第261話 クレイドルの公言
今日が終われば、明日からは隠し森にこもる生活となる。
いつも通りに授業を終え、休み中の農作物の世話をコルジ先生にお願いし、みんなに挨拶をしてから帰ろうと思い、ルーリアは放課後の部活に立ち寄った。
……あ、良かった。
今日はセルギウスもいるようだ。
リュッカは軽く頬を膨らませ、ルーリアが明日から学園を休むことに不満を漏らしていた。
「ん~もぉっ、おチビちゃんが当分いないなんてぇ、つっまんないぃ~。美味しい物も食べらんなくなるしぃ~」
「全くだ。ロリちゃんがいないと、野郎と野獣だけになるじゃないか。貴重な紅一点がぁ~……」
女の子がいなくなると嘆くエルバーに、聞き捨てならんとリュッカとナキスルビアの二人は目を光らせる。
「何だとぉ~、このメガネぇ~!」
「よし、リュッカ。そっち押さえて」
「わぁっ!? 止めろォ、野獣どもッ!」
ふふっと笑いがこぼれるようなこのやり取りも、しばらく見られなくなると思うと寂しくなる。
「セル、今日は忙しくないんですか?」
「いや、ルリに用があったから寄っただけで、すぐに行くつもりだ」
「えっ、わたしに?」
何だろう? こちらも渡したい物があったから、ちょうど良かったけど。
「急いでいるんですよね? 話なら歩きながら聞きますよ」
「済まない、助かる」
ルーリアは「ちょっと門まで行ってきます」とリュッカたちに伝え、セルギウスと闘技場の外へ出た。後ろにはラスとフェルドラルが付いて来ている。
「わたしもちょうど、セルに用があったんです。セルは何の話ですか?」
転移装置で正門へ移動して尋ねると、セルギウスは上着のポケットから一つのアイテムを取り出した。
「これを渡そうと思っていた。前に渡した物は壊れてしまったからな」
ルーリアの手の平にそっと乗せられたのは、深い森色の魔石のペンダントだった。
銀色の細いチェーンで、魔石の周りは繊細な銀細工で飾られている。
「わぁっ、すごい、綺麗ー……」
「しばらく両親が留守にするのだろう? 護身用にと思って作ってみた物だ。良かったら受け取って欲しい」
「えっ! これ、セルが作った物なんですか?」
思わず、ペンダントとセルギウスの顔を交互に見てしまった。
あまりにも細やかな作りだから、凄腕の職人が作った宝飾品かと思ったのに、なんと、セルギウスお手製のお守りだったらしい。
「……ふあぁぁ~、いったいどうやって?」
こんな芸術的なお守りもあるのかと、思わず感嘆のため息が漏れる。自分には無理だ。
戦闘に強くて、魔法も使えて、楽器も演奏できて、センス溢れる魔術具も作れて。
セルギウスは以前ラスが言っていたように、何でも出来てしまう万能人のようだ。
そんなセルギウスに自分の作った可愛らしいお守りを渡すのは、ちょっとだけ気が引けた。
……そもそもわたしが作ったお守りなんて、セルギウスの役に立つのかな?
「それで、ルリの用とは何だろうか?」
「あ、えっと、これ、です」
こんな素敵なお守りの後では非常に出し辛いけど、ルーリアは小さな紙袋を一つ、カサッとセルギウスに渡した。
「……これは……?」
自分に物が渡されるとは全く思っていなかった顔で、セルギウスはじっと紙袋を見つめる。
「前にセルからお守りをもらったので、そのお礼のつもりだったんですけど……」
お礼をする前にまた渡されてしまったと眉を下げて笑うと、セルギウスは心配そうな表情となった。
「もしや迷惑だったか? 押しつけられたようにルリが感じたのであれば──」
「い、いえっ、それは違います! 嬉しいです、とっても。だけど、返せる物がわたしにはあまりないから、それが申し訳なくて」
こんなに立派なお守りをもらっても、それに見合うだけのお返しが思いつかないと正直に話すと、セルギウスは首を横に振った。
「私はルリに見返りを求めているのではない。自分に出来ることをしたつもりになって、私自身が満足しているだけの話なのだ。だから気にしないで欲しい」
セルギウスの静かな声は、まるで自分に言い聞かせているようだった。
しんみりした空気を払うように、セルギウスは渡された紙袋に手をかける。
「開けてもいいだろうか?」
「は、はい、どうぞ」
取り出した黒い魔石の首飾りを手の平に乗せ、セルギウスは動きを止めた。
「えっと、何か似た感じになってしまったんですけど、一応、お守りです。わたしが作りました。紙袋の下の方には魔虫の蜂蜜も入れてあります。良かったら食べてください。疲れにはよく効くと思います」
自分の声が届いているのか不安になるくらい、セルギウスの視線は手の上のお守りに固定され、瞬きもしていなかった。
どうしたのかと思って顔を覗き込んでも、セルギウスは呼吸を止めたように固まっている。
「……あ、あの、セル? どうしたんですか?」
ルーリアの声にハッと顔を上げたセルギウスは、目が合うなり口を引き結んで視線を逸らした。
「あ、あぁ。大丈夫だ。済まないが、急がなければならない。ここで失礼させてもらう」
セルギウスはそう口早に告げ、急に門の外へ向かって駆け出した。
「えっ、ちょっと、セル!?」
突然のことに、まだちゃんとお守りのお礼を伝えていなかったルーリアはぎょっとする。
けれどその時、ほんの一瞬だけ。
戸惑ったような目で頬を赤く染めているセルギウスの顔が目に映った。
「っお、お守り、ありがとうございます! 大切にします!」
走り去るセルギウスの背中に向かい、とりあえずお礼を叫んでみたけど、たぶん聞こえていないような気がした。
取り残されたラスはルーリアに向かって深々と頭を下げ、セルギウスの後を追う。
あれは……照れた顔だった。
なんか、ものすごく貴重なものを目にしてしまったような気がする。
セルギウスにとって人から物をもらうことは、逃げ出したくなるくらい恥ずかしいことだったのだろうか?
