佐刀鞘の異世界剣遊記
幼縁会
俺が異世界で決闘体験
鬱蒼とした森林に、一筋の日光が割り込む。
相対するは二人。
一人は黒を基調とし、金を縁取った豪奢な羽織を纏った男。その出で立ちは紛うことなき剣士のものであり、腰に帯刀した得物こそが最大の証左。
「我が名はハバキ・イシカワッ! 百刀一閃流が奥許しッ、名も無き貴様に決闘を申し込むッ!」
吐き出される圧に森が蠢き、木々で羽を休めていた小鳥が一斉に羽ばたく。常軌を逸した圧と、大気に伝播する殺意に怯えて。
腰の刀を眼前に掲げ、殊更ゆっくりと白刃を煌めかす。やがて中身を抜き切り空洞を晒す鞘を眼前に投合すると、師の教えの元、刃を構える。抜き身の刀を目線の高さにまで持ち上げ、右足を半歩下げた構えを。
さながら弓を今か今かと引き抜くのを心待ちにしている弓兵が如く、男は対となる人物を睥睨した。
対する一人はハバキと同様に黒を基調としながらも、どこまでも落ち着いた、派手さのない服装。襟元には所属高校を指し示す腕章が取り付けられているものの、ともすれば華美にも捉えられるハバキとは比較するまでもない。
中性的な顔立ちは見方次第で女性と勘違いさせかねないが、体格そのものは小柄ながら紛れもなく男性のそれ。覇気の感じ難い目ではあるが、ハバキは爛々とした鈍色の輝きから油断ならぬ手合いだと推測する。
少年は頬を掻くと、服越しに電圧めいて伝わる殺意にも動じずに鞘を拾った。
「あぁ、こちとら名乗る者でもございませんが、
「形無しか……それもまた良し。決闘の作法は理解しているか」
「いいえ全く」
恥ずかしげもなく、白歯を剥き出しにして。
佐刀は投げられた鞘とは別で握る刀を手元で弄び、余裕さえ伺える様相でハバキを睨む。
「ちょっと、それで本当に大丈夫なのッ? そっちが勝手に割り込んだんだから、私は知らないよ?」
軽薄とも取れる態度に疑問を抱いたのか、あるいは決闘も知らない故か、佐刀の背後から苦言が飛ぶ。
仰け反る形で背後を見やれば、片膝と両手に握る野太い剣で体勢を維持する少女。
光の薄い森林でも目を引く赤髪を切り揃え、随所にひだを取り付けた結婚礼装を歩仏とさせる衣服が足首までを覆い隠す。印象的な燈色の目の近くには幼い顔立ちに似つかわしくない十字傷。そして胴体には白を塗り潰す赤の塗料。
「可愛い女の子の綺麗な……違う違う、危機にカッコつけてんだから、ま、心配しないでよ。
それで。作法ってのでは、ここからどうすれば?」
「……鞘を地面へ突き立てろ。それでお前の側は完了だ」
「なるほどなるほど、つまりこうやってっと」
呆れながらもハバキが口にした手番を守り、地面へ鞘を突き立てる。日光が当たることも少ないからか、然したる労もなく鞘は直立の姿勢を取った。
佐刀が所作を完遂したのを確認し、ハバキを構えを解き足を進める。不意に距離を詰める男に鞘から離れ、佐刀は一定の距離を堅持した。抜刀のために左手を鞘へ持っていくことさえしないのでは牽制にもならないが、素人が理解するには無理解に過ぎる。
やがてハバキは鞘の前に立つと、手に持つ刀を鞘へ挿入。
「これで作法は充分……後は互いに斬り合って、死んだ奴と降参した奴の負けだ」
「なるほど、とても分かりやすくて感謝」
「後は、こいつで語ろうか」
「……!」
鞘を腰に戻すと、ハバキは先と同様の構えを取る。
相違点は一つ。
最初の圧が全面を吹き飛ばす円月の殺意とすれば、現在佐刀へと注がれているのはただ一点を射抜く刺突の殺意。総出力という観点で語れば同一であろうとも、面ではなく点で放たれることを考慮すれば佐刀の背筋に冷たいものが走るのも無理はない。
尤も、雑多に向けられた殺意に動じないだけでも異常なのは明白だが。
「じゃ、じゃあ始めようか……開幕はよーい、ドンとか。もしくは一、二の──」
