第273話 弓の帰還
ガインたちが家を留守にして、十七日目。
訪ねてきていたユヒムを見送り、使ったティーポットやカップなどを片付け、そろそろ自分の部屋に戻ろうかとルーリアが考えていると、店の床に転移の魔法陣が浮かび上がった。
……あれ、ユヒムさんかな? 珍しい。
ユヒムが忘れ物でもしたのかと思って眺めていると、現れたのは何の連絡もなしに、いきなり帰ってきた大人の姿のフェルドラルだった。
真っ白な長い髪がサラリと揺れ、閉じていた深緑色の瞳がそっと開かれる。
「!! フェルドラル!?」
「姫様。ただ今、戻りました」
ガインとエルシアの姿はない。
フェルドラル一人だけだ。
「……えっ、お、お父さんとお母さんは!?」
思わず駆け寄るルーリアに、フェルドラルは少しだけ表情を曇らせた。
「二人はまだこちらには戻りません。つい先ほど、終わったばかりなのです。わたくしは姫様をお守りするため、先に戻って参りました」
「お父さんとお母さんは無事なんですか? リューズベルトは? 誰もケガをしたりしていませんか?」
口早に質問して、ルーリアは飛びつくようにフェルドラルを見上げる。
強ばった顔のルーリアを見てフェルドラルは膝を突き、安心させるように微笑んだ。
「わたくしが付いていたのです。ケガなどするはずがありませんわ」
それを聞いたルーリアは、フェルドラルの首にぎゅっと抱きついた。
「ありがとう、フェルドラル! お父さんとお母さんを守ってくれて、本当に……、本当にありがとうございます!」
「ひ、姫様!?」
「……本当に、よかっ……ぅわぁあぁぁ~……」
安心したのと同時に、
「……っく、本当は、ずっと怖くて……っ」
誰の前でも顔に出さないようにしていたけど、本当は毎日が怖くて不安で堪らなかった。
二人が無事であったことに、どれだけ感謝しているか、どれだけホッとしたことか。
しがみ付いたまま涙ながらに話すと、フェルドラルはルーリアの背中に腕を回し、慰めるように抱きしめてくれた。
「……姫様はお一人でよく頑張られました」
ガインやエルシアのように優しく頭を撫でられ、ルーリアはフェルドラルの服のすそを、きゅっと握る。
「……っひっく、フェルドラルも、無事に帰ってきてくれて、本当に良かったです」
「そのお言葉に勝る褒美はございません」
ゆっくり話を聞きたかったけど、ルーリアはもうベッドに入らなければならない時間だ。
フェルドラルはルーリアが眠りに就くまで、ガインとエルシアの神殿での様子を話して聞かせてくれた。
「……良かった。お父さんは、ちゃんとお母さんの隣にいることが出来たんですね」
「ええ。力ずくで周りに自分を認めさせていましたわ」
力ずく、と言っても乱暴なことをした訳ではなく、行動で示したのだと聞いて胸を撫で下ろす。
最初は獣人だからとガインを軽んじていた神官たちも、自分たちを超える魔力量と桁外れの戦闘能力を目の当たりにして愕然としたそうだ。
「神殿のエルフたちは、狼を知らない羊の群れと同じなのです。神殿の外や他種族の者のことを知ろうともせず、群れの中だけで優劣を競い合い、自分たちこそが神に選ばれた種族であると信じて疑わなかったのですわ」
エルシアがガインを夫と呼んだことで、一応、その立ち位置は認められた。だが、ミンシェッド本家の者たちからは『ガインを愛妾として、本夫をミンシェッドの血筋から選ぶべきだ』という声も上がっているらしい。
「あいしょうって何ですか?」
「正式な夫ではなく、単なるお気に入りということですわ」
「……それは、お母さんが絶対に許しませんよね」
「ええ」
それはそれは綺麗な笑みでエルシアは激怒していた、とフェルドラルは言う。
『私との婚姻を希望する者は名乗り出なさい。戦って私とガインに勝てたら、その者を我が夫として認めましょう』
そう話すエルシアに、ミンシェッド本家の者たちは「不可能だ」と口にして凍りついたのだとか。
「そんなことを言ってしまって大丈夫なんですか? これから大変になるんじゃ……」
血筋を何よりも重んじるミンシェッド家の者たちが一丸となってガインの敵に回る様子を思い浮かべ、ルーリアは青ざめた。
「ご心配には及びませんわ。現在の当主が使い物にならない現時点で、エルシアはミンシェッド家における事実上の最高権力者となっているのです。討伐中も自身の手駒となる者を増やしていましたし、ガインのためなら着実に神殿を掌握するでしょう」
「……うっ、お父さんのために頑張るお母さんは、簡単に想像できる気がします」
むしろ、やり過ぎないか心配になる。
「フェルドラルから見たお父さんは、どんな感じですか? 本当に戦いを挑まれても大丈夫そうですか?」
