第274話 久しぶりの学園


 ドーウェンの耳飾りを着けるのも久しぶりだ。

 長く休んだ後の学園は、ちょっとだけ緊張する。

 そんなルーリアの気持ちを察してか、シャルティエが学舎の入り口で待っていてくれた。


「シャルティエ、おはよう」

「おはよう、ルリ。元気だった?」

「はい。毎日のお手紙、ありがとうございました」


 いろいろ聞きたそうな顔をしていたけど、シャルティエはすぐにいつもと変わらない笑顔を向けてくれた。

 菓子学科の教室に入り、見慣れた顔ぶれや景色を眺めていると、自分の居場所に帰ってきたのだと嬉しさがじんわりと込み上げてくる。


「シャルティエ。これ、良かったらどうぞ」


 毎日、手紙で授業のレシピを教えてくれた代わりに、グレイスから借りていた資料の写しをシャルティエに手渡す。自分用は家に置いてあるから、これはシャルティエにあげるために書き写した物だ。


「ありがとう。じゃあ、私からも。はい、これ」

「……えっ、これは?」


 満面の笑みでシャルティエから渡されたのは、今年の生徒たちから集めた郷土料理やお菓子のレシピ、それから各地の変わった食材についてまとめた資料だった。

 ルーリアが学園を休んでいる間、シャルティエは生徒たちに声をかけて情報を集めたらしい。

 さすがシャルティエ、仕事が早い。


「グレイスにも写した物を渡したし、これはルーリアの分だから、あげる」

「えっ! あ、ありがとうございます」


 いつもレシピを教えてもらってばかりだから、資料の写しで少しでもお返しをしたかったのに、またもらってしまった。


 ……もう少し長く起きていられたら、もっといろんなことが出来るのに。


「それにしても、秋のアレは最高の出来だったよ。本当にありがとう~」

「ふふっ、満足してもらえたようで良かったです」


 人前では大きな声で話せないけど、とろけるような笑顔でミツバチのロモアの蜂蜜を褒められ、嬉しくなる。畑仕事を頑張ってくれたセフェルにも帰ったら伝えてあげたい。

 ユヒムが言っていた他の菓子店を見学に行く話や、次の春の蜂蜜をどの花で作るかなどの計画を立てながら、シャルティエと一緒に久しぶりの授業を受けた。



 お昼の休憩を挟んで、次の授業時間。

 ルーリアは理部の図書館にいた。


 本当なら芸軍祭の後は料理学科の授業に参加しようと考えていたのだが、それより先にやりたいことが出来たのだ。

 それは、家にある本には載っていない魔族領についての資料を理部の図書館で探すことだ。


 クレイドルの故郷のことを、もっと詳しく知りたいと思ったことが切っかけではあるが、ルーリアにとって魔族領は身近な国であり、遠い国でもある。

 直線距離だけで考えるなら、ダイアグラムよりもマルクトの方が断然近い。家から見える山々を越えれば、その先にあるのがマルクトなのだ。だが、その土地のことをルーリアは何も知らない。


 ……今はリンチペックの毒に侵されているでしょうけど、元は自然豊かな場所だったはず。


 それほど距離が離れていないことを考えると、マルクトにあった植物はルーリアの暮らす隠し森の物と似通っていたのかも知れない。

 クレイドルが初めて隠し森に足を踏み入れた時、木の実や薬草の採取に戸惑った様子は見られなかった。ミデルやダルフやクッカムだって、食べ慣れていたようだったし。


 土地を解毒した後は、そこに植える種や苗が大量に必要となる。少し前から森で植物の種や木の実を集めてはいるけど、当然のことながら、まだまだ全然数が足りない。


 それに植物だけじゃない。

 人が暮らすためには何もかも足りない。

 必要な物を他から買うとしても、そのための資金を集めなければならない。

 流行り病を魔虫の蜂蜜で治した時と同じだ。

 土地を解毒して終わりではないのだ。


 ……つくづく考えると、わたしがやろうとしていることって本当に無謀だったんですね。


 もちろん今は自分一人の力でどうにか出来るなんて思っていない。今は自分に出来ることを精一杯するだけだ。



 そして、午後の農業の授業。

 休み中の野菜の手入れをコルジ先生にお願いしていたから、そのお礼を伝えて畑へ出る。


「良かった。ちゃんと育ってる」


 コルジ先生が「冬の野菜は放っといても平気、平気」と言っていたから、ちょっと心配だったけど、枯れた物はないようでホッとした。

 冬の間も育つ野菜があるから、その様子を見て回りながら、クレイドルが育てていた毒に耐性のある野菜の手入れや種の収穫をする。


「この種は家に持って帰ろう」


 農業学科で作った作物は、自分の物として持って帰っても、次の教材として学園に残していっても、どちらでも良いことになっている。

 自分が作っていたのは簡単に手に入る野菜ばかりだったから、ルーリアはクレイドルが品種改良した野菜の種や苗を少しだけ学園に残していくことにした。興味を持った誰かが、あとに続いて研究してくれるかも知れない。


「……?」


 寒さから守るために野菜の周りにワラを敷いていた時、手元に人型の影が落ちてきた。


「元気にしていたか?」


 そう声をかけられて顔を上げると、少しだけ前屈まえかがみになったクレイドルが目の前に立っていた。自分を見下ろす、柔らかな蜂蜜色の瞳と目が合う。


 はい、お蔭様で。

 見ての通り元気でしたよ。

 元気に決まってるじゃないですか。

 何でここにいるんですか?

 軍事学科の授業はどうしたんですか?


