無二
「一般企業なんて、どこもめんどくせーよ。うちみたいな中小企業でも噂話が尽きることはなかったし。まあ、筒抜けだな」
早翔は、1年遅れで資格を取得した草壁を、セブンジョー2号店に呼び出し祝杯を上げた。
久しぶりに会った草壁の顔を見ると気が緩み、思わず会社の愚痴をこぼす早翔を、すでに会社勤務3年目の草壁が慰める。ニヤニヤと頬をゆがめて実に嬉しそうだ。
「何、笑ってんの…」
「いや、いつもと逆だなぁと思って… なんか新鮮だよな。お前が俺に会社のことを愚痴って俺が宥めてるのって…」
「ああ… 言われてみればそうだ」
早翔の口から思わず笑いが漏れる。
「やっぱ、監査法人は楽だわ。前職なんてなんも訊かれねえ。職歴なくても試験に合格してればいいんだから。そもそも資格なんてそういうもんだろ」
草壁がウィスキーをロックであおる。
「副業問われないし… 職種にもよるけどバイトも暗黙の了解らしい」
「副業って… 直はバイトが必要なほど金に困っているのか?」
「いや、困ってない」と返すと、おどけた顔で背筋を正す。
「七瀬様が答練や模試の費用を払ってくれたので困ってないです。七瀬様の金だと思うとサボれず、お蔭様で合格できました。その節はどうも」
ふざけた調子でそう言うと、恭しく頭を下げる。早翔も合わせて、「こちらこそお世話になりました」と頭を下げる。
二人して頭を上げ、顔を見合わせ笑い合った。
「面倒見てるガキが来年中3で高校受験だから。とりあえず、本腰入れてガキの家庭教師する」
草壁は勤務先の社長から、独り暮らしの息子の様子を時々見に行くよう頼まれていた。息子と言っても、社長の再婚相手の連れ子で、要するに新たな生活に邪魔な義理の息子の面倒を押し付けられていた。
早翔がそれを聞いた時、業務以外の仕事をさせないよう向井から言ってもらうと、苛立ちを隠さず言うと、草壁がそれを断った。
「これも何かの縁だろ。デスクで数字を見てるより、ずっと楽しそうな仕事だ」
そう言って朗らかに笑った。
早翔が2杯目のウィスキーを草壁の前に置いて、ため息交じりに苦笑する。
「直は見かけによらず、面倒見がいいからね。口は悪いけど」
「前後の言葉が余計だ。安心しろ。やった分はキッチリ社長に請求するから」
「当然だ。面倒見過ぎて、本業に支障をきたさないように注意しろよ」
「お前は俺の母親か」
草壁が鼻で笑ってウィスキーグラスに口を付け、今度はゆっくり味わうように喉に流し込む。
「お前は? 相変わらず忙しいんだろ。短時間睡眠で昼も夜も働いて」
「もう身体に染み付いてる。変に暇な時間ができると調子悪くなるから。また、次から次へと仕事も増えてくれるしね。貧乏暇なしってよく言ったもんだ」
早翔が投げやりな薄笑いを浮かべて、レモンとライムを浮かべた炭酸水を口にする。
「手伝えることがあったら言ってくれ。この店の経理なら手伝える」
「ありがとう。繁忙期には頼むよ」
うんと頷く草壁が、突然笑い出す。
「内観があった日、覚えてるか?」
それは、まだ草壁がバイトしていた頃、税務署の職員による内観調査、いわゆる潜入調査があった時のことだった。
普通は、潜入調査が行われていることなどわからない。ただ、数か月前に、早翔は草壁を連れて税務署に出入りしていた。
税務書類に関する疑問を解消するために、手っ取り早く提出先に聞きに行ったほうが早いという早翔の考えだったが、後学のためと付いて来た草壁は、署内で働く女性職員にばかり目をやっていた。
「今どきの公務員は、結構イケてる女がいるなあ」
帰りに草壁がボソッと呟く。
「そんな目立つ女性なんていたか? みんな、地味な感じだった気がする」
「女に興味ないヤツはこれだから… 仕事中は地味でも、バッチリ化粧した後を見ないと」