「前の神官長のせいで神官の質はかなり落ちていますから、全く問題ないでしょう。ガインは魔力を得たことで、他人の魔力も感知できるようになっていますし」
敵の奇襲や襲撃に備えるためには、魔力の扱いを覚えることは急務だったそうだ。
ルーリアの魔力を見るために急いで魔力の扱いを覚えたとは聞いていたが、そのためだけではなかったらしい。
「敵の領域となる屋敷での戦いに、魔力感知は必須だったのです」
神敵の討伐で最終的な戦場となったのは、ミンシェッド家の領地にある、それぞれの屋敷だった。
魔術具や魔法を駆使して罠を張り巡らせ、要塞と化した屋敷に引きこもる敵を倒さなければならないから、攻撃にも防御にも魔力は必須だ。
その点、ガインの飲み込みは早かった。
相手が魔法を使おうと魔力を集中させた瞬間に、ガインの攻撃が向かう。魔術具も発動する前に破壊する。無詠唱魔法にも反応するから、ろくに魔法を使えないまま相手は倒されていったという。
「……そこだけ聞くと、お父さん、無敵ですね」
「これでもかと無双していましたわ。今のところ、ガインに敵う者は神殿にはいないでしょう」
それだけ見せつけられた後で、エルシアとガインのコンビに挑みたいと思う馬鹿はいない、とフェルドラルは唇の端を上げた。
「エルフはみんな、すごく強いのかと思っていました」
「魔法と魔術具が無効化されてしまえば、人族より弱い者も多いのです。それを守るために騎士がいるのですが、良い関係を築けている者は少ないようでした」
「リューズベルトも屋敷の戦いに参加したんですか? お母さんとフェルドラルはお留守番だったんですか?」
「……それが──」
そっと目を逸らしたフェルドラルは、何とも言えない顔で口を開く。
「えぇっ! ぜ、全破壊!?」
なんと。エルシアとフェルドラルの二人は極大魔法を同時に放ち、敵の屋敷を敷地ごと消し去るという、とんでもなく物騒なことをやらかしたらしい。開いた口が塞がらない。
『敵が屋敷にこもるなど、隠れる場所があるからいけないのです。罠の解除など不要、丸ごと消してしまえば良いのです』
と、エルシアが真顔で言ったとか、言わなかったとか。
敵側の屋敷の使用人や下働きの者たちを回収した後で良かった、とリューズベルトと騎士たちが互いを労い合ったそうだ。
ごめんなさい、と心の中で謝っておく。
エルシアとフェルドラルはその後、ベリストテジアの屋敷に攻め込む時まで自分の屋敷で大人しく待っていて欲しいと、味方側の神官たちから懇願されたらしい。
……そ、存在が天災すぎる。
「そのようなこともあり、多少時間はかかりましたが、神敵討伐は無事に終わりました」
「……そ、そうですか」
詳しい話は後日ということで、フェルドラルは言葉を区切る。
まだまだ聞きたいことはいっぱいあったけど、みんなが無事だと分かっただけで、ルーリアは緊張していた身体から一気に力が抜けるのを感じた。
……本当に良かった。
きっとフェルドラルが話していない部分には、凄惨な場面もあるのだと思う。
ひとまず安心したルーリアは静かに目を閉じ、その日は眠りに就いた。
次の日、目を覚ましたルーリアは、さっそくガインたちに今までの報告の手紙を書く。
神敵の討伐中は手紙を送らないように言われていたため、ガインから送られてきていた手紙への返事が溜まっていたのだ。
討伐後の方が忙しいからだろうけど、今朝はガインからの手紙は届いてなかった。
隠し森がいつも通りなこと、魔虫の蜂もミツバチも今年の採蜜が終わったこと、蜂たちの冬支度が済んだこと、ユヒムたちを通して商人たちに魔虫の蜂蜜を届けてもらったこと、などなど。
ガインたちがいない間の蜂蜜屋の仕事について書いて送った。
「フェルドラルも帰ってきましたし、明日からまた学園に通いたいと思います」
「かしこまりました」
「にゃう、お留守番はまっかせて!」
今朝、枕元に届いたのは、シャルティエとクレイドルからの手紙だ。
グレイスとシャルティエとクレイドルと、放課後のメンバーに明日からまた学園に通うことを手紙で送る。
ユヒムとアーシェンにも明日から学園に通うことと、毎日交代で来てもらっていたお礼を書いて送った。
ルーリアはチラリとフェルドラルに視線を向け、こちらを見ていないことを確認してからクレイドルからの手紙を小さく開く。
『ルーリアの大丈夫は当てにならない。次に会った時に確認するからな』
……うぅっ。
どうしてだろう。嬉しいような、ちょっと怖いような。明日会うのが急に恥ずかしくなってきた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます