戦闘と発端

 それは、少女と出会う少し前のこと。



 

 闇をく轟音が夜の森に響き渡った。


 一人、森の影に佇む男が顔をあげる。美しい琥珀色アンバーの瞳が、ゆっくりと瞬きを繰り返す。


 そこは暗い暗い魔界の森。

 周囲は乱立らんりつする巨木におおわれ、足元は立派な根が隆起りゅうきして地面から顔をだしている。

 様々な形の草木が生い茂る、鬱蒼とした森。

 だが、鳥も虫も身を隠したかのように見当たらない。

 

 ズドンっと大地を震わせるような音が再び轟いた。

 それが何度も繰り返される。

 その度に地面はえぐれ、砂塵さじんが舞い、木の葉が散った。


 男の視線のさきで、この状況を作り出した一匹の化物が咆哮をあげる。

 鋭利な爪がギラリと光り、それぞれの指が触れ合ってはギリギリと音を鳴らす。

 口元からはだらりとよだれが垂れ、ヴヴヴとうなる様は獣のそれより醜悪しゅうあく


 その化物の周りを踊るように舞う光の玉があった。それは宙を遊ぶように飛びまわり、化物を明確に照らす。


 全長は二メートルはあるだろうか。

 体色は鈍い黄土色。形は人型ひとがたのそれに近い二足歩行だが、頭部には山羊やぎの角があり、尾は獅子ししによく似ている。体毛は薄く地肌が見えており、浮き上がる筋肉は隆起してたくましい。

