今年のクリスマス

菜梨タレ蔵

今年のクリスマス

ツリーも飾らぬ内に、今年もクリスマスがやってきた。ケーキ、チキン、ご馳走、そしてプレゼント。なんの準備もしていない。

だってどうせ一人だし。


クリぼっちなんて言葉、誰が考えたんだろう。そこに自分が属することになるなんて、去年は考えもしなかった。今年も当たり前のように、あの人と過ごせると思っていたから。


「他に好きな人が出来た」


今から一ヶ月前、在り来りな別れ文句を告げられて五年付き合った彼氏を失った。自覚している冷め切った関係を思えば、繋ぎ止めようとは思わなかった。喪失感はあったが、生真面目な彼の申し訳なさそうな表情がこれで良かったのだと思わせた。


「それじゃ、元気でね」


温泉旅行でお揃いで買ったタヌキのキーホルダーを外して、私は彼の部屋の鍵を手放した。金属の冷たさが手の平に刺さるようだった。


「元気でね、今までありがとう。」


精一杯の作り笑い。マスクとメガネで良かった。絶対変な顔になってた。


「あーぁ」


街のイルミネーションの輝きが、道行く人のはしゃぐ声が、チキンの香ばしい匂いが。その全部がこんなにも憎たらしいとは。クリスマスにこんな気分になるなんて、初めてだ。


カバンの中で振動音と共に着信音が鳴った。この音楽を設定してあるのは母だ。


「…もしもし?お母さん、久しぶり。はは、メリークリスマス。うん、うん、そうだね。…仕方ないよ今年は。…大丈夫だよ。大掃除したり、おせちにも挑戦しようかなぁ、なんて。一人だけど」


最後一言が、冷たい空気をより一層冷したようだった。私が一人になってしまった事情を知る母は、心配して電話をかけてきてくれたのだ。疫病が最も流行る場所で暮らす私は、今年は田舎にある実家には帰れそうにない。この虚しい気持ちを癒してくれるはずの、実家に、母に、猫のゴン太に、今年は会えそうにない。


橋の上から見える観覧車は、テレビドラマそのままにキラキラと眩しい。周りで眺めてるのはカップルばかり。ソーシャルディスタンスなんて言葉は彼等には関係ないのだろう。



その中の一組に見知った顔があった。彼女は気付くと、小走りで寄ってきた。


「今仕事終わり?」


空気を浄化するようなフローラルの香りを纏って私を見上げる彼女は、高校時代からの親友だ。


「そう、これから帰ってクリぼっちを楽しむところ。私なんかに構ってないで、ほら、デート中なんでしょ?戻りなよ」


「大丈夫?」


「何が?」


別に聞かなくても、言おうとしている事はわかっている。


「....大丈夫だよ。その節は憂さ晴らしに付き合ってくれてありがとうございました。あれでだいぶスッキリしたよ。」


「そう?」


心配そうな表情で私を見つめてくる。こんな日に、こんな顔をさせるのはとても申し訳ない。いいんだよ、私の事なんて気にしないであなたは今日を思いっきり楽しんで。


「ほら、彼氏寒そうだよ!

また年明けにでも。みんな誘ってオンライン飲み会しよ!」


「うん、そうだね。それじゃ、また …あ」


彼女は再びこちらを向くと


「メリークリスマス 素敵なサンタさんが現れますように」


そう言うと彼女は、カバンの中からチョコレートを出し、渡してくれた。


「あ、並ばないと買えないやつでしょ?いいの?私がもらっちゃっても」


「私は営業の方から沢山貰ったから。食べたいって言ってたじゃない。少しだけどどうぞ」


「嬉しいよ、ありがとう。」


メリークリスマス…。そうだよね、聖夜だ。本来はカップルがイチャイチャする日でもなければ、浮かれて騒ぐ日でもない。

本来はそう、神様の誕生を祝う日だ。

風に乗って微かだが聴こえてくる、これは賛美歌だ。自然と、足がそちらに赴く。聖歌隊の子供たちが教会の外にある広場に並び、その歌声を響かせていた。聖夜にふさわしい光景に、なんとなく、私の心の中を覆っていたモヤも晴れていく気がした。私はやっと、クリスマスの景色を心から綺麗だと思うことが出来た。


自宅のアパートの前、目の前に天使の羽根が…違う、これは


「雪?」


その時だった。私は聞きなれた声に名前を呼ばれた。


「 …あ …え、なんで?なんでいるの??」


いるはずがない、だってあなたは。


「メリークリスマス」


「め…って、何よ今更…。何しに来たの」


一ヶ月前に別れたあの人が、眉を八の字にして微笑み、立っていた。そう、私この人のこの表情がたまらなく好きなんだよなぁ。


「彼女は?好きな人と過ごすんじゃないの?」


「好きな人と過ごしに来た」


は?全く意味が分からない。


「好きな人が出来たから別れようって、あなた言ったじゃない…なに?フラれたからってこっちに戻ってきたの?それ、酷過ぎない?バカなの?私、そんなに都合のいいお」


「ごめん」


「だから、意味がわかんない。ちゃんと説明して…」


一ヶ月ぶりの匂い、一ヶ月ぶりの温もり。忘れようとして忘れられなかったものが一気に溢れ出る。私は彼の背中に腕をまわした。


「嘘なんだ。好きな人が出来たなんて、本当はそんな人いない。」



「…だ…ったら、なんで?」


好きな人なんて、いない??


「確かめたかった。五年も一緒にいるとさ、マンネリっていうか。色々な事が当たり前になってしまって、そんな中で君の気持ちが離れていってるような気がしたんだ。一度離れて自分の気持ちをもう一度しっかり確かめたかった。君とどうなりたいのか」


「私…と」


「あんなにあっさり別れを承諾されるなんて…やっぱりダメなんだって思った」


彼は苦笑した。


「けど俺自身がどうしても君への気持ちを吹っ切れなくて…あ、ごめん。顔みたらつい、ソーシャルディスタンス… え」


私は彼に思い切り抱きついた。


「そういう回りくどい事するのは今後やめて欲しい。 …この一ヶ月、めちゃくちゃつらかった。」


藍色の景色に白く輝きながら、雪が羽根のようにヒラヒラと降りてきた。


年明け、新年会と称し友人達とオンライン飲み会をした。まさか結婚報告をする事になろうとは思っていなかった。



--- おしまい ---

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今年のクリスマス 菜梨タレ蔵 @agebu0417

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