東京・異世界漂流記《ドリフターズ・レコード》
白シャツ父さん
第1話 漂流《ドリフト》
人間とは不思議なもので眠りから覚めると自然と目を開くようになっている。
だから私の目に映るのは、この赤い葉を持つ木々の様なものだ。正確にこれが木なのかも私にはわからない。私が生きていた世界で言うところの木に近いのでそう思った。きっと緑ではないことから太陽からの光合成などもしていないのだろう。
ふと起き上がり頭上を見上げると、赤い葉の間から黄色い空が見えた。これも正確にいうと私の頭上に広がる空間であるだけだ。しかも興味深いことに、普段地球から見える空に浮かぶ月ほどの大きさの星が5,6個同時に空のようなものに浮かんでいるではないか。
私がこんなにも冷静な状態でいられるのはきっと、この異様な空間にきて3日たったからだ。くどいようで申し訳ないが私がしていた腕時計の日付が3日経ったのでそう解釈しているだけで、来たばかりのころは空の色ももう少し青かった気がする。そういえば、この空間に来てから生きた何かに出会っていない。できれば言葉を話すような、人間の様なもの、村のようなもの、町の様なものを見つけることができればよかったのだが、それに至っていない。私はまだこの空間については判断しかねているが、眠くもなるし、空腹も訪れる。何にしろ、息ができることが本当に救いだった。
この世界へやってくる前の現実の季節が冬だったことが救いだった。長袖もセーターもダウンジャケットも靴下もブーツもマフラーも同時にこの世界にやって来ることができた。あと少ししたら極寒な気候に変化することになっても2、3度くらいであれば死ぬことはないだろう。この世界でも花は咲いていた。風も吹いている。春に近い気候なので私はダウンジャケットを片手に抱えると、セーターの腕をまくってもう少し進むことにした。
この世界が地獄とか天国とか死者の国だとは思えなかった。今までの数多くの先だった人がいないからだ。私は鞄から飲みかけのペットボトルを取り出した。本当は川の様なところに出くわせば水分を補充できると期待したが、雨も川の湖もいまだにない。いままでは、この世界に来た時の混乱と緊張感でなんとか空腹をごまかしてきたが、人間の慣れる習性は恐ろしいもので、空腹の具合がただ事ではなくなってきた。
私はふと地面に尻餅をついた。3日寝起きしても体が痛くならなかったのは、この地面に生えた草のおかげだ。草というより毛並みに近い肌触りだ。このまま立ち上がることができなくなって、いずれはこの空間で死んでいくのだろうか。そもそもこの世界に死の概念はあるのだろうか。私は仰向けに倒れこむと太ももをつねってみた、痛い。理由はわからないが、痛さと一緒に笑いが込み上げてきた。くすっと笑いをこぼすとそのまま目をつむった。疲れた。
人間とは不思議なもので眠りから覚めると自然と目を開くようになっている。だから私の目に映るのは、この緑の葉を持つ木々の様なものだ。緑の木々だって。
私は跳ね起きた。リュックを背負った状態で私は地面に仰向けに倒れていた。時計に目をやると1日経過していた。足元には土と落ち葉、紅葉が終わった山には冬が訪れようとしているようだ。木々の隙間から差し込む太陽の光を見た。私は一体何をしていたんだろうか。
後ろを振り返ると崖がそびえ、私が滑り落ちたであろう跡が残っていた。どうやらハイキングの途中で足を滑らせたのか。いや、ケガはしていない。
すると、辺りの風景が急に光に包まれ、木々や土、空たちが急速に目の前から散っていった。すると目の前の景色があの異空間に再構築されていく。不思議な空間の変化に私は声を上げることもできずにただ身を任せることしかできなかった。
「君のクロラは青いんだね。」
後ろから声がした。振り返ると肩ほどのセミロングの髪を一つに結い、茶色いジャンプスーツ風のツナギを着た少女が妙なゴーグルを首から下げて立っていた。背は私より頭一つ低いくらいだから160センチといったところだろうか。足元のブーツの高さもあるのでもっと小柄かもしれない。
「あの、君は」
「ちょっと○×△※、、、」
「ちょっと」まで聞き取ることができたが、それ以降は電波の悪い携帯通話の様に何かざらつき聞こえなかった。ただ、彼女はグローブをはめた左手を前に突き出すしぐさから、何か解析のようなことをしている最中であることがわかった。次に彼女は胸のポケットから小さな洋服のボタンのようなものを取りだすと、私の襟のあたりに取り付けた。
「これは一体」
「やった!聞こえた!翻訳機能がうまく動作してよかった!すごい面白い周波数の言語を扱うんだな。これは良いデータがとれそうだ。」
少女は喜びを私にぶつけてきた。
「君の言葉に基準になる文字列みたいなものないかな?」
私は『あ』から『ん』までのひらがなを一言づつ言い終わると彼女はもう大丈夫かもと私に言った。
「お兄さん、ありがとう。これでお兄さんの言葉がだいぶ翻訳可能になったよ!というかところでなんでエレファトスの上なんかで倒れていたの?」
「エレファトス?」
私が怪訝そうな顔をすると、彼女は笑って私の手を引き走りだした。毛並みのような草原を走りきると私が3日経っても抜けられなかった木々の中に小型の飛行機が現れた。飛行機と言っても翼は無く、むき出しのエンジンが印象的だ。昔テレビで見た飛空艇の様な一人用の操縦席とその後ろに一人用のシートがあった。彼女は私を後ろへ乗せると、大きめの乗用車程度のそれを宙に浮かせた。
「つかまってて!!」
その一言で、ものすごい圧と共に宙へ浮かび上がった。上空1000m程度まで上がると私は息をのんだ。大きな亀のような生き物があちらこちらで歩いているではないか。そして私が飛び立ったのも別の亀。私は3日亀の上を歩いていたのだ。黄色の空はある地点から青い空につながり、グラデーションの様に広がっている。雲がない代わりに、下からは5,6個しか見えなかった月のようなものは無数にちりばめられていた。太陽のような光輝く星の暖かさに、私は目をつむった。
「これが、私達の世界、クロラだよ。」
小さな座席の足元のスピーカーから操縦中の彼女の声が流れてきた。
「クロラ。綺麗だ。」
私はそう言うと、そのまま気を失ってしまった。
人間とは不思議なもので眠りから覚めると自然と目を開くようになっている。だから私の目に映るのは、赤い瞳と緑の瞳。瞳!?
私の奇声に彼女は驚いて身を反った。
「ごめんなさい!あなたの様な異世界人は初めてみるから」
「あぁ、ごめん。つい」
私たちはお互いに目を合わせた。
「名前言ってなかったね。私はモニカ。あなたは?」
「あぁ、○○○○だよ」
「え?」
「だから○○○○。あれ?」私は何度も自分の名前を告げようとしたが、そこだけ声が途切れる。そして名前をゆっくりフルネームで言うと視界に映る景色が恐ろしい勢いで収縮していくではないか。先ほどのモニカのときのそれではなく、明らかに違う何かだ。
「モニカさん!」
私は大きな声で彼女を呼んだが、その声もろとも収縮する渦に吸い込まれていった。
私は先ほどまでのことが嘘かの様に歩道に立ち尽くしている。歩道の真ん中で立ち尽くす私を何人も通行人が避けて流れていく。
新宿駅だった。
見覚えのあるアスファルト、何台の車を飛び越える歩道橋、高層ビル群。
ただ、この景色に似合わないものがひとつ。
この黄色い空だ。
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