どうやったらナチュラルメイクの女性の、濃厚メイクされた後の顔が見えるのか、早翔には理解できなかったが、それより、全ての疑問を解消しようと必死になっていた早翔をよそに、女性を見学していた草壁に呆れていた。
ある日、新規の来店客を見て、草壁が興奮して早翔のところに来る。
「いや、俺の目は確かだった。すっげー化けてるよ。夜の蝶になって飛び回ってますみたいな… あれじゃあ、誰も税務署の職員だなんて気が付かんわ。プロだな」
「感心してる場合かよ」
慌てて早翔が京極に連絡する。
「へえ… 潜入調査ねえ」と、京極は動じない。
「どうしますか…」
「どうするかって、普通に客として対応するしかないでしょ」
「いや、正体わかってること伝えて、疑問があれば答えたほうがいいような… 支払われる金は税金だし…」
京極と草壁が顔を見合わせ大笑いする。
「お前、真面目過ぎて泣けるわ。そこはしれっと丁重におもてなししようぜ。俺たちもプロなんだから」
「直ちゃんの言う通り。しっかりおもてなししないとね。さて、来たる税務調査への心の準備はできるわ。直ちゃんのお手柄ね」
その後、続々と店やホストの申告漏れが指摘される中、セブンジョーは無傷だったことが、しばらく京極にとっての自慢になった。
「ああ、あったね。あの時は直の女性を見る目が確かなことがわかったよ」
草壁が笑いながら「楽しかったなあ…」と呟く。ウィスキーを一口、口に含むと早翔を見つめる。
「ここでホストやってたのも楽しかったけど、一番楽しかったのはお前と一緒に裏方の仕事ができたことだな。早く会計士になってお前と一緒に働きてぇよ」
照れたように視線を外して、またグラスに口を付ける。
試験に受かった喜びも露わに、一緒に働きたいという正直な気持ちを口にしながらはにかむ草壁に、その言葉以上の意味がないとわかっていても、余計な言葉を足したくなってフッと笑みをこぼす。
「直は、とっとと覚悟決めてゲイになれよ」
その冗談とわかる軽い口調にも、草壁は容赦ない。
「なるか、バカ! 俺の女好きで潜入見破れたんだかんな!」
「違いない」と応じて笑顔を見せると、草壁の顔にも笑みが戻る。
思い出したように早翔が、「あ、そうだ」と声を漏らした。
「向井さんの話は断っておくよ」
草壁の合格を知らせると、向井は草壁の席を用意してもいいぞと言ってきた。
早翔の時のような強引さもなく、草壁の意志を配慮した申し出だった。
「監査法人に入ることにしたと伝えれば、それ以上は言ってこないだろうから」
草壁が「頼む」と返し、一瞬、視線を外し、うーんとうなる。
「ああ、今のところはって付けておいて。また機会があったらお願いしますよ。この先、どうなるかわからんし」
「調子いいなあ」
「だめ? 一旦断ったらダメか… やっぱあのババアに拒否られるわな」
「ババア言うなよ」と早翔が苦笑する。
「向井さんが持って来る話は、すでに蘭子さんの了承を得てる話ばかりだ。彼女はちゃんと人を見てるよ。2号店でババア呼ばわりされても直を雇ってたのは、直の丁寧な接客を見てたから。もちろん数字も」
ふうんと素っ気なく返しながら、草壁がぐるりと周りを見渡す。
「客層、なんか変わったな」
「蘭子さんが変えたようなものだ。それなりの客を連れてくる。この間なんかセレブなご夫妻を連れて来た。旦那のほうが面白くなさそうなのを見て、すかさずキャバ嬢呼んで相手させるし」
「なんだ、その臨機応変過ぎる対応。蘭子にしかできねえな」
「全くな。ホストのマナー教育にも力入れてるし… まあ、直みたいなオラオラ系のホストは、今は雇わないだろうね」
「そりゃ残念。副業先が1つ消えた」
「残念ではない。もう二度と関わるな」
早翔がニヤリと笑いながら涼しげな目を細めて睨む。
「はぁい、ママ」
草壁がふざけた調子で返し、声を出して笑った。
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