 キメラ、と呼ばれる魔物の類だ。



 男は暗闇に身を隠すようにして、キメラの様子を伺ってた。

 黒い防具に、黒い外套がいとう

 闇にまぎれる全身黒の外見は魔術師特有の服装といえるが、その髪は夕焼け色をしていて、ひどく目立つ。

 それゆえに、男は普段は外套のフードをかぶっている。しかし今はそのフードを取っ払って、風になびかせるままにしていた。


 名を、ロイスという。

 ロイスは無言で化物を観察する。

 不意に、ロイスの視界に一人の青年の姿が映った。


 豪華な鎧をまとい剣を手にした黒髪の青年がロイスの目の前で化物と対峙する。


「正面からやる気か……後ろから攻撃すればいいものを」


 ロイスは低い声で囁いた。


 ロイスの視線の先で、状況は目まぐるしく変わっていく。

 足場の悪さを感じさせない軽やかな動きで、黒髪の青年は魔物──キメラの攻撃を避ける。

 一方のキメラはヨダレを振りまきながら、青年に向かって突進していく。

 突然、青年が木を背にした状態で剣を構えた。

 軽やかに攻撃を避けているうちに、巨木を背負ってしまったらしい。

 視線の先で、今まさに魔物と青年が衝突しそうになる。


 ロイスは舌打ち一つ打つと、右手の人差し指と中指をクロスさせ、つぶやいた。


構築こうちく


 同時に、魔物は見えない壁にぶつかったかのようにひしゃげ、そしてね返されて吹き飛んだ。


 呆然とそれを見送った黒髪の青年が、顔をしかめる。

 振り返り、ロイスの姿を見つけた途端、盛大に顔を歪めて忌々しげに「クソっ」と吐き捨てた。


 その反応にロイスはため息を吐いて、それからゆっくり暗闇から姿を現し、青年のそばに近寄る。

 鮮やかな夕焼け色の髪がなびく。

 並び立つと、二人はまるで正反対の色をしていた。

 一人はきらびやかな衣装に黒い髪。一人は漆黒の衣装に夕焼け色の髪。


 二人の関係は単純で、ロイスは青年に雇われた身であり、行動を共にした期間はわずかな間だけ。

 それが理由というわけではないが、それほど仲がいいとは言えなかった。というのも、この二人、とことん性格が合わないのである。


 黒髪の青年の名はレイ。

 聖剣の勇者。

 性格は、楽観的且つ愚直なまでに単純。


 一方彼を守る盾を作り出し、 今まさに暗闇から戦場に足を踏み出したロイスはというと、現実主義で杞憂なほど考えすぎる所のある性格。

 唯一似ているところはお互い頑固だということくらい。

 変に似たところがあるからなのか相性は最悪だった。



 レイがロイスを睨みつけて叫ぶ。


「今更出てきたのかよ!」

「後方で見てるだけでいい、と言った割には苦戦してるみたいだったからな」


 流石に安易に見捨てることはできなかったからだ。そうは告げ難くて、誤魔化すように冷たく返す。

 態度でも、ロイスはやれやれとわかりやすく肩をすくめて見せた。

 当然、その反応が気に入らなかっただろう。レイがいらついた様子で再び叫ぼうとする。

 しかし。


「きゃぁっ」


 突然、レイの隣に前方から少女が飛ばされてきた。


 普段は後衛を努めているレイの仲間の少女、エスターだ。

 前衛のレイが魔物に押されて後退したことで、敵の攻撃を食らってしまったらしい。

 華奢きゃしゃな体は簡単に飛ばされてしまったようだ。

 エスターはなんとか受け身をとり、ふらつきながら立ち上がる。そこに先ほどと同じ姿の魔物が迫ってきていた。


「どけ! エスター!」


 咄嗟とっさにエスターの前に出たレイが、魔物を剣で受け止める──が受け止めきれない。

 勢いを殺しきれず、レイとエスターは共に木と木の間をすり抜けて、後方に吹き飛んだ。


「ぐっ!」


 したたかに背をぶつけたレイがくぐもった悲鳴を上げる。

 魔物は、逃した獲物に向かって突進していく。


「くっ!」


 体制を立て直そうとするレイだが、しびれた両手がそれを許さないのか、動きが鈍い。

 ロイスは二度目のため息とともに、再び魔術を発動させた。

 魔物の鋭い爪がレイを切り裂こうとしたその次の瞬間、魔物は見えない壁に衝突して、そのゴムのように伸縮する壁によって、十数メートル先まで跳ね返された。


 レイは、その端正たんせいな顔を怒りに満ちた表情に変えて再び叫んだ。


「遅い!」

「守ってやっただろ。それに、勇者なら自分でなんとかできるだろう?」


 ロイスがささやくように答える。

 ロイスには、レイが自分の不甲斐なさから、責任転嫁しようとしていることに気づいていた。だから態度もそっけない。


「なんだと⁉︎」


 レイが怒りをあらわにする。


「お、落ち着いて勇者様! 今はそれどころじゃ……」

 

「うるさい!」


 隣でいさめる少女の言葉に、レイは怒鳴り声をあげた。

 そして再びロイスに顔を向ける。


「もっと早く防御できただろ! 遅いんだよ!」

「契約外だった気がするけど」


 もともと勇者一行には魔界への誘導役として臨時で参入したのだ。

 ロイスの言葉の通り、戦いは契約外だった。


「だからって見てるだけかよ!」


 レイが再び噛み付くように何事かを叫ぶが、何を言われたところで、ロイスのほうにはなんのダメージもない。ただ、そういう契約にしたのは自分だろう。と内心でレイに呆れるくらいなもの。


 それよりも、と、ロイスは視線を前方に向けた。

 

 先程まで、キメラは一匹二匹という程度だったはずだ。

 しかし、今ではその数、およそ十数匹。

 わらわらと音がしそうな勢いで集まってくる。


 一匹は大したことはないとロイスは判断していたが、しかし数が多くなってきては面倒極まりない。そう思って舌打ちしたところ、レイに睨まれる。

 お前にしたんじゃない。そんな思いで、ロイスは片手を振った。

 レイもまた舌打ちをしかえす。まるで子供だ。そうロイスが呆れる前でレイが両手剣を上段に構えた。


「もういい。一掃する。今度はちゃんと俺を守れよ、ロイス」


 真剣な表情で勇者が言った。

 命令口調にイラついて、それでもロイスは無言で右手を前にかかげた。

 同時に、勇者の周囲に透明な球体が出現する。

 ロイスがはった防御魔術のまゆ。それに満足したようにうなずく勇者。その背中にロイスは声をかける。


「温存しろよ。大技で消耗したら元も子もない」


 が、それに耳を貸すレイでもなかった。


「行くぞっ」


 レイが叫ぶ。

 剣に収束しゅうそくしていく光。

 聖剣の力。

 それは巨大な光の柱となって、そびえ立った。

 黒いつややかな髪をゆらし、宝石のような緑色の瞳をきらめかせ、勇者は笑う。


 そして、剣は勢い良く振り下ろされた。


 ほとばしる閃光せんこう

 地響きに似た轟音。

 そして襲いかかる衝撃。

 砂が巻きあげられ、ロイスたちに迫りくる。


 それを、レイにはったのと同じ結界を自身にはって、ロイスはやり過ごす。


 砂塵さじんで視界が奪われるほどの威力。

 ロイスは感嘆かんたんするでもなく、ただ舌打ちをした。



 ──まったく……最悪だこいつ。


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