「お上りめ」
風が、頬を突き抜けた。
同時に、男の顔が視界全面に広がる。
音の壁を突き破る右の刺突に、殆んど反射の領域で半身の構えを取り、同時に刀を押し込まれないよう間に刀を挟む。
手を当ててすらいないとはいえ、抜刀の隙さえもない。
「なッ……ちょ……!」
「ん、なんだ?」
右足を起点に身を捻り、右腕を鞭の如くしならせる。
顔を引きつらせつつも、佐刀は素早く右腕を背後に回して再度迫る殺意を防ぐ。
火花が散ることはない。鞘は刀ほどの強度で構築されてはいないのだから、僅か二度刃を遮るだけで限界を迎えた鞘は、瞬間的に蜘蛛の巣状の亀裂を広げて破砕した。
砕けた破片が背中に当たるが、一刀の下に斬り捨てられるのに比べれば無傷に等しい。
「形無しとは思ったが、戦場に立ったことさえないのか」
「そりゃ、そうだろッ……こちとら、現代高校生、だぞ……!」
手首を捻り、ハバキは白刃の向きを細かく切り替える。呼応して幾重にも軌跡を描き、佐刀へ円弧を浴びせ続ける。
利き腕をしならせた無限の刃。百の刀を持つが如くに刃を振るい続け、その全てが一閃で相手の生命を刈り取る必殺を内包する。百刀一閃流が教えにして、ハバキの師が幾度となく口にした言葉でもある。
故に直撃だけは尽く回避。
だが極まった使い手が放つ数十年もの研鑽の末、ただの子供に無傷でいられる道理もない。
「チッ、この、やろ……!」
頬を裂き、学生服の奥に潜む肌を暴き、腐葉土の上に血染めの花を咲き誇らせる。
苦悶の表情を隠すほどの場数も、苦痛を誤魔化す術も知らぬ。単純に生粋の性質のみを頼りに心中の激痛を覆う。
しかして、現状を維持した所で佐刀に勝算がないのは自明の理。
全身から夥しい出血を続けた持久戦の果て、心臓を抉られるか首が飛ぶかで一際大きな血染花を咲かせるのが関の山。脳裏に浮かんだ最悪の妄想を振り払うのは、身体を裂く激痛という現実であった。
二桁は鍔競り合ったであろう刀には、鋭利とは言い難い刃毀れの山。熟練の玄人でも首を斬り落とすには切れ味が不足している。
「ク、ソがぁ……!」
「動きが丸分かりだぞ。読心術の練習か?」
「ねぇ、大丈夫なのッ?」
佐刀が背後へ下がれば、ハバキは同じだけ距離を詰めた。
頭の中が筒抜けなのかと錯覚する。佐刀としてはひとまず距離を置いて体勢を整えたいというのに、ハバキは攻勢を緩めるつもりはなく、及び腰の相手に一層苛烈な攻め手は加速する。
「とりあえず武器だ、それ片方でいいから貸せッ!」
「はぁ、さっきまで恰好つけておいてそんなこという?!」
「言わなきゃ不味いんだから仕方ないだろッ!」
「そんな暇をぉッ!」
無数の火花が散り、ハバキから注がれた殺意が首筋を舐める。
しなる鞭の乱舞は止め処なく加速し、最早佐刀の目には一瞬の光芒としてしか認識不可能。
実態を有する刃ではなく、光を束ねた無形の刃と言われた方がまだ納得できる。だが手首に伝わる衝撃が、相手が佐刀に認識できない速度で刃を振るっているだけと無言で証明した。
そう、ハバキは神速にも至る刃を以って悍ましき必殺を繰り返している。
「あ、そうか」
合点がいったように。
どこか惚けた表情を佐刀は浮かべた。
道場に於ける最高位につき、なおも研鑽を重ねる剣士。対峙するのが一介の高校生では元より経験の差は歴然。なれば自身の完勝など夢物語ですら烏滸がましい。
「諦めたか」
「あぁ、無傷でやり過ごすのをな」
「は?」
口元に昇った三日月に疑問の声を漏らし、直後にハバキは目を見開いた。
「つまりはこういうことだ、よ……!」
「何ッ?」
これまで如何に距離を置くかに比重が偏っていた佐刀が、突如として距離を詰めてきたのだ。
思慮の外にあった不意の接近は、ハバキの間合いを俄かに狂わせる。充分なしなりが加えられなかった刀は佐刀の左肩に食い込みながらも、途中で肉と骨に阻まれて白刃が静止した。