……な、何も見なかったことにしよう。
どうするのが正解か分からないから、ひとまずそっとしておこうとルーリアは思った。
◇◇◇◇
「セル様、お待ちください」
すぐに追いついたラスチャーは、
「頂き物への礼も述べられずにあの場を離れられるのは、お相手に失礼かと存じます」
その一言で、セルギウスは足を止めた。
そして、先ほどまで自分がいた場所に視線を向け、落ち着きを取り戻すように、ひと呼吸置く。
そこにルリの姿はもうなかった。
転移装置で闘技場へ戻ったのだろう。
「どうされたというのですか? そのように慌てられて」
「……何でもない」
冷静に考えられず、礼を欠いてしまった。
なぜか顔を見られたくなくて、その場から逃げ出してしまった。
自分の手には、ルリが作ってくれたお守りがしっかりと握られている。
形ある物として、自分の手にある黒い首飾りにセルギウスの表情が歪む。
……本当に、私を気にかけてくれる者が。
初めて手にする自分のためだけに作られた物に、温かいような、苦しいような、不思議なざわめきが心の中に広がる。
自分がここにいることを当たり前のように受け入れてくれるルリの存在に、胸の奥が熱くなる。
……ここにいてもいいのだと……。
言葉には出来ない、砕けた心の隙間を満たしていくような感覚がセルギウスを包む。
「……戻るぞ」
「はっ」
何としても、ルリには普通の幸せを掴んでもらいたい。そのためには──。
深緑色の瞳から光を落とし、セルギウスは魔族領へと足を向けた。
エミルファントの名が神敵のリストに載っていなかったことが悔やまれる。
セルギウスはこの日、残っていた神敵を全て討伐し、たった一人で魔族領内の神兵招集を未然に防いだ。
だが、その功績を知る者は、あまりにも少ない。
◇◇◇◇
「しばらく会えないと思うと寂しくなるわね」
「わたしもです。まだ休む実感がなくて」
闘技場に戻ったルーリアは、すぐに帰るつもりで挨拶をしていたのだが、みんなの視線がチラチラとクレイドルに向けられ、何とも居心地が悪い。何かを言わせようとしている雰囲気が目に見える。
「ねぇ~、おチビちゃんがいなくなったらぁ~、レイドは寂しいんじゃなぁい?」
早く何か言いなさいよ、という顔でリュッカはニヤリとクレイドルを見る。
「寂しいってよりは心配の方が大きいが?」
だから何だと返すクレイドルは、ややうんざりした顔だ。
もしかしたらセルギウスと門へ行っていた間、こんな調子でからかわれていたのかも知れない。
「おチビちゃんはぁ、セルと何を話してたのぉ~?」
「何って、前に助けてもらった時のお礼を伝えただけですよ」
「ふぅ~ん」
つまらなそうに相槌を打つリュッカを横目に、クレイドルを肘で小突くようにエルバーが話しかける。
「今は澄ました顔をしてるけど、ロリちゃんがセルと二人で出て行くのを見て、さっきまでピリッとしてたじゃないか。やっぱりロリちゃんをそういう目で見てたんだろ。いい大人のくせに少女に手を出すなんて、この犯罪者めっ。正直に言えよ」
息巻くエルバーを底冷えするような目で見下ろし、クレイドルはその顔面を鷲掴みにした。
「……あのなぁ、お前ら。いい加減にしろよ」
はぁ、とため息をついたクレイドルは、ぺいっとエルバーを放り投げ、穏やかな口調で話し出す。
「オレは、ルリがちゃんと大人になるまで待つつもりだ。その時のルリが誰を想うかは分からない。だが、オレはそれでもいいと思っている。今すぐどうこうしたいだなんて、小さいことは考えていない。分かったら、しばらく放っといてくれ」
──沈黙──
チラッとみんなが自分の方を向いたのが分かった。分かったけど、身体が動こうとしてくれない。
「……これは、言い逃れ出来ないな」
リューズベルトの笑いを噛み殺した声が聞こえてきた。
「くっそぉ! レイドのクセに格好良いじゃねぇかぁッ!」
「あ! ルリが真っ赤に!?」
「おっチビちゃ~ん、息してるぅ~?」
「ルリ、大丈夫か?」
ウォルクスに心配そうな顔で覗き込まれ、みんなの声を遠くに聞きながら、ルーリアはその場にペタリと座り込んでしまった。
……ク、クレイドルは、今、何て──?
あとのことはよく覚えていない。
フェルドラルに手を引かれ、ふわふわと熱で浮かされたような気持ちで家に帰った感覚だけは、何となく残っていた。
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