部屋の外を見ると、ここ数日とは打って変わって、いつもより遠くが見えているような、冬の澄んだ青い空だった。

外には私より何十センチも大きい双子の兄ちゃんたちがいた。雪かき用のシャベルを持って、何やら始めるみたいだ。母によると二人は既に朝ご飯を食べ終えており、それこそ中学校の雪かきボランティアに行くような格好だ。お揃いのブルーのスキーウェアに、スキー用手袋に、ふわふわもこもこのでっかいネックウォーマー。

 「そう、今年は雪がたくさん積もったし、いい雪みたいだしな」

 と、お父さん。いい雪、というのは、かまくらを作るのにちょうどいい、つまり固まりやすい、という意味だ。水っぽくない、とも言う。たしかに、空は真っ暗だったが最近はまさに〈しんしん〉と降っていた。そう、まさにジングルベルの音色が聞こえてくるような感じ。

 「でだ、かまくらが出来たら、その中で餅を焼いてみんなで食べよう」

 「わ、なんかそれっぽい」

 母が少し興奮して言った。

 「まあ、結構大変だけどな。でも楽しいぞきっと」

 外へ出ると、ようこそとばかりに朝日が私を照らす。兄貴たちが黙々と、肩で息をしながらせっせと雪を運んでいた。

 ……雪。

 まだ新しい雪であるはずなのに、何やら汚れが見えた。

 灰だ。あれは私の灰だ。

 「雄太兄ちゃん」

 「あ、おはよう真白」

 「これさ……」

 「灰がどうかした?」

 「……ごめん」

 「ん? ああ、もしかして汚くなるんじゃないかって思ってるの? あはは、これくらいなら大丈夫だよ、全然」

 ……そうかなあ。私は不安だったので、小さな雪玉を作っては灰の見える部分にそれをあててこすった。これでごまかせるかなあ。

 数時間後、両親やおじいちゃんおばあちゃんに加え、双子たちや私の些細な努力が足されなんとかかまくらの土台となる半球ができた。家族みんなが雪の上で寝そべっている中、まだだまだだ、と兄ちゃんたちがシャベルの背でかまくらを叩いて固めている。

「げ! ここ汚いな」と、もう一人の兄、雄哉。

「そのくらいいいと思うけどなあ」と、雄太。

「あ! だから真白は外側を雪玉で固めてたんだね。だよな、真白」

「……」

「ま、いいや、穴掘ろうぜ!」

「そうだね」

「私とおばあちゃんはお餅、お持ちしますね」

「ええ、なにそのギャグ、狙った?」

「あら、ほんとだ」

「あはは」

「真白」

「……………… 」

「真白?」

 あ。 うん。

 なあに?

「わしと一緒に火を焚こう」

 私は、うん、とうなずいて、おじいちゃんの手を取った。

 兄ちゃんたちの手によって、かまくらの中の空洞を作るため雪がかき出された。ああ、外を取り繕っただけじゃダメみたい。自分の内臓が掻き出されるみたいに中から異様なほどに灰が出てくる。雪の塊は概ねゴマ団子。気味が悪い。みんなは私に何も言わず、むしろ面白がっていた。

 家族はかまくらに入ると、さして周囲を見渡すこともなく、酒だ餅だとはしゃいでいた。おじいちゃんは慣れた手つきで七輪に炭をくべ、そして私がマッチを点ける。先端にちらりと見えた青い炎を、私は悪魔の角だと思った。七輪の炭が次第に熱を帯び、わずかな煙が私たちの目の前を流れる。熱で空間が揺らめくほどになると、影を落としていたみんなの顔が照らされ、壁の雪がその美貌をあらわにする。彼女らはなめらかで艶やかな神々しい白い肌だったが、私の灰はその肌に木星のような帯状の模様を遺していた。どこか歪で、グロテスクな灰色の雲。

 ああ、息が苦しい。自分の醜い恥部が晒されている。いっそ、天空に想像した灰色の猫を呼んで、何もかも灰色の闇に包んでほしい、私はそう願いながら、目の前で焦げていく餅を見守るばかりだった。


 〇


 いつの間にか私はシャベルを手に持ち、少女の死体を埋めていた。

 そうして私は初めて、自分の中の誰かを焼き殺したのだと知る。


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遺灰 泡伏繭己 @abusemayumi

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