二人の一年間

中田カナ

第1話

「すまないが、もう一度言ってくれないか?」

「ですから、この婚約話はなかったことにしていただきたいのです」

 思いがけない彼女の言葉に驚く。

「なぜだ?!確かに最初の頃は乗り気じゃなかったから、あまり態度はよくなかったかもしれない。でも最近はいい関係が築けていると思っていたのに…」



 そもそも親同士が長年の友人で、酒の席のノリで決まった婚約話だった。

「うちの次男坊、このところ仕事ばかりで浮いた話の一つもなくてなぁ」

「うちの長女もおしゃれとか恋愛とか若い娘が好きそうなことに全然興味がなくて困ったもんだ」

 そんな会話があったらしい。

 私には宰相補佐という役職と伯爵家の次男という地位があり、あまり自覚はないが外見もそれなりらしいので寄ってくる女性達がいないこともなかった。しかし、どの女性も話してみるとファッションや噂話などくだらないことばかりで時間の無駄と感じるようになった。ここ数年は仕事の忙しさもあって夜会などにも顔を出していない。婚約話はそれを心配してのことだったらしい。


 相手の女性は男爵家の長女で15歳。私より10歳も年下で、弟が2人いるので跡を継ぐ必要はない。彼女がまだ若いこともあり、1年間は仮婚約という形でお互いを知るため王都の我が家で同居することになった。ずっと国境に近い領地に住んでいたため、社交界デビューどころか王都に来るのも初めてだという。親同士の取り決めで「当面は清い交際で」とのことだだったが、そもそも子供に手を出す気はなかった。


 そしてやってきたのは黒髪を三つ編みして眼鏡をかけた化粧もしていない地味な少女。身長は女性にしては高めで細身だが、貴族の令嬢とは思えないほど質素なワンピースを着ていて、お世辞にも垢抜けているとは言いがたい。


 彼女が初めてやってきた日、はっきりさせておこうと話し合うことにした。

「貴女は若い女性だから結婚にいろいろと期待しているだろうとは思う。だが、申し訳ないが今の私にはその気がないんだ。だから1年間は我慢してもらって解消という方向に持っていきたい。もちろんその後のことも出来る限りのことはさせてもらう」

 彼女は真っ直ぐ私を見て答える。

「いえ、本音を申しますと私も乗り気ではありませんでした。でも王都に行けるのなら…と思ってお受けしたのです」

「ほぉ、王都に来たかった理由は?」

「理由はいくつかあるのですが、私は本を読むことが好きなのです。でも、地方の図書館や書店では読めないものも多く、王都の図書館ならこの国で一番の規模で稀少本も多いと聞いております。なので、出来ましたら図書館に通うことをお許しいただきたいのです」

 年のわりにはしっかりしている彼女に少し感心する。

「それはかまわない。図書館は私の勤務先である王宮への通り道にあるから、もしよければ私の出勤時に一緒に家を出て馬車で図書館まで送ろう。帰りは仕事で帰宅が遅くなることも多いから一緒は無理だな。時間を決めておいて、うちの馬車を迎えに行かせればいいだろう」

「本当によろしいのですか?」

 目を見開く彼女。

「ああ、それくらいならお安い御用だ」

 初めて彼女がうれしそうな顔をした。



 そんな話し合いから彼女との生活が始まった。

 一応は貴族である我が家には使用人達がいるので、彼女に家事をさせることもない。図書館通いは退屈しのぎにはちょうどいいかもしれないと思った。

 朝の出勤時は馬車の中で雑談をする。読書好きだけあって知識も幅広いようで、政治や経済などの質問は鋭いものが多いし、歴史や文学に関しては彼女の方が上かもしれないと感じることさえあった。

 女性と話すというよりは学友や職場の同僚と議論するような感覚で、日々の彼女との会話は心地よかった。早めに帰宅できた夜は夕食後に語らう日も増え、彼女もこちらでの生活に慣れてきたのか笑顔も多く見られるようになった。

 素直で純朴な彼女は使用人達とも良好な関係を築けているようで、使用人にさえ丁寧な口調が抜けないことが目下の課題であるらしい。使用人達の話によるとたまに図書館帰りに寄り道することもあるが、たいていは本屋か文具店で服やアクセサリーの店に寄ることは皆無とのことだった。