食い込んだままでは当然これ以上刃を重ねることはできない。
故にハバキは刀を引き抜かんと肘を曲げたものの──
「刀を、掴──!」
「ハッ、これじゃあ不良剣士みたいだな……ただの高校生だけどなぁ!」
一瞬の空白が生まれた内に、佐刀は指が両断されないように意識し、刀身を左手で固く握り締める。
あまり長い時間を稼ぐ必要はない。
相手の乱舞が収まり、距離が詰まった状態であらば素人の振るう粗雑な一振りにも必中の加護を与えるのだから。
「そぉらッ!」
「ガッ……!」
横合いから殴りかかる刀は最早鈍ら同然、顔面を叩く鈍い感触は鈍器のそれ。
峰も何もあった話ではない。それは同時に、剣に由来するあらゆる技術が不要ということ。素人剣士以下の佐刀にも棒切れによる殴打程度なら問題ない。
「貴さッ……!」
「もう一発ッ!」
目を充血させて睨みつけるハバキへ、更なる追撃。衝撃に頬が青くなり、口から排出された血が地面に赤い染みを残す。
幾度も刃を受け止められた強度の証明か、鉄の棒と大差ない運用でも支障のない頑強さが実存を保障する。
冷静さを取り戻させる訳にはいかない。ハバキが全うな思考状況に回帰すれば、最適解の下で状況が改善されてしまうかもしれない。零距離の殴り合いを維持し続けることのみが、今の佐刀が構えられる勝ち筋である。
故に何度も鈍り切った刃で殴りぬく。
何度も、何度も、何度も何度も。
「ハハッ、こいつはいいッ!」
「あのー、もう勝敗はついてると思うよ……」
「ハッ、まだギブアップは聞いてね……アレ?」
少女の呼びかけに呼応して正面へ意識を向けると、男は既に意識を手放していた。
棒切れの連打を止めると、波に揺られる紙よろしく最後の一撃による衝撃のまま、地面に倒れ伏した。
「いや……そういや意識を失った場合って、勝敗どうなるの?」
「そりゃあ決闘続投の意志を表明できないんだから、そっちの勝ちだよ」
少女から告げられた勝利を聞いた途端、疲労が襲いかかり佐刀は尻餅をついた。
興奮状態による脳内物質の過剰分泌、乱雑に身体を振るっていただけでも蓄積していた極大の負担が決闘の最中に幾分か軽減したのも、そういう作用なのだろ。
額を多量に滴る汗も、視界を潰さないように配慮していた分を解消するように。
「あ、ダメだこれ……身体が動かねぇわ」
「え、そんなにッ? わ、私のせいッ?!」
「いやいや綺麗な瞬間……じゃないじゃない。女の子の危機にカッコつけた結果なんだからむしろ誇らせてよ」
「そんなの……左肩がしっかり斬られてるじゃん?!」
「あぁ、これはマジで大丈夫だから……」
いや、失血の方は不味いかもね。などと軽い冗談を続けるも、実際問題として学生服を汚す赤に心地いい感触はない。
尤も、顔に付着した返り血は例外なのだが。
力なく垂れ下した左腕を持ち上げ、頬を拭う。口から吐き出された部分ではなく、頬を斬った分であろうか。
小さく舌を突き出し──
「……! へへ、これはいいや」
「いやいやいやいや、何もよくないよね?! と、とりあえず近くの病院にでも連れていかないと……」
「いやぁ、胴体ぶった切られてる女の子に助けられる訳にはねぇ……」
「そういうのいいから!」
苦悶の表情を浮かべて佐刀へ近づく少女へ遠慮するも、意にも介さず肩を貸して強引に立ち上がらせた。
「あぁ、もうどうしようもねぇ……だったらせめて名前教えてよ。俺は佐刀鞘」
「確かに名乗ってなかったね。私はフタバ・タ・セーデキム、フタバでいいよ」
嘆息し天を仰いだ佐刀が名乗ると、少女も顔を向けて自身の名を口にする。
快活な少女、佐刀が抱いたのはそんな印象であった。
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