 どれでもいい。

 何でもいいから声を出そうとしたのに。


「…………」


 なぜか言葉が出てこなかった。


「どうした?」


 返事もなく固まっているルーリアを見て、クレイドルは困ったような顔になる。


 ……違う。


 困らせたい訳じゃないのに、どうしよう。

 クレイドルの登場がいきなり過ぎて、頭の中が真っ白になってしまった。

 考えようとすればするほど、余計に気持ちが焦ってバクバクと心音が大きくなっていく。


 早く、早く何か言わなきゃ……!


 すると、ぽん、と温かい手が頭に乗せられた。


「無理に何かを言おうとしなくていい。……顔を見たら安心した」

「…………レイド」


 優しい声で心から安堵したように呟かれ、なぜか自分まで安らぐような気持ちになっていく。

 自分の感情がよく分からない。

 クレイドルに会えて嬉しいのに、どうして泣きたいような気持ちになるのだろう。


「それにしても、少しの間に随分と変わったな。すぐにルリだとは分かったが……」

「……え?」


 濁すような言葉を口にして、クレイドルはフェルドラルにチラリと視線を送り、それから周りを警戒するように見回した。


「わたくしはこの場を離れることは出来ませんが、音でしたらご自由にどうぞ」

「そうか」


 クレイドルが人に聞かれたくない話をしたがっていると察したフェルドラルは、音を消すくらいなら好きにすれば良いと言う。


外界音断カーシャ・エイク


 人に頼むのではなく、自分で音断の魔法を掛けたクレイドルにルーリアは目を丸くした。


「えっ。今のって?」

「オレだって必要となれば補助魔法くらいは覚える。毎回人に頼むより、自分で使えた方が便利だからな」


 そう言ってクレイドルは近くにあったベンチに腰を下ろし、ルーリアにも座るように促す。


 ……そっか。クレイドルも頑張っているんですね。


「寒くないか?」

「はい、大丈夫です」


 水魔法で手を洗って隣に座ると、クレイドルは真剣な顔でルーリアをじっと見つめた。


「オレが聞いてもいいのか分からないが、何があった? どうして魔力が急に増えているんだ?」

「……魔力、やっぱり増えているんですね。詳しくは話せないんですけど、ちょっといろいろあって。今の状態が、本来のわたしの姿らしいです」


 自分の魔力量の半分を使えるセフェルが魔力疲れを起こさなくなったことから薄々感じてはいたけど、元の魔力量を知っているクレイドルがひと目見て不自然に思うくらい、休む前と比べると魔力が増えているらしい。

 これからはこの状態が通常になると話すと、クレイドルは難しい顔となった。


「……これが通常。それなら魔力を抑えることを覚えないと危ないな」

「えっ、何が危ないんですか? あの、わたしは今、どんな風に見えているんですか?」


 クレイドルはあごに手を当て考え込んだ後、今の状態のまま軍部の区域に行けば、間違いなく面倒なことになる、と言った。


「今、軍部では、即戦力となる者を勧誘をするために外部からの人の出入りが激しくなっている」


 どこかの国の騎士団だったり、傭兵団だったり、と。そんな中にひょこっと出て行けば、あっという間に餌食にされるそうだ。


「それに、オレの知っている範囲で話すことになるが、今のルリは恐らく軍部にいる誰よりも魔力を持っている。魔力量だけで言うなら、もしかしたら魔族領の領主より多いかも知れない」

「えぇっ!?」


 魔族領では保有する魔力量で上に立つ者を決めることが多いらしい。その領主より多いかも、と言われれば、今の自分の魔力がどれだけ異常な状態にあるか、すぐに理解できた。

 魔力を見ることが出来る者が今のルーリアを目にすれば、騒動の種にしかならないそうだ。


「ルリが魔力の使い方を習ったのは母親からか? それとも、そこの付き添い人からか?」

「えっと、魔力の扱い方は教えてもらっていません。二人から習ったのは魔法だけです」


 人の魔力を見たり、自分の魔力を抑えたりしたことはないと伝えると、クレイドルは目を見張り、さらに難しい顔となった。

 魔族の場合は習わずとも、魔力を持つ親や周りにいる者たちと接して生きていく内に自然と身についていくらしい。

 木の実の焼き方を知らなかった時と同じだな、と呟いたクレイドルは苦い顔をしていた。


「たぶん、知っているものと思われて放置されていたんだろうな。……それだけの魔力があるのに基本的な部分が抜けているのか」

「……そう、みたいです」


 憐れむような目でクレイドルにしみじみと言われると、ちょっと切なくなってくる。


「ルリは自分で魔力を抑えることが出来るようになるまで、放課後の部活には顔を出さない方がいいな」


 その意見には完全に同意する。

 こくりと頷き、どうやって覚えればいいのか考えようとすると、先にクレイドルが助言してくれる。


「ルリさえ良かったら明日からしばらくの間、この時間にここで、オレが魔力の見方と抑え方を教えようと思うんだが……」

「えっ!? そんな、レイドの時間を奪うようなことはしたくありません」


 慌てて断ろうとするルーリアにクレイドルは首を横に振って見せる。


「いや、実はルリのためだけじゃなく、これはオレ自身のためでもあるんだ」

「……レイドの?」

「ああ。オレが魔力の扱い方を教える代わり、ルリには補助魔法を教えてもらいたいと思っている。互いに足りないところを教え合うだけだ。それなら問題ないだろ?」

「えっ!? わたしがレイドに、ですか?」


 自分が人に魔法を教えるなんて考えたこともなかった。


「はっきり言ってしまえば、魔力の扱いなんて、そんなに難しいことじゃない。どちらかと言えば、ルリの負担の方が大きくなる話だ。もちろん嫌なら断ってくれて構わない」


 ……これって、わたしがクレイドルの役に立てるってこと?


「や、やります! ぜひ、お願いします!」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る