 そんな生活も当たり前になってきた頃。

「来月、祖父の誕生日に身内だけのパーティを行うんだが、一緒に参加してもらえないか?」

「え、でも、パーティに着ていけるようなドレスは持っておりませんので…」

 彼女は困った顔をする。

「仮とはいえ婚約者なんだからドレスくらいプレゼントさせてほしい。ただ、私は女性の衣装についての知識はないから、うちの女性陣と相談して決めてもらいたい」

 メイド長に話すと待ってました!とばかりに女性の使用人達が一丸となって動き始めた。

「ふふふ、お嬢様は磨けば光ると思っておりましたから腕が鳴りますわ」

 みんな若いのに質素な服装を好む彼女を着飾ってみたかったらしい。だが、出来上がるまでは秘密だと言って費用以外は何も教えてはもらえなかった。


 そしてパーティ当日。

 メイド長に連れられて階段を下りてきた彼女はまるで別人のようだった。

 いつもの三つ編みは解かれ、真っ直ぐでつややかな長い黒髪が歩みを進めるたびに揺れる。

 眼鏡ははずされ、薄めの化粧を施され、美しさだけでなく知性も感じさせる。

 ドレスは若い女性の流行であるふわっと広がるスカートではなく、露出は控えめなマーメイドラインで普段の子供っぽさは完全に消えている。

「驚いた。とても綺麗だよ」

「あ、ありがとうございます」

 彼女の顔が薄いピンク色に染まった。


 若い彼女はパーティでも注目を浴びた。応対もしっかりしていることもあって親戚の女性陣にも好評で、

「いい娘さんを見つけたわねぇ」

 と口々に言われた。

 パーティからの帰りの馬車の中で、

「長い真っ直ぐの髪もいいね」

 とささやいたら、家では髪を編まないようになった。

 それから毎晩寝る前の挨拶では、彼女の髪を一房手にとって口付けるのが習慣になった。毎日のことなのに彼女はいつも頬を赤く染めるのがかわいらしい。女性の使用人達も彼女の服装や髪型にアドバイスするようになり、野暮ったさはだんだん消えていった。


 私が休みの日は彼女も図書館へは行かず、家で一緒に話をしたり街へ買い物に出かけたりした。

 彼女と過ごす時間は心地よく、仕事はあいかわらず忙しいけれど、彼女との語らいの時間を作るために仕事漬けの日々から少し脱却しつつある。だが、むしろ以前より効率的に仕事が回せるようになり、ストレスも軽減して職場の人間関係さえ良好になってきている気がする。

 職場のみんなは私の変化に驚いているようだったが、仮の婚約で1年で解消するつもりだったから、彼女のことを話したことはない。


 そういえば、私が休みの日だったのに彼女が「出かけたい所がある」と言って1日だけ別々に過ごしたことがあった。どこへ行くのか尋ねたのだが、少し恥ずかしそうに、

「今はまだ内緒です。いずれ時期が来たら」

 と教えてはくれなかった。



 彼女の16歳の誕生日に使用人達と協力してサプライズパーティを開いたり、帰宅時に抱きしめたり額に口付けることも少しずつ当たり前になっていき、何ということはない日々を重ねてもうすぐ1年。

