軟化と夜明

「ロイスは他の魔術師にはできないことができるんだってわかった。でも……」


 言い淀んで目をそらし、しかしすぐにその青い目がロイスに向けられる。


「他の魔術師ができないのが、もどかしいんでしょう? 対等な存在がいないから」

 

 カレンの言葉はまっすぐにささる言葉だった。

 心臓に刺さった気がした。痛かったわけでも、苦しかったわけでもない。ただ、切っ先を突きつけられた気がした。


「ロイスは強いの。でも、あのね。強いのって寂しいわ」


 カレンが言う。


「……寂しい?」


 渇いた喉で、かすれた声で、尋ねる。


「だって、ああして狙われてしまうのは、強いからなのでしょう? わたしが加勢する必要もなかったし。きっとロイスはひとりで強いのよね。そしてきっと、その強さについていける人は……ロイスと同じ景色を見ている人はいないのよ」

 

 ロイスは黙ってその言葉を聞いていた。

 聞くしかなかった。


「それって、少しだけ寂しい気がするの。なんでかな」

 

 膝に頭を乗せて、カレンが言った。

 こちらをみる瞳は相変わらず美しい。

 その目に見つめらていると、なにもかも見透かされそうで。ロイスは再び目を逸らした。

 

「さみしい……か……」

 

 ささやいて、すぐに奥歯を噛み締める。

 そんなふうに思ったことは、今までなかったのに、なぜかしっくりきてしまった気がして、ロイスは眉を寄せて黙り込んだ。


 ──寂しかったのでだろうか。


 考え込むロイスの耳に、唐突に鈴を転がすような声が響いた。

 

「ところでさ」

 

 変わった語調に瞬きを繰り返してみせる。

 おずおずとカレンが言う。


「あの人、どうなっちゃうのかな?」

「あの人?」

「あの……ロイスが空にとばしちゃった人……」

「ああ」

 

 人の心配している場合か。そんな内心の言葉を飲み込んで、ちらりとカレンに視線を再びうつす。

 心配。もそうだが、なんだかんだ興味が尽きないようで、そわそわとしている。

 

 そういうところがなんだか癖になりそうな……。あるいはロイスとしては結構好意的に受け止められる彼女の面だったりした。

 似た者同士。そんな言葉が浮かんで来る。

 ロイスはやれやれと肩をすくめた。

 

「さあな、結界から俺が離れれば、少しずつ高度も下がってくるだろ。ま、地面につくのは数日後ってところか」

 

 正直あの魔術師がどうなろうとどうでもよかったが、彼女の知的好奇心のために、ロイスは律儀に答えてみた。

 

「そっかぁ」

 

 安心した様子でカレンは詰めていた息を吐き出した。

 おや? と思わなくもない。

 本気で心配していたと言うのだろうか。お人好しにも程があるだろう、とロイスは呆れて、思わず肩の力を抜いてしまった。


 が、やはり知的好奇心はあったらしい。

 カレンは次にわかりやすくロイスの魔術に対して興味を持つ。

 

「どうやってやったの最後のやつ。クライスを作ったようには見えなかったけど……」

 

 まさにそのとおりであった。

 特に何かクライスを作ったわけでも、道具を使ったわけでも、呪文を唱えたわけでもないが、ロイスには魔術が使える。

 興味津々と言った様子を隠せずに、顔を膝に預けたままちらちらとロイスをみるカレン。その姿に、ロイスは小さく苦笑した。


 ──やっぱり似た者同士かもしれないな。


 いつのまにか、氷結していた感情がぼんやりとだが解けてきていた。

 カレンのこういう姿を見ているとどうにも気が緩んでしまう。

 子供相手だからか。そう考えて、いや、そうではないかと思い直す。ただ不思議と「お前のせいでこうなった」と責める気も起きない。


 ロイスはカレンに向き直ると、右手で心臓の当たりを触って見せた。

 

「人間の体内には血液が回っているんだ。こう、ぐるっとな」

 

 言って、ロイスは心臓のあたりをぐるりと指で回す。

 

「心臓からながれ、脳を、手を、胴体を、足をとおり、また心臓に戻ってくる。そうしてぐるりと一周する。これもまた輪のようなものだと解釈する」

 

 つまり体一つあれば魔術を使うことができる。

 カレンは目を瞬かせた。


「そ、それじゃあ、だれでも呪文も道具もなしで魔術が使えるってこと?」

「の、はずなんだが、今までそういうやつにあったことはないな」

「私だって……魔族でだってあったことないかも。パパも指輪とか使うし、呪文だって使うもの」

  

 そう言えば、魔王は魔術の発動速度がものすごくはやかったな。とロイスは思い出す。


「基本的には指輪を?」

「パパ? そうよ」

 

 なるほど。魔王ですらも、ロイスの域に達していないのか。

 ロイスがふむ、と考え込む。

 おずおずとカレンが手を挙げた。


「質問なんだけど」


 その様に再び苦笑して「なんだ?」と返す。

 カレンは一瞬驚いたように目を泳がせて、それから小声でこう言った。


「教えてあげれば、みんな使えるようになるんじゃないの? 例えば、さっきの魔術師も……」

 

 ああ。とロイスはため息を返す。

 

「それな。何人かに教えたことがあるんだが、だれも使えなかったんだ」

「へ?」

 

 そうなのだ。そうした方法があるのだと、相手の魔術師が自ら気づけるかどうかで相手の力量を図っているところもあるにはあるのだが、それでずっと退屈なのも馬鹿らしい。

 それで相手に何度かやり方を教えたり、弟子のようなものをとってみたりとしたのだが、残念ながら誰も成功しなかった。

 成功しないから、全く広まることはなく、未だに同じように呪文も輪も何も使わずに術を使う魔術師に会えたことはないのだ。


「残念ながらな」

「そ、そうなんだ……」 


 驚いた様子でカレンが言う。

 再び俯いて、今度はぶつぶつと魔術の基礎について呟き始めたカレン。なんだか弟子をとったあの時と似ていて、奇妙にもいい気分だった。

 

 



 しばらくは二人とも無言でいた。

 一時間ほどたっただろうか。


「あ……光が……」


 カレンがつぶやく。

 小さな小さな光窓の向こうに、白い光が見えた。

 ちょうど空が白み始めた頃合いだからだ。

 今頃は空に放った魔術師はいい感じの景色が見えているだろうな。とアホな想像をして、ロイスは妙な気分になって苦笑した。


 カレンとロイス、魔界から出てきて二度目の朝を、二人は檻の中で目を合わすことなく、けれど確かに二人で迎えていた。

 

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