透明

河原葉菜陽

トウメイ

プロローグ


その容姿ですぐに彼だとわかった。

花紺青色の髪をした少年。 


奇跡の始まりは、彼だった。


まだ幼い私が神社にお参りに行った時のこと。数センチの段差で転びそうになった私の手を支えてくれたのが彼だった。咄嗟のことでとてもびっくりしたけど、とても嬉しかった。感謝の言葉を伝えたかった。


顔を上げかけて、はっと気づいた。

彼と、目を合わせてはいけない。


あたかも誰もいないかのような素振りをして、私は体勢を整えた。


「…魔法みたい。」


当時最大限に考え抜いて発した言葉だった。彼のためにも。


それからというものの、

「わああ!綺麗!」学校の帰り道、青々とした四つ葉のクローバーを発見した。


「あっ!」帽子が飛ばされてしまった時、すぐそばにある背丈の低い草木に引っかかり、遠くに飛ばされずに済んだ。



ある日、ちょっと寄り道してから和菓子屋に向かったら、彼と、もう1人は見知らぬ男がいた。

「こんなところにいたのですか。」

「あっ、葵!」

「もう日が暮れます。なぜ、和菓子屋に?」

「いつか友達が出来たら一緒にお団子食べるんだ!」

左側にちょこんと座って足をバタバタさせる彼。


…そうか。友達…。




ローファーを履く私の周りには今でもキラキラと光るものが飛んでいる。きっと彼のキラキラね。


「奇跡ね。」


少しだけ成長した私の、振り絞って考え抜いた感謝の言葉。届け。



* * *


 「いつも見守ってくれてありがとうございます。」


そう唱えて両手を合わせ、目を瞑ってお祈りする少女。その儚げな姿と桜吹雪がよく似合う。ふあっと光風が吹き、前下がりボブの黒髪がキラキラと煌めく。よくここへ訪れるその少女を観察していると、いいことがあった日と、ピンチを乗り越えた日に来るようだ。


 初めて見かけた時はランドセルを背負っていた。ネームタグに『理保』と書かれたその少女が、季節は巡る巡る、少女は今ではスクールバッグを肩から下げ、お手入れされたローファーを履いている。


 鳥居の陰からひょこっと顔を出して「今日も理保は来るかな?」と探すのが僕の日課となっている。理保はお祈りをする時に事細かく出来事を呟くので僕はそれをすべて書き留めている。分析するうちに、理保がどんな時にここへ来るのかがわかるようになったのだ。


「来た!」


 見つからないように鳥居の陰に隠れて様子を伺う。理保はお辞儀をすると、颯爽と歩みを進めていつも通りお祈りした。影法師が少し傾き、瞼を開け唐紅色の瞳が前を見据える。「お礼参り」を終えて階段をトントンと降り、少女は左を向いた。20歩程歩くと小道に出る。その小道を、雲が頭上から少し遠ざかるくらいに下ると、右手にこじんまりとした和菓子屋がある。理保は帰り道によくこの和菓子屋に寄る。そして、醤油の香ばしい匂いの漂う串団子を1本、毛氈の敷かれた長椅子の、右側にちょこんと座り美味しそうに頬張った。


 僕には記憶がない。気がついたら生を受けており、あそこの神社にいた。「私はあなたの孫です。」そう名乗る紺碧色の目をした神主を、僕は『葵』と呼んでいる。僕の方が年下なのに僕の孫だなんて、ちょっと変わった人だけど、何か手がかりが見つかるまで、ここにいようと思った。葵も了承してくれている。



積乱雲が立ち上るある日、見慣れない少年が鳥居の近くをうろうろしていた。僕より少し身長がありそうだ。灰色のショートヘアで、中性的な顔立ちが特徴だ。しばらくその様子を眺めていると葵が神殿から出てきた。表情が曇っている。少年は怒りと悔しさと悲しみが混ざった震える声で何かを葵にぶつけている。


その時。


ばちっ。

ドンッッッ!!


「に…?」


一瞬の出来事だった。少年の深紅が僕を捉えるのが早かったか、それとも何かが僕を突き飛ばしたのが早かったか、僕は茂みの中へ突き落とされた。


「あっぶなーーーい!!」


鬼の形相をしながら口パクでそう言うのは理保とそっくりの少女だった。黒髪のポニーテールで、理保より一回り小さく、だが僕と同じく黄金色の目をしているが…。

「あんた、あの人と接触したら危ないよ!?」

「…なぜ?というか君誰?」

「あたしは理衛。あの人は、何か力を持ってるみたいなの。それに葵とはちょっと違うの!」

「はぁ…?というか僕のことに詳しいな!」

「あったりまえじゃない!ずーっとここにいるんだから!」

とにかく勢いのあるこの少女に圧倒され、状況を把握しきれないがなんかもうどうでもよくなった。

「あたし、また明日も来るから今度から『理衛』って呼んでね!シュノ!」

「な…!?僕の名前!」

喋りながら既に走り始めていて、言い終わる頃には声は聞こえるものの姿はもう見えなかった。

「はぁ…。」


今日、理保は来なかった。




翌日。約束通り理衛は来た。鳥居の上に座ってこちらを眺めている。

「遅いぞー!シュノ!」ぶんぶんと手を振りながらそう言うと、ひょいっと身軽に舞い降りてきた。


ふわっ…。


湿度を含む風が吹いてきた方を見ると、


(理保だ!)


僕ははっと息を飲む。いつも鳥居の陰から眺めているだけだったのに、今日は堂々と鳥居の前に立ってしまっている。どうしよう、と不安に思う必要はなかった。僕がまるで存在していないかのように、理保は素通りしていったのだ。僕には目もくれずスタスタと歩き、理衛の前でピタッと止まった。

「ちょっと…。」理保が小声で話しかける。

理衛は小さくウインクしながら「わかった!」と口パクで返事をした。

「ごめーん!ちょっと待ってて!」僕に向かってそう言うと2人は鳥居をくぐってどこかへ走り去って行ってしまった。



「理衛…。気をつけてね…。それから…よろしくね。」

「まったく〜理保ってば!あんたこそ気をつけなさいよ?」



しばらくすると、理衛だけが戻ってきた。


「僕のことが、見えてない…?」

「そういうこと。」

理衛は淡々と言った。


なるほど、だから理保は僕に気づかないんだ。さっき素通りしたのは見えていないからだ。そう納得した。



ザッ、ザッ、ザッ…

「!!」


理衛は肩をびくっとさせた。

「誰かいるの?」

僕はひょこっと、理衛の向こう側を見ようと頭を出そうとした。丁度理衛の陰になっていて見えないのだ。


「こっち!!」と強引に腕を引かれて木々の生い茂る小道に連れて行かれた。「どうしたんだ?」「いいから走って!」説明もなく暫く走り続けたと思ったその時、「ごめん!!」と同時にドンッ!と左肩に衝撃を受けた。


「どうしていつもいつも邪魔をする!邪魔するな!」


道を外れた坂道に投げ出される瞬間、灰色の髪をした少年が理衛にそう怒鳴りつけている姿が、スローモーションで見えた。徐々に斜面が視界を覆い、2人の姿は見えなくなった。


後ろから追いかけて来た灰髪の少年は吐き捨てるように声を荒げると、キッと理衛を睨みつけ「お前、見えてるんだからな!邪魔するな!」と怒鳴り、走り去っていった。



ドクン…。



あたりが静まり、やっとの思いで坂の上まで這い上がってきた僕の目には、信じられない光景が広がっていた。


「あっ…。あーあ、ははっ…。うっ…。」

理衛は悟ったような顔をして、ポロポロと涙を溢しながら笑っている。


「理衛?君…だんだん薄くなって…!」

「ごめんねー!お別れだっ!理保のこと、よろしくね!」

「…?あ、あぁ…。え…?」


消えゆく理衛を、ただただ見ていることしか出来なかった。



「理衛…。」

僕の視界に、黒髪ボブヘアの少女が映った。もう姿のない理衛の残像を名残惜しく見つめた後、鋭い視線が僕に刺さった。ゾクッと全身に鳥肌が立つ。




「実は私ね、ずっとあなたのことを知ってたのよ。」


淡々と告白する理保に、僕は驚いて目を丸くした。


「僕のこと知ってたの?…というか見えるの?」「えぇ、本当は遠い昔からね。前世では、私はトウメイと呼ばれるものだったのよ。前世のあなたは…神主。私はあなたに救われたの。今は、私は巫女ね。覚えてない?」

「巫女!?」

「そうよ?ふふっ。」


少女は悲しみの片鱗を見せつつもにこやかに続ける。


「神聖なる力を持つものがトウメイの存在を認識すると、そのトウメイは使命を全うしたとされ、消えてしまうの。…あぁ、正確には魂が星に還るのよ。来世の準備のため、また新たな命のため。だけどね、葵さんとは血の繋がりがあるから大丈夫なのよ。」


理衛が消えてしまったのは、そういうことか。あの灰髪の少年もなんらかの力を持っていた。そして、理衛はトウメイだった。理衛はあの人に認識されたから…。


「ただ…。」

「ただ?」


一呼吸置いてから視線を落として再び口を開いた。「負の感情が強い力の持ち主だと、星ではなく時として地獄へ行ってしまうの…。」


そんな…。理衛はいま…、もしも…。


「姉と仲良くしてくれてありがとうね。」「姉!?」

「そうよ。理衛は私の姉。私は巫女であり力を持っているけれど、だけど、姉と血の繋がりがあるから、認識しても消えなかったの。」


ということは、あの灰髪少年は理衛とは血の繋がりはなく、そして認識したから、消えた。あの少年は「どうしていつもいつも邪魔をする!」と言っていた。知らず知らずのうちに、あの人の邪魔をしていた…?


(時として誰かを傷つけてしまうのか…。)


あの人にも何か守りたいものがあったのかもしれない…。だから邪魔するなと言ったのかもしれない。どちらが悪いとか、そうではないのかもしれない。そう思うと


(あの人を今は信じよう。理衛、無事でいてくれ。)と思えた。


ふと気がつくと僕の手が徐々に透け始めていた。

何が起こっているのかわからず動揺する僕に、巫女は優しくこう言った。


「あなたも、星に還るよ。」






あぁ、そうか。


僕もトウメイだったんだ。







「じゃあ、またね。守乃。」

「またね、理保。」

「あ、初めて名前呼んでくれた!」


御神木の根元で1人佇む少女は今にも溢れそうな涙を堪えて微笑んだ。


そよ風が吹き、木々が優しく揺れている。


「さて、最後の任務ね。ただ"兄さん、会いたかった"って言いたかったのよね、きっと。ずっと離れ離れで寂しかったよね…、神主の『弟さん』。次は一緒にいられる未来になりますように。」



トウメイ、透明、祷命…。



* * *


エピローグ


今日、あなたは幸せを見つけましたか?

いいことがありましたか?

あるいはなんとか今日を乗り越えましたか?

もしそうであるなら、実はこっそりあなたのそばに舞い降りたトウメイからのプレゼントかもしれません。それはあなたが強くて優しいから。


今日、あなたは誰にも言えない悩みを抱えて涙を流していますか?

目の前が真っ暗で明日が見えませんか?

もしそうであるなら、こっそり打ち明けてみてください。さりげなくトウメイが聞いていて、きっとあなたの力になってくれるはずです。


あ、くれぐれも「あなたが見える」と言わないでくださいね?


実はあなたも力の持ち主かもしれませんから。




Fin



********************

登場人物


守乃(しゅの):この物語の主人公。葵の祖父であり、神主だった。今世では生まれ変わりトウメイとして生を受ける。花紺青色のマッシュヘアに黄金色の目をしている。


理保(りほ):理衛の妹。前世ではトウメイとして生まれ、神主であった守乃に助けられた恩を覚えている。今世では巫女として生まれ変わり、その恩返しをしようとしている。前下がりの黒髪ボブヘアに唐紅色の目をしている。


理衛(りえ):理保の姉。今世ではトウメイとして生を受ける。血の繋がりがあるので、巫女である理保に認識されても消えない。黒髪ポニーテールで黄金色の目をしている。


葵(あおい):神主であった守乃の孫。今世では本家の神主。血の繋がりがあるので守乃を認識しても消えない。花紺青色のショートヘアに紺碧色の目をしている。


由護(ゆご):神主であった守乃の弟だが、母親が異なるため血の繋がりがない。前世でも今世でも守乃を慕っている。今世では分家の神主。灰色のショートヘアに深紅色の目をしている。

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透明 河原葉菜陽 @Hanabi_871

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