 正式な婚約とその先の結婚を見据えて彼女に今後を尋ねた。

「貴女がここに来てそろそろ1年になろうとしているのだが、この機会に貴女の意思を聞いておきたい」

 夕食後の2人きりの語らいの時間にそう切り出した。

 彼女は俯き気味にしばらく黙っていたが、何かを決意したかのように顔を上げて真っ直ぐこちらを見た。

「大変申し訳ありません。この婚約話はなかったことにしてください」

 予想外の言葉に思考が硬直する。

「すまないが、もう一度言ってくれないか?」

「ですから、この婚約話はなかったことにしていただきたいのです」

「なぜだ?!確かに最初の頃は乗り気じゃなかったから、あまり態度はよくなかったかもしれない。でも最近はいい関係が築けていると思っていたのに…」

「私も今の関係はとても心地よいものと思っております」

 少しさびしげに微笑む彼女。

「だったらなぜ?!もし私に落ち度があったのなら言ってくれれば直そう。それとも…もしかして誰か他に好きな人ができたのか?」

 彼女は首を横に振る。

「いいえ、今までとてもよくしていただきましたから不満もありませんし、他に好きな人が出来たわけでもありません」

「では、理由を教えてくれないか?」


 しばらくの沈黙の後、彼女が口を開いた。

「私、王宮の文官の採用試験に合格したんです」

「文官?!」

 あまりに予想外の言葉に思わず声が大きくなってしまった。文官の採用は身分を問わず実力重視で、競争率もものすごかったはずだ。

「はい。配属先はまだわかりませんが、来年度からはもしかしたら近くで働けるかもしれませんね」

 彼女が微笑む。

「こちらに来た最初の日、王都に来たかった理由はいくつかあると申し上げました。その時は図書館で本を読むことのみをお伝えしていましたが、図書館では本を読むだけでなく試験勉強もしておりました。仮婚約の期間は1年というお話でしたから、文官になることは私の目標の1つだったのです」

 そういえば彼女が理由も告げずに1人で出かけた日は採用試験の日だった。

「そうだったのか。言ってくれればよかったのに…なぜ黙っていた?」

「だって…試験に落ちたら恥ずかしいですから」

 彼女の顔が少し赤くなる。


「だが、文官なら婚約や結婚しても働けるだろう?婚約を取りやめる理由にはならないと思うが」

 疑問に思ったことを聞いてみる。

「宰相補佐である貴方の婚約者ともなれば、きっと周りの方々が気を使ってしまうでしょう?だから、この家を出て王宮の寮に入ろうと考えていたのです。それに…」

 少し黙ってから彼女は言葉を続けた。

「私は自分の実力で貴方と同等になりたいのです」

「同等?」

「最初は婚約や結婚が成立しなかったとしても、自立できるように文官を目指しておりました。でも、朝の出勤時や夕食後に毎日貴方とお話ししているうちに、仕事の上でも支えられるようになりたいと思い始めたのです」

「つまり…私のためということか?」

 彼女は小さくコクリと頷いた。

「ですから、もし出来ることなら私が一人前になるまで、少しだけ待っていただけませんか?…あ、でも、それまでに貴方に好きな女性が出来たのなら、その時はちゃんと身を引きますので」

「いや、それはない…というか、貴女に誰か好きな男性が出来るという可能性もあるが?」

「それはありませんよ」

 彼女は真っ直ぐこちらを見て言い切った。

 そんな彼女を見て、わずかな時間に頭をフル回転させて結論を出す。

「わかった。それが貴女の望みであるのなら文官になるといい。身元保証人は私がなろう」

「ありがとうございます」


 私は立ち上がってソファーに座る彼女の前にひざまずく。

「だが、私のことが嫌いではないのなら婚約はしてほしい。私の婚約者であることが貴女の仕事に影響が出る可能性があるなら出来る限り伏せるし、王宮の寮での生活も認めよう。でも、休みの日にはこの家に帰ってきて欲しい。貴女と話すことは私の楽しみで、心の憩いでもあるのだから」

 彼女はわずかな沈黙の後に少しはにかみながら答えた。

「わかりました。婚約の件、私でよろしければどうぞよろしくお願いいたします」

 彼女の手をとって立ち上がらせて抱きしめる。

「ありがとう。必ず貴女を幸せにすることをここに誓おう」

 この日、初めて彼女と口付けを交わした。



 彼女が自室に戻ってから考える。

 本当は王宮の寮などには行かせず、ずっとこの家にいて欲しい。だが、新人の文官には覚えることが山ほどあり、やらなければならないこともたくさんあることは経験者としてよく知っている。

 職権乱用は本意ではないのだが、悪い虫がつかないよう私の目の届く範囲に彼女が配属されるように手をつくそう。私がいなければ宰相閣下の仕事は回らなくなるのだから、これくらいはなんとかなるはずだ。彼女のことだから図書館勤務を志望しているかもしれないが、申し訳ないが図書館は今後も利用する側でいてもらいたい。

 さて、来年度まではまだ日がある。これから全力で彼女を囲い込まねば。

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二人の一年間 中田カナ @